ちくわブログ

ちくわの夜明け

連合赤軍を巡る 【1】 スナックバロン・植垣さん

2010-11-25 07:00:10 | 映画制作
前回、前々回と静岡について書いてきましたが、わたしが静岡に行った理由は「おでん」でも「ガンダム」でもなく、元連合赤軍兵士・植垣康博さんに会うためでした。


植垣さんについて少しばかり。
植垣さんはもともと静岡の出身ですが、地質学への興味から弘前大学へ。
ここで全共闘運動に身を投じ、頭角をあらわした頃、赤軍派と接触。メンバーである坂東國男氏率いる「坂東隊」の一員となり、資金調達のためのM(マネー、マフィア。要は強盗行為)作戦を数々こなしていく。(植垣さん著の『兵士たちの連合赤軍』においては、ここらへんまで非常にあっけらかんと、明るい青春物語のように描かれている)

やがて赤軍派が革命左派(京浜安保共闘)と共闘、連合赤軍を結成するに至り山岳ベースへ合流。
同志殺しに積極的に関わり、最後は他3名と買出しに行った折、軽井沢駅において逮捕される。
この時すでに、「粛清・逃亡・逮捕」によって連赤メンバーは9名にまで減っていた。
植垣さんたち4名の逮捕後、残りの5名があさま山荘に立て篭もり、銃撃戦を展開することになります。


植垣さんと初めてお会いしたのは今年の5月に行われた「リッダ闘争38周年記念パーティー」において。
司会進行をしていた足立監督が、参加者にそれぞれ一言を求めたわけですが、その時わたしも求められたのです。
普段は大勢の前だと、緊張して何喋ってんだか途中で分からなくなるような小心者ですが、この時、なぜか言いたいことがスラスラと言えました。
たしか、以下のようなことを喋ったのだと思います。


「70年安保を中心とした学生運動のドキュメントを撮りたいと思っている」
「ある人に『君はなんだ。興味本位か』と言われた。それをみなさんに言われたらおしまいだが、それでもやらなければならないと思う」
「思想的なことは抜きにして、皆さんがやったことは歴史的に意義があることだと思う」


この時、向かいの方に座っていた若松監督(『実録・連合赤軍』『キャタピラー』)が「そんなもん、興味本位でいいんだ!!」と叱責交じりに檄を飛ばしてくれました。

「興味本位でいい」

今日に至るまで、この一言がわたしをどれだけ奮い立たせたか知れません。


話が終わると、5人くらいの方が名刺を渡しに来て下さり、その中に、植垣さんもいました。

もちろん以前から名前やプロフィールは存じ上げており、こちらから名刺を渡して取材のお願いをしようとも思っていました。
これは願ったりかなったりだ、と取材の申し込みをさせていただくと、すんなり「いいよ」。

そしてアウトサイダーアート展でもお会いし、改めて、ちゃんとお願いしよう、ということで今回植垣さんの経営されている『スナック・バロン』にお邪魔した、というわけです。

当日はあいにくの雨降り。
7時開店とのことなので、少しコーヒーなど飲んで暇をつぶしてから、市役所近くにあるというバロンを目指しました。

駅からやや歩き、市役所を見つける。
この近くか、とキョロキョロしながら向かいの雑居ビル郡の看板を見回すと・・・

あった。

ふしぎな酒場 スナックバロン。


中に入るとけっこうな雨のせいか、客はおらず。このまま0時過ぎまで、ずっと二人でお話させていただけました。
ちなみにいつもこうかと言うとそんなことは無く、わたしが前もって電話したときは非常に忙しそうで、二度にわたり「ゴメン、今はちょっと忙しいからあとで!」となりました。

「僕のこと、おぼえてますか」
そう聞くと植垣さんは「ああ、なんとなくね」とのこと。とりあえず生中を頼み、思い出してもらうべくアウトサイダーアート展で撮った写真を渡し、リッダ闘争38周年記念パーティーのことなどをお話しする。


ここからは覚えていることまで。
というのも、しっかり飲んでしまったため、記憶が曖昧なのです。また、話が非常に興味深く面白い。話しているとお酒がうまくなる。
植垣さんはそういった人柄の方です。

以下、メモを頼りに。




連合赤軍事件は、挑戦して失敗した世界である。

森氏・永田さん・坂口氏らに対し、恨みは持っていない。
しかしその後の裁判ではもっと頑張れたのではないか。(※1)

