明鏡   

鏡のごとく

一年

2012-03-11 19:08:30 | 短歌
一年の月日がたてど なみたてる ともしびはなお おきにうかびて
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「遠野物語」の第99話に、明治三陸津波(1896年)

2012-03-11 13:44:24 | 日記


 家々の土台だけが残る海辺の集落に、粉雪が舞い落ちていた。

 震災1年を前にした10日、岩手県山田町の長根勝さん(52)は一人娘の璃歩(りほ)さん(15)と自宅のあった船越地区を訪れた。「ここが玄関、あそこがおばあちゃんの部屋だったな」

 多くの人が避難した裏山へ通じる階段を上るうち、2人は無口になった。視線の先に、流された鳥居の跡から小さな命が三つ芽吹いていた。

 「お、ふきのとうが出ている」

 「すごい」

 父娘は顔を見合わせてほほ笑んだ。

    ◇

 保険外交員の長根さんは母享(きょう)さん、妻のり子さん(51)、璃歩さんと4人で2階建ての家に住んでいた。

 大地震に襲われた時は仕事で隣の宮古市にいた。勤務先にいた妻の無事はメールで確認できた。娘がいる中学校は高台に建っている。78歳の母は自宅にいるはずだが、近くに高さ8メートル以上の防潮堤がある。さほど心配はしていなかった。

 だが、戻った街は真っ赤に燃えていた。翌朝ようやく自宅に向かうと、防潮堤は壊滅していた。駆け寄ってきた近所の女性が泣き崩れた。「勝くん、母さんが流された」

 膝が悪かった母は裏山への階段を上りきれずに流されたという。がれきだらけの自宅跡に座り込んだ。百余年前の先祖の姿が自分と重なった。

 東北の伝承を集めた「遠野物語」の第99話に、明治三陸津波(1896年)で妻と子2人を亡くした男「福二」が、妻の幻影に誘われ浜に一晩立ち尽くすという話が収められている。福二の4代後の子孫が長根さんだ。

 物語は福二のその後を「久しく煩(わずら)ひたり(長く病んでいた)といへり」と結ぶ。そのせいか、父も祖母もこの話をしたがらなかった。教えてくれたのは母だ。「本買え。遠野物語にうちの話がある」「先祖のことだから、しっかり覚えとけ」

 長根さんは母を捜して遺体安置所を巡り歩いた。体の一部しかない遺体。焼けた遺体。7月上旬、訪れた安置所で赤ちゃんの亡きがらを見た。目を見開き、手を伸ばしたままだった。「抱っこして」とせがんでいるように見えた。「おまえは何のために生まれてきたのか」。涙が止まらなくなった。これ以上遺体を見ると自分がおかしくなると思い、安置所回りをやめた。

 数百もの遺体を見ながら、思ったことがある。「自分の先祖以外にもたくさんの悲しみがあったはずなのに、その物語はどうなったのだろう」

 明治、昭和の大津波を経て被害の記録は残されたが、悲しみは風化したのではないか。福二のことを伝えた母の思いを、自分なりに理解した。

 「ただの教訓ではなく、じいちゃん、ばあちゃんから口で伝えられた話こそ力を持つ。一人一人が血の通った物語を語り継ぐことでしか、次世代の悲しみはなくせない」

 現在、山田町内の仮設住宅で暮らす。家を建てる場所を決めかねているが、この町を離れるつもりはない。

 今年に入り、流失した家系図の復元を始めた。近い将来この図を璃歩さんに見せながら、先祖の物語を伝えよう。そう心に決めている。【奥山はるな】
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自主映画上映会のお知らせ

2012-03-11 11:15:43 | 日記
お知らせが参りましたので転載させていただきます。

特に若い人に良い悪い抜きで見てもらいたいのは、日本には色々なことがあり、みせかけばかりのもので単純に決めつけないようにしてほしいということ。
自分探し等ではなく、根を張ったものも、またそこにある意味が見えてくる場合があるので、色々、見てほしいと思っています。
自分もまだまだ知らないことばかりなので、いえたことではないですが。
色々なことを見てもいないで、決めつけられることには、死んでも抵抗します。

