
真夏日にぐったりして、頭痛もしてきて中秋の名月も見ないままに寝てしまった一昨日の夜。
翌日はいきなり気温が10度くらい下がって、びっくり。
短時間の大雨もたまたま外を歩いている時に襲われ、全身ずぶ濡れに
ホントに最近の気候は異常です。
このまま、秋をすっ飛ばして冬が来てしまいそうな。
さて、しばらく検定がらみで“迷走”していた当blog、本来の姿に戻したいと思います。
検定ネタから当blogへお越しいただき、閲覧の御常連になっていただいた方も多いと思いますが、
本来は「茶の湯の展覧会を見た感想を綴る~」のが当blogの主旨ですので、
答え合わせ終わっちゃったからとお見捨てにならず、今後とものぞいていただければと思います。
********************
「茶の湯釜にみる朽ちの美」 大西清右衛門美術館
※12月23日(木/祝)まで サイト
秋の茶の湯展フリークは10月もしくは11月に行ってきていたので、
9月のしかも残暑厳しい最中に巡るのは、体調的にも心理的にもキツいものがあった。
ましてや、名残の茶事の際の「やつれ風炉」に「やつれ釜」の展覧会
こんな暑さの中でみて堪能できるんかなぁ~と思ったけど、杞憂だった。
(偶然ながら、清右衛門さんの解説も聴けたし
)
展示室に入って、まず目に入るのが与次郎の鉄やつれ風炉。
古いし、その大きさと古さにビックリ。
でも“現役”らしい。
(広島で追悼のお茶会があった折り、砲弾から作った茶釜と取り合わせたそうな)
同じく“古さ”という点では、芦屋の甑口釜。
羽根が叩き落とされている。
とても大胆な叩き落とされ方なんだけど、一つ間違えれば釜に当たって壊れてしまう
でも、緻密に計算されたようにも見えるような。。。?
作った時に作者が故意に落としたのか、それとも後世の持ち主が落としたのか。
そんな質問を清右衛門さんにしてみたら、「そりゃー、知らんがなぁ
」
そうだよねぇ。。。変な質問しちゃったかなぁ。。。とシュンとしてたら、
ヒントをもらえた。
「叩き割った大きさが丁度いまの炉に納まるんよね」
つまり、この茶釜が作られたであろう室町時代はまだ炉の大きさが定められていなかった。
だから、大きな炉が切ってあった可能性もあり、それに合わせて茶釜も大きく作られた。
それが時代を経て、炉のサイズが決まり、昔より小さくなった。
だから、その時の持ち主が(炉の大きさに合わせて)羽根を叩き落した可能性が大。
ナルホド
古いものを再利用すべく知恵を絞った工夫が“朽ち”の風情となったのか。
古いといえば、天明の提灯釜も面白い。(足がついてる。モトは別のモノ?)
もとは寺院の湯釜だったと思われる鉄やつれ釜も、見事。
西村九兵衛の布団釜。
由来は利休が布団に包んだからとも、座布団に似ているからとも。
与次郎の大ぶりの鬼面風炉も迫力あったなぁ。
また、後世の職人が写したと思われる茶釜も興味深い。
欠け方も、かすがいの位置も“作為”に作られたと思われる感じがわかるという。
時代が下ると作為的にやつれさせなきゃ、風情が出ないというのいうのは、哀しいナ。
この11月に名残の茶事に参会する予定なので、やつれ釜もしっかり拝見したい。
ところで、この美術館を訪れたのはもう10日以上も前の話。

チラシの余白に一生懸命メモを残したおかげで、見ると記憶が蘇ってくる。
楽美術館もだけど、個人経営の美術館は展示目録を配布していない。(経費節約か
)
それは仕方のないことだ。
だけど、ならばメモをとる見学者のために、余白もあるチラシにしてほしい。
デザイン的には凝ったチラシでカッコイイけれど、
以前はハガキのみで、チラシも刷ってなかったから、格段の進歩なんだけど。
涙ぐましいメモ、現地で書くのも、後から解読するのも実は大変なんだよねぇ
★参考~当bォgにおける大西清右衛門さん関係
2010年5月 『風炉を楽しむ』
2009年11月 『千家十職 大西清右衛門家の釜と金工-茶の湯工芸の伝統と創造-』『寺院ゆかりの茶の湯釜』
2009年5月 『開館十周年記念 釜師 大西清右衛門の目 それぞれの所蔵品から』
2008年10月 『開館十周年記念 釜師 大西家歴代展』
2008年3月 『風雅-茶のなかにみる意匠』
2007年11月 『茶人と釜』
2008年11月 『千家十職 釜師 十六代 大西清右衛門展-襲名十五周年を記念して-』(日本橋三越本店)
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翌日はいきなり気温が10度くらい下がって、びっくり。
短時間の大雨もたまたま外を歩いている時に襲われ、全身ずぶ濡れに

