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進化する魂

フリートーク
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力はまず己を制するために、次に人を制するために使え。

2009-12-16 00:55:35 | 政治
「吉田ドクトリン」の呪縛 (池田信夫)
http://agora-web.jp/archives/843371.html#more


吉田ドクトリンについては、これまでもっぱら軍事費を節約する「軽武装」路線として論じられてきましたが、最近になって当時の公文書からいろいろなことがわかってきました。中でも驚くのは、マッカーサーが吉田に対して服部卓四郎を参謀総長として日本軍を本格的に再建するよう求めていたことです。ノモンハン事件やガダルカナルで日本軍を壊滅させた史上最悪の愚将が「新日本軍」のトップになっていたら、今ごろ日本はどうなっていたかわからない。吉田が激怒したのは当然です。

つまり吉田ドクトリンは、日本が軍と完全に手を切るための「冷却期間」を置く政策でもあったわけです。今では想像できないでしょうが、戦後しばらくは軍関係者の力は強く、服部は「旧軍復活案」なるものを書き、吉田を暗殺して鳩山を首相にするクーデタの計画まで立てました。吉田自身は日本が本当に独立したら自前の軍備が必要だと考えていましたが、服部のような陸軍の亡霊が生きているうちは許さない、という彼の判断は正しかったといえるでしょう。


これは鋭い着眼点だ。
偶然、先日NHKドラマの「坂の上の雲」を見てたら「戦争」と「組織」というものについて考えさせられ、日本の安全保障について思索を走らせていたところだったので、思うところをメモ的に述べたい。

池田氏の主張は、吉田茂の安全保障観は「戦争」を前提としなければ理解できないというものだ。
(現代人は戦争を知らない。知ろうともしていない。日本人が避けてきたことだから。)
今から70年ほど前、大日本帝国軍は日本という国家を「戦争」によって窮地に陥れた
戦争が不可避であったかには様々な観点よりの議論が多々あるため、ここでは評価をしない。
私は戦争が良かったのか悪かったのか、また不可避であったのかどうか、意見を表明しない。
ここでの論旨は、政府、軍の政策および戦略がいかにに貧弱で、無責任で、国民に対して傲慢不遜であったか、その一点に絞られる

戦後になされた先の戦争に関する一般的な認知度はこうである。
(おそらく、現代人のほとんどの人がそう答えるだろう。)


「アメリカの生産力・軍事力の質・量ともに日本のそれと比べて圧倒的で優位であるから、日本は勝てるはずもない戦争を行った。負けて当たり前であった。」


確かに、日本はアメリカに戦争で勝利することは、戦局がどう転んでも難しかったかもしれない。
がしかしだ。
「負ける」としても、よりよい「負け方」があった可能性を排除することはできない
少なくても、歴史が示す「日本の負け方」は、大日本帝国軍が国軍としての役割を果たすためではなく、労力のほとんどを自己正当化のためだけに消費して軍人の自尊心を守ろうとした結果、あまりに多くの犠牲を要したという意味で最低であった
そもそも、大日本帝国軍に属する将校が、国家に対する軍の意味をどの程度認識していたかについても甚だ怪しい。
彼らは国家の発展・防衛のためではなく、ただひたすら勝つことに固執して戦った
それも戦略らしきものを全く持たずに。合理ではなく精神論に固執した。
大日本帝国憲法の不備もさることながら、軍に軍の役割を自己認識させることができなかったという点で戦前の日本は野蛮国家であった。

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日本国民が一億玉砕を望んでいたのであれば、戦争の玉砕的終結を導く軍人は英雄かもしれない。
実際、当時の世論はそれを望んでいる「空気」に満ちみちていた。
しかし、結局、事後的にそれは人々が空気に合わせていただけという「病気」であることがわかった。
この「空気」こそが、時として日本的組織を蝕む「病原菌」なのである。
「空気」の問題は非常に根深く奥深い。
「空気」は暗黙知などとも関係するため、これを排除することは日本がハイコンテキスト社会であることを止めるということを意味し、多くの人には受け入れがたく、また受け入れるべきでもないと私は考える。
我々日本人はこの病原菌と共生する道を模索していくべきだ。
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特に帝国陸軍はひどく前時代的な文化を持っていて、近代戦に対応することがついぞ最後までできなかった。
その中でも日本陸軍に致命的なほど大損害を与えて後世に名を残すのは服部卓四郎や辻政信といった戦略参謀だ
(陸軍は軍司令官よりも参謀の方が強かった)
彼らは戦後も生き残り、性懲りもせず戦前の思想を引き摺り、吉田茂暗殺やクーデター計画を企てたりした。
このような服部卓四郎や辻政信という傲慢利己的な軍人の影響力を削ぐことは、戦後日本にとって非常に重要なことであった
(なんと辻正信にいたっては戦後、衆議院議員と参議院議員まで勤めている。最後はなんともフシギな最後を遂げられたが・・)

池田氏が言うように、吉田茂の時代には、日本が自前で軍隊を持つことが如何に危険であったかについて考慮されなければならない
自衛軍を持つか持たないかについて考えるとき、当時の日本の状況として、軍を制御するだけの近代的制御システムが整っていたのか、また情報操作に耐えうるだけの民度があったか、そこが重要項目だ。

「自分達の国は自分達で守る」

これは当たり前の発想だ。
だが、

「自分達の国を守ろうとして、自分達の国を滅ぼすことがある。」

ということもまた事実であり、それは過去において現実だった。
そういうところに日米安全保障条約の必然性はあった。

戦後、我々は「戦争」を直視することを避けてきたため、我々には「軍」の意味、性質、仕組みについての考慮が抜けている。
我々は「国を守る」ということの危険性についてもっと考えなければならない

そこを通って初めて日本独自の安全保障の話へと入っていけるのだ。


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