安呑演る落語

音源などを元に、起こした台本を中心に、覚え書きとして、徒然書きます。

お見立て

2012年06月21日 | 落語
「お見立て」


喜助: (ほとほとてこずっている様子で) ねえ花魁、そういうわがままなこと言われちゃ困りますよォ。ええ?
それァね、どんな嫌な人だってお客様とねれァね、あァた、相手をしなかやァなんないんで、それがあァたの勤めでしょ? だから、ここを苦界(クガイ)ってェんじゃァありませんかァ
花魁: (ふてた感じで) そんなこと、お前さんに言われなくたってわかってるよォ、ええ? それァ、いくら苦界か知れないけれどもさァ、命にァ替えられないねえ
喜助: 穏やかじゃないことをおっしゃるね、あァたは。ええ? 命にァ替えられないって、それ、いってェどういうことですゥ?
花魁: いや、だからさァ、あたし、あいつのそばィ寄るってえと、もう、ほーんとうにねえ、もう嫌で嫌でで、もう総毛立っちゃうんだよぉ。ねェ? 震えがくるんだ、熱ァ出てくるしさァ。なんだか知らないでど、吐き気を催すだろ? もう、どうにもなんないんで、息切れがしてきて、もうとにかく、いつでもね、命からがら、あいつの部屋から逃げてくるんだよォ、ねーェ。だから嫌なんだよォ
喜助: いや、だってね、それァあァた、そんな嫌な人とどういうわけで夫婦約束なんぞをしたんですゥ?
花魁: そりゃしょうがないよ。こっちは商売だ、いろんなこと言うさァ、ねェ? だから、ま、いわば融通の夫婦約束だよ
喜助: それァあァたは融通かもしれませんよ。ところが向こうはそうじゃありません。真に受けてますよ、ええ、亭主気取り。ね? あたしらが顔出すってえと、『いつもうちの喜瀬川が世話ンなってますねえ』 なんてんで、礼を言うんですよ。『うちの喜瀬川』 ってそう言ってんだよ、あァた。ねえ? ええ。で、ご祝儀やなんかくださるから、こっちだっていただいてる手前ねェ、放っとくわけにいかないじゃありませんかァ。ちょっとでいいからねえ、ちょ・・・、勤めていただきたい、お願いします
花魁: (駄々っ子のように) 嫌だよォ。もう、本当に。ええ? もう、どんなことがあったって、あたしゃ行きたくないよ
喜助: いや、そんなこと言わないでさァ、ねえ? ええ。あっ、(ポンと手を打ち) じゃね、えー、こうしてください、え?
いや、あの、勤めろとは言いませんから、ちょいと顔を出して、ね? で、『実は、きょうはたいへんに忙しい
から、ね? お前さんところへ回ってこられないから、ね、きょうは帰っておくれ』 って、そう言ってくださいよ。
あァ、あァた、あァたの言う事だったら、あちらはなんでも言う事きくン。『あ、そうか』 ってすぐに帰りますから
ね。お願いしますよ
花魁: 嫌なんだよ、ちょっとでも顔を見たくないんだからさァ。だからお前さんに頼んでんじゃないかァ。なんとかうまい具合に断わっとくれよォ
喜助: 断わっとくれったって、そうはいきませんよ。あがったお客様にそんなこと、できるわけがないじゃありませんかァ
花魁: んー、ンとに、んん、なんか手はあるよォ、ねえ? そうだよォ。あたしはこのうちにいないってことにしたらいいじゃないかァ
喜助: このうちにいないってことにしたらって、あァた勤めの身だよ。えェ? 年季(ネン)が明けるまでいるの、それァ向こうだって知ってますよ
花魁: それァわかってるよ。だからさ、ね? 患って入院してるとでも言っといたらいいじゃないかァ
喜助: ンなァ、だめだよあァた、それァ。できませんよ、ええ? いや、なぜってねェ、あちらがお見えンなったときに、
こっちは商売ですから、世辞でね、『いらっしゃいまし、花魁がお待ちかねでございますよォ!』 ってそう
言っちゃたんですよ、ねェ。で、あんまり待たしてお気の毒なんで、たった今ですよ、『ほどなく参りますから、
もうしばらくお待ちくださいまし』 って・・・・・あたしゃ言い難いよ
花魁: (鼻であしらい) 大丈夫だよゥ。大丈夫なんだよ、ね。『初めにそう言わなきゃいけなかったんでございますけれども、花魁と会うのを楽しみにおいでンなってらっしゃる旦(ダ)ァ様の顔を拝見する途端に、ついついあたくしは言いそびれてしまいましたが、実は十日ばかり前に花魁は風邪をしきまして、無理して勤めておりましたんで、風邪をこじらしてしまいました。いくら薬を飲ましても、一向に熱が下がりません。お医者様に診せましたところ、このまんま放っとくってえと肺炎になるから、今の内に病院に入れろっと、こう言われたんで入院をさしてあるんです』 って、そういうふうに言や、いいじゃないか
喜助: 言やいいじゃないかったってェ、あァたそこで言ってるからいいよ。ねェ? あたしァ当人に面と向かって言うんだよ。あたしの気持ち・・・
花魁: (いらだち) わかってるよ、そりゃァ。だからさァ、またお礼はするから、おねがいだよ、後生(手を合わせ)、このとおいだから、そう言っとくれよォ
喜助: 本当にしょうがねいねーえ。(舌打ちし) わかりましたよォ、言ってきますよ、本当になァ。
(廊下を歩きながら) どうしてこういう薄情なことをするかねェ。さんざん通わしといてねえ、ええ? 
