タクシードライバー 『こころ日記』

どこでどう間違えたのかタクシードライバーに転職。ならば目指すは日本一のタクシードライバー。今後の活躍に乞うご期待!

わたしの償い!

2017-03-07 21:25:17 | 営業報告
今日昼過ぎに某大手スーパーよりお乗せした82歳男性。
痩せた身体で片手に買い物袋、もう一方の手には杖を。

私のタクシーまでの距離は数メートルしかない。
でもその老人客にとっては相当の距離のようだ。

ようやく乗車すると、駅前のパン屋さんに行って欲しいと
嗄(しゃが)れた声で行き先を告げる。

『今日のお昼は、パンですか?』と挨拶代わりにお尋ねすると、
『いや、妻の好物なんだよパンは。それに付き合っているだけ』と、
その老人客は嗄れ声で答える。

老人客が、『運転手さん、聞いてくれるかい。実は妻が認知症でその介護をしているんだ。
今で言う “老々介護”っていうやつよ。
生活のほとんどが妻の介護、食事も妻中心の食材になっているんだ。
それも仕方がない事なんだ』と話し始める。

『自分は今まで散々悪い事をしてきた、そのバチが今来ているんだ。
妻の介護は大変だけど、今まで自分がして来た悪事に比べれば大した事ではない』

仕事仕事と言って、家の事も子供の事も全て妻に任せっきりだった。
残業だと言って深夜まで飲み歩いて、家に電話一本する訳でもなかった。
それでも妻は私の帰りをズーッと待ってくれた。食事もせず、文句も言わず。

そんな妻に対して、思いやる言葉もかけず自分のしたい放題だった。
『俺が稼いでオマエ達を食わせてやっているんだ!』と傲慢な態度であった。

会社を定年で退職してからも、その傲慢な態度は変わらなかった。
変わらないどころか、その傲慢さは日増しに強まっていった。

会社に行っている頃は、日中だけは妻が平穏で居られる唯一の時間帯であった。
しかし、定年退職してからは四六時中家に居るものだから妻は気が休まる事は
なかったのである。

いつしか、妻は鬱状態になって行く。その頃だ、妻の言動に異変を感じたのは。
物忘れが尋常ではなかった。
あれだけ几帳面に家事をこなしていた妻が言わないとしなくなった。

どんなに注意をしても怒鳴り散らしても、すぐに忘れてしまう。
さすがの私も、『もしや認知症では?』と思い妻を病院に連れて行った。

結果は、『認知症です。それもランクII程度です』と医師から宣告された。
日常生活に支障を来たすような症状・行動や意思疎通の困難さが多少見られても、
誰かが注意していれば自立できるが、症状が進めば要介護は避けられない事は
覚悟しておいて下さいとも言われた。

まさか自分の妻が認知症に! 愕然とした。目の前が真っ暗になってしまった。
どうしたらいいのか? これからの生活はどうなってしまうのか?
何もかもが分からない、不安だけが心を押し潰そうとしている。

帰りの車の中、妻が『わたし大丈夫だから、家事も今まで通りやれるわ』
私は返す言葉がなかった。

日に日に妻の物忘れが酷(ひど)くなった。
もう家事どころの話ではない。食事も排泄も自力では出来なくなってきた。

今更子供たちに相談なんか出来ない。わたしの傲慢さに嫌気を差して、
家には寄り付かなくなっている。(子供は男2人で共に所帯を持って
孫が居る)

近所付き合いも儘ならぬ私は誰にも相談できず途方に暮れた。
しかし、このままでは共倒れになってしまう。

藁を掴む心境で初めて市役所に出掛けた。
もちろん妻の介護の相談である。
介護保険課に案内され相談した結果、要介護認定審査を受ける事になった。

今は、週3回の訪問介護サービスを受けている。
私自身、高血圧の持病があり加齢のため身体のアチコチにガタが来ており、
歩くのも儘ならぬ状態です。

家庭を顧みず、妻や子供たちには愛情のかけら一つも与えることをしなかった。
そのバチが今来ているのだ。妻がどんな思いで私との生活を共にしたのか。
それを考えるだけで胸が引き裂かれそうになる。

償っても償っても償いきれない私の数々の悪事。
自分が誰だか分からない妻の顔を見ていると涙が止まらない。
今更謝っても、どうしようもない。どんなに謝っても元に戻れない。

『私も82歳になる。いつまで生きられるか分からないが、
妻を看取ることが、唯一私ができる償いだと思っている』

そう言い残して、老人客はタクシーから降りて杖を引きながら
パン屋に向かった。

その老人客の背中を見ながらこれは他人事(ひとごと)ではない。
先の自分の姿を見ているようであった。