ありのまま。あむのまま。

次男のあむあむは、知的障害・水頭症・てんかんなどを持つ男の子。わいわいどたばた、賑やかな我が家の日常♪

「聲の形」(こえのかたち)  

2013年02月26日 | 手話関連。イベント・本・学習・動画など
聴覚障害の少女をめぐる読み切りの漫画、
「聲の形」が話題になっていると知り、
数日前に、購入した。
(2月20日発売の、週刊少年マガジンに掲載)


・・・・・以下、ネタバレを含みます。・・・


あらすじ(J-CAST ニュースより)

通常学級に転校してきたろうあの女子児童が、補聴器を壊されるなどのいじめにあう。
いじめはある男児を中心核とし、学級全体に蔓延していた。
女児はひっそりと転校していくが、数年後に反省した男児と再会し和解する。



読んだ後、何とも言えない、モヤモヤ感が残った。

何にモヤモヤしたのか、はっきり言えないけれど、
どちらかというと、残ったのは、不快感。


モヤモヤするままに、他の人の感想を知りたくて、
あちこちのサイトをのぞいてみた。

物語の解釈や、感想の中で、なるほどな、と思ったのが、いくつか。


・通じ合えない、異星人みたいなものと思っていた少女が、
 実は、異星人じゃなくて、同じ人間だった気付く物語なのでは?


・他の子達は、いじめるにしても、関わるにしても
 一定の距離をおいてたのに対し、
 石田君だけは、いじめという形ではあったけれど、
 西宮さんに直接、ありのままの感情をぶつけていた。

 だから、石田君にしても、西宮さんにしても、
 お互いに無視できず、実は、お互いに関心を持っていたのでは?


・最後に石田君が改心して来たとしても、
 普通、怯えて逃げるか、
 逆に「今さら都合のいいこと言うな」と、怒り出すのでは?


・先生にしても、クラスメイトにしても、
 中途半端な偽善が、一番悪い。




あれこれ読んでみて、自分のモヤモヤの原因がわかった気がする。

教師やクラスメイトの偽善的な言動や、
ささいなことから、いじめが過熱していく経過など、
西宮さん以外の人間の心理描写は、すごくリアルなんだ。

なのに、西宮さんの心理が、伝わってこない。

そこが、とても違和感がある。


・・・ただ、西宮さんの思いは、
音声言語では伝わってこないけれど。

手話、あるいは、筆談、口話。
何の形をとるにしても。

関わった人が、西宮さんの「聲」を理解できた時に、
もしくは、理解しようとした時に、
初めて、伝わってくるものなのかな。

それが、本作の主題なのかな。



ん~、でもやっぱり、西宮さんが、
作られた障害者観そのまんまじゃん、って気がするのよね。

大人しくて、我慢強くて、誠実で、

・・・みたいな。


だって、あんだけいじめられてたのに、
そのいじめっこをかばうか?

それに、数年後、
あんだけ自分のことをいじめてた張本人が来た時、
和解、できるか???






何だか、まとまりませんが。

ともあれ、共感にしても、不快感にしても、
読んだ後、何かしらの心を動かかされることには変わりない。

それだけの力を持っている作品だとは、思う。




最後に、
最近読んで、激しく共感した記事をご紹介。



2/21 RBB TODAYより

サイトは、こちら

「障害者にだって、ろくでなしもいる」……乙武さん、世間一般の“障害者観”に異論


南アフリカの義足ランナー、オスカー・ピストリウス被告が自宅で恋人を射殺した罪に問われている事件を受け、「五体不満足」の著者として知られる作家の乙武洋匡さんが、障害者観について自身の考えをTwitterにつづっている。


 「彼らは清らかな存在で、けっして悪いことなど考えるはずがない」――。

 多くの人が知る通り、生まれつき両腕両脚がないという障害を持つ乙武さんは、大ベストセラーとなった「五体不満足」を出版して以来、世間に根強く存在するこうした障害者観に苦しみ窮屈な思いをしてきたという。今回、ピストリウス被告の事件は、オリンピックに出場した有名アスリートというだけでなく、義足の、つまり身体障害者が関与したという側面によって、世間に大きな衝撃を与えている。その驚きには、先述した障害者観が少なからず影響していると言えよう。しかし、乙武さんはそうした問題に当事者として直面してきただけに、今回の事件を、ステレオタイプな障害者観とは異なる視点で見守っている。

 「僕は『同じ障害者だから』『彼の功績は偉大だから』という理由で、盲目的に彼を擁護するつもりはない」と乙武さん。将来的にオリンピックとパラリンピックが統合されてひとつの大会となることを願っていることをかねてより公言している同氏だけに、その両大会に出場して好成績を収めたピストリウス被告の存在は、乙武さんの願いが決して荒唐無稽なものでないことを示す貴重な証左でもあり、「心から敬意を表したい」人物でもあるが、「盲目的に彼を擁護」したりはしない。そこには、乙武さんの、先述した一面的な障害者観へのアンチテーゼがある。

 「障害者にだって、飲んべえや、エロや、ろくでなしもいる。肉体というものは、言ってみれば“容器”なのだ。その中にどんな中身が詰まっているかなんて、開けてみなければわからない。その容器だけを見て、蔑んだり、期待したり――それがいかにバカバカしいことか、僕らはそろそろ気づくべきだ」

 肉体的な力と高い技術が必要とされるオリンピック。そこへ障害者として出場して活躍したピストリウス被告の偉業は、確かに乙武さんの願う統一大会の実現に向けた大きな一歩となっただろう。しかし、真の意味での“統合”され、健常者と障害者とが同じフィールドに立つためには、先述したような障害者観という壁が取り払われることこそ重要なのだろう。ピストリウス被告の事件は、そうした障害者観にヒビを入れ得る事例として、動向が注目される。










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