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進化する魂

フリートーク
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政治を直視する勇気が必要(政治とはトレードオフを前提とした調停システムに過ぎない)

2009-12-14 23:50:06 | 政治
ここ2回のエントリで民主主義についての意見を述べたが、頂いたコメントに返信を書いている内に、次に進む前に「政治」についてもう少し補足しておく必要性があると感じたので、ここでちょっと一呼吸置きたいと思う。

民主主義は最低かもしれないが、他のどれよりもマシである
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/31bed38fcbb14bc66063673dc77e0c53

我々が手にしたのは「政権交代」ではなく「民主主義」である
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/dfe970736075ccb96e27ee4328d9528c


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我々が何かに支配されるということは、
我々がその何かを必要とすることである。

必要とするということは、全ての欲求のはじまりである。

しかし、「生きる」ということは「必要とする」ということである。

我々が生きる限り、何かを必要とせずにはいられない。

つまり、我々は生きていく上で何かに支配されざるを得ない。

その性質をよく知り、うまく利用する人は、
人をよく支配するために、人によく求めさせる。

時として、己の不足を大いに主張して、
己のやるべきことを求めさせるだろう。

我々がそれに応えるとき、我々は支配される。

我々が真の民主化を望むなら、
我々は政治に何かを期待することをやめなくてはならない。
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そもそも、「政治」というシステムがなぜ存在するのかについて考える。

祭政一致の時代(例:古代日本)、コミュニティの重要な決定は、神意を伺い誤りの無きよう行われた。
人々を治めるには、先ず神々を祭り、それから政策を決定した。
神に仕えることを「祭り」と言い、天皇に仕え奉ることを「政事」と言った。

つまり、古代より「祭り事(政)」とは「政策決定」のことであった。
古代と現代の違いは、政策決定の判断根拠を「神」に求めるのか、それとも法律や科学に求めるのか、それだけであり、根本は変わらない。

では、なぜ「政」を行う必要があったのか
それは、判断に困ることがあったからである

なぜ困るのか
それは、利害が一致せぬことがあるからである

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皆が同じことを喜び、同じことに悲しみ、同じことに怒れるなら、政を行う必要はない
しかし、人間が一人ひとり異なり、そして自由がある以上、自分と誰かの喜ぶことに違いが生じ、そこに争いが起きる
法律などというものが存在せぬ古代には、争いの調停は神(を祭る神官)や長老によって行われた。
(ちなみに天皇は意味上では神官である。神ではない。)
教育水準が低くノウハウが口伝により伝承されるようなコミュニティでは、知見は限られた個人の属性であり、その特定の個人の裁量によって物事を判断することが最も合理的であった。
また、古代ではその場その場を生き抜くことが何よりも重要であったため、長期的な成長戦略などよりも、その時々に起きる環境変化に対応することが求められたので、生活の知恵や既成のノウハウが何よりも重要な知見であった。
(そんな人類の歴史を鑑みれば、我々に長期的戦略的思考法が先天的に身についていないのは当然)
大自然の脅威に生活を振り回される人類にとって、自然を司る神の重要度が、今よりも遥かに大きかったことは想像に難しくない。
(今では台風ですら一過性のものに過ぎなくなった。が昔は生活が破壊させられた。)
その神の言葉は、何よりも優先されるべきものとして、政という政策決定の決定的な根拠として示された。
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利害が一致せぬことがあるのは、人類としての必然的現実である
そして、その問題の「調停」機能が「政」である

では、神官や長老、政府などの「政」を行う「機関」が必要であった理由は何か
それは、個々人で調停を行うにはコストが高すぎるからである

これは想像するのが簡単だ。
コミュニティの構成人数が2,3人であったなら、調停機関は要らない。
直接個々人で話し合えば(喧嘩になるかもしれないが)事足りるからだ。
しかし、人数が10人、20人、、100人と増えていけばどうなるだろうか。
100人が関係する問題を100人で話し合うのは非常に骨が折れる作業である。
いや、もちろん可能ではあるし、そういう村は今でもあるだろう。
しかし、100人の意見を合わせることは簡単ではないし、難しい問題になれば議論が発散する可能性が高い。
皆が暇であればまだしも、それぞれの仕事に従事せねばならない場合、また教育水準が低い場合には、議論の熟成というものは永遠行われぬであろう。
参加者が1万人ともなると、もはや全員参加による議論は成立せぬものとなる。

