ありのまま。あむのまま。

次男のあむあむは、知的障害・水頭症・てんかんなどを持つ男の子。わいわいどたばた、賑やかな我が家の日常♪

父との別れ

2019年07月28日 | 真面目な、諸々のお話
2019年5月12日。

毎年、私が所属している手話サークルで参加している、
福祉系のイベントのさなかに、母から、連絡がありました。

父が入院している病院から、
「すぐに来るように連絡があった」、とのこと。

サークルのみんなに訳を言ってイベントを抜けさせてもらい、
私が病院に到着して間もなく、母と私が見守る中、
父は、静かに、息を引き取りました。

72歳でした。



父が脳出血で倒れてから、約1年半。

この日がくることは、覚悟はしていたつもりでも、
しばらくは、足元がふわふわとしていて、
夫にも、子供たちにも、ずいぶんと助けてもらいました。


先日、久しぶりに、
いつも、父の病院に面会に行くときに通っていた道を通りました。

もう、この道の先に、父はいないんだなぁ。



6月12日。
父の月命日に、母とお茶をしました。





母さん、長生き、してね。











『君ノコトヲ 守リタイ』

2011年04月23日 | 真面目な、諸々のお話
前々から、自立心旺盛なららちゃん。
この頃、前にも増して、あれこれやりたがる。

そして私が手伝おうとすると
嫌がって、私の手を振り払う。




↓靴下を履いちゃ~、脱いで、
また履いちゃ~、脱いで。

エンドレス~。






↓ウッドデッキに干してある靴を、
次々と試し履き~。






↓ズボンを引っ張り出してきて
両足に一本ずつ履く~。







↓そして、思い通りにいかないことがあると
ギャン泣き~。









・・・あぁ、この行動パターンといい。

「あたしがやってんの!じゃましないで!」的な表情といい。



やっぱり、どっからどう見ても。




・・・イヤイヤ期に突入してる。


・・・よね~(苦笑)




あぁ。
あと数ヶ月は、まだ平和だと思ってたんだが。

ららちゃんってば、まだ1歳児なのに(現在、1歳と8ヶ月)。



しかしながら、長男う-あは、
その昔、とにかく甘えっ子で、私に超べったりだった。

そして、一度泣いたら最後、
なかなか気持ちを切り替えられない子だったので。


あの頃の大変さを思えば、
ららちゃんのたまのギャン泣きなんて、可愛いもんだけどね(笑)

↑ららちゃんは、そんなに頻繁には泣かないし。
泣いても、ちょっとしたことでケロっと復活する。



たくましいららちゃんが巻き起こす騒動の数々に、
兄ちゃんたちも、たまに怒りつつも、ついつい爆笑(笑)





ところで最近、子供達と過ごしていると、
何気なく口をついてくるのは、
同じ歌の、同じフレーズばかり。


『君ノコトヲ 守リタイ

 ソノ全テヲ 守リタイ


 君ヲ生キル 証ニシヨウ

 誰ノタメデモナク』


確か、これ、
チェッカーズの「夜明けのブレス」の中のワンフレーズ。



・・・ネットを見ていると、
原発関連は、心配になるニュースばかり。

なのに、テレビは、妙に能天気。

でも、国だって、報道関係者だって、
ホントはもっと色んな事実を知ってるはずじゃないの?



原発関連の記事を見れば見るほど、気が滅入るけれど。



放射能の大気放出続く…1日154兆ベクレル

内閣府原子力安全委員会は23日、東京電力福島第一原子力発電所から大気中に放出された放射性物質の量が、放出量が落ち着いた今月5日の時点でも、1日あたり154テラ・ベクレル(1テラは1兆)に達していたことを明らかにした

・・・・・・・
 
(2011年4月23日21時15分 読売新聞)




高放射線量がれき発見…保安院すぐに公表せず

経済産業省原子力安全・保安院は23日、東京電力が福島第一原子力発電所3、4号機の近くで毎時900ミリ・シーベルトに達する高放射線量のがれきを発見し、撤去したと発表した。