(つくづく) 嫌だなァ本当にこういうところは。ねえ? うん。あーァ(と、客の部屋の前で溜息し)。
またこちらもこちらだよォ、こんだけ嫌われてんのがなぜわかんねェんだろう。
・・・・・えー、ごめんくはィッ。えー、ごめんくだはィッ
杢兵: (田舎言葉) はあい。誰(ダリ)だい、ああ? 喜助でねえか、本当に、そんな他人行儀に表で声なんぞをかけて。ええ? 用があるんだったら、そこ、どんどん開けて、こう入ってきたらええ。ああ。そんなところにいねえで、そこじゃ話が遠くなるだから、こけェ来ォって。ええ? こけェこ、こけェこったらこォけェこッ
喜助: ニワトリだね、どうも・・・・。エヘン(と、咳払いして入り) えー、どうも、あいすいません。たいへんに長らくお待たせをしたしまして
杢兵: いやあ、そォだなこと心配ェするでねえ。ええ? おら、他の客とは違ってな、あの喜瀬川とは末にはひいふ(夫婦)ンなるべえちゅう約束がしてあるでえ、焦るようなことはねえだ、な。他の客回ってから、おらンところへ来ればええだから
喜助: えっ、えー、実はそれなんでございァすが、えー、今夜あの、喜瀬川花魁、こちらにおいでンなれないんでございますよ
杢兵: あにィ? あれが来られねえ? そらまたいってえ、どうゆうこったァ?
喜助: へえ・・・・・(言いにくそうに) 実はあのォ、今、ご当家ねいらっしゃいませんでね
杢兵: (少し気色ばみ) あに? あれがいねえ? そら、いってえどォゆうこと
喜助: いえっ、えー、(言葉を選ぶようにゆっくり) 今お話をいたしますが、実はそのォ・・・ええー・・・・・入院・・・、しておりましてな
杢兵: え?
喜助: 入院をしているんでございます
杢兵: 喜瀬川が ヌウインしてんのか?
喜助: ・・・ヌウインじゃァないんです。入院
杢兵: おんなすこったい! じゃァ、んん、何かァ、うん? 病院に入ェってん
喜助: びょ、びょびょびょ、病院へ入ってるん。病院に入っているから、あたくし入院と申し上げました。ええ。
これが軍隊ですと入隊となりましてね、学校だと入学となって
杢兵: 余計なこと言うんでねえ、ばっかやろう。ええ? 本当に、な、なんで早く、初めにそう言わねえ
喜助: え、それなんでございァ・・・、(早口になって) 初めにそう言わなきゃいけなかったんでございますがねェ、花魁と会うのを楽しみにおいでンなってらっしゃるだァ様の顔を拝見する途端に・・・、ついついあたくし、言いそびれてしまったんでございます、ええ。十日ばかり前にね、風邪をしきましてね、ええ、無理して勤めておりましたんで、その風邪をこじらしてしまいましてね、えッ。あー、いくら薬を飲ましても熱が下がらないんでございます、ええ。で、お医者様に診したら、『このまんま放っとくってえと肺炎になるから、今のうちに入院をさせろっ』 てんで、そいで病院に入れてある、と、こういうわけなんでございますよ
杢兵: (歯噛みするように) ばかやろう、ええ? もっと早くに言やあ、おらァ、すっと帰ェっただよ、なあ。
ホーントゥニ、もう、あれがいなかったら、こんなとこにいてもしょうがねえし
喜助: (すかさず) お帰りですかっ。へい、お帰りはこちら
杢兵: 待て待て待て。本当に、まあ、いきなりそうだなことを言やがって、ええ? おらァおめえ、帰ェらねえことはねえけんど、まあ、ばかだねえ、そーゆうことがあるんだったら、初め (と繰り言を中断) ・・・うぅ、
わかった、じゃ帰ェるからな、その前にひとつ、見舞いに行くべ。うぅ? ん、案内ぶて
喜助: (意表をつかれ) ええー・・・、ヒェエッ? 見舞い・・・、いやあ、それァ、あのォ、結構
杢兵: いやあ結構てえことはねえ。ああ? なァ、末にはひいふンなるという相手が、あ? ああ、患って病院にいるんなら、そら放っとくわけにゃいがねえから、お、見舞いをして、それから帰ェるべえ。あ、病院はどこだ
喜助: (窮し) いえ、えー、んー、病院はあのォ・・・なんなんでござんす、あのー・・・、あのー、ねえ、えー、
(曖昧に指差して) あっちなんですな
杢兵: な、なんだ、あっちてえのは。ええ?まあ、なんでもいい、われが、う、案内ぶてばええだからな、あ、頼むぞ
喜助: いえ、・・・じゃ・・・じゃ・・・、いや、あの、それ、あのォそれ、あのォ・・・・・んー、むふ(と、小さくつくろい笑いをし) い、いいんですよォ、なにも花魁がねェ、ええ? 入院しているからって、わざわざね、そのね、お見舞いだとか面会、そんなことしなくたっていいんですよ、えっ。それァ、あの、い、い、い、い・・・・・いや、あの、(態勢を立て直してきっぱり) いけないんです。それはっ
杢兵: いけねえ? なんでわれにそんなこと言われなきゃァなんねえ?
