本日午後事務所で来週の授業の教案をかる~く見直した。
そこで「ぎりぎり」という単語から、「すれすれ」という単語についての比較を聞かれたら・・・と思い、考えてみた。まあ、初級が終わったばかりの学生であり、質問される確率は低いのだが、初級だからと言っても語彙が多い学生もいる。
どちらも「非常に接近している」と考えることができる。
だだ、チョー簡単にいえば、「ぎりぎり」は極限、最大限度に視点があり、、「すれすれ」は基準にとても近いというところに視点があるように感じた。これは新明解や大辞林だけでなく某日中辞書と某中日辞書の例文で考えてもわかる。
ただし、英語で考えた場合区別がつきにくい・・・。
その昔「平成教育委員会」だったかにその違いが出てきた時、私はすでに日本語教育を勉強中であったのだが、その違いがわからなかった。そして、その時の解説も「???」と感じた。(実際にネットで調べてみてもばらばらである。)
まあ、本日私は直感的に「すれすれ」の方が程度が高いと考えた。それは「(新明解)もう少しで限度を越すようす」、「(大辞林)限度をもう少しでこえそうなこと/さま」という説明からもそう思える。
そして、「限度を超えた」ことを考えてみた。
「すれすれで試験に合格した」という例文を英語で考えた場合、なんとな~くわかるような気がした。私はあまり英語は得意ではないのだが、英語の場合は「通る」や「通過」に着目している。
そして中国語で考えてみた。これは辞書を見なくても私もすぐに考えることができた。「もう少しで合格できない(しない)ところだった」と。辞書もそうであった。
つまり「超える/超えない」に注目しているのであろうか。
私はその「超えた」という点から「すれすれ」の方が程度が高いと思える。
たしかに「ぎりぎりで合格した」と使うことも多いのだが、それは「ぎりぎりセーフ」という「間に合う」という意味で使っているような気がする。
まあ、私が論文を書くにしても、こんなテーマは用いないのだが、それでも久しぶりにいろいろと考えてみた。
そして家で韓国語でも調べてみた。
もう少し韓国語の能力があれば、もっと簡単に仮説を立てて考えることができるかもしれないのだが・・・。
それが正しい、正しくないという区別がつきにくい言葉の時、外国語で考えることがある。ただ、それは自分なりの考えを持って授業した方がいいと思うからであり、聞かれたら「諸説あるが実は明確に区別されていない。ただし、私は~と思う」と答えておくであろう。
それでもなお、挑んでくる輩がいた場合、「いろいろな説があり、はっきりしていないのだが、~の観点から私は~と思う」ということを簡単に言えば、おとなしくなる。ただし、それを授業でさらにしつこく聞いてくるのであれば、私はいじめ返してぎゃふんと言わせる・・・。なぜならば、その学生だけに授業しているわけではないのだから。
「俺は学者を養成しているわけじゃねぇ~!!」
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ちなみにブログ記事右上の投稿時間は北京時間であり、+1Hが日本時間である。
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だだ、チョー簡単にいえば、「ぎりぎり」は極限、最大限度に視点があり、、「すれすれ」は基準にとても近いというところに視点があるように感じた。これは新明解や大辞林だけでなく某日中辞書と某中日辞書の例文で考えてもわかる。
ただし、英語で考えた場合区別がつきにくい・・・。
その昔「平成教育委員会」だったかにその違いが出てきた時、私はすでに日本語教育を勉強中であったのだが、その違いがわからなかった。そして、その時の解説も「???」と感じた。(実際にネットで調べてみてもばらばらである。)
まあ、本日私は直感的に「すれすれ」の方が程度が高いと考えた。それは「(新明解)もう少しで限度を越すようす」、「(大辞林)限度をもう少しでこえそうなこと/さま」という説明からもそう思える。
そして、「限度を超えた」ことを考えてみた。
「すれすれで試験に合格した」という例文を英語で考えた場合、なんとな~くわかるような気がした。私はあまり英語は得意ではないのだが、英語の場合は「通る」や「通過」に着目している。
そして中国語で考えてみた。これは辞書を見なくても私もすぐに考えることができた。「もう少しで合格できない(しない)ところだった」と。辞書もそうであった。
つまり「超える/超えない」に注目しているのであろうか。
私はその「超えた」という点から「すれすれ」の方が程度が高いと思える。
たしかに「ぎりぎりで合格した」と使うことも多いのだが、それは「ぎりぎりセーフ」という「間に合う」という意味で使っているような気がする。
まあ、私が論文を書くにしても、こんなテーマは用いないのだが、それでも久しぶりにいろいろと考えてみた。
そして家で韓国語でも調べてみた。
もう少し韓国語の能力があれば、もっと簡単に仮説を立てて考えることができるかもしれないのだが・・・。
それが正しい、正しくないという区別がつきにくい言葉の時、外国語で考えることがある。ただ、それは自分なりの考えを持って授業した方がいいと思うからであり、聞かれたら「諸説あるが実は明確に区別されていない。ただし、私は~と思う」と答えておくであろう。
それでもなお、挑んでくる輩がいた場合、「いろいろな説があり、はっきりしていないのだが、~の観点から私は~と思う」ということを簡単に言えば、おとなしくなる。ただし、それを授業でさらにしつこく聞いてくるのであれば、私はいじめ返してぎゃふんと言わせる・・・。なぜならば、その学生だけに授業しているわけではないのだから。
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