殲滅戦とは
相手の戦闘能力を無くすこと。殺すことではない。それが何時の間にか殺すことになってしまった。

革命を、起こした後どうするか、なんてことは考えていなかった。
後は誰かがどうにかしてくれるだろう、と。とにかく革命を起こさねば、という気持ち。

植垣さんをオルグした梅内さん
大阪のどこかにいるらしいが、詳しくは不明。別に隠れてるわけじゃないんじゃないか、と。

進藤さん(坂東隊の一員。総括により死亡)のお連れ合いだったMさんについて。
元芸者さん。
連赤事件後はタクシーの運転手と結婚。しかしその方は労働組合のリーダーをやっていたため、会社の雇ったヤクザに殺される。
現在は大阪の某所に。

ダッカ事件で日航機に乗り合わせていた乗客がバロンに来たことも。
ハイジャック時、丁寧な物腰だった実行メンバー(日本赤軍)たちに「なぜこのような人たちがテロをやるのか」と疑問に持ち、その話を聞きたく、植垣さんを尋ねた。

『実録・連合赤軍』について
植垣さんとしては不服。若松監督の思いが強すぎる。『レッド』の方が余計な演出もなく、事実に忠実である。(※2)

今、語ることは辛いか。
ぜんぜんそんなことはない。

逮捕された時の映像。すごい怖い表情だったが。
あれは凍傷で足が痛かった。(※3)

不屈というか、極限状態でも常にポジティブだが・・・(総括要求されても、最初は笑ってごまかしていたほど)
基本的に目の前の問題に常に前向きに取り組む。挫折とは無縁。

本であまり描かれなかった部分。死臭について。
それはもう、ひどいもんだった。(※4)




以上です。

(※)についての補足。
(※1)連合赤軍の指導部・トップの3人。
リーダーであった赤軍派の森恒夫氏は、永田さんと共に逮捕された後、自らの犯した過ちに耐え切れず拘置所内にて73年1月1日自殺。
ナンバー2的立場で、森氏と共に同志粛清体制を敷いた革命左派・永田さんは、逮捕後数々の本を上梓。死刑が確定しているも、現在病床にて重度の意識障害と危篤を繰り返す。
かつて永田さんと事実婚状態にあったナンバー3の革命左派・坂口氏はあさま山荘で最後まで銃撃戦を闘い、逮捕後は手記や歌集を執筆。死刑確定。

(※2)若松監督が粛清で殺された遠山さんを物語前半の主人公としたのは、彼女が監督自身の作品『赤軍 - PFLP 世界戦争宣言』の上映運動を担う一員だったから。(本人談)
この上映運動のメンバーには、後にリッダ闘争で銃撃戦を行う岡本公三氏も含まれている。
あらゆる面において「監督の思いが強くなる」のは仕方のない事だと思う。映画は映画なのだから。一方で当事者として一言があるのもまた、仕方のない事ではないでしょうか。その意味で極めて地味だが作品としてものすごく尖っている『レッド』(山本直樹先生によるイブニング連載・連赤事件をモチーフにした漫画)を推すのは必然かもしれない。

(※3)この映像、2:59付近に若き日の植垣さん、逮捕直後の様子が。

こわい。

(※4)なぜこのようなことを聞いたかというと、植垣さんの『兵士たちの連合赤軍』においては、極めて整然とした文章で総括とそれによる死の様子が描かれている。
これは反省的な文章を避け、事実をありのままに読んでもらいたい、という思いからですが、実際に総括を受けた方々は縛られた上にいわゆる「垂れ流し」を強いられ、ボコボコにされて死んでゆく。
このような凄惨な状況で「臭い」があまり語られないのが個人的に不思議でしょうがなかったからです。おそらく麻痺していた、というのもあるとは思うのですが・・・
植垣さんたちが逮捕された原因のひとつに、駅の売店員が感じた悪臭というものがあるのですが、これはおそらく死臭もまざっていたのではないか、と思います。



わたしはこの後吐くまで飲み、フラフラで宿に戻りました。



余談ですが、何かのキッカケで「隣駅のガンダム観にいってました」という話になりました。

ガンダムと言えば思い出される何人かの方々のうち、キャラクターデザインで今も漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を連載している安彦良和先生。
彼は弘前大学時代の植垣さんの先輩にあたり、学生運動(反戦委員会)のリーダーを務めていました。
後にそれが原因で除籍処分を受けるそうですが、植垣さんの著書『兵士たちの連合赤軍』によると
「元民青の幹部で、今日でこそアニメーション映画で活躍しているが、その当時は、多くの学生から信頼されていた活動家だったのである」
とのことです。