喜助: いや、あたくしが言ってるわけじゃァない、ええ。これ、いけないというのは、(もっともらしく声を低く)これはですね、吉原の法なんでございます
杢兵: なにィ? 吉原の法?
喜助: そ、そう、そうなんでござん・・・、ヘイ、えー、ここだけの法がありましてね、花魁が入院したときに、お客様のお見舞い、面会はご法度なんでござんす。これァ郭法でございますから、法を破ることはできないん。法でございますよ。法なんですから
杢兵: (いぶかしげに) そうだな法があったってえ(こと)、おら知らなかったな
喜助: ええ、あたくしも知らなかった
杢兵: な、なに?
喜助: いやいや、えー、ですからね、今度のことで初めてわかったんでございます。ヘーエエ、エッヘヘヘェ・・・・・
(独り言で) えー、うまく考えたァ
杢兵: なんだあ?
喜助: いえいェ・・・昔の方はうまいことを考えたなと思って感心しております
杢兵: (がっかりして) そうだな法があるとはなあ。そこをな、ひとつ、われなんとかな、ええ? ただの仲でねえことはわかってるでねえか、ええ? 裏からちょいと手ェ回して、ひとつ会わしてもら・・・
喜助: いえ、それはだめなんで、法でございますから、法を破ることはできないんでございますから、(強く)法は
杢兵: ま、そそ、そう、そう言わずになんとか、んん、どうしてもだめかい
喜助: ヘエッ、え、お客様方の、えー、面会お見舞いは、これァご法度でございますっ
杢兵: そうかあ。うーん。じゃあ、国許から兄が面会だてえことにしたらばよかっぺ。どうだ?
喜助: ははぁ・・・、なるほど。お兄様ならね、お客様じゃァございませんから、ええ。そりゃいい(と、言いかけ、慌てて) ・・・・・いや、いや、だ、だ、だけどですよ、ね、お兄様でないのに兄と偽って面会をしたなんてえことがわかってごらんなはい。ええ? (大袈裟に) どーんな厳しいおとがめを受けるかわかりゃしませんよ、ええ? それァだめですなあ
杢兵: そんなこと言わねえで、これからひとつ、われがご内証行ってな、うん、おらが喜瀬川の兄であるというそうめえそ(証明書)をひとつ書えてもらってこ。おォ? こちらのご主人様というのは、とても話のよくわかる方でな、おらと喜瀬川とのことではずいぶんいろいろと心配をしてくれている。なあ? ああ、だから、そういうわけを話せば、ちゃんとそれは書えてくれるから。ええ? (熱っぽく)われ、行って頼んで、もし断わらいたら今度ァおらが行くだから、とりあえずはわれ行って、うん? その証明書も書えてもらってこいっ。うん? 頼むぞ
喜助: (逆らえず) ううウ、そうですか。う、わかりました。じゃァ、ちょっと行ってきます。
(廊下へ出て) 大変だ。だから嫌なんだよ、こういうことは。ええ? 思わぬことが起きるんだからねえ。
しょうがねえなあ、本当にどうも。・・・(咳払いして喜瀬川の部屋へ戻り) えー、行ってきました
花魁: どうしたい、帰ったろう?
喜助: ううん、帰りゃしませんよ。ええ? うん。見舞いに行くってんだよ、あァたを
花魁: 見舞いに? (蓮っ葉に) 嫌なやつだねェ。だァからあたしゃ嫌いなんだよ、素直でないんだから本当にィ。ええ? で、どうしたんだよ
喜助: え、で、あたしがね、えー、花魁が、えー、入院をしたときにお客様の面会お見舞いはご法度、これは吉原の法でございますってんで、こう体をかわしたてえやつだ
花魁: うまいことを言ったじゃない
喜助: ところが、敵もさる者ですよ、ええ。客の面会見舞いはこれがご法度ならば、国許から兄が面会だということにしたらばよかろう・・・と、ね? おれが喜瀬川の兄だという証明書をご内証へ行って書いてもらってこいって、ね? もしお前が行って断わらいたんなら、自分で行くってんですよ。ねえ、あちらに行かれてごらんなさい。あァたが勤めをしてないてえことはわかっちゃいますよォ。さーア、熱い灸をすえらいるよ、あァた。折檻されんだよ、ええ? だから大変だと思って,急いであたしゃァここィ戻って来たんですよォ。どうしますよォ
花魁: 嫌なやつだねェ本当にもう。ええ? (舌打ちをし) うー、もう。じゃあもう、(やけな言い方で) 死ンじゃったって、そう言いなよォ!