・・・・・・・・・・・・・・・

(2011年4月23日20時56分 読売新聞)







でも、子供達を守りたいから。
できるだけ、知らないといけないと思う。

できるだけのことを、したいと思う。




数年後も、数十年後も、元気に笑っていて欲しい。



今も、これからも。


君たちのことを守りたい。











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DNN 手話 ニュース

2011年03月18日 | 真面目な、諸々のお話
3月14日より、
「DNN(デフ・ニュース・ネットワーク)」が立ちあげられました。

ろう者向けに、日本手話で
東北関東大震災関連のニュースを配信しています。

パソコンだけでなく
携帯電話からも見られるそうです。


インターネットでYou tubeを開き、
「DNN 手話」というキーワードを入力すると
見ることができます。




身近にろう者がいる方は、
ぜひ伝えて下さい。

私も知り合いのろう者に伝えます。


別れと、再会と、出会い

2010年10月17日 | 真面目な、諸々のお話
知り合いの盲ろう(視覚障害と聴覚障害の重複障害者)の
女性の、告別式に行ってきた。

私は亡くなったEさんと
すごく濃く関わっていたほうではなかったけれど、
それでも、一緒に北海道に旅行に行ったり、
あの大鍋で作った手料理をごちそうになったり。

告別式の間、遺影を見ていたら、
頭の中にEさんの声や思い出があれこれとよみがえってきて
とても、寂しくなった。


葬儀が終わった後、
参列していた人たちと一緒にぞろぞろとEさんの家へ。

私の大学時代の手話サークルの同期や先輩、後輩と
久しぶりの再会。

それから、現役の手話サークルメンバーと、
初めましてのご挨拶。




あぁ、そういえば。

この手話サークルの
こういう「一度会ったらお友達」って感じの雰囲気とか。

真面目なところときさくなところと
無駄に熱いところが入り混じってる感じとか。

何年、何十年ぶりに会っても違和感がない感じ。


とっても好きだったんだよなぁ。



私が大学を卒業して、もう13年?
でも、変わらない雰囲気が、嬉しかった。



そして、こうして時を超えて、世代を超えて、
何十人もの人間が集まったこと自体、
Eさんの人徳というか、
あくの強さっていうか、
求心力っていうか。

とにかく、Eさんの力なんだろう。




Eさんの訃報を聞いて以来
ずっと気持ちが落ち着かなかったのだけれど、
穏やかなお顔を拝見して、
懐かしいEさんのお宅で新旧の仲間と話すことができて
少しだけ、落ち着いた。



Eさんのおかげで
現役の学生さんたちと面識ができたことだし、

今年は、久しぶりに大学祭にも行ってみようかな。









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「ぼくはうみがみたくなりました」

2009年09月03日 | 真面目な、諸々のお話
8月30日。
ららちゃんのお宮参りをした。
私たち一家&義父の総勢6人で、パパの実家の近くの神宮へ。

そして、ららちゃんの健やかな成長を願った後は、私だけ別行動♪
目指すは恵比寿!

前々から公開を心待ちにしていた、
映画「ぼくはうみをみたくなりました」を見に行ったのだ!

↑子供たちは3人は、パパと一緒に帰宅&お留守電♪


この映画のプロジェクトを知ったのは、数年前。
どなたかのブログで、原作の小説のことや、
映画化プロジェクトのことを知った。

レインボーおやじさんこと、山下久仁明さんの想いに共感し、
ささやかながら、映画化のための資金のたしになることを願いつつ、
小説「ぼくはうみをみたくなりました」と、
「おさんぽいってもいいよぉ」を買った。

あれから数年。
ついに映画化となれば、行くしかないでしょう。



パパの実家近くの駅から恵比寿までは、色々乗り継いで片道約3時間。
しかも、この日は台風が接近中(汗)

