家鴨衛門不逞記

毎日は書けないので改題。

味のある誤字

2010-06-30 15:10:41 | Weblog
自分のことは棚の上どころか宇宙の果てぐらいに置いておかないと言えないが。

同音異義語で先頭文字が共通の場合の打ち間違いは確かに見つけづらい。
でも誤字なのは明白なのに意味が通ってしまうのが面白い。

よく発生しているのが「確率」と「謝る」。

「○○の確立で△△になるから」ってのが意外と多い。
前後の文から判断するに「確率」の誤字なんだが、100%○○にしたら△△になるのかな、と一瞬納得しかけてしまう。

「○○なのに誤らない」もよく見かける。
大概、○○部分には相手に非があるという主張を延々と述べているので「謝らない」の誤字だろうが、「その人はそれでも間違えないのか、へぇ」と得心しかける。

ブログなら取り返しもつくが、送信ボタンを押したが最後、取り返しがつかないもんもあるもんね。
推敲の遂行は重要ですな。
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処世術の一つ

2010-06-30 14:08:45 | Weblog
人に向かって厭味を言ったり、相手を見下すようなことをしてはいけないし
一度や二度、嫌なことを言われたぐらいで目を吊り上げて反論するのも大人げないように思う。

しかし、長い間、嫌な思いを味あわされてきて、疎遠になることでようやく心の均衡を保ってきたのに
相手側に困る事情ができた途端、「昔のことは水に流して~」などとおためごかしをいいながらすり寄ってくるのを許せるものだろうか。
「疎遠のままにするのが大人の態度」などとしたり顔で説く奴もいたが、
おまえは本当に苛立ちに歯噛みしながら輾転反側して夜を明かしたことがあるのか、と問いたい。
人に偉そうなことをほざく奴に限って、人の痛みなど知る由もないものだ。

相手がこちらを見下して暴言を吐くのなら
こちらが相手に反論するのは「同じレベルに落ちる」ことではない。
相手と同じ土俵に「上がった」だけのことだ。

あまり多くはないだろうが、こちらが下手に出ればつけ上がるヤツは確実にいる。
そういうヤツにはきちんとけじめを教え込まないと、こちらの神経が保たない。
こちらから向こうを避けるのではなく、向こうが近付かなくなるようにしなければならないのだ。

何度も煮え湯を飲まされた経験から学んだことはひとつ。
自分の態度をはっきりさせることに尽きる。
相手に罵られようが、無責任な外野にウダウダ言われようがひるまない。

窮鼠が猫を噛んだ以上、怯んだら噛み殺される。
逃げる道を捨てる覚悟をした以上、それを貫け。

人間関係なんて、いくらでも捨てられるし作れる。
過去の柵(しがらみ)に惑わされるな。
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言われているほどでもない

2010-06-19 09:04:40 | Weblog
長年愛用していたCRTがついに壊れ、
代替品で買った液晶ディスプレイはどうにも解像度が合わず、
仕事柄、画面の幅は結構重要な要素なのに、ワイド画面は余白がむやみに広がって見続けていると車酔いに似た気分の悪さが生じてくるため、
やむなく液晶ディスプレイを買い換えることにした。
代替品液晶ディスプレイの方が、買い取ってもらえるめどがついたってのもあるけど。

とはいえ、ワイド画面全盛の世の中で、縦横の比率が真四角に近いモニタは高い。
しかも、懐には寒風が吹きすさんでいるのでなるべくなら安く抑えたい。
でも、低価格帯の暗い画面を1日中見続けるのは耐えられん。

とりあえず、候補だけピックアップしておくつもりで
google先生のお導きの元、ネットの海をふらふらさまよっていたら見つかりました。
訳あり格安、58%引き。
店頭表示品だから、場合によっては即死するかもしれん代物。
とりあえず、通販はやってないので現物見にいきました。
お店はヨドバシカメラアウトレット川崎。

天気が悪かったので、JR川崎駅からアゼリアを通って京急川崎駅へ。
駅前をあがると「ヨドバシ通り」とかいう名前までついちゃった道を通って店頭へ。
店内はとっても閑散としていて快適です。

目当ての物がなかなか見当たらず、ちょっと悩みましたが無事発見。
どういう理由か知らないが、いやに画面が暗くみえるという欠点はあるものの
液晶に欠けもなく、外観にも目立つ傷や汚れがないので購入決定。
支払いと配送の手続きをした後、次の予定までまだ時間があったので少々店内を徘徊。