喜助: ・・・(あきれて) あァた、どうしてそういう乱暴なこと
花魁: 乱暴だよ。ねえ? そのぐらいのこと言わなきゃあきらめないよ。ええ? だからそう言いな
喜助: いや、そ、そ、そう言いなってェけど、あァた、よく考えつください。いいすか、ね? 初めに、『花魁お待ちかね』 ってそう言ったんですよ、ね。そのあと、『ほどなく参ります』 と言って、今、『入院してる』 って言ってきたんですよ。それが 『実は死んでるんです』 なんて、こんなあァた、ばかばかしいことは言え・・・・
花魁: 大丈夫だよ、心配しなくたって、ええ? 『初めにそう言わなきゃいけなかったんでございますけれども、花魁がお亡くなりんなったなんということは、まことにお気の毒な話でございますから、入院をしていると嘘をつきました。聞いて帰ってくださればいいのねに、見舞いに行くというふうに言ってくだすったんで、そいで、慌ててご内証に相談に行きましたところ、いずれ知れてしまうことなんだから、早くお話をしたほうがよかろう、お前から正直に話をしてくれろと言われて、あたくしは今お話にあがりました』 って、こう言やいいんだよォ
喜助: うん、こう言やいいんだよって、あァたはねェ、本当にねェ。・・・なんで死んだんだって言われたら、なんてんですよォ
花魁: そんなこと、なんとでも言っときゃァいいじゃないか。死にそうな病はいくらでもあるだろう? ねえ。お前さん。なんでもいいよ、みつくろってさァ
喜助: お昼のおかずを買うんじゃないよ、あァたァ。ええ? どんな病がいいですかねーえ
花魁: うん (と考えて) あっ (手を打ち) ちょっとお待ち。ええ?下手な病を言っちゃいけないよ、ああいう男だからね、医者の診断書を見せろやなんと、え? 言われると困るから、うん、だから、医者にかからないで、なんとなくフワフワッと死ぬようなもの、ないかい?
喜助: あァた、注文が難しいねえ。医者にかからないでですか、なんとなくフワフワッて死ぬのォ? あー、そうですねえ。・・・・・野垂れ死になんてのァどうですか
花魁: ばかだね、この人ァ。あたしゃこのうちにいるじゃァないか、たとえ勤めの身でも。ええ? 野垂れ死ぬわけはないだろう、本当にまあ。ああ、そうそ、おんなじことだったらね、焦がれ死ににしなよ
喜助: 焦がれ死に? あなたがあちらに焦がれ死に? おおーきな嘘ですねェ
花魁: そうだよォ。そのぐらいのこと言って少しは喜ばしてやんないと可哀想だから。ええ? あいつ、ここんところしばらく姿を見せなかったじゃないか
喜助: そうなんですよォ。ふた月おみえンならなかった
花魁: だからちょうどいいんだよ、ねえ。『だァ様があんまりおみえンならないんで、たいへんに花魁は心配をいたしました。患ってんじゃァなかろうか、それともまたほかに増す花ができたのかもしれない、心配だからすぐに行きたいけれども、勤めの身、籠の鳥でそれができない。といってお手紙を差し上げたいけれども、ね?女名前、女の手でもってお手紙を差し上げて,もしそれを親御さんに読まれたら、ああ、こんなところへ勤めている女とうちの倅を一緒にすることはできないという、ねえ? せっかく一緒ンなれるという話が壊れてしまう。ああどうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろうとずいぶん悩んでおりましたけれども、そのうちに食べるものが喉を通らなくなりまして、糸のように痩せ細ってしまいました。ある日のこと、あたしの手を握りながら、喜助どん、どういうわけでもって、だァ様は来てくださらないの、あの方は罪な方,、ああ、あたしは不幸な女と言って,にっこり笑ったのがこの世の別れでございました』 って、こう言やいいんだよォ
喜助: 天才だね、あなた。考えもしないで、よくそんなことがあとからあとから出てくるねえ。おどろいたねェ!
花魁: そんなつまんないこと感心してないでさァ、ねえ。ううん、とにかくなんだよ、ええ? あとはお前さんの芝居ひとつだよ。ねえ、涙でも流して、それっぽくやっとくれ。(手を合わせ) 後生だよ、お願い、このとおり。礼はするからさァ
喜助: わかりましたよォ。じゃ行ってきますよォ。ええ? うまくいかなくたってしりませんよ、こっちァ役者じゃァねんだから、本当に。(廊下へ出て) ッどろいたねえ、ええ? ちょっと顔出してねェ、『今夜忙しいんだよ』って言ってくれりゃァ、こんな思いをしなくたってすむんだよ。本当にまァ、嘘をつくのァこっちは慣れてっけど、こんなの初めてだなァ。芝居をしなきゃなんねェってんで、厄介だねえ、どうもねェ。涙流せったってなァ、役者じゃァねェんだから、涙なんぞ出てこやしねえよ。目の縁少し濡れてねえってェとなあ。汚ェけど、しょうがねえや、唾でもってこう濡らして、ええ? うん。神妙にやんなくちゃいけないね。むっふっふ(自嘲気味に笑い)・・・あァあー、情けねえな、こんなことするのァ。ううん(咳払いし低い声で) えー、ごめんくださいまし。えー、ごめんくださいまし
杢兵: はァい、だりだにィ? 用があるんだったら、そこ開けてこちさ入ェってこ、・・・あれえ、なあんだ、喜助でねえか。さっき言ったばかりだ、用があるんだったら、かまわねえ、越えなんぞかけねえでどんどん開けて入ェって来(コ)って、そう言っただねえか。ええ? どうした、ああ? ああ、あの、おらが喜瀬川の兄だという証明書を、け、書ェてもらってきたか?
喜助: うん (と咳払いして態勢を整え) ・・・・・はあ・・・・・ああ・・・・・アーッ (と、いかにも辛そうに)
杢兵: どうした? 腹でも痛えか?
喜助: ・・・・・実は (とちょっと洟をすすり) ・・・・・あたくしは、だァ様に、(新派劇の台詞のように) 謝らなければならないとこがございますゥ
杢兵: 改まって、またなんだ、あ? なんだ?
