山 時々里遊び

山三昧の日々とたまぁ~に里でのお話・・・

K2に憑かれた男たち

2016-12-15 10:02:06 | 山系
K2日本人初登頂は1977年8月8日。
今から40年近くも前だ。

初登頂者の重広さんとはお会いしたことがある。
向こうは知らないだろうけど。

重広さんと同じく2次アタック隊メンバーに選ばれたもののアタックを前に山を下りた森田勝。

森田勝は(私のイメージの中で)不遇で不屈のクライマーですごく興味を引かれる人物だった。
一般的に1次アタック隊ではなく2次アタック隊に選ばれたことを不服として山を下りたと言われているが、なんとなくしっくりこない物があった。

っで、この話が重広さんのK2の時と一緒だと言うことに気づいてなかった・・・
本屋さんでこの本を手に取るまで。


っで、この時のことが知りたくて買ってしまった。

是非読んで欲しい1冊です。
特にあとがきも。

そして思ったのは森田勝がアタックをせずに山を下りたのは一般的に言われているのとは、ちょっとニュアンスが違うのでは?と言うこと。
自分のプライドのために山を下りたように言われているが、もっとメンバーとか「あり方」とかプロセスに拘ったのではないかと思った。

この本を読めば分かりますが、このK2登山隊は日本的なと言うか官僚的なというか、しがらみにガチガチに囚われた登山隊だった。
「何が何でも登頂することを義務付けられた登山隊」と言ってもいいと思う。
「サムライ」と言われた新貝隊長の悲痛なまでの「突っ込んでくれ」と言う言葉からも分かるだろう。

森田勝が求めたのは「ヤマヤとしての山」
新貝隊長に求められたのは「登頂しなければならない山」
それだけでは言い表せないいろんな含みもあるだろう。
隊長の人物像から見れば隊員達を「二流登山家」と呼ばせないためにも「登頂」に拘ったのでは。

まあ、私なりの憶測です。
そして名前をあげていない隊員達もそれぞれの想いを持ち、K2と言う舞台を演じています。

また、この本の中で何より忘れられないのは、日山協幹部の「3人までなら殺してもいい」と言う言葉。
この国の組織の上層部と言うのはかくも自分たちの「名」のために「人命」を軽んずるのか。
こういう人々の存在が「特攻」と言う恐ろしい戦法が生むのだろう。。。


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2 コメント

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森田勝 (賢パパ@楽しみにしていた歯科健診から帰宅してこれからお昼寝)
2016-12-15 13:11:32
「狼は帰らず」ってのは確かこの人がモデルだったと記憶しています。

K2のことが書いてあったかどうか・・・もう一回読んでみますわ。

>「3人までなら殺してもいい」と言う言葉。

普通じゃ信じられませんがこういう人がいるんだよね~。

まぁ、昔の上司にも似たようなのがいたので驚きはしませんがねぇ。
狼は帰らず (ほーちゃん)
2016-12-15 21:56:09
そうそう、森田勝の生と死ですね。
グランドジョラスが印象深いかもしれませんが、森田勝の生涯を追ってますのでK2の話も載ってますよ。

賢パパさんもくれぐれも無茶はしないで下さいね。
里山でもケガしますので。

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