ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
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大田黒公園と記念館(旧大田黒元雄邸)

2017年09月25日 | 建築&土木見物

和田掘公園から帰路について1kmも行かない場所に大田黒公園という小さな公園があります。
元々は明治26年生まれの音楽評論家、大田黒元雄氏の自邸および仕事場だった場所が死後(1799)、遺志により土地の一部が区に寄贈され周辺の土地と合わせて1981年に大田黒公園として公開されました。
2700坪ほどのコンパクトな公園ですが非常によく手入れされた日本庭園、美しい芝生の広場を持つ庭園で大変気に入りました。写真多めになりますが順にご紹介します。
最初の写真は入口の木戸門から中に入ってすぐの並木路。これが元々の大田黒邸だったかどうかは不明です。国土地理院の古い航空写真見たんですが寄贈された土地とその他の区別がつきません。

並木を過ぎてもう一度木戸を通って日本庭園。石を配した流れの一番奥に池と東屋があります。低地である池のあたりから高台に芝生の庭。

芝生の庭の西側を登って行くと西洋風の建物が見えてきます。写真では見えにくいですが壁はピンク色に塗装されています。

南の庭に面した広間は全面とれる限りのガラス窓。とはいえ昭和初期にこんな大きな板ガラスは作れませんから、この窓はどこかの段階で建具を作り直したものと推測します。

切妻の屋根に片側だけもう1枚屋根のかぶさった不思議な作り。これだったら最初から上の屋根だけでいいんじゃないのと思いながら見ていましたが、左に回り込んで見ると上の屋根は手前のごく短い一部分だけでした。
結果として手前部分だけ屋根裏部屋が拡張されて、正式の2階のような感じです。2階は上れなかったのでこれも想像です。

庭の反対側が玄関。全体の造りから考えると北側の地味な場所に地味な玄関。人を呼んで音楽会を開いていたような建物にしてはアンバランスな印象。

大広間の全景。手前左が1900年製のスタインウェイのグランドピアノ。窓辺と中央に当時の物である家具。一番奥にマントルピース。壁の外に張り出した煙突がありましたが、木造家屋でそこだけレンガだったはず。

大田黒元雄氏は日本の音楽評論家の草分けと言われています。裕福な家庭に育ち、欧州で音楽を中心とした芸術文化全般を学び日本に紹介したという87年の人生。
留学中にはフォーレの生演奏を聴き日本では「スクリャービンやドビュッシーなど当時最先端だった近代音楽の紹介普及に尽力」。生涯で100を超える書籍を出版し、NHKのラジオのレギュラー番組を持ち20年以上に渡ってダンディな語りでお茶の間の人気も博したそうです。
吉田秀和からは「大正リベラリズムが生んだひとつの典型」と評されたようで、まあ言って見れば日本のホルバート・メチェックと言ったところでしょうか。分かる人だけ分かればいい。

映画にもなった中島京子の「小さいおうち」もちょうどこの頃立てられた折衷建築ですよね。あっちは実業家の家なのでここまでサロン風ではなかったと思いますが、似ている部分も多いのでは。
コメント
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