でも、行って良かった。


お涙ちょうだいの、きれいごとばっかりの障害者ドラマとは違う。
障害を持つ本人の行動も、周囲の反応も、家族のおもいも、
全てが等身大だと思った。

脚色もご都合主義も感じられなく、
時には、容赦ない描写に胸が痛みながらも、
「あぁ、そう。あるよなぁ。」と心の中でうなづきながら見た。

時折、何でもないシーンが胸にしみて、何度かひそかにハンカチの出番。

‘泣け~!'といわんばかりのラストじゃなくて、
爽やかだったのも、また良かったなぁ。


願わくば、家族みんなで見たかった。

でも、ららちゃんを連れてくわけにもいかんし、
あむあむも最後まではもたないだろうなぁ。

そもそも、恵比寿駅から会場までも子連れで行くには少々遠い。

またいつか、もうちょっと行きやすい場所で公開になったら、
もう一度見たいもんだなぁ。


書けば書く程、うーむ。
私のつたない文章ではうまく伝えられません。

ご都合がつく方は、ぜひ直接見に行ってみてくださいね。

9月18日まで東京都写真美術館ホール
(恵比寿ガーデンプレイス内)にて、公開中。※月曜定休


スケジュール等については、こちら↓

・映画「ぼくはうみをみたくなりました」制作実行委員会
http://homepage2.nifty.com/bokuumi/



・映画「ぼくはうみをみたくなりました」公式サイト
http://bokuumi.com/index_2.html


・原作者 山下久仁明さんのブログ
「おさんぽいってもいいよぉ」
http://bokuumi.cocolog-nifty.com/


※追記※
9/13(日)の1回目の上映(10:30~)において、
『親子で一緒に「ぼくうみ」を観よう!!』のイベントが決定したそうです。

詳細は、上記の山下久仁明さんのブログに。





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面会

2009年03月30日 | 真面目な、諸々のお話
先日、私の父方の祖母の容体がおもわしくないという連絡を受け、
急きょ、私たち家族4人と、姉と、姉の娘たちの総勢7人で
祖母の面会に行ってきた(姉の旦那さんは仕事)


私も姉も、結婚以来、親戚の家に行く機会がほぼ無かったので、
親戚の皆さんにお会いしたのは、約7年ぶりぐらい。
祖母が入院している病院で、叔父や叔母や従姉にも会うことができた。

祖母はもうお話はできないものの、意識は割とはっきりしていて、
私や姉、そして子供たちが来たことを喜んでくれた様子だった。


親戚の方たちにも子供たちを会わせることができて、
本当に良かったと思う。

あむあむが障害をもって生まれてきたことは
私の両親を通じて伝えてあるし、毎年、年賀状は出している。
親戚の皆さんはとても気のいい方たちなので、
多分いろいろと心配してくれていたはず。

でも、こうやって実際にあむあむの笑顔を見せることができたので、
ちょっとは安心してもらえたかな?


