まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

『ラストチャンス』が聞こえる(その2)

2017-03-02 16:49:16 | 帰国後の就職
今朝8時台のメールチェック。
ある日本語学校からの書類選考落選の通知があった。

面接や模擬授業の前に落ちているのに、やたらと嬉しかった。

当たり前の話なのだが、日本語学校でもしっかりと書類選考での「今回は見送り」という類の連絡をくださるところがあるということが嬉しかったのである。

日本語教育の世界に足を踏み入れてから、問い合わせのメールにしても、求人に履歴書を送っても、何の連絡もない教育機関はかなりあった。

日本にせよ、中国にせよ、面接や面談などで顔を合わせたあとの通知はあったけれども。

もちろん何の連絡もないところは一般企業でもときに存在する。

だが日本語教師の中にはけっこう社会の常識を知らない方もいることを知っているわけで…。


話を元に戻す。

その1時間後、他の業種のスカウトメールに応募しようと思ったときに電話が鳴った。

その市街局番から、今週火曜日に応募した企業かなと思いながら電話に出ると、なんとある日本語学校からであった。

面接のお知らせ!

今週ではないのだが、すでに3月に入っている以上、焦っても仕方がない。

もし仮に合格したとしても、どのような契約なのかにもよる。

しかし私は不思議なものを感じた。

昨晩真剣に考えた。
悩んだ。

欲しいものが手に入らない理由を。

その時思ったこと。
それは私が持っている国家資格のうちで、その業界でも私には少しだけ離れていたものは二回とも一発で受かっているのである。

本当の専門のものや副専門は2年がかりであったのに。
何年か受けて諦めたものもあるし…。

簡単にいえば、それを手にした後にどのように使うという考えの違いではなかろうかと。

当時の私はその資格の系統の知識をもって中国などの外国で働きたいと思っていた。

それは叶わなかったのだが、どのように活用するかということはとても大切だと感じたのであった。

仕事も同じこと。
採用されて働き出したその後が大切なのではなかろうか。

楽な仕事などない。
その中でいかに自分が楽しみ、いかに社会のためになるかを考えなければならない。

いくら稼ぎの良い仕事でも「仕方がないから」という意識が残るようでは本当には社会のためにはならない可能性も高くなるのではなかろうか。

ちなみに今現在他に応募してあるものは、前回心底やってみたいと思っていた職種の系統。
ただ対象の範囲が違うだけ。

本日の電話を受けて、とりあえず来週までは他への応募を控えることにした。

本日の面接のお知らせの電話。
それだけでも充分嬉しい。
自分が一番輝ける業界なので。

ただ、その面接が今後の私の行動を決めることになるのは違いない。
コメント
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