このような状況を解決するのに手っ取り早いのが代表者を決め、その人に意思決定を委ねることだ
ここに、「政」という「調停」は、「意思決定者」という「調停機関」のものになるのである
ただし、その際、意思決定の根拠に皆が納得する必要が出てくるので、意思決定者にはそれなりの権威が必要であった。
昔であれば「神」や「軍事力」、今であれば「民意」であろう。

人類が拡大し、人口が増えると調停コストは益々増加し、そして取り扱うべき問題も同様に増加した。
こうなると、「調停機関」には相応の調停能力が求められるようになる。
調停に対する要求量が、数少ない意思決定者の処理能力を超えるのだ。
ここに意思決定者を補佐する「官僚組織」が出来る。
(官僚組織は意思決定者ではないので「権威」をまとう必要がないのもこれが理由)
その資金は調停を必要とする人達(国であれば国民)によって提供された。

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税金というのは一方的に取られるようなイメージがあるが実は違う
もともと自分達のために出資しているのである
でなければ「調停機関」に税をむしり取られてまで、彼らの言うことを聞く必要がない。
支配者と被支配者には、被出資者と出資者という関係が成り立つ。
これは想像しにくいかもしれないが、下記の事例がこの主張の正しさを裏付けている。
出資者たる被支配者が、被出資者たる支配者に愛想を尽かした時、支配者はすげ替えられる
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このようにして「政」を行う「機関」はできた

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軍事的対抗手段としての国家の成り立ちを主張する人がいるかもしれないが、それも利害の調停です。
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つまり、「政治」とは、もともと「利害の調停システム」のことなのである

その意味で、全ての政治的活動から利害関係を無くすことは不可能なのである
政治が利害調停システムとして、社会・市場に対して介入を行うシステムである限り、それは「政治」そのものが利害を伴なうものなのだから
極端にその役割を表現すれば「誰かが損をして誰かが得をするのが政治」である。
(三方一両損という考え方もある)

ゆえに、政治家の評価とは、その損失と利益とのバランスを社会と個人の両側から見てどのように取れるか、にかかっているのだ。
政治は時として、誰かを怒らせ、誰かを喜ばすものだ。
そうやって政治に振り回されるのが嫌だというのなら、我々は「政治に任せてはいけない」のである
我々がやらなければならないことは、政治に政治君主を求め歩くことではなく、利害の調停を誰かに委ねてはいけないのである。
皆がそれに気づいたとき、真なる意味での民主主義が理解されるときだと考える。


さて、ここ数回のエントリについてまとめよう。


現代における調停コストを考えれば「調停システム」としての「政治」は認めざるを得ない。
(無政府主義や夜警国家的な政府は望んでいる人はいるけれど。)
そして、「政治」が「調停システム」であるという性質上、政策によって誰かが得するとき、誰かが損をすることを意味する。
しかし、損得という感覚は相対的概念だから、損得を感じさせない政策は有り得る。
それがマヤカシなのか知恵なのかの評価はここではしないが、出資者としての国民の立場からすれば、政治にはより賢くあって欲しいと思うのが自然。
調停システムがよく機能するためには、参照される情報に不足があってはいけないし、また、一部のパワープレーヤーが調停システムに不平等に大きな影響を持つことを避けるためにも、より多くの声が上がることが重要である。
調停システムには公平で合理的であることが求められるので国家を代表する内閣(政府)が位置づけられ、より多くの声を拾い上げる機関として国会を位置づけ、その調整は裁判所(司法)によって行うのが、これまで人類が積み上げた知恵である。


最後に、我々が政治というものについてどう考えるべきか述べる。
(まとめを読むと自然と導かれるはずだ!)

どれだけの損失を許容するのか。
どれだけの利益を期待するのか。
そしてそのために、どういった調停を行うべきなのか。

つまるところ、当Blogのいつもの主張通り「トレードオフ」である。
このたった3行の問いが、日本の民主主義を変えるだろう。


備考:
古来より日本では「天下を治め人々を治めるには先ず神々を祭り、それから政事を行うべき」とされる。
日本の伝統は「祭政一致」と「神事優先」と言われる。
確かに、日本の政治をみると、政策決定の根拠は情緒論である。


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