高速も使って、片道約2時間半。
慣れないレンタカーの運転をしてくれたパパにも感謝
(大きなワゴン車を借りて、みんなで一緒に行った)。




冒頭の画像は、日当たりのいい場所をめぐって
椅子の取り合いをしていた、ある日のうーあとあむあむ。

息子たちの明るさが、
そして、姉の子供たちの明るさが、
少しでも祖母の心を照らすことができただろうか。







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男の料理

2008年12月13日 | 真面目な、諸々のお話
数日前、私の体調がいまいちで横になっていたら、
パパが
「シャッターチャンスだよ!」と言ってきた。

なんだぁ?と見に行ったら、
あむあむが、マイ包丁でせっせとベーコンを切っていた。



あむあむはこの頃私が料理をしていると
「やるっ♪」と言ってくることが多い。

↑包丁で、自分も野菜等を切りたいということ。


でも、手元がいまいち危なっかしいので、
私がいる時は、きゅうりとか、バナナとかの、
ストンっと切れるものだけをお願いしていた。


やはり、ベーコンだとストンとは切れないようで、
のこぎりを引くように、包丁を前後に何度もギ~コギ~コ。

うん、うん。
ちょっと大変そうだけど、なんとか切ってるなぁ。

すごいっ♪


そういえばいつぞやも、パパに昼食作りをお願いしたら、
うーあ(小3)にコンロの点火を初体験させてたっけ。




やればできる。

でも、やらなければ、いつまでもそのままだよね。



私がやらせてなかっただけで、
本当は、もう子供たちが自分の力でできること。

まだまだたくさんあるのかもしれない。






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今どきの避難訓練

2008年11月21日 | 真面目な、諸々のお話
昨日、長男うーあの小学校で避難訓練をやったそうだ。

私が子供の頃の避難訓練は、火事か地震を想定していたけれど、
今は不審者を想定した訓練もやっているそうだ。

うーあに聞いたら、
火事や地震の場合は、整列してから落ち着いて避難。
不審者の場合は、不審者侵入を近くのクラスに伝えたら、
あとはとにかく「すぐ逃げろ」という指示を出されるらしい。



今回の訓練は、うーあのクラスに不審者が侵入したという想定。
学校から帰宅したうーあが、やや興奮気味に訓練の様子を教えてくれた。

「○○先生が、“何やってんだ~”とか言いながら入ってきたんだよ。
 手に包丁持っててさ。
 あれ、すごいでかかったから段ボールで作ったやつだと思うよ。」

ふむふむ。
先生方も、気合入ってるんだ。


うーあの話は、まだまだ続く。

「それでさ、うーあね~、
 教室を出るのがちょっと遅くなっちゃったんだけど、
 その時に見えたんだよ。

 △△先生(担任の先生)が、
 “やめなさい!”って言いながら、
 包丁を取り上げようとして闘ってたんだよ。

 (不審者役の先生が)すごい力だったんだって。
 △△先生(担任の先生)が、後で言ってた。」


・・・はいっ???

そこで嬉しそうに語ってるうーあ君!
横目で見てる時間があったら、逃げろよ~!!!(汗)



それにしても、
もしも私が一緒にいる時に火事や地震が起こったなら、
両脇にうーあとあむあむを抱えて、窓を蹴やぶってでも、
なんとか外に脱出するだろう。

不審者が来たなら、
大事な部分をおもいっきり蹴っ飛ばしてでも、
息子たちは守る。

でも、一日中、いつも一緒にいるわけではないから。

いつも守れるわけではないから。


悲しい事件が各地でおこっている今の世の中。
二人が元気に学校から帰ってくると、ほっとする。




あむあむと手をつなぐたびに、

うーあの体温を感じるたびに、

この笑顔が、この温かさが、
これからもおびやかされることがないようにと、心から願う。



※ちなみに、冒頭の画像は、
今朝、ものすごいご機嫌だったあむあむ君です。

「さむいお~(寒いよ)」と言いながらも、
なぜか、満開の笑顔(笑)







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約10年ぶりの再会

2008年03月16日 | 真面目な、諸々のお話
今日は、近隣の市で福祉祭りがあった。

会場までは、車で行けない距離じゃ決してないんだが。

あの辺って、交通量は多いのに細い道が多いしなぁ。
コインパーキングも高いしなぁ。

・・・という諸々の事情により(笑)、
電車&会場の最寄駅から徒歩(約10分ちょっと)で行くことに。

うーあとあむあむを連れて、汗をかきかき行ってきた。




会場に着いてすぐに、見覚えのある横顔が目に入った。

おぉ、あれはIさんだ!

Iさんは、制度によらない福祉を実践しておられる方で、
「レスパイト」という言葉もなかった頃から
365日24時間対応で一時預かりやお泊りをされている。

私は大学の頃に、そこでボランティア&バイトをしていた。

毎年、年賀状も交わし、互いにブログも読んでいるので、
私のほうは今もなんだか身近に感じているのだけれど、
考えて見れば実際にお会いしたのは、約10年ぶり。
いや、もっとかな?

