社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

泉弘志「剰余価値率の実証研究をめぐる若干の論点 -東浩一郎氏の批判に答える-」『大阪経大論集』第60巻第2号,2009年

2016-10-09 18:11:47 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
泉弘志「剰余価値率の実証研究をめぐる若干の論点 -東浩一郎氏の批判に答える-」『大阪経大論集』第60巻第2号(大阪経大学会)2009年(『投下労働量計算と基本統計指標-新しい経済統計学の探求(第14章)』大月書店, 2014年)

 東浩一郎は, 投下労働量による剰余価値率計算(泉方式)の批判的検討を行っている(東浩一郎[2008]「投下労働量による剰余価値率分析の批判的検証とSingle System」『東京立正短期大学紀要』第36号)。泉方式に対しては, わたしも若干疑問がある。泉による本稿を紹介するにあたっても, 扱っている問題が論争問題であるので, 本来は, それに対してどちらが正論と思うのか, また両者のどちらにも与しないのであれば, わたしの見解はどうなのかを言うのが筋だが, ここはそういう場ではないので, 泉の主張のみを以下に要約する。

 東による批判の論点を掲げる(泉の整理による)。「投下労働量で計算した剰余価値率は時系列的に見ると上昇しており, 泉氏はその根拠を相対的剰余価値の生産にもとめている。しかし相対的剰余価値が生産されているのであればそれは価格で見た利潤シェアにも現れるはずであり, あえて投下労働時間に計算する意義があるとは思えない」「投下労働量分析への疑問は以下の2点である。第1には, 計測された投下労働量計算は異種労働をそのまま加算する本来不可能な方法によって産出されており, いわば計測された投下労働量は具体的労働の範疇である。したがって, そこで剰余価値率を計算することはできない。・・・第2には, 価格から逆算する形で投下労働量に戻して計測された剰余価値が, 剰余価値の部門配分前の, いわば生産された剰余価値を正しく示しているのか, という疑問である。・・・これが計算できるのは, 価値から生産価格への転形において, 可変資本から賃金への乖離率と, 消費財の価値から価格への乖離率が一致する場合だけである・・・」。東はこの種の計算に関して欧米で主流であるSingle System(価格による計算)に依拠すべきとして, その観点から上記のような泉方式批判を行っている。

 筆者は論文全体で, 反批判している。反批判のポイントは, 東が投下労働量計算の意義を正確につかんでいないこと, 抽象的労働・具体的労働, 簡単労働・複雑労働, 高強度労働・低強度労働の概念の理解が不明確であり, 当然それらと投下労働量計算との関係の理解が曖昧であること, 泉方式の計算のプロセスに登場する, 現実市場価格単位量当りの投下労働量が各産品の物量を表示するための単位(円価値単位の物量表示)であることの理解がないこと, などであるが, 「おわりに」で要約して結論を述べている。その部分を引用する。

1.Single System では, 「労働者から搾取した剰余価値額」と「自営業との不等価交換で得た収奪額」が区別できない。「自営業との不等価交換で得た収奪額」の問題を別にしても, 価値価格から生産価格, 市場価格が乖離することを考慮すると, 価格による剰余価値率は正しい値を示さないが, その場合でも投下労働量にもとづく剰余価値率は正しい結果を示すことができる。 

2.東は抽象的労働や複雑労働などについて, 理論的な分析をすることなく, 投下労働量計算を批判している。複雑労働の簡単労働への還元や高強度労働の標準的強度労働への換算の問題は難しい問題であるが, それらを理論的に考え, 換算方法とデータの開発に地道にとりくむことが重要である。産業別に労働の複雑度や労働の強度に相違が無いという仮定, つまり労働時間がそのまま労働量・価値量を表すという計算は, 賃金率の相違が労働複雑度・強度を表すという仮定や, 価値価格から市場価格への産業別乖離度に相違がないという仮定にもとづいてなすのがよいとする東の主張より, 現実的であり, 有意義である。

3.東による「投下労働量に遡って計算する剰余価値率は, 特殊な場合を除けば正しい値を示さない」という主張は, 投下労働量計算の基本(「物量単位当たりの投下労働」という概念)と価値から生産価格への転化問題に関する不十分な理解にもとづくものであり, 誤りである。(以上, pp325-26)

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