Akatsuki庵

日々と向き合って

『釜師 大西家歴代』展を2時間かけて鑑賞

2012年02月16日 00時00分10秒 | 美術館・博物館etc.
新春特別展「釜師 大西家歴代」
 ★大西清右衛門美術館 3月18日(日)まで サイト

大西清右衛門美術館は時間をかけて鑑賞する時と、急ぎ足で見て慌ただしく次へ行く時がある。
やはり、1日に4箇所か5箇所の美術館を巡る計画を立ていて、その途中で立ち寄った時はダメ。
複数巡るときは北から徐々に南下して、最後に寄って時間を目一杯つかって見るのが理想、かな

というわけで、今回もどのタイミングで行こうかを考えて、結果的に初日の午後たっぷり当ててみた
入館したのは12:36。
今回は東京で大西さん展のチラシを入手することが出来なくて、ポスターは初見。
いつものことながら、デザインがカッコイイなぁ
それから「京の冬の旅」キャンペーンポスターもカッコイイ
イベントはこちら あ、定員に達してたようで さすが。

さて、一番に目についたのは、二代・浄清の鶴の釜。やっぱりステキだなぁと思いつつ、奥に行ってビデオを確認。
釜のに漆を塗っている段階。仕上げ、かな?
(ちなみに、過去ブログを読むと前回も同じところを見ていた
テレビを見ると「上映時間60分」とある。
そうすると、あと10分くらいかなぁと算段しつつ、椅子に座って借りた展示リストをメモに書き写しながら待つ。

そして、テープが最初に巻き戻ったのが12:50。
それからキッチリ1時間、見たよ~

最初は鐶付をつける穴を彫って、そこに型を埋め込むところから。(ナルホドと思った)
次に釜の型板を入れて回して型をとった後、何度も泥をかけて表面を滑らかにする~。
(と、ここで気が遠くなった)

確かに、地道な作業を時間をかけてやっているのはよっくわかったが、
ずーーっと同じ場面が流れると退屈するので、その辺りはチラチラと見ながら、リストのメモ書きをしていた

場面は別の日になったようで、霰をつける作業。
ひたすら長い 最初の段の霰をつけるところだけで数分間。
実際はそんなもんじゃなく、もっと時間がかかるのだろうし、それを何段にもわたるわけだから、気が遠くなる。

次に地紋がある場合。下絵を描いた紙を貼って上から彫り込む。

そして、場面また変わって、縄を巻いて泥をつける場面。
内側だろうなと思っていた。

そこからの展開が速く鉄を流し混んで、形になるところは早かった
(以前、やはり大西さんで見た別のビデオではこのあたり解説つきで詳しかったんだけどナ)

茶釜の形になったところからがまた長かった。
炎の中に茶釜を置いて燃やす?場面がまた5分間。

たぶん、鉄を強くするためだろうと思うけれど、あの炎の中に置く意味が今ひとつわからなかった。

そして、やっと表面を磨いて漆をかけたブラシみたいなもので仕上げる場面へ。
下でガス火をかけていたんだねぇ。

そして、最後に蓋を作って完成。
がんばって60分間見たので、完成は劇的かと思いきや、あっさり終わってしまって拍子抜け

サイレントだしねぇ。。。けっこー見続けるのはキツいものがあった。
(ずっと通しで見たかったので、私としては気が済んだけど、、、ネ
おかげさまで見ている間にリストも全部写し終わったし

ちなみに、この間に他の見学者も観察できた
最初に入れ違いに出て行った高校生2人、後から1人、2人、1人。
真冬の、しかも雪が舞う寒い午後1時台に7人。なかなかではないか。

しかし、ビデオを見終わった時、展示室には他の人がいて落ち着かなかったし、お手洗いにも行きたかったので、
エレベーターで7階に上がって、先に茶室の設えから見始める。
(“書き写し”慣れして、ここでもメモが進んだ

寄付の掛け物十三代浄長筆の「喜の字」(七が3つ)
煙草盆は一閑、火入は大きい染付。

本席の床は卒啄斎の福禄寿画賛、花入は唐銅の柑子口(六代浄元)、香合は染付で形は丁子。(紙釜敷は吉兵衛)
茶釜は浄清の不二の霰の吊り釜。横の窓から見ると点前座が少し近い。お見事
炉縁は大徳寺の金毛閣の古材。
水指は古伊部の宝袋。茶器は雪吹(宗巴の在判)。茶碗は宗入のカセた黒で銘は「祥雲」。
替は保全で松竹梅? 茶杓は覚々斎。建水は唐銅の鉢形。

まぁ、2月だけどまだ正月の設えは大丈夫だからね
再び3階に下りると、もう誰もいなかった
(あれ? 皆さん7階見ないで帰ったのかな?