Iさんの変わらない暖かい笑顔が、嬉しかった。



それから階段を上がったところで、
一人の女性から「手話の体験をしてみませんか?」と声をかけられた。

その女性に導かれるままに、
手話サークル主催の手話体験コーナーに腰をおろした。

すると、何人かの方が、私の顔を見て声をかけてきてくれた。
実は、ここの手話サークルにも、私は大学の頃に通っていた。

途中からは卒論などで忙しくなってしまったので、
確か半年ぐらいしか通ってなかったと思う。
それでも、10年以上たっても変わらずに活動を続け、
私のことを覚えててくれた方が何人もいたことが、とても嬉しかった。




今日の福祉祭りのことを知ったとき、
「もしかしたら
 Iさんにも手話サークルの方にも会えるかもしれないな」とは
思ったのだけれど、
確実に行けるかどうかわからなかったので、特に事前に連絡はしなかった。

だけど、また会えた。




私は、運命論は信じていない。
(「この子は、あなたのところを選んで生まれてきたのよ」などのお話のことね)



だけど、「人の縁」というものの存在は、割と信じている。



たとえしばらく離れていても、

縁があれば、きっとまた会える。きっとまたつながっていける。


そんな風に思う。







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先輩の訃報

2008年02月27日 | 真面目な、諸々のお話
昨日、大学時代の手話サークルの先輩の訃報が届いた。

享年34歳。

そこにいるだけで周りを暖かくしてくれるような、
笑顔が柔らかくて、素敵な女性だった。


大学を卒業してからは年賀状のやり取りだけになっていたけれど、
どこかでつながっている感じがしていた。

またいつかどこかで、ひょっこり会えると思ってた。




私の住所録の登録人数は、毎年、何人かずつ増えている。

でもその一方で、
こうして永久欠番になってしまった人も、少しずつ増えている。

それはしょうがないことだけれど。


やっぱり、

とても悲しい。







嬉しい変化

2008年01月28日 | 真面目な、諸々のお話
先日、長男うーあのお友達が何人か遊びに来た。
よく来る子達なので、あむあむも顔馴染み。

そのうちの一人が
「ジュース買ってきたよ。あむあむのも買ってきた。」
と、あむあむにも缶ジュースをくれた。


嬉しかった。

すごく嬉しかった。



彼らは、どちらかというと、いわゆる「今どきの子供」だと思う。
ほんの少しでも異質なものや面倒なことに対面すると、
「うざい」だの、「きもい」だとかいう言葉を使う子たち。


そんな彼らが初めてあむあむに会った時は、明らかにびっくりしていた。

そして始めは、おそるおそる。
それがいつの間にか、はっきりと
あむあむを馬鹿にする雰囲気ができあがっていた頃があった。
(うーあは、家族だけの時はいいお兄ちゃんだけれど、
 この時期はお友達がいる時には一緒になってからかったりしていた。)

自分達が遊んでる部屋にあむあむが入れないように、
おもちゃでバリケードを築いていたり。
それでもあむあむが入りたがると、
「来んなよ!」だの、きつい言葉を投げつけたり。

私は一度だけ、あまりに耐えかねて
「お前ら、いいかげんにしろ」と怒鳴ったこともある。
だけど、子供たちのことに口出しをするのは最後の手段と自分に言い聞かせ、
はがゆい思い、くやしい思い、悲しい思いをしながらも、見守ってきた。

ほんと、あの時、彼らを叩き出さなくて良かった(笑)



特に、大きなきっかけがあったわけじゃない。

だけど、いつの間にか、入り口のバリケードが無くなった。
あむあむが部屋に適当に行ったり来たりしても、
誰も気にしないようになってきた。

彼らが戦いごっことか、激しいボール遊びをする時は、
誰かしらが
「あむあむ、どっかーんってなると痛いよ。あっちの部屋に行ってな。」と、
あむあむにわかりやすい言葉で声をかけてくれるようになった。

それでもあむあむが一緒にいたがった時は、
みんながお互いに「頭にはぶつけるなよ。」
「ころぶから、足もやるなよ。」とあむあむに配慮をしながら、
遊びに入れてくれるようになった。

帰る時に、「あむあむ、またな!」と、
あむあむにも声をかけるようになった。


先日、お菓子の詰め合わせを袋ごと渡した時、
私とあむあむがいる部屋にも、
お菓子をひとつひとつ取り出しながら、歓声をあげている彼らの声が聞こえた。

「うぉー、コアラのマーチだ!」

「あ、パイの実だ。
 これうまいんだよね。あむあむにも食わせてやろうよ。」

そう言って、彼らの中の一人があむあむを呼びに来た。



今でも、時には
「あむあむ、あっち行ってろ!」なんてなる時はあるけれど、
でも、前みたいな、ほんとに冷たい言い方じゃない。



彼らはきっと、自分たちが変わったことに気付いてないと思う。

でも、すっごく、すっごく、変わったね。



かっこいいぞ、君たち!






