★野村美術館 サイト
春季特別展『書を愛でる 茶の湯の掛物』 ※(後期)6月5日(日)まで
泉屋博古館を出たところで、正午前。
哲学の道に向かう角の喫茶店で昼食休憩。
(以前なら、食事もそこそこに美術館のハシゴを優先していたものだが、少し変わったナ)
楽美術館へは行かずに、野村美術館へ向かった。
当初は立ち寄るつもりはなかった。
理由は単純。
「茶掛って、よくわからない~」から。
展示室に入ると、予想通り文字は「?」だったけれど、
でも、点数が少ないから気持ちも楽になって、
「点数が少ない、一つ一つじっくり鑑賞しよう」という気になった。
で、まずは一番奥の畳の上へ。
3点あるうちの一つ、後水尾天皇筆の大聖寺宛書状が興味深かった。
後水尾天皇といえば、江戸時代初期の方で三代将軍・家光の妹(お江の方の末娘・和子)が中宮にたったことでも知られる。
茶道的にいえば、和子中宮が東福門院となってから千宗旦と親交があった~という印象の方が強い。
あと、後水尾上皇となってから修学院離宮を造営された。
なので、ついつい“勝手に親近感”を持ちつつ、書状を見入る。
あれ? 「お手紙」なのに、歌切みたい。 あちこち文章が飛んだ配置になっている。
説明書きをみると、一番めの文章は右から二つ目の下部分、二番目はその左上、三番目はその左下。
だけど、四番目は一番右側の下で五番目はその上で…
これ、もらった側は読めるのかなぁ?
宛名は「大聖寺」とあるけど、要するに門跡に入った娘に宛てた父親からの文。
内容も(文章を)つなげて読めば、いたって差しさわりのないもの。
パズルのようにつなげて読解させる遊び心か、はたまた暗号のように隠された意味があったのか。
いずれにしろ、茶席の本席に掛けたら、話が弾みそう。
左側は「歌切」。
内容は読めないから、もっぱら「字面」と料紙を鑑賞。
寂蓮筆の熊野懐紙。 後鳥羽上皇の熊野詣の時? 加賀前田家に伝わった~
「竜田切」とは流水と紅葉が下絵に散らしてある料紙に書かれた和歌だから~
「烏丸切」とは烏丸光広が所持したから~
あと、藤原成経筆の「三首懐紙」も興味深かった。
成経サンは鹿ケ谷の陰謀に絡んで鬼界島に流された3人の一人で
1年後に許されて戻ってきた。
その還って来られた喜びを詠んだ3首。
その喜びはなんとなくわかる。
流された3人のうち、2人は1年後に許されて戻って来れたが、
1人だけはそのまま鬼界島に取り残されたまま生涯を終えた。
それが俊寛というお坊さん。
右側は「墨蹟」。
こちらは少しわかる。
重文指定の宗峰妙超筆の白雲偈頌。迫力がある。
でも、無準師範筆の「茸」一字の方の方がわかりやすくて好き。
とくに気に入ったのは玉舟宗璠の「放」一字。よいなぁ。
中央は松花堂昭乗の詩歌巻。
左右とも掛物の間に茶道具が申し訳程度に展示されていて、それがビミョーだった。
青磁の珠算花入。(下部の膨らんだ部分が算盤の珠の形だから)
一入作の黒楽茶碗。
光悦の文庫車蒔絵硯箱。
蕎麦茶碗。(←17世紀、朝鮮半島)
清巌宗渭手造の茶碗、卍の大香合。
おそらく、掛物と何らかの関連はあるのだろうけど、中途半端な気がした。
茶席飾は初風炉な感じ。
春屋宗園筆の一行書「薫風自南来」。
西村道也の卍地文切合風炉。
左入の黒楽平茶碗。
菓子器は存星八角縁毛織盆。 存星はやっぱり難しい。
と、1階の展示室はこんな感じだった。
しかし、野村美術館の展示はこれだけではない。
最近、楽しみにしているのは地下の所蔵品展の方。
(むしろ、地下が何かをチェックしてから訪れるかパスするかを決めている)
さて、今回は…
★野村美術館バックナンバーリスト
2015年10月 『没後70年 野村得庵展 -ある近代数寄者の軌跡-』(前期)
2015年3月 『高麗茶碗』(前期)
2014年11月 『大名道具の世界 -茶の湯と能楽-』(後期)
2014年9月 『大名道具の世界 -茶の湯と能楽-』(前期)
2014年5月 『利休・剣仲・織部の時代―天正から慶長の書と茶陶―』(後期)
2013年10月 『開館30周年記念名品展』(後期)
2013年3月『茶人のあそび心 形物香合番付の世界』(後期)
2012年11月『茶碗 名碗展』(後期)
2012年3月『「かな」の美」』(前期)
2011年12月『錦秋のころ』(後期)
2011年10月『錦秋のころ』(前期)
2011年5月『唐物』(前期)
2010年11月『一楽 二萩 三唐津』(後期)
2009年11月『楽家の歴代展』(後期)
2008年10月『開館25周年記念 館蔵名品展』(前期)
2008年5月『高麗茶碗への挑戦』(後期)
2007年11月『懐石のうつわ』展(後期)
春季特別展『書を愛でる 茶の湯の掛物』 ※(後期)6月5日(日)まで
泉屋博古館を出たところで、正午前。
哲学の道に向かう角の喫茶店で昼食休憩。
(以前なら、食事もそこそこに美術館のハシゴを優先していたものだが、少し変わったナ)
楽美術館へは行かずに、野村美術館へ向かった。
当初は立ち寄るつもりはなかった。
理由は単純。
「茶掛って、よくわからない~」から。
展示室に入ると、予想通り文字は「?」だったけれど、
でも、点数が少ないから気持ちも楽になって、
「点数が少ない、一つ一つじっくり鑑賞しよう」という気になった。
で、まずは一番奥の畳の上へ。
3点あるうちの一つ、後水尾天皇筆の大聖寺宛書状が興味深かった。
後水尾天皇といえば、江戸時代初期の方で三代将軍・家光の妹(お江の方の末娘・和子)が中宮にたったことでも知られる。
茶道的にいえば、和子中宮が東福門院となってから千宗旦と親交があった~という印象の方が強い。
あと、後水尾上皇となってから修学院離宮を造営された。
なので、ついつい“勝手に親近感”を持ちつつ、書状を見入る。
あれ? 「お手紙」なのに、歌切みたい。 あちこち文章が飛んだ配置になっている。
説明書きをみると、一番めの文章は右から二つ目の下部分、二番目はその左上、三番目はその左下。
だけど、四番目は一番右側の下で五番目はその上で…
これ、もらった側は読めるのかなぁ?