喜助: (台詞調のまま) 先ほど、花魁が入院をしていると申しましたが、(一段と台詞調に、なみだぐんだふりで)あれは真っ赤な偽りでございますゥ
杢兵: ほおら、やっぱりそうだ。おら、おかしいと思ったあ。あんなに達者なあまッ子はいねえだよ、ああ?それがまあ、そのねえ、風邪引いてヌウインだなんて、そんなことはねえとおれァ思ってた。ああ。あとから、どっかから出て来て 『バアッ』 やなんか言って俺をおどかそうってんだ
喜助: いえいえいえ、そ、そう、そうじゃないんです。それだったらどんなにいいかと思いますが、実はその、うん(と咳払いして) ・・・・・(また涙声の台詞調) まことに申し上げにくいことでございますが・・・・・花魁はァ、(言いにくそうに、不明瞭に) なく・・・なりンなったんでございます
杢兵: なんだ?
喜助: (ごごちない発音で) なく・・・なりンなったんでございますなァあ
杢兵: なんだかよくわからねえ、ええ? 『なくなったんでございます』 てえのァわかるけど、どうなったんだかよくわかんねえ。もっとゆっくり、はっきり言え
喜助: ・・・・・まことに申し上げにくいんですが、喜瀬川花魁は、(芝居がかって) お亡くなりンなったんでございます
杢兵: そーだらなくなったって、だら、探すべえ
喜助: いえ、そうではなくて・・・死んだんでございます
杢兵: なにィ? (大声で) おっ死んだってかあ? ヤイッ! 喜助ッ! われ、まいへ出ろっ。うんん?
人の生き死にのことでもって、ぞうだん(冗談)を言うやつがあるか!
喜助: いやいや、それ、それ、じょう、じょう、冗談じゃない、ほん、ほんとなん、ほんとなんっ
杢兵: 何が本当だ。ええ? いやあ、そんなことァねえ
喜助: いやいやいやいや、そんなことないって言わないで、それ、あの、ちょっと信じてください、お願いしますよ
杢兵: 誰がそんなことすんじられる、ええ? われ、初めになんちってた。『花魁、お待ちかねでごぜえます』
ってそう言った。なあ? そのあとで顔ォ出して、『ほどなくめえ(参)えいやす』 ってそう言って、さっき来てなんつった。『ヌウインしてる』 ってそう言ったろ、ええ? 何? 今度ァ 『おっ死んだ』 ? ばーかやろう。ええ?そんなことが信じられるかァ
喜助: いえ、そ、そ、そ、それァそでしょう。(涙声を出して) それァ信じにくいとは思いますがねえ、そこを何とか信じていただきたーい。お願いしますよォ、この際ですから、信じてくださいな。信じるものは救われる
杢兵: あァにを言ってるだ。おらァ、信ずることはできねえッ。それだったら、なんだって初めにそう言わ・・・・
喜助: いや、そら、はじ、初めにそう、い、い、いい、言わなきゃいけないことだったんでございますが、なにしろ花魁がお亡くなりンなったなんてェのァ、あまりにお気の毒な話でございますから、あたくしは入院をしていると嘘を申しました。それを聞いてですよ、だァ様のほうで、『ああそうか、じゃ、ここにいてもしょうがないから、じゃ、おれは帰る』 って、ツーッと、(突然いきりたって) 帰ればこんなことにはならなかったんでございますよッ!
杢兵: 何をいきってるだ、わりゃァ。ええ? それがどう・・・
喜助: どうしたじゃありませんよ。あたしだって困るじゃありませんか。ええ? ねえ、見舞いに行くなんてェから、どうしたらいいだろうと思って、急いで、ご、ごご内証へ行きました。『どういたしましょう』 って言ったら、
『いずれ知れてしまうことなんだから、今の内に早く話をしたほうがいい。お前から正直に話をしてくれろ』
と言われてあたくしは・・・・・(また泣きの台詞で) 今、こうしてお話にあがったんじゃァございませんかあ (と天を仰ぐようにする)
杢兵: (真剣になり) そうかぁ・・・。われェ、今、泣いてるな
喜助: 泣いておりますよォ。今を盛りと泣いておりますよ
杢兵: 蝉みてえなこと言ってやがる。そうかあ、嘘で涙の出るもんではねえ。人間何があってもおかしいことはねえだ。なあ。そうか、疑って悪かった。うん。(嘆きの調子になって) あーあ、わ、わからねえもんだ、世の中。で、な、なんで、おっ死んだ
喜助: だァ様がいけないんでございます
杢兵: なにィ、おらが? ね、ね、なんでおらがいけねえ
喜助: (物語のように流暢に) あまりお見えンならないんで、たいへんに花魁は心配をいたしまして、さあ、
『患ってるんじゃなかろうか、それともほかに増す花ができたのかしら、すぐにも行きたいけれども勤めの身、籠の鳥でそれができない。といってお手紙を差し上げたいけれども、女名前、女の手でもってお手紙を差し上げて、もし親御さんに読まれたら、あっ、こんな勤めをしている女とうちの倅を一緒にするわけにいかないと言って、せっかくまとまっている話が壊れてしまう。ああどうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろう』 と、ずいーぶん、悩んでおりました。しまいには食べるものが喉を通らなくなりまして、糸のようにやせ細ってしまいました。(再び芝居がかって) ある日のこと、あたくしの手を握りながら、『喜助どん、どういうわけでだァ様は来てくださらないの? あの方は罪な方、あたしは不幸な女』 と言って、にっこり笑ったのが・・・・・(いそう芝居がかって) この世の別れでございましたァ