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おじちゃんの告別式

2008年01月14日 | 真面目な、諸々のお話
私を赤ちゃんの頃から可愛がってくれたおじちゃんの
告別式に行ってきた。


1月11日。享年77歳。
並びのいい数字。

いつも威勢が良かったおじちゃんらしい。


私は血のつながりはないけれど、
おばちゃんやおばちゃんの娘さん達のご好意に甘えて、
お骨拾いにも、振る舞いの席にも参列させていただいた。


帰りに、おじちゃんが好きだった
眞露(JINRO)を買ってきたよ。

私が二十歳を過ぎてからは、遊びに行くといつも
私のビールに眞露をドボドボ注いで、
「きくぞ~。飲んでみな。」って、
嬉しそうに次から次へとついでくれたっけね。


眞露のビール割り。
久しぶりに飲んだよ。

おじちゃんは「まろ」って言ってたけど、
ほんとは「ジンロ」なんだよ。
知ってた?




この眞露を一本飲み終わる頃までには、

いつもの私に戻れるかなぁ。




君たちがいてくれて良かった

2008年01月13日 | 真面目な、諸々のお話
私や姉を小さい頃からかわいがってくれていたおじちゃんが亡くなった。

今日のお通夜には、私の両親が行った。

明日は告別式。
受付を頼まれているので、母に息子たちをみててもらって、
私一人で行くことになっている。


今日やれることは何もない。
でも、何をしてても気が沈む。

長男のうーあ(小2)は私の気分にとても敏感な子なので、
私が落ち込んでいると、
何を言ってくるわけではないのだけれど
時折ちらっと私の顔を見ては、なんとなく心配してくれているのがわかる。


そんなうーあに誘われて、あむあむも一緒に近所の公園へ。
うーあは今年の正月にパパと練習して、ようやく自転車の補助輪が取れた。

うーあは慎重派だと思っていたけれど、
意外にチャレンジャーらしい。
走りこむうちにどんどんスピードを上げていたし、
公園の中の小山を自転車で上ったり、下りたりしていた。

あむあむも、そんなうーあを追いかけてたくさん走った。


君たちと走り回って、

なんとなく、少し、落ち着いたよ。




ありがとう。

今日、君たちがいてくれて良かった。





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もう一度会いたかった

2008年01月12日 | 真面目な、諸々のお話
赤ちゃんの頃から私や姉のことをかわいがってくれていたおじちゃんが
亡くなった。

私の両親は共働きで、
小さい頃、両親が働いている間、
私と姉はおじちゃんとおばちゃんのうちで過ごしていた。

もともとは、父が学生の頃に知り合ったご近所さんだったらしい。

血のつながりはないけれど、
私も姉も、大人になった今でも、
おじちゃんとおばちゃんに会うと嬉しくて、とても暖かくて、
大好きな人たちだ。


・・・でも、
今でも「おじちゃん」「おばちゃん」って呼んでるけど、
もうお孫さんも大学生。

いつかこういう日がくるのはわかってたはずなのに。


私が子供の頃は親の車で連れて行ってもらってたけど、
私はもう自分で車を運転できるんだから、
もっともっと会いに行けたはずなのに。


なんで、もっと会いに行かなかったんだろう。

なんで、電話一本すら、ろくにしなかったんだろう。


後悔ばっかりが、ぐるぐる渦巻いてる。




あさっての、おじちゃんの告別式の受付を頼まれた。

元気なうちに、もっともっと会いたかったけれど、
せめてゆっくりと、お別れしようと思う。






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