安呑演る落語

音源などを元に、起こした台本を中心に、覚え書きとして、徒然書きます。

転失気

2021年07月28日 | 落語

転失気

 古い川柳に『ブーブーを”へ”とも思わぬ、芋酒屋』というのがございます。
昔、芳町のオヤジ橋の角に”芋酒屋”という酒屋さんがございまして、安いお酒屋さんだもんですから、
呑むと必ず『ブーブー』言う人が出てきます。
そんなことは有り勝ちで『へ』とも思わない、てんでございます。
呑んでブーブーを言う、てぇのは、糸車の方から出たお言葉だそうでして、糸車はくだを巻きますと、
『ブーブー』という音がいたします。で、呑んでブーブーを言う、くだぁ巻く・・・絡んでいけないなんてのは
糸に縁がございます・・・
 知らないで、知ったかぶりをするなんてぇのが、落語の土台でございますが、知らないと言い切れない
場合がありまして・・・・
 あるお寺のご住職が体の具合が悪くなりまして、お医者様に来ていただきまして、で、診察をして頂きまして
で、帰りしなに、
医者: 『あの、転失気はお有りですか』
と、訊ねられました。生憎、この和尚様転失気という言葉知らないですから、
和尚: 『あ、何でございますか』
と訊けばよかったんですが、
和尚: あ、転失気ですか?
医者: ございますか?
和尚: いや、あの、ただ今ございません
医者: あぁ、そのように薬を調合いたしましょう
 と帰ってしまいました。薬を調合すると言われると、自分の体にかかることですから、和尚様も心配になって、
和尚: 転失気・・・はてなんじゃろう転失気・・・あ、珍念がおるのォ、・・・珍念や!
珍念: へ~~い・・・およびでございますか
和尚: あの~、転失気だが、うちにあったかのォ
珍念: え?転失気って何です?
和尚: 何ですって、寺方に居て転失気ひとつ知らん奴があるか・・・わしゃお前に教えておいたつもりだぞ
珍念: え、忘れました
和尚: なぜ忘れる。ええことがある。門前の花屋へ行って借りてきなさい。そうすれば思い出すだろ
珍念: へーい・・・・・こんにちは
花屋: おや、珍念さん。今日は何の花がおいりですか
珍念: あお、今日はお花じゃないんです。和尚さんに言われて、転失気が在りましたら拝借したいんでですが
花屋: え?
珍念: 転失気ありますか?
花屋: 大きいのか小さいのか?
珍念: ・・・大きいのも小さいのもあるんで?
花屋: んン、唐草なら大きいのがあるんだがなァ、なに包むんだ
珍念: 包む?転失気ですよ
花屋: あぁ、風呂敷じゃァねぇのか
珍念: 風呂敷じゃない・・・転失気
花屋: 転失気だって?和尚さんがそう言ったのかい。和尚さんはわからねぇこというからなァ、寺の言葉ってのは
わからねぇことがあるよ。お酒のことを般若湯てんだろ?符丁だなァ寺の。蛸を天蓋てんだ、鮑を伏鐘よ、
鮪は赤豆腐てんだってな、卵のことを御所車だってやんだ、どういうわけだったら中に君がござるってやんだよ。
泥鰌が踊り子でよぉ・・・わからねえなぁ、ちょっと待ってろ、婆さんに訊いてやるから・・・婆さん!お婆さん!
お婆: あの、お爺さん、転失気ってどんなもんだい?
花屋: 馬鹿だな、この婆ァ、・・・化けるほど歳ィとってやがって転失気ひとつ知らねぇのか・・・
転失気ってんだから・・こう天が敷くんだよ・・・
ああ、珍念さん、悪かったなァ、ふたっつあったんだけどな、一つ床の間に置いといたら、田舎の知り合いが
来て、綺麗な転失気だ、立派な転失気だ、珍しい転失気だって褒められたんで土産にやっちゃったんだ。
で、もう一つあったんだが、今朝、お付けのみにして食べちゃったんだ。よろしく言っといてくんな
珍念: ・・・行ってまいりました
和尚: どうした?どうした
珍念: ふたっつございましたけど、ひとっつは床の間に置いといたら田舎の人があんまり褒めるんでお土産に
やっちゃったん
和尚: 土産に・・・今一つは?
珍念: お付けの実にして食べちゃったって
和尚: えぇー?味噌汁に入れて食うた・・・土産物になるもんで、飾り物になるもんで、食えば食える物か・・・
珍念: っへっへ、転失気てのは何です?
和尚: 何です?って、わしゃお前に教えたというに・・・ええことがある、お医者様のとこへお薬取りに行ってきな
珍念: へい
和尚: お薬ができておったらな、先生に直におお目に掛かってな、
『先ほど、和尚様に、転失気はお在りかとお尋ねでしたが、転失気とは何でございますか』と訊いてきなさい
珍念: 和尚さん転失気ご存知?
和尚: わしは知っておる
珍念: なら、すぐ教えて下されば向こうへ行って、あたしが訊かなくてもわかるん
和尚: それがいかんのだ。忘れたものはわしに訊けばわかると思うと依頼心でまたすぐ忘れる。
他人様に訊いて、あーぁ、面目ないと思えば生涯忘れんというものだ。行ってきなさい
珍念: へーいい
和尚: あああ!和尚に言われたとは言わずに、お前の腹からでたようにして訊いてきなさい