宛名は「大聖寺」とあるけど、要するに門跡に入った娘に宛てた父親からの文。
内容も(文章を)つなげて読めば、いたって差しさわりのないもの。
パズルのようにつなげて読解させる遊び心か、はたまた暗号のように隠された意味があったのか。
いずれにしろ、茶席の本席に掛けたら、話が弾みそう。
左側は「歌切」。
内容は読めないから、もっぱら「字面」と料紙を鑑賞。
寂蓮筆の熊野懐紙。 後鳥羽上皇の熊野詣の時? 加賀前田家に伝わった~
「竜田切」とは流水と紅葉が下絵に散らしてある料紙に書かれた和歌だから~
「烏丸切」とは烏丸光広が所持したから~
あと、藤原成経筆の「三首懐紙」も興味深かった。
成経サンは鹿ケ谷の陰謀に絡んで鬼界島に流された3人の一人で
1年後に許されて戻ってきた。
その還って来られた喜びを詠んだ3首。
その喜びはなんとなくわかる。
流された3人のうち、2人は1年後に許されて戻って来れたが、
1人だけはそのまま鬼界島に取り残されたまま生涯を終えた。
それが俊寛というお坊さん。
右側は「墨蹟」。
こちらは少しわかる。
重文指定の宗峰妙超筆の白雲偈頌。迫力がある。
でも、無準師範筆の「茸」一字の方の方がわかりやすくて好き。
とくに気に入ったのは玉舟宗璠の「放」一字。よいなぁ。
中央は松花堂昭乗の詩歌巻。
左右とも掛物の間に茶道具が申し訳程度に展示されていて、それがビミョーだった。
青磁の珠算花入。(下部の膨らんだ部分が算盤の珠の形だから)
一入作の黒楽茶碗。
光悦の文庫車蒔絵硯箱。
蕎麦茶碗。(←17世紀、朝鮮半島)
清巌宗渭手造の茶碗、卍の大香合。
おそらく、掛物と何らかの関連はあるのだろうけど、中途半端な気がした。
茶席飾は初風炉な感じ。
春屋宗園筆の一行書「薫風自南来」。
西村道也の卍地文切合風炉。
左入の黒楽平茶碗。
菓子器は存星八角縁毛織盆。 存星はやっぱり難しい。
と、1階の展示室はこんな感じだった。
しかし、野村美術館の展示はこれだけではない。
最近、楽しみにしているのは地下の所蔵品展の方。
(むしろ、地下が何かをチェックしてから訪れるかパスするかを決めている)
さて、今回は…
★野村美術館バックナンバーリスト
2015年10月 『没後70年 野村得庵展 -ある近代数寄者の軌跡-』(前期)
2015年3月 『高麗茶碗』(前期)
2014年11月 『大名道具の世界 -茶の湯と能楽-』(後期)
2014年9月 『大名道具の世界 -茶の湯と能楽-』(前期)
2014年5月 『利休・剣仲・織部の時代―天正から慶長の書と茶陶―』(後期)
2013年10月 『開館30周年記念名品展』(後期)
2013年3月『茶人のあそび心 形物香合番付の世界』(後期)
2012年11月『茶碗 名碗展』(後期)
2012年3月『「かな」の美」』(前期)
2011年12月『錦秋のころ』(後期)
2011年10月『錦秋のころ』(前期)
2011年5月『唐物』(前期)
2010年11月『一楽 二萩 三唐津』(後期)
2009年11月『楽家の歴代展』(後期)
2008年10月『開館25周年記念 館蔵名品展』(前期)
2008年5月『高麗茶碗への挑戦』(後期)
2007年11月『懐石のうつわ』展(後期)
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