各位

日時計の丘から、3月の自主映画上映会のお知らせです。

19回目となる今回は、山口県上関町祝島の島民の暮らしと原子力発電所建設反対運動を
記録した「祝の島ー1000年先にいのちはつづく」を上映します。


■シリーズ『記録映画のアクチュアリティ② 間隙の思考― TV制作と自主映画制作との間で』

日時 平成24年3月30日(金)
場所 日時計の丘 (福岡県福岡市南区柏原3-34-41) http://hidokei.org/access.php

開場   19時
  
上映開始
19時30分~  『祝の島ー1000年先にいのちはつづく』 (2010年/105分/ポレポレタイムス社)
              
   <監督:纐纈(はなぶさ)あや プロデューサー:本橋成一 撮影:大久保千津奈(KBC映像)>
   第19回 JSC賞(日本映画撮影監督協会)受賞
             
21時20分~ ディスカッション    ゲスト:撮影 大久保千津奈 さん 


4年ほど前になりますが、「祝の島」撮影途中のラッシュを40分程見せていただく機会がありました。
原子力発電所の反対運動云々よりもむしろ、島の人々の生活の有り様やおじいさん、おばあさんたちの
何気ない会話がとても印象に残り、いつか日時計でも上映したいと考えてきました。

今回は、ゲストに撮影を担当し、私も個人的に何度か仕事をさせていただいたことのある
気鋭の女性キャメラマン、大久保千津奈さんを迎え、撮影現場でのエピソードを語っていただきます。

大久保さんは地元TV局に出向している制作会社の社員です。
そんな立場の大久保さんがなぜ、「ナージャの村」などを手がける東京の有名な
インディペンデント系映画制作会社の作品にかかわるようになったのか?
TV制作と自主映画制作との間でどのような葛藤やモチベーションの変化があったのかなど
興味深いお話をお聞きします。この機会にぜひご覧いただきたいと思います。

※ちなみに、大久保さんはこの作品で昨年、第19回JSC賞を受賞しました。


〈作品紹介〉
1000年前、沖で難破した船を助けたことから
農耕がもたらされ、 子孫が栄え、
現在に至るまでいのちをつないできた小さな島がある。

山口県上関町祝島。
瀬戸内海に浮かぶこの島は、台風が直撃することも多く、
岩だらけの土地には確保できる真水も限られ、
人が暮らしやすい環境とは決していえない。
その中で人々は、海からもたらされる豊穣な恵みに支えられ、
岩山を開墾し、暮らしを営んできた。そして互いに助け合い、
分かちあう共同体としての結びつきが育まれた。
人間の営みが自然の循環の一部であることが、祝島でははっきりと見える。
「海は私たちのいのち」と島の人は言う。
1982年、島の対岸4kmに原子力発電所の建設計画が持ち上がった。
「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代で海は売れん」
という祝島の人々は、 以来28年間反対を続けている。
効率と利益を追い求める社会が生み出した原発。
大きな時間の流れと共にある島の生活。
原発予定地と祝島の集落は、海を挟んで向かい合っている。
1000年先の未来が今の暮らしの続きにあると思うとき、
私たちは何を選ぶのか。 いのちをつなぐ暮らし。

祝島にはそのヒントがたくさん詰まっている。


(問い合わせ)
球フィルムス 児玉公広
mail: shiho@orange.ocn.ne.jp
福岡市南区長住3-24-403
Tel 090-1515-3227  
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ぱくりたぬき

2012-03-11 10:39:05 | 
まずそのようなたぐいのえいがをみて
だれでもほんしつをとらえているとか
おもうわけもないのに
がいじんからみたにほん
それがみほんだなどとだんじることじたい
たぬきはたぬきでしかないといえる
うんどうもぱくり
なまえもぱくり
ぱくりのそのまたぱくり
むしゃくしゃくらうだけのたぬき
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