杢兵: (泣き出し) おおおおおおーーー、そうかあー。うう、おらもォ罪なおどこだなあ。そんなにまでなってたのか。
いや、おらァなあ、商売ェを新しく始めた。ええ? それだけでねえ。今までの百姓仕事もやってるだ。
ええ? 毎日忙しくって忙しくってなァ、ああ、来てやるべえと思っても、ついつい疲れてなかなか来られなかったが、そこまであれが追い詰められてたんだったら、おらァ無理してでも来てやっただに。ええ?なぜそうなってるてえことを、おめ、手紙でもなんでも出してくれなかった
喜助: いえ、それが、ですから、女名前、女のてでもって・・・
杢兵: いや、それァわかってるって、だから喜助ェ、(なじるように) なぜそこでわれが役に立たねえ? われが代わりに手紙を書いたらばよかったろう
喜助: (急所をつかれ、悲鳴を泣きでまぶし) あーーーーーーーーーっ、そうでしたねえ? (懸命に泣き声でとりつくろい) そうですよォ、そうなんです、ええ。ですからね、あたくしね、あの、代わりに手紙を書いたんでございます。実は
杢兵: 書いた手紙がなぜおらンところに来ねえ
喜助: (泣き声で) ええ、だァ様のおところがわからなかったもんでございますからねーっ
杢兵: そんなことはねえ。おらの所書きはちゃあんとな、え? おらがじかに書いて、そして喜瀬川にわたしてあった
喜助: (窮地の悲鳴を泣きでごまかし) ああ・・・・・アーーーッ、そうでしたァ!ええ。『これがだァ様のお所よ』
と言って、書き付けをあたくしンところにもってきました
杢兵: それでなんで、おらンところィ手紙がこねえ
喜助: ええ、それでございます、それでございます。ちょっと待っつください。今ァ、思い出しますから。えー、あ、そうでございました。ちょうどそのときにですね、あろうことかあるまいことか、ゲジゲジがチョコチョコチョコチョコッと出た。もとより虫の嫌いな花魁でございますから、『キャアッ』 てェとその紙でもって虫をピシャッとつまんで、キュッとひねって、火鉢ン中ィポーンと放り込んだんで、ボオッと燃えちゃって・・・・・(泣き崩れて台詞調で) おところがわかんなくなっちゃったんでござい・・・・・
杢兵: そうかあ。あれァ虫が嫌ぇだったからなーあ。そういうことだったのか。うーん。で、それはァいったい、いつのことだ?
喜助: う・・・・・ (激しく泣き) あーーーーーーゥッ! いきなりそんなことを訊いたりなんかして。あれは、たしかこの前おみえンなった、そのあとでございます・・・
杢兵: 当ったり前ぇだ、それァ。いついっか(何時何日)だと訊いてる。ええ? あに?度忘れした?ばかやろうっッ。あんなに世話ンなっている人が亡くなった日をなぜ忘れるだ。ふんッ当にしょうがねえやつだ。で、なにか、うん? あッ、ひょっとしてそれァ先月の二十日でねえか? ん? あー、やっぱりそうかァ・・・・あの日、喜瀬川が夢に出てきただよゥ。
喜助: そ、そう、そうでした、先月の二十日。そうなんでござんす
杢兵: はーァ、そうでねえかと思っただ。あのときはおら、忙しくって来られなかっただ。そうかァ、あの時かァ。で、なにか、うん? 弔いやなんかは、みな、やった・・・やっ、やってくれたか?
喜助: (また何か言い出されないように一生懸命に) いや、そ、そ、そ、それ、や、やりました、やりましたよ。お通夜から弔い、みーんな、え、ちゃあんと、もう、え、え、お、あの、お墓もできてるんでございます。ええ。(早く逃れたい一心で) 万ー事、やって、も、なんーーにもやることがないン。もうだァ様のやることはなんにもありませんよッ。あとは帰るだけなんでございァすから。えー、お帰りはこちら
杢兵: 待てえッ。そうやってすぐにおらをな、帰したがって。そらァ、喜瀬川がいなかったらこんなところに居てもしょうがねえけんど、帰ェる前にひとつ、墓参りに行くべえ
喜助: (絶望して悲鳴泣きし) アーーーーーアッハッハッハ、いいんですよ、そんな、墓参りなんぞ行かなくたっ・・・
杢兵: いやあ、そうでねえ。それでもって、おらァもう二度と、こっちへは足を向けねえだから、あ? 寺はどこだ?
喜助: (うろたえ) てっ、てっ、寺ァ・・・・・・ふぁ、ど、寺ァ、あの・・・あの、あっちなン
杢兵: また始めやがった。山谷か
喜助: (思わず) さんさん、さ、さ、山谷なんで。山谷なんでございます
杢兵: そうか、山谷なら遠くねえ。うん? ああ、もう夜も明けかかってきてる。え、寺なんてのァ朝の早えもんだ。うん、行くから、案内ぶて
喜助: え、ちょっ、ちょっと待ってくだはい、勝手にそういうふうに決めないでいただきたい、ええ。あたくしも勤めの身ですから、勝手なことはできません。え、今、ご内証行って聞いてまいりますから。ちょっとお待ちを願い、ちょっと待って下さいよッ・・・・・(廊下へ出て) だから嫌だってんだィ、こういうことォ。こんな、こんなね嘘がだんだん大きくなってくン、しょうがねェな、まァ本当に (喜瀬川の部屋へ戻り) ええー、あのォ、行ってきました
花魁: ご苦労さん。こんだこそ、帰ったろう?
