愛讃窯のじょんならんわ

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自然から採取した土や岩で焼きものをしたり、たわいもない日常を綴っています

生命の詩

2017-10-01 18:17:10 | 日記
10月1日 さんでぇ〜 晴れ


標高200〜300くらいの山裾の森の中を歩く
今日も山の仕事

早朝は霜が降りて1℃前後、だいぶ冷えてきた
手を擦りながら山や木々、動植物に おはようと話しかける

灰色に見える森は入らない、感情が掻き乱される
その森は静かに眠りたいのだろう

明るい息吹が流れるような心地よい森がいい
感情や耳鳴りによる警告を無視して自分の算段で入ると多くの場合は怪我をする
僕は指が生えたから、まぁ良かったけど(笑)

大概、身体の方が反応を早く教えてくれる

動物以外来ることもない深い森でポツリ

人の手が入っていない森は生と死が混沌したように見えながら、いつも完璧なリズムで生命を織り成している

陽が登りはじめると血液が流れるように森も活気づいてくる

あ〜気持ちがいい

自然は僕の教師、焼きものも自然から学んだ

仕事しながら息をゆっくり吸う
スゥゥゥゥ…
徐々に徐々に深く長く呼吸する
フゥゥゥゥゥゥ…と、息を細く吐いて吐いて…全身を感じて呼吸する
たまに息を吸うことさえ忘れる

深く深くより繊細に、意識だけがあることだけに向けていく
意識の幅が広がり始め自然の気の流れを掴むと心が踊り始める

一枚の葉を見止め、その美しさに心を開いて感謝をのべるとき

顕微鏡を眺めるような、その美しさに吸い込まれて、最奥の美しさを触れる
やがて細いところから広いところを抜けた砂時計の様に、視界が開けて
森全体を望遠鏡でのぞくような鳥の目線が見えてくる

五感は冴え渡り、耳は遠く離れた動植物たちの微かな動きまでを捉え自然と一つとなる

動植物たち それぞれが独立していながらも、それぞれが繋がっていて
一人でありながら全体に連なる自分であって自分ではない巨大な生き物ように

美しさを知り、内奥に眠る 生命の根源に触れるとき
我々は自他という存在の境界線がなくなって、大きな一つの生命体となる

身体の中の赤血球や細胞のように
そこに理由は無く、それぞれがそれぞれの役割を果たし大きな生命の活動を花開かせている
そのような感じ

それが何なのかなんて、僕には分かりゃしない
ただ、そこでは石粒一つと僕とは同等であって全てが繋がり合っている
喜びの感動と感謝しか生まれない世界
それが自然(生命)なんだろう



かおっさんブログPhoto is Oneself

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