日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-08-11 03:01:05 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(324)

4.近代の教会の夜明け

―宗教改革―スコットランド

今まで不十分ながら、ジョン・ノックスを中心にしてスコットランドにおける宗教改革の歴史を足早に見て来たが、その特色を一つあげるとすれば、それは、王族による国家体制に対する戦いであったといえる。政治と宗教との対立の構図を持って進められた。その象徴的な事件がノックスとメアリー皇女との対決であった。もともと地理誌的に不毛な貧しい国土のゆえ経済的に不安定であり、そのため貴族たちの党派争いの耐えない国柄であった。それをまとめるのにカルヴァンの宗教改革が強力な精神的支柱となって働いた。天から備えられた貴族出身のノックスが王族と対決し宗教改革を推し進め完成したといえる。(ここまで前回)

―宗教改革とその後―

わたしたちの世界の新しい時代は西方社会の16世紀の宗教改革から始まったといっても過言ではない。もちろん、われわれは東方の東の最先端の小さな島国であり、中国大陸との関係の中で小さな独立社会をつくっていた。しかも戦国時代といって国家としてのまとまりを失いつつあった。1549年ザビエルの来日によってその変化の影響を受けることになる。すなわち、この時代に起こった西方の宗教改革という運動の展開の効果に一つは、西方キリスト教がコロンブスの影響からヨーロッパの状況の外へと拡大したことである。(つづく)


聖書研究

2015-08-11 02:58:29 | 大分中央ウィークリー

創世記21章20節である「神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。」という。新約聖書にも引き継がれる大事な言葉は、ここでハガルの子イシュマエルについて「神が共におられた」と告げているところである。これはその当時の社会では、実質的かつ具体的にはその父はそばめハガルの子を自分の子と認知するところから始まるのである。「神が共におられた」とは、目に見える形が伴うのが普通である。 

すでに前18世紀の有名なハムラビ法典では、父の認知を条件として、奴隷の子が自由な女の子供と同等の権利を持つことを規定していた。アブラハムがすでにイシュマエルを認知していたことは、11節「自分の子であった」といわれているところは、その他(16:15,17:23,25,26など)からも明白である。このことをここで、「神がその子と共におられた」というのである。(マタイ1:23参照) 

21節である。「彼がハランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。」という。「妻をエジプトの国から」というが、ハガルがもともとエジプト人(16・1)であったので、イシュマエルのためにエジプトから妻を迎えたことは人間的な関係からは不自然ではない。 

しかし、イシュマエルはアブラハムが認知した、アブラハムの子である。神の約束の系列からこの段階から一層遠くなり、異教社会に近づくのである。異教社会と関係がいかに深くなっても、アブラハムの血を引いていることには間違いなく約束の絆の中に入っている見るべきである。18節の、天からの神のみ使いの言葉としての「必ずあの子を大きな国民とする」という約束の言葉は薄められることはない。


牧 会 通 信

2015-08-11 02:52:54 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第10歌(カッコ内は筆子、その13)

◯すると言つた、「わしらは遠視のもののやうに、遠くにあることどもが見える、まだそれだけ導く至高者に照らされてゐるのだ。

  が、近づくもの、いまあるものとなると、わしらの知力はまつたく役に立たぬ、他のものが知らせてくれねば、そなたたちの現状はまつたく分らぬ。

  だからそなたには理会できよう、未来の門が閉ざされるあの時から、わしらの知識はまつたく死んでしまふのが。」(ここまで前回)

◯自身の罪にヅキヅキ責められてでもゐるやうに、わたしは言つた、「ではあの倒れたものに言つてた下さい、あのものの息子はまだ生者たちと交はつてゐると。

  わたしがあのとき答へしぶつてゐたのは、あなたがいま解いてくれた疑念に、わたしがすでにとりつかれてゐたからだと知らせて下さい。」

  すでに師がわたしに戻れと呼びかけてゐたので、わたしは大急ぎでこの霊に頼んだ、誰があなたとともにゐるのか言つて下さいと。(つづく)

◯2015年8月9日は、今年の第三十二主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「神の導き」の主題であり、聖書は歴代誌下5章2~14節、その2節「ソロモン王は、そこでイスラエルに長老、すべての部族長、イスラエル人諸家系の首長をエルサレムに召集した。「ダビデの町」シオンから主の契約の箱を担ぎ上るためであった。」という。神殿建築の基礎を据えてから7年6ヵ月後(王上6・38)、喜びと恐れが交錯する「神の導き」である。 

写真は、甲子園球場高校野球創設第100周年記念、第97回全国高校野球選手権大会での開幕試合始球式で投げる、王貞治氏(75歳、左背中、NHKテレビ)。