日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-01-06 23:12:52 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(343)

4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―

チューリヒでは一五二四年の12月修道院がすべてが廃止され、翌年3月13日イースターの聖餐式をもってカトリックのミサはその町から姿を消した。しかしその形はカトリックの組織がそのままで、その内容がプロテスタントに裏返っただけであった。スイスは13の地域共同体〈邦〉であるから、全体の連邦から見れば、一部の地域で分裂が始まったにすぎない。しかし実際は1528年にベルンが、孤立無援に近いチューリヒの大きな支えとなり、1529年にバーゼルが加わり急速に仲間を加えたが、その反対の傾向も強くなった。山岳地の諸邦ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデン、ツーク、ルツェルンの5邦は「カトリック・キリスト教連合』を結成して対抗してきた。その緊張が、実力行使、すなわち軍事対決にまで高まったのが1529年6月の(ここまで前回)ことであった。

しかしこのようなときの人間社会は経験したことのない社会的混乱に陥るのが常である。生活と命をかけた権謀術策の渦の中に巻き込まれるのであった。特にカトリックを全面的に擁護する皇帝カール5世の母体ハプスブルク家(スイスばかりではなく、スペイン、ドイツ、ドイツ低地方、北イタリアを支配下に置く)の存在は、ツヴィングリー福音主義にとって難敵中の難敵であった。この時は仲裁が入り、古都ルツェルンに会談して一つ町に一つの宗教、人は宗教によって町を選ぶ「現状維持」形態で二つの宗教存在を認めた。戦乱に至らず(つづく)


聖書研究

2016-01-06 23:11:02 | 大分中央ウィークリー

創世記22章7節である。「イサクは父アブラハムに、『わたしのお父さん』と呼びかけた。彼が、『ここにいる。わたしの子よ』と答えると、イサクは言った。『火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。』」と、聖書がいう。ここに始めてイサクとの対話が出てくる。しかもイサクの方からであった。ということは、アブラハムはイサクとの間に、出発するとき、またはその出発の前に二人の間にはイサクについての、アブラハムに語られたところの神からの神の言葉については一切説明していなかったことになる。 

いや、ここ、人間としての彼、アブラハムの苦しい、心のうちが明らかになっており、実のところ、アブラハムは彼の心の中に秘めておくのが精一杯の神の言葉への応答ではなかったかと思う。信仰の忠実を貫くアブラハムの信仰のあり方を教えられる。人間的には、今、何とか答えねばならない。それが8節へと続く。 

8節である。「アブラハムは答えた。『わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。』二人は一緒に歩いて行った。」という。アブラハムは子供の問いかけに答えないわけには行かない。子供はささげるものは、小羊であると思い込んでアブラハムの後を着いて来たに違いない。

 父親のアブラハムはそうではなかった。神の要望は、そのアブラハムの独り子イサクを「焼き尽くす献げ物としてをささげなさい」(22・2)であった。しかし、自分の子供に言えなかった。子供の心の中にあるとおり答えた。「わたしの子よ、その献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」と。心換えしたのでない。言えなかった。


牧 会 通 信

2016-01-06 22:44:55 | 大分中央ウィークリー

謹賀新年 

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その7) (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯が、谷に眼を凝らせ、暴力で他人を傷つけたものたちが、ぐらぐら煮られている血の河が近づいたからだ。」

おお、盲目の貪欲と狂った憤怒よ、短い人生であれほどわたしらをけしかけ、永遠界でこれほど酷(むご)くわたしらを侵(おか)すものよ!

わたしは平地をぐるりと抱きしめる堀のやうな、弓なりに曲つた広い堀を見た、わたしの先達が言つた通りに。(ここまで前回)

◯ 崖下の堀の間を縦に並んで、弓矢で武装したチェンタロウ(神話では、胸部より上は人間、下は馬)たちが走つてゐた、上の世界でいつも狩に出かけたときのやうに。

  わたしらが下りてくるのを見るとみんな立止まつて、その組の中から三人が別れ出た、弓とまづ選びつがへた矢をもつて。

  その一人が遠くから叫んだ、「その崖を下りてくるお前たちはどの刑罰を受けに来たのだ?そこから言へ、言はぬと射るぞ。」

(つづく)

◯2016年1月3日は、新年の第一主日。日本聖書協会「聖書愛読こよみ」は「主の栄光」という主題である。イザヤ60章1~7節、その1節の冒頭「起きよ光を放て」と実の感動的な言葉である。讃美歌230(旧174)「起きよと呼ぶ声」とこの言葉によって力強く歌われている。前520年頃の捕囚解放の喜びであった。われらの信仰の喜びもまた同じである。「主の栄光」の世に生きている。

 ◯写真は昨年11月16日の沖縄辺野古工事現場で朝の7時。搬入を阻止する座り込み。念頭にあたっての国家的課題