お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

有徳の君は音楽を以って人を楽しましめる

2009年11月10日 00時06分18秒 | 山車祭り
古代中国の兵法書「三略」に次のような一節があります。

「楽しみとは歌舞音曲の類ではない。一家や一族が集まって楽しみあう事、あるいは楽しんで仕事に励み、自分の村、町に愛着をもって住み続ける事、更には法律や道徳に喜んで従う事をいう。

 故に人に君たる者は、即ち(音)楽を作りて、これを節し、その和を失わざらしむ。

 故に有徳の君は(音)楽を以って人を楽しましめ、無徳の君は、(我が)身を楽しましむ。
人を楽しましむ者は久しくして長く、(我が)身を楽しましむる者は久からずして亡ぶ。」

 お祭を見に来て頂ける皆様、祭礼を口実にして、一家で楽しんでください。

 私は一介の囃子を楽しむ者ですが、同じ山車所属の仲間達、そして祭礼に足を運んでいただける皆様に楽しんでいただこうと励んでいます。
(ちょっと良い意味で、びっくりさせようと考えています)祭礼の仲間達が、「このお祭りの保存会に所属して本当に良かった」と想い、「三略」の有徳の君でいう人々を楽しませる事ができたなら、「お祭り」も皆様の記憶から消える事はありません。

 記憶から消えない、それはお祭の、発展を意味します。

 理想と現実はなかなか両立する事は難しいかも知れません。

 私の考えはきわめて幼稚であり、雲を手に掴むような途方のない、永遠のテーマかもしれません。それでも歩み続けたい。それだけの価値がある。

 長い記事になりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。

皆様が、楽しんでいただきたい、そう願いを込めて 某山車の一介の囃子方より


ちょうどブログを書き始めた頃、上記のような文章を残していました。昔のオレってこんな事考えていたんだ、でも今も変わらないんだよね、と一人感慨に耽っています。僕が唯一譲れない囃子方の哲学かもしれません。囃子を為す事によって、人を楽しませることができる、それってとても素敵なことじゃないのかなーと、今も考えているのですよ。

 今なら書いても問題ないでしょうが、名古屋市東区の筒井町で囃子方をやっております。縁あって「湯取神子車」の囃子衆として。もう20年近くたつのでしょうか。

 ちょうど小学校低学年の頃、神皇車の「帰り囃子」を聴いて、山車に乗りたい、囃子をやりたい、そう熱望しました。あの時の神皇車の囃子方の人がおられましたら、お礼を言いたいですね。お陰様で、違う山車ですが囃子に魅せられて、囃子の道を選びましたって。

 音楽を持って人を楽しませる。それは、ビートルズでもあり、マイケルジャクソンと同じかもしれません。(もちろん、次元は違いますが)音楽で人の「和」をつくる事ができるって素敵だと思いませんか?

 たかが囃子、されど囃子。囃子に魅せられたオレは今日も果てしない道を歩んで行く。笛の音を風に和して…



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