喜助: いえ、帰りゃしませんよ。ただァ帰らないよ、あちらは。ええ? 墓参りに行くから案内しろってんですよォ
花魁: 嫌なやつだねえ。寺が遠いって、そう言ったんだろう?
喜助: ンー、山谷って、そう言っちゃったン
花魁: ばかだねえ、ええ? 『花魁のお寺はたいへんとおいんです』 ってン、ね? 肥後の熊本だとか、北海道の長万部だとか、そう言うんだよ
喜助: いえ、普段ならそういうことを言えるんですがね、どうこにしようかなっと思って考えてるときに、ええ、
『山谷かッ!』 って言われたんで、『そうですッ!』 って言っちゃったン
花魁: (舌打ちし) しょうがないねェ。それァ、お前さんが間抜けなんだよ、ええ? いいよ、行っといで。ちょっと、あの、案内して、ね? うん、墓参り行っといで
喜助: ・・・んん、そのォ、あァたねえ、どうしてそういうことを平気で言うの? あァたのお墓なんぞあるわけ?
花魁: 当たり前だよォ。あってたまるかね、ええ? いいんだよォ、どこでもさ、山谷行きゃァ寺がズラッと並んでんじゃないか。ねえ? どこでもかまわないから引っ張りこんで墓場へ連れてって、ええ? なるべく新しそうな墓石を見つけて、『これが、あの花魁のお墓でございます』 ってんで拝んでくりゃいいんだよ
喜助: や、だけどね、彫ってあるの。ねえ? 読まれたらどうすんですゥ?
花魁: 頭が働かないね、お前さん。お墓参りだろ?お花が付き物じゃないか。花を山ほど供(ア)げるんだよ、ねえ?もう花でもって、ずーっと墓石囲っちゃうんだよ、ねえ? うん。すりゃァ見えないだろ? そいからお線香もそうだよ。お線香だってひとっ束や二っ束、そんなんじゃだめだよ。十(ト)っ束ぐらい、ねえ? 糸でもってほとまとめにしてもらって、火ィつけてもらうんだよ。で、扇子そ持ってって、下からこう軽く煽るんだよ、ねえ?
花で墓石を過去って、けむがウワッと出てりゃ、わかりゃしないから、大丈夫だよ。やっとくれよ、(手を合わせ) お願い、後生だ、このとおり
喜助: (いやいやだが) わかりましたよォ、もう。乗りかかった舟だ、とことんまでこうなりゃ、あたしもやりますよ。
(旦那の前に戻り) えー、お待ちどお様でございました。是非、案内をするようにとのことで
杢兵: いやあ、それァすまなかったな。じゃ、よろしく頼むぞ
喜助: (見世先で) えー、お履物はそれでよろしゅうございますか。ええ、へ、じゃ、参り・・・、(奥へ) じゃァちょっと、お願いしますよ、行ってきますから。(旦那に) さ、こちらへ
杢兵: (歩き出し) お、わかった。いやあ。おらァな、われとは長え付き合いになるだなあと思っていたんだ。それが、こんなことでもって、もうこれっきり
喜助: いえ、そんなこと仰らないで、あァたァ、ねえ? そりゃ今はその気にはなれないでしょう。しばらく経ったら、またお気持ちが変わりますよ。そうしたら、また、ええ? 手前どももほうへ来ていただいて、ね? 若い妓をお見立てンなって、ウワーッとひとつ陽気に騒いでいただい・・・・・
杢兵: われゃァ呑気でええなあ。ええ? 人の顔さえ見りゃあ、『見立てろ、見立てろ』 って、ええ?ほーんとにまあ・・・ああ、話をしてるってえと早えもんだ、もう山谷だ。うん。ああ、喜瀬川花魁の、お? あの、寺はどこだ
喜助: え、えー、お寺はねェ、えー・・・、こっち行ってみましょうか?
杢兵: なんだ、みましょうか、てえのは?
喜助: いやいや、あの、わかってるんですけど、行きようがいろいろありますから
杢兵: じゃあ、案内ぶて
喜助: へい。えー、(適当に当たりをつけて) こ、こちらでございァ・・・、ここ。ねえ? うわァーっと、こう、大きな
屋根でしょ、立派でございましょう
杢兵: (見上げて) ああ、これかあ。うーん、おーゥ、門が向こう・・・
喜助: そうなんでございます。ええ
杢兵: 何宗だ
喜助: いえェー、そのォ、宗旨ィーは、あったかな?
杢兵: あったかなってことがあるか。ええ? えー、どれどれどれ (仔細にながめ)。はァ、(門前の戒壇席を読み)
『葷酒山門に居るを許さず』 と。おおー。なんだ、禅寺でねえか
喜助: そうなんで、ヘエ、禅寺宗なン
杢兵: 禅寺宗なんてえのがあるか。ええ?じゃあ、早く花とお線香買ってこう
喜助: ヘイ、じゃ、ちょっとお待ちを願います、へえッ。・・・えー、おはようございます、おばあさん。えー、お墓参りに参りましたんでね、お花とね、お線香いただきたいン。(少し小声で) お花どっさりいただきたいン、大変にお花の好きだった、あの仏様なんで、いっぱいあげたいン、え、いや、そんなもんじゃない、もっともっともっと、もっといっぱい詰めちゃって。あ、じゃ、そのね、花桶ごと借りていきましょう、ね? で、帰りにこの桶はお返しにあがりますから。え、いっぱい入れてください、いっぱい、そうですそうですそうです、ええ。それからあとね、お線香。煙のおおいのある? え、みなおんなじ? じゃそれ、十っ束ぐらいでひとまとめにして、火ィつけていただきたい。お願いします。えっ。裏?ああそ、ヘイヘイヘイエイ。じゃ、ここに置きますよ。お釣り結構でございァす。ええ、そいじゃひとつ、お線香を、まず、(右手に扇子の花束を下げて左手にまるめた手拭いの線香束を持ち煙いので上へ高く掲げ) うわァすごいね、松明だね、まったく。(陽気に) ヘッヘッヘッヘ、うー、じゃあ、この桶ェお借りいたしますよォ。
ヘイ、どうも、お待ちどうさまでございました
杢兵: どっちだ?