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6 コメント

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今更ですがw (メル斗)
2010-12-08 20:16:18
静岡に行った理由は、ガンダムでもおでんでも
ましてや本当の母親に会うためでもなかったんですねw

スナックバロン、俺の思ってるイメージと
大分違うんだよなぁ
もっとなんつーか場末的なところを想像してたんですけどねw
あ、でも植垣さんはまんまですね、まんま。
「不思議な酒場」なんて書いてあると
まったく偶然入った事情を知らないお客さんは何が不思議なの?髪型?
ってなりますねきっと。

植垣さんも自分が語ることで
自分自身にも事件を風化させないよう
にしてるとも思いますよね。
そしてなにより忘れることはできない体験とはいえ
記憶力ってのが凄いなぁと本を読むと
思っちゃうんですよね。
総括や死臭ですか…
戦地では無秩序化してしまうようなもんで
やはり当時はいろいな意味で「麻痺」してたんでしょうか。

まあとにかく行ってみたいですここ
というより会ってみたいです植垣さん。
返信する
Unknown (赤目)
2010-12-09 20:55:03
実はそうなんでした。
おかあちゃんは見つかりませんでした。

僕も場末な感じをイメージしていたんですが、数年前お店を今の場所に構え、広くて綺麗になったようです。
植垣さんはイメージ通りですね。すごいあけすけな方。

髪型って・・・髪ないww

なんで「不思議」なのかは不明ですが、政治的なことが語れる場にしたい、と思ってらっしゃるようです。
ロフトみたいな趣味的文化的な側面からではなく、純粋に酒を飲みながら政談できる場。
それが市役所のまん前にあるっていうんだからすごい。
しかしながら公カンケーのお客様は来ないようです。


>>植垣さんも自分が語ることで
自分自身にも事件を風化させないよう
にしてるとも思いますよね。

犯した過ちが大きすぎて、死をもって償えるものでもなく、これを明らかにする責任がある。そういう覚悟が出来てるんじゃないかなと感じました。
一方で調べれば調べるほど森さんは死ぬべきじゃなかったなーと思います。死んで跳躍なんかできないでしょ・・・と。
永田さんが卑怯と言ったのも分かるような気が・・・

こんど是非一緒に行きましょう。
行くとき連絡しますね。
返信する
Unknown (メル斗)
2010-12-10 11:46:00
行くとき連絡お願いします!

森さんは逃げですよ、あれは。
わかっててやってわかっててジサツしたんですよ。
生きて語ってる人の方がどれだけ辛く
どれだけうちらにとって有難いかですね。
返信する
Unknown (赤目)
2010-12-10 21:00:10
了解です。是非!

そうですね。ありがたいと思います。
政治犯にとっての自死って、偶像を生んでしまう可能性がありますよね。
森さんの場合たしかに自分が言ったとおりの事を自分に跳ね返すと、死刑ってことになりますしねえ・・・
おっしゃるとおり逃げでしかなく、政治的な死とは全く異質なものになってしまったのが・・・それすら跳ね返ってきて自業自得。悲しいけどそう思います。
返信する
1972年琉大でも殺人があった (びせ)
2013-11-02 23:57:49
1972年沖縄・琉大でも中核派による殺人がありました。殺す相手は革マル派の幹部のつもりだったようですが、実際殺されたのはなんの関係もない一般の学生でした。中核派は自分たちの新聞に「今は戦時中で、彼(安里君と行った)は流れ弾に当たったんだ」と書いてあったそうです。当時現場にいた私の友人は警察から呼ばれ、裁判に赴き、「犯人は被告席の男だと証言した」と言っていました。彼の証言を聞いて傍聴席にいた女性が大きな声で「ワー」と泣き喚いたと言っていました。被告の彼女だったんだろうと言っていました。
返信する
日本の革命派は共産圏の実情をしらないのか (びせ)
2013-11-03 00:10:35
日本の革命派は共産圏の実情を知らないのか。ソ連でもウクライナなどで餓死者を出したというし、中国では毛沢東の大躍進政策で4000万人が餓死したという。北朝鮮ではかなり最近まで餓死が続いているという報道もある。一体共産政権のどこがいいというのだろうか。赤軍派も中核も、相当なリンチ殺人をやった。日本共産党もかつてリンチ殺人事件を起こしている。革命を起こせば世の中が良くなるという短絡にはとても賛同できない。正義の味方のつもりが、とんでもないことをしでかしたのである。実に悲しい。
返信する

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