1~2年前のモデルなど、確かにやや「時代遅れ」感はあるものの、性能的には十分な品物が並んでるのに客がいない。
電子辞書なんか、プロ向けの5万円近くするモデルが60%OFFなのに誰も見てない。

ひところ「訳あり商品がバカ売れ!」なんて特集がTVで流されてたが
ありゃ、巧妙なマーケティング作戦の一環だったんだなと思う。
自分の「お得感」が人と違ってるのかもしれないが。

自分が買えなくなっても困るので、地味な存在のままいてくれる方が好都合ではある。
事業として成り立たないから止める、ってなられそうで怖いのだが。
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年相応の身だしなみ

2010-06-17 19:47:29 | Weblog
面倒なので化粧をせずどこへでも行く。
髪もさっとくくれば顔にかからないで済むような型にしていた。

思い立って年度末にバッサリ切ったらすこぶる評判がいい。
偶然ながら上手に切ってもらえたのだと、悦に入っていた。
でも、実際のところ、ほめてくれる人の本意は別にあったらしい。

作ってもらった髪型の都合上、洗いっぱなしというわけにはいかない。
洗った後に乾かして、翌朝セットしないと形がつかない。
自然に鏡に向き合う時間が増え、髪以外の「見苦しい点」もやや修正していた。

この結果、多少は見られる状態になっていたらしい。
「前は学生さんみたいだったものねぇ」と言われて思い当った。
(↑金とデリカシーがないので身なりを構ってない人だね、の意)

自分の顔を鏡で見るのも嫌いだったんだよね。今でも好きじゃないけど。
さすがに髪を伸ばしっぱなしってわけではなかったけど、それだけじゃ足りない。
最低限のことをしないと周りの人が不快に感じるってのもわかった。

でもなー。
メンドクサ。
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理系でも文系でも構わんじゃないか

2010-06-04 11:18:16 | Weblog
「理系だから」「文系だから」という言い回しをよくされた。
前回の勤務先の人員が社長の好みでほぼ理系出身者だったからかもしれない。

私も逑も「文系出身」だ。
しかし、私は文学、逑は経済で、「文系」でくくられても共通項はみじんもない。
せいぜい「ものを読むのは苦でない」「正解は1つとは限らない」ぐらいか。

コンプレックスの裏返しから相手を攻撃したくなるひとがどこにでもいるようで
相手がなんとなく持っている「文系のイメージ」ってやつに、私が合わない場合、
勝手に「理系認定」され、「文系出身」が発覚した途端、「騙ったな!」的に罵られたりする。
知らんがな、そんなん。学歴詐称なんかしてないし。
この算数のできなさからみても、理系のはずないじゃん。
算数が得意なら、編み物の割り出し計算で苦労なんかせんがな。

文系を評して「答えが1つじゃないなんて気持ち悪い」という輩をみると、
「あんたは自分の気持ちや考えがたった1つしかないのか?」と問いたくなる。
同じ言葉を言われたって、言ってきた相手や状況で受け止める感情は異なる。
同じ相手から同じような状況で言われたとしても、その時の自分の状態1つで受け止め方は変わるだろう。
そもそも理系の研究の場合だって、ある現象が発生する状況を”状況が変化しない条件を付けた上で”1つの答えを導き出すんじゃないのか。

ものすごく大雑把にいうなら、「理系の学問が解を求める」ものならば「文系の学問は近似値を求める」ものなんだろう。
文学のことしか知らないので、文学の作品研究に限って言うが、大体のやり方は以下のようになる。
恋の歌や悲しみの句を読んで、共感する人が多ければなぜ「共感できるのか」を考える。
なぜ作者はこの表現をするに至ったのか、類似の他の表現ではなぜだめなのか、ということを、作品形成時の作者近況や時代背景・風潮などを含めて検討し、
「作品中の人の心を揺さぶる条件」とはなにか、を探っていく。
探り当てた条件がこの作品または作者特有のものなのか、類似のテーマを扱った別の作品にも当てはまるのかを調べていくと「人のこころの動き」がなんとなくみえてくる。
厳密にみれば1つ1つ違うがまとめて見ればある傾向が見える、というのは理系の方の「実験結果のまとめから1つの結論を見出す」と同じことをやってるように見える。
つまり「学問の根幹手法に大した違いはない」ということ。

要は、相手の欠点をあげつらって鬼の首でも取ったかのように語るのはおやめなさいってこった。
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