ホントに最近の気候は異常です。
このまま、秋をすっ飛ばして冬が来てしまいそうな。
さて、しばらく検定がらみで“迷走”していた当blog、本来の姿に戻したいと思います。
検定ネタから当blogへお越しいただき、閲覧の御常連になっていただいた方も多いと思いますが、
本来は「茶の湯の展覧会を見た感想を綴る~」のが当blogの主旨ですので、
答え合わせ終わっちゃったからとお見捨てにならず、今後とものぞいていただければと思います。
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「茶の湯釜にみる朽ちの美」 大西清右衛門美術館
※12月23日(木/祝)まで サイト
秋の茶の湯展フリークは10月もしくは11月に行ってきていたので、
9月のしかも残暑厳しい最中に巡るのは、体調的にも心理的にもキツいものがあった。
ましてや、名残の茶事の際の「やつれ風炉」に「やつれ釜」の展覧会

こんな暑さの中でみて堪能できるんかなぁ~と思ったけど、杞憂だった。
(偶然ながら、清右衛門さんの解説も聴けたし

展示室に入って、まず目に入るのが与次郎の鉄やつれ風炉。
古いし、その大きさと古さにビックリ。
でも“現役”らしい。
(広島で追悼のお茶会があった折り、砲弾から作った茶釜と取り合わせたそうな)
同じく“古さ”という点では、芦屋の甑口釜。
羽根が叩き落とされている。

とても大胆な叩き落とされ方なんだけど、一つ間違えれば釜に当たって壊れてしまう

でも、緻密に計算されたようにも見えるような。。。?
作った時に作者が故意に落としたのか、それとも後世の持ち主が落としたのか。
そんな質問を清右衛門さんにしてみたら、「そりゃー、知らんがなぁ

そうだよねぇ。。。変な質問しちゃったかなぁ。。。とシュンとしてたら、
ヒントをもらえた。
「叩き割った大きさが丁度いまの炉に納まるんよね」
つまり、この茶釜が作られたであろう室町時代はまだ炉の大きさが定められていなかった。
だから、大きな炉が切ってあった可能性もあり、それに合わせて茶釜も大きく作られた。
それが時代を経て、炉のサイズが決まり、昔より小さくなった。
だから、その時の持ち主が(炉の大きさに合わせて)羽根を叩き落した可能性が大。
ナルホド

古いものを再利用すべく知恵を絞った工夫が“朽ち”の風情となったのか。
古いといえば、天明の提灯釜も面白い。(足がついてる。モトは別のモノ?)
もとは寺院の湯釜だったと思われる鉄やつれ釜も、見事。
西村九兵衛の布団釜。
由来は利休が布団に包んだからとも、座布団に似ているからとも。
与次郎の大ぶりの鬼面風炉も迫力あったなぁ。
また、後世の職人が写したと思われる茶釜も興味深い。
欠け方も、かすがいの位置も“作為”に作られたと思われる感じがわかるという。
時代が下ると作為的にやつれさせなきゃ、風情が出ないというのいうのは、哀しいナ。
この11月に名残の茶事に参会する予定なので、やつれ釜もしっかり拝見したい。
ところで、この美術館を訪れたのはもう10日以上も前の話。

チラシの余白に一生懸命メモを残したおかげで、見ると記憶が蘇ってくる。
楽美術館もだけど、個人経営の美術館は展示目録を配布していない。(経費節約か

それは仕方のないことだ。
だけど、ならばメモをとる見学者のために、余白もあるチラシにしてほしい。
デザイン的には凝ったチラシでカッコイイけれど、
以前はハガキのみで、チラシも刷ってなかったから、格段の進歩なんだけど。
涙ぐましいメモ、現地で書くのも、後から解読するのも実は大変なんだよねぇ

★参考~当bォgにおける大西清右衛門さん関係
2010年5月 『風炉を楽しむ』
2009年11月 『千家十職 大西清右衛門家の釜と金工-茶の湯工芸の伝統と創造-』『寺院ゆかりの茶の湯釜』
2009年5月 『開館十周年記念 釜師 大西清右衛門の目 それぞれの所蔵品から』
2008年10月 『開館十周年記念 釜師 大西家歴代展』
2008年3月 『風雅-茶のなかにみる意匠』
2007年11月 『茶人と釜』
2008年11月 『千家十職 釜師 十六代 大西清右衛門展-襲名十五周年を記念して-』(日本橋三越本店)
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