忙中閑話

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富山での思い出 : ノーベル賞受賞の田中耕一さんのこと

2013-08-31 | 随想
 今週月曜日の朝日新聞で久しぶりにノーベル賞受賞の田中耕一氏を拝見した。
朝日新聞社主催で科学に興味のある若者対象に開催された「朝日知と学びのサミット」
というセミナーで基調講演を行ったという記事だった。基調講演のタイトルは「科学
での失敗を活かす」というものであった。

自分の体験談から、失敗を見逃さない目を持つこと(作り損ねた筈のサンプルを使った
ことが成功に繋がった)、異業種間で情報交換が必要なこと(電気専攻なのに化学で
受賞)、何事も一所懸命にやることが大切(本人がそうであった)であると説いていた。


田中耕一氏は富山の出身である。富山に’03年まで単身赴任していた経験があり
田中氏がノーベル賞を受賞した’02年は富山でも一躍大フィーバーとなった。
本人が驚くほどの唐突の受賞だったので当然と言えば当然である。

記事が掲載されたのは丁度、当時富山で集めたスクラップ等の資料を整理するため
スキャナーで資料を取り込み終わったところであった。なんというタイミングのよさ
なのであろう。

'03年6月に富山を離任するに当たり富山市内にある田中氏の実家まで行ってみた。
田中氏の実家は鋸の販売店だったか、目立て屋かを営んでいたが、田中氏の受賞後
に野次馬が集りすぎて周辺の商店街に迷惑をかけるということで看板が撤去されて
おり訪問者もなくひっそりとしていた。

富山は南は北アルプス、東は親不知で遮断され、西に抜けるにしても大阪・京都は
離れているのでいわば陸の孤島である。そのせいか、独特の文化というか風土を
持っているように感じられた。粘り強さは雪国のせいか。宗教心が強く先祖を大切
にするのは一向宗の盛んな土地柄か。核家族化している現在において大家族が多く、
また女性が働き者だから世帯あたりの所得は日本一だし住宅所持率も日本一。

実は田中氏は幼児のときに母親を亡くし、父親の兄夫婦に育てられたという。
兄夫婦は実子と分け隔てなく育てたので田中氏は大学入学の時に提出した戸籍謄本
を見るまでは実の親子とばかり思って育った。ショックの余り勉強に手がつかず
1年留年したというが、大抵のところだったら近所のものか、親類がずっと前に
陰口して知れることとなる。

他の兄弟もそのことを知っていたというが、やはり育ての母親がいかに優しかった
かということだろう。育ての母親は当然血が繋がっていない。
富山の人々が押しなべてそんな人柄であるように思える。
富山を離れて丁度10年になるが、いまだに懐かしくなる。


最後に、当時のスクラップの写しを添付。

受賞決定直後のフィーバー


連載記事~無名のメダル(読売)




連載記事~夢を抱いて



ストックホルムでの記者会見


県報




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