進化する魂

フリートーク
AKB48が中心。
気の赴くままに妄想をフル活用して語ります。

AKB48が終わる日

2011-06-15 22:33:39 | AKB48
AKB48のビジネスを分析したものの中に、国民的アイドルになったAKB48の今後の戦略として、上位メンバーと下位メンバーにレイヤーを分けて、上位メンバーは「会いに行けるアイドル」からの脱皮を図ることになると主張するものがある。
上位メンバーは国民的アイドルの顔としてシャワー効果(広告塔)を発揮するための存在になるのだと。

実にばかばかしい話だ。
「会いに行けるアイドル」ではなくなったら、それはもう「AKB48」ではない。
そんなことをしてしまったら、AKB48は終わりだ。
短期的には利益を得られるかもしれないが、長期的に見た場合、AKB48の破滅を意味することになるだろう。
AKB48の存在意義がなくなるからだ。
決して、その道に走ってはならない。


どの分野でもフリーハンド渡すと規模拡大の画を描きたがるのが人情というものだが、それではだめだ。
何のための規模拡大なのか。
「会いに行けるアイドル」を捨てるなら、それに変わるコンセプトの優位性について語らねばならない。

AKB48の基本コンセプトは「会いに行けるアイドル」だ。

もちろん、ただ会いに行けるだけではだめで、会いに行く価値があると思われなくてはならないし、その為には会いに行って楽しめることは絶対条件だ。
AKB48が「会いに行けるアイドル」を基本コンセプトにするなら、会いに行きたいと思ってもらえるよう努力を重ねる必要がある。
逆に、会いに行きたくなくなるようなことは、厳に慎まなければならない。
AKB48が全体として、また各メンバーが行う活動および繰り出す各種の策は、みなそういった考えに基づくものであるし、そうでなければならない。

基本コンセプトは決して踏み外してはならない。
基本コンセプトに反するものは、たとえ莫大な利益をもたらすものであっても採用してはならない。
基本コンセプトに反するものは、たとえどれだけ有力なメンバーであっても卒業してもらわねばならない。

上位メンバーが国民的アイドルになろうと、AKB48の広告塔として働いてもらうとしても、絶対に「会いに行けるアイドル」から離れてはならない。
もし、どうしてもやりたいのであれば「AKB48」の冠を外してもらわねばならない。
「AKB48の○○」は使ってはならない。
AKB48以外のものとして活動してもらう分には全く問題がない。

たとえば、1位に返り咲いた前田敦子さんが女優の仕事が増えて、いつか「AKB48の前田敦子」から「女優の前田敦子」として認識される日が来て、そして女優業に専念することになるようなことがあれば、AKB48から離れてもらう必要があるだろう。
「AKB48の前田敦子」である限り「会いに行けるアイドル」であり続けなければならない。
でも、これは各メンバーの理想のキャリアプランと一致すると思うが。

AKB48のマネジメントは、AKB48として「会いに行けるアイドル」から外れることは決してやってはならない。
もし、AKB48が「会いに行けるアイドル」でなくなったとしたら、それはAKB48が終わる日だ。




面倒なので詳しく述べる気はないのだが、勘違いされると困るので、念のためコンセプトの重要性について書いておく。

もちろん「会いに行けるアイドル」よりも素晴らしいコンセプトを発見したとすれば、軟体生物のようにそのコンセプトに乗り換えることも時には有用である。
永続的な組織の条件は、普遍的な基本コンセプトを持てるか否かである。
「会いに行けるアイドル」というコンセプトに普遍性がないのだとすれば、そのコンセプトを後生大事にしてもいつかは滅ぶことになる。

思うに「会いに行けるアイドル」はコンセプトのわかりやすさとしては申し分ないが、普遍性を表現するこはできていない。
秋元氏は「刺さるコンテンツ」を目指すコンセプトとして「会いに行けるアイドル」を提唱したわけで、厳密にいうと基本理念は「刺さるコンテンツ」の定義の方にかかっている。
それが何なのかについては、本人の言説がないので、ここでは取り上げていないが、本来は「会いに行けるアイドル」というコンセプトの基礎になる基本理念を中心に議論を進めるべきである。
まぁそこまで話しをしてもというのもあるし、語るのが面倒だというのが一番の理由である。
一般的には、このエントリの内容で十分であり、続きはまた今後したい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