安寿の日記

一日の出来事、思い出など・・

私はコロ(3)亡き母の文

2017年02月12日 | Weblog
今朝入った朗報。
近くにゴミ屋敷と呼ばれているお家がある。
あだかずが自治会長の時も市に相談に行ったが、市としては手が出せないとのことで
諦めていました。
その前を通る度に、垣根が崩れ落ちそうで、事故にならなければいいが・・と思っていた。
話によれば、一人住まいだった女性は、九州の妹さん所に行ったとか。
どういう手順できれいな更地になるんだろう。
さぞかしお隣さん達や近所の方々もほっとしたことでしょう。

・・・・・

私はコロ(3)
お隣のおばさんは、ご飯の用意も出来ないだろうと、おばあちゃんと二人前、
お昼用にお寿司を買って来てくれました。
元気な時は一歩も家の中に入れないのに、室内に私の住み所を作ってくれました。
お母さんは必死で看てくれ、お父さんも黙々として協力してくれました。
抱いたりかかえたりでお母さんは毎晩寝不足になり、
その上腰が痛いと言い始めました。
両便のため抱いて外につれて行ってくれるのが大変なのです。

ぐっすり眠ると又お母さんは臨終だと思って泣き、
目を覚ましてあくびをし、舌をなめると涙は一瞬に笑いと変わってゆくのです。
何回こんな事を繰り返したでしょう。
お母さんは「よし、もういよいよの時まで泣かない」と言い始めました。
隣近所の人々は随分お母さんを慰め励ましてくれました。
おかずの差し入れや買い物をしてくれたり気を使ってくれました。

私は何時まで生きられるかしら?我が子同様いやそれ以上に大事にしてくれた
お父さんお母さんに死んでも孝行したい、それは二人をまもってあげたいのです。
草木さえも佛の心があるなれば私にだって霊がある。十六年間を愛し続けてくれた
お父さんお母さんを守ってあげる。きっと守ってあげます。
これから後どれ程お世話をかけるだろう。早く死ぬのがよいか、
それとも一刻でも長生きするのがいゝか、どちらがいいかわからない。
お母さんは長生きを望んでいるらしいが、世話をかける私の心は複雑です。
何にもせよ死後の供養も充分してくれる私の両親に
御恩返しを彼の世からでもしたい心は全くかわりません。
「人と犬」の愛情の絆は永遠に切れる日はないのです。(文章はこれで終わっています)
・・・・・
その後コロは散歩もできるまで回復したが再び体調を崩し、
平成2年5月29日に亡くなった。
その時もご近所の方々に、色々お供えをいただきました。
主人も会社を半日休んで、二人でお骨を拾ってやりました。
お寺の動物用仏壇の一番良い場所を2年間借り、写真や缶詰などお供えし、
毎週のようにお参りに行ったものです。
その後は合同墓地で眠っています。
後に、お世話になった方々に、コロの写真を入れたテレホンカードを
お礼代わりとしました。



コロの子供です。(右は女の子)
子供を手放した後、捜して鳴く声が切なくて、これっきりにしました。



母が文章で残してくれていたお陰で、忘れていたことも思い出し、
改めてご近所の方々に感謝しました。合掌。