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やっぱり漢検は「変」だ

2009-02-10 16:23:27 | 生活・教育・文化・社会
 日本漢字能力検定協会は、その前身が75年に京都市の個人のアイディアでつくられた。そのつくった人こそ、現理事長である大久保昇氏である。わたしは当時、漢字をビジネスにする、うさんくささを感じていたものだ。いまだとさしずめ起業家としてもてはやされるだろうが、その分野の専門家でもない人が、いやだから儲け仕事に踏み切れたのだろうと思ったものだ。
 日本人の資格(この場合検定)文化の根深さがあるため、その後社会に受け入れられた。しかも今日の広義の資格社会のはしりであったといってよい。

 漢字は、民族の文化のベースである言葉の表記なので、誰もが身近に感じているものだ。しかも漢字の読み書きというのは、多くの人にとっては答が明確なのに不十分さを感じている、汲めども尽きないことなのである。
 社会的普及を背景に、92年には文科省所轄の財団法人となった。それからというものは認知され、信頼性が高まり今日のように隆盛の一途をたどっている。理事には各分野の信頼性のある人を配置し、協会としての体裁を整えている。
 しかし実際は大久保昇氏の親族が関与し、営利事業と変わらない実態のようである。設立当初の目的を引きずっており、財務上の不正の疑いがもたれ文科省の調査が入っている。わたしは行政処分、さらに刑事事件になる可能性があるのではないか、と推測している。そもそも財団法人を得たときわたしは、根拠がわからないが文科省の天下り先を作ったのか、と推測していたものだ。

 受験者が07年271万人(00年157万人)で、大雑把にみても50億円ぐらいの受験料収入(07年72億円)を得るわけである。財団法人という公益事業なので、本来収益を追求することをしないのが建前である。しかし豪華な不動産以外に43億円の資産があることが判明した。
 財団法人であることが信頼性のお墨付きのためもあって、国語力の一部として高校、大学の受験に漢検を一部の科目を肩代わりすることもあるようになっている。団体受験という制度を設けており、学校あるいは会社で取り組むところも出てきている。それにこのところの、アンチエイジングないし認知症予防としての活用もあるようだ。

 漢検はビジネスとしては、信頼度さえ維持すれば容易と思われる。漢字というコンテンツが決まっており、それを漢検ごとに試験問題を作ればよいのである。出題は過去問の一部を変えることも含めればいくらでも作成は可能である。世間の関心を維持するためには催など宣伝が重要になる。
 それに一役かっているのが年末恒例の清水寺貫主による、1年の世相を漢字1字で表現する、というのが注目度が高い。テレビ放送には絵になるので扱いやすい。08年度は「変」であったが、それは漢検協会が財政や親族が責任ある立場にあるなど、財団法人として「変」という文字がぴったりなのである。
 
 ところで漢字は、日本語を劣化させないためには重要である。ひらがなが表音文字なのに対して、漢字は言葉表記する文字である。漢字は概念であり、意味がある。わたしは地名も含めてひらがな表記が多くなっている、あるいは本来の言葉の原型をとどめない省略「言葉」を、言葉の意味が失われ音だけになる傾向を憂えているものの一人である。
 わたしはパソコン文章を作るようになって文字を書くのが少なくなり、漢字を書けなくなったと自覚している。一方にはパソコンで作られて文章が多くなったので、このところ漢字表記の文書が増えているのである。

 なお、漢検協会は日本語文章能力協会なるものをつくっている。漢字のように答の明確にならないものをも検定するということに無理があると考える。日本語の多様で豊かな表現であるべきものを、無機的な文章の形をつくってしまわないかと危惧している。しかし文章が苦手としている人が多いだけに、それにすがる人も増えるだろう。あるいは大学など文章力向上のスキル獲得をさせるため、文検協会に丸投げするところが出てきそうな気もしている。
 なお文検は、商標登録をしてこの分野に他の業者が入らないようにブロックをしている。

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