喜助: ヘイ、こっちでございます、へえ。えー、こっちこっち、えー、こっちでございますよォ、えー、こっちだァ。
えー。ね、ここは本堂!
杢兵: そんなことァどうでもいい。墓場!
喜助: 墓場。かい、かいたい、この本堂の裏っ手なんですよ。ええ。こっちでございます、こっちでございます。
ホラホラホラホラホラホラホラッ、こんなにいっぱい墓がある!
杢兵: 当たりめえだ、ばかやろ。墓場に墓がなくてどうするだい? うん? どこにあるんだ、喜瀬川の墓は
喜助: えー、喜瀬川花魁の墓はね、えー、(見回しながら歩き】こっちなんでござんす、こっち。ね? で、こっち、ここンところ、こっちィ曲がるんです、ええ。ええ。・・・(小声の独り言で) 新しい墓がないねえ。古いの
ばっかりだよ。(鼻歌風になって) どっかに新しい墓がないかな、と。♪えェー、新しい墓は、ないかしらア。あアら
杢兵: ばかやろう。墓参りに来て墓場で唄うたってるやつがあるか。わかんねえのか
喜助: いやァ・・・。ああッ、ありましたありました。ありましたよっ。ええ、ありました、ええ。え、ちょっとお待ちをね、支度をしてからお声をかけますから、え、(花と線香をしきりに供え) このぐらいでもってなんとかなんだろうな。・・・・・ええ。いえーーーーーーーーーゥ、ウーーーーーーーーーとね、エウーーーーーーーーー、エーーー、えェ、(唄調子の独り言を言いながら供え) どこのォ仏様か知らないが、急な、お参りでさぞや驚かれたことだろォと、思いま、す、が・・・、♪ンーーーーン、ンンン』 いいや、な、うん。え、♪よォーーーーーー(扇子で線香を煽ぎながら) -------』 お待ちどお様でございました、どうぞお参りくださいまし
杢兵: これか。変わった姿ンなてしまったなあ。(手を合わせ涙にむせび) おォォォ、やーあ (手を合わせ)なむあみだぶつなむあみだぶぶなむあみだぶ・・・・・(悲しげに語りかけ) 喜瀬川、われは驚いたなあ。本当になんてえことンなったんだ。なァ? おっ死(チ)ぬなんて、こんなびっくりすることァねえ。おら、とても信ずらりなかった。ああ。だけどなあ、ほんとのことだってえのを聞いて、もうしょうがねえ。なあ、情けなくて情けなくて、おお。(煙にむせて咳こみ) ・・・・・煽ぐんでねって、ばかやろう。煙くてしょうがねえじゃねえか、ばか。ン当に。(気がついて) ばかやろ、こんなに線香あげやがってェ。ああ? 墓参りをすんだぞ。のろし上げてるわけでねえっ、ン当にもう。花を、まあ、花屋を始めるんじゃあるめえし、こォんなにまあ、(墓石の字を読もうとかきわけ) なぁ、どう、こう、どうすんだ、この、わからねえでねえかァ・・・(と言いつつ読み) 天保三年・・・。天保三年?・・・・・安孟容富信士(アンモウヨウフウシンジ)。信士って、こら男でねえかっ
喜助: あっ、間違いました、間違い・・・
杢兵: ばかやろう。間違ェえるに事ォ欠いて、墓間違ェえるやつがあるか、ばかッ
喜助: (慌てて花と線香を別の墓へ移し) えェ、こちらでございます。ぜひお参りを
杢兵: 本当かァ? ン当にまあ・・・。(手を合わせてしみじみと) 喜瀬川、野郎が粗忽だでなあ、他のお墓の前で涙ァ流しちゃった。近かったから聞えたんべ。安心してくろ。もう、おらァ、二度とああいう、・・・(また咳込み)ああいうとこ (咳)、行か (咳込み)、煽ぐんでねって、また煽いでやがら、ン当に。ええ? どうして・・・、またこんなに花ァいっぱい飾って、ちょっと (と見て)、ああ・・・智善童子? 子どもの墓ねでねえか・・・
喜助: 間違いました、間違いました
杢兵: ばかやろ。一度ならず二度も間違ェえやがって、ええ? どこなんだ
喜助: (慌しく花などを移して) え、えー、こちらでございます
杢兵: これかァ。うん (と拝みかけたが)、先に改めるっぞ。何ィ? 陸軍歩兵上等兵? ばかやろっ! いったい
喜瀬川の墓はどこにあるんだ
喜助: えェ、こんなにたくさんございますんで、よろしいのをお見立てを願います
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