再び二代・浄清の鶴ノ釜を見る。
360度を見られるのがうれしい。改めてみて、蓋の摘みも羽根の一部なんだなぁと気がつく。
どちらが正面かなぁとも思う。(あるのだけど、どっちにしてもいい感じ

続いて初代・浄林の傘釜。(ポスターでも一番目立ってる) 高台寺の傘亭か時雨亭を思い出す。
底の10面の面取りと表面の雨粒にも注目。

浄休(浄清の弟)の網干地紋富士釜。なだらかな富士山。地紋は浜辺。鐶付は松の実。
もう一つ浄清の狩野探幽下絵の雲龍地紋鍋ノ釜。龍がわかりづらかった。上面についた鐶付は竹?

何度か見た小ぶりの唐銅蝶形風炉、菊地紋四方釜添。
作者は大西五郎左衛門。父は大西定林(浄清の次弟で、江戸に下って江戸大西家を興した)
脇に定林作の分銅形の燗鍋が展示してあった。

三代・浄玄の透木釜に五代・浄入(四代・浄頓の弟)の海松貝地紋四方覆垂釜。鐶付は遠山。
六代・浄元の鶴首釜は摘みが面白かった。
七代・浄玄の唐犬釜は前回訪れた時、2階の亭茶席で見た。二代・浄清に継ぐ名手らしいフォルムのよさ。

八代・浄本の丸形釜。利休好のこの釜はほんとにまんまる。蓋は小さい盛蓋。
九代・浄元は小阿弥陀堂釜(元の字釜)。へぇ。七代の門人で養子に入ったのね。

十代浄雪は玉画賛に不昧公好の二口釜。これも何度か見てお馴染み。
浄雪の弟・奥平了保の刷毛目釜。もう一つ、巨大(?)な鉄木瓜形の煙草盆が迫力だった。

十一代・浄寿が活躍したのは幕末の動乱の時期?(亡くなったのは明治になってからだけど)
とっても力強い鉄格子風炉。
十二代・浄典も同じく幕末から明治維新~。ん?十一代より没年が10年近く早い。
宝珠釜。鐶付は海老、蓋は焼貫だそうで。

十三代・浄長は雪花釜。上品な釜。帝展入選作。(時代を感じるなぁ)
十四代・浄中は竹内栖鳳下絵の笹地紋万代屋釜。地紋がわかりづらくて残念

十五代・浄心は東山魁夷下絵の松地紋真形釜。朝鮮風炉添。こちらは下絵がはっきりわかってウレシイ。
画伯とは交流もあったようで(←お茶やってらしたもんね)、唐招提寺壁画奉納を祝って製作されたらしい。
あ、時代が近くなったと思う。

そして、2007年作の十六代(当代)は霰乙御前釜。
スマートな形。口造りが乙御前にしては浅い? たぶん炉用だろうけど、風炉でもいけそう?
霰だからねぇ。ビデオで見た霰ウチの苦労がオーバーラップした

2階に下りて展示解説ファイルを返して、預けた荷物を受け取り、呈茶席で身支度。
おっと、炉に掛かっているのは三番叟釜。鐶付は鴟尾。
その時は受付の方に聞いたのだけど、帰宅後に過去blogをチェックしたらヒットした。
昨年5月「吉祥の釜」展に展示されていて、ちゃんとメモして書いてあった

長くてもキチンと記録しておくことは大事。
時間を見て、過去blogも読んで復習しなきゃね。(次回の予習にも繋がるしね

そんなこんなで美術館を出たのは14:50すぎ。
有に2時間超え
お邪魔しました~

次回の春季企画展は「茶の湯釜歳時記(仮称)」 4月3日(火)~6月24日(日)
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 ★大西清右衛門美術館バックナンバーリスト
 2011年10月 『釜をとりまく茶道具』
 2011年5月 『吉祥の釜』
 2010年9月 『茶の湯釜にみる朽ちの美』
 2010年5月 『風炉を楽しむ』 
 2009年11月 『千家十職 大西清右衛門家の釜と金工-茶の湯工芸の伝統と創造-』『寺院ゆかりの茶の湯釜』
 2009年5月 『開館十周年記念 釜師 大西清右衛門の目 それぞれの所蔵品から』
 2008年10月 『開館十周年記念 釜師 大西家歴代展』
 2008年3月 『風雅-茶のなかにみる意匠』
 2007年11月 『茶人と釜』
 2008年11月 『千家十職 釜師 十六代 大西清右衛門展-襲名十五周年を記念して-』(日本橋三越本店)

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1 コメント

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 (時流庵)
2012-02-16 09:37:57
あまり 好きじゃありませんでした。 札幌に大西先生をお迎えして講演会に参加させていただき、霰の話聞いて感動、以後見方がかわりました、釜の扱い方も、お茶席で伺い ふぉ~~~って 青年部での出会いって楽しい。その青年部が変わるようで・・・
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