珍念: ごめんください
医者: おぉ、珍念さん、お薬ならできてますよ。いつものように、二合を一合に煎じて・・・
珍念: あのぉ・・先生に伺いことがございます
医者: なんだ
珍念: 先ほど和尚さんに転失気はお在りかとお尋ねでしたけど、あたくし転失気って言葉をしらないんで、
教えて頂きたいんで・・・これ、あたしの腹から出たんです、本当ですよ
医者: はっはっはは、お前が、転失気を知らんから教えてくれ・・・あははははは子供らしくていいのぉ・・
ぃやぃや、覚えておかにゃならんという言葉ではないが、覚えておいて損はないないもんじゃ。
ははは、転失気というのはなぁ、放屁のことじゃ
珍念: あぁ、掃除のときに使う・・
医者: それは、ほうきじゃ。そうではなくて、おならのことじゃ
珍念: へ?
医者: そう、”へ”ともいう
珍念: え?おならってますと・・あの、お尻から出る?
医者: あんなものは鼻から出たらたまらん
珍念: あの、臭くて、黄色い
医者: 色まではわからん
珍念: そんな、からかわないで教えてくださいな
医者: からこうてはおらん。一般的に使う言葉ではない。漢方医の方で主に使う言葉じゃ。傷寒論という書物に
出ておる。気を転び失うと書いて、転失気。おならのことじゃ。和尚の下腹が張っておったでの、ガスが
溜まってやせんかと思ぅての、屁が出ますかと訊こうと思うたが失礼かと思うて、転失気はお在りかと
お尋ねしたが、どうかしたか
珍念: だって、和尚さん借りて来いって・・・・・どうもありがとうございました
・・・おかしいなぁ・・お医者様は嘘はつかないだろうし・・・和尚様『借りて来い』って・・・
と、あたい、おなら借りに歩いてたのか・・・おかしいな、花屋のおやじ、ふたっつ在ったって・・・ひとつ
床の間に置いといたら、田舎のお客が来て、、綺麗な転失気だ、立派な転失気だ、珍しい転失気だって、
褒められたんでお土産にやっちゃったって・・・・もひとつは、お付けの実にして食べちゃったったぞぉ・・・
あー、みんな転失気ってことばおならってこと知らないんだな。うちの和尚様も知らないん。
あたしに訊きにやってそいで自分が覚えようと思ってんだな。
行ってきたか・行ってきました。転失気とはおならのことです・そうじゃ、よく覚えておけぇ・・って、
自分が覚えようとして・・・試しに他の事言ってみようかしら・・・和尚様お酒が好きだから・・・そうだ、
お盃って言ってみよう・・・違うって言や知ってるし、そうだって言やぁ知らないんだ
行ってまいりました
和尚: お使いは早ぉせんといかんぞ・・お薬は?
珍念: 出来てました。今、煎じて参ります
和尚: いや、薬はあとでいい、座れ。あの転失気は訊いてきたか
珍念: お陰様で一つ利口んなりました、覚えました
和尚: 何と言うた?
珍念: へ、お陰様で覚えました
和尚: 何と言うた?
珍念: 和尚様はご存じで・・
和尚: わしは知っておる
珍念: そんなら訊かなくったって・・・
和尚: 何故そんなことを言う・・・他人様言うのは得てして間違った事を教えるもんだ。間違っておるといかんで、
聞いてやるから、言うてみ。転失気とは何じゃ?
珍念: 転失気というのはね、あの・・・お盃
和尚: 盃!・・・盃を転失気・・・・・天の下に口を書いて”呑む”とは読む・・・てんしゅ、しゅは”酒”かな・・きは”器”か
酒を呑む器で呑酒器、呑酒器、呑酒器、転失気・・・・・転失気とは盃のことじゃ、教えておいたじゃろ・・・
これからは、来客のおり、『盃を持てー』なんと言うのは俗でいかんでな、『転失気を持てー』・・・
そのおりは盃を持ちなさい
*その日は済みまして、あくる日、先生、お見舞いです
医者: いかがですかな
和尚: は、ありがとうございます。お陰でよくなりましてな
医者: おー、それでは今日は診察をせんでもよろしいかな
和尚: は、今日はよろしいかともいますが
医者: ん、それではお大事に、また伺います
和尚: あ、それから先生、あの、昨日ご診察頂いた折に、転失気がお在りかとお尋ねでございましたが、
ございませんと申しましたが、お帰りンなったあとで調べてみましたら、粗末なのでございますが転失気が
ございました
医者: 粗末なのは恐れ入りましたナ。ぃや、在る方がよろしいでな・・・ドンドンおやんなさい
和尚: そういうところを見ますと先生も大層お好みのようで
医者: ぃや、好みはしませんが、時折もよおすことはございますが・・・
和尚: 奥様もお好きなようで
医者: 家内は女ですから・・・ま、隠れて台所あたりでやっているかもしれません
和尚: またまた・・・ご夕飯の折など差し向かいでやったりとったり
医者: そんなことは・・・・
和尚: 出してご覧にいれるほどの転失気でもございませんが、ちょいとここで出してご覧にいれます
医者: いやー、もう、それには及ばん・・
和尚: ちょいと出しましょう。当寺に代々伝わるもので・・・珍念や、三組の転失気を持ってきなさい
医者: 三組の転失気
珍念: 三組なら、ぶー、すー、ぴー
和尚: 何を言っておる。そこへ置きなさい・・ささ、どうぞご覧下さい、その箱に入れてあります
医者: は?この箱に・・転失気を・・よく入りましたな・・・蓋を取りますとプ~ンと臭うような
和尚: ぃや、匂いのいたさんように、よーく洗って真綿でくるんでおります
医者: 真綿で・・・拝見いたします・・・・・こ、これは結構なお盃!
和尚: いやー、粗末な転失気で
医者: え?医者の方では転失気とは放屁・おならのことを指しますが・・・
和尚: ぇえ?・・・う~ん、珍念め・・・珍念どういうつもりでこのようなことを
珍念: はい、”へ”とも思いません

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