おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

あんぽ柿の里 柿もぎ・シュモク切り

2016年12月04日 00時55分00秒 | 農業

写真1 脚立に上がり柿をもぎ、襷掛けの籠に入れる


写真2 襷掛けの籠いっぱいにもいだ柿をシュモク切り場(写真3)に運ぶ
     シュモク切りを終えた柿はコンテナに入れて軽4輪トラック荷台へ


写真3 シュモク切り(エダ切り・シンボ切りとも言う)。柿につく枝をT字状のシュモク(撞木)のように短く切り揃える
     同時に柿の大きさを分ける


写真4 シュモク(撞木)状の枝(⇒印)がつく柿
     撞木:寺の鐘や火の見櫓の半鐘などを打ち鳴らすT字状の木棒


写真5 柿は皮をむき、紐に吊り下げて干す。その祭、T字状の枝(⇒印)で写真のように吊り下げる

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 小春日和の日曜日
 あんぽ柿の里・五十沢(いさざわ)
 阿武隈川左岸堤防の両側は柿もぎの畑、20ヵ所

 堤防の内側(集落側)へ下り、19ヵ所目の畑、Aさんの現場(注1)で見聞撮
 脚立に上り、柿をもぐ人(写真1)
 もいだ柿につく枝を短くT字状・撞木状に切る人(写真3)
 役割を分担して効率良く作業は進む

 江戸期、宝暦年間から続く五十沢の干し柿・あんぽ柿造り
 大正期、アメリカ・カリフォルニアの干しブドウ造りにヒントを得た
 すなわち、硫黄燻蒸あんぽ柿が開発されて一大産地となる
 それゆえ、冬場の出稼ぎは少なかった
 
 Aさんは次のようにご教示
   1945年以降、中国産生糸が入るまで、当地はカバタ・桑畑だった
   カバタの縁に柿を植え、あんぽ柿を造っていた
   それまで、柿の多い人は出稼ぎしなかった
   養蚕・稲作の後、秋冬にあんぽ柿造りのパターンだった
   中国産に押されて養蚕は廃れ、桑を抜き、柿・ハチヤガキを植えた
   柿の少ない人は冬場に出稼ぎ

   柿は皮を直ぐ剝き干すのでなく、1週間ほど置き水分を抜き熟成させる
   機械で剝き、1ヵ月ほど干す
   シロコ・白粉をふかせる人は、乾燥後期に拭き磨く
   近年、シロコフカセの人は少ない
   乾燥後期に2日ほど、遠赤外線で乾かす人もいる

 12月中旬には五十沢のあんぽ柿が市場に出ます
 皆様、ご賞味ください

 謝辞 御多忙のなか、筆者の見聞撮を快諾され、種々お教えくださったAさんはじめ皆様に感謝します
 注1 弊ブログ2016年11月29日写真5の柿もぎ畑
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2016年11月13日 撮影地:福島県伊達市

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