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アメリカ大統領選挙

2016-11-05 14:56:08 | 日記
前回から「ヒラリー・ショックに備えよ」というタイトルで、ヒラリー・クリント
ン政権が誕生した場合のアメリカの変化、そして日米関係への影響についてのお話を
始めています。今回もその「続編」をと思っていたのですが、ここへ来てトランプ候
補の支持率上昇というニュースが流れており、投票日直前の現時点としては「トラン
プ・リスク」について、一通り整理しておく必要が出てきたように思います。

 問題はFBIによる「ヒラリーのメール疑惑再燃」ということがあるわけで、一部
にはトランプが「全国支持率でヒラリーを1%上回った」という報道もあります。で
すが、私はトランプ当選の確率については、それほど高くないように思います。例え
ば、政治サイト「リアル・クリアー・ポリティクス(RCP)」による、「賭け屋予
想の平均値」では、ヒラリーが73・3%に対して、トランプ勝利は25.8%とい
う数字になっています。

 ですが、実際のところはもっと低く、現時点での情勢ではせいぜい15%か、それ
以下であると私は見ています。その根拠ですが、まず最新の「世論調査の全国平均」
による支持率の単純平均値(例によってRCPによる)は、

ヒラリー・クリントン・・・46.7%(▼1.4%)
ドナルド・トランプ・・・・45.0%(△3.1%)

 となっており、確かにトランプが差を縮めていますが(カッコ内は2週間前との
差)、まだヒラリーが上です。また、個々の世論調査においても、トランプ逆転とい
う数字はそれほど多くはありません。更に、現時点での情勢を踏まえての「選挙人数」
を予測して集計を行った数字ですが、こちらは、

ヒラリー・クリントン・・・297人(▼36)
ドナルド・トランプ・・・・241人(△36)

 ということで、ヒラリーは依然として当選ラインの270を確保しています。では、
同じ「RCP」の「トスアップあり」はどうなっているのでしょうか? 同サイトに
よれば、

ヒラリー・クリントン・・・224人(当選ラインまで残り46)
ドナルド・トランプ・・・・180人(当選ラインまで残り90)

 ということで、現在僅差となっている「トスアップ」は134となっています。で
は、ヒラリーが224を「固めた」というデータを前提にして、ヒラリーが「270」
に到達するにはどういうシナリオがあるのでしょうか?

 まず開票の順番の早い東海岸が焦点になります。ズバリ、

ヴァージニア州(投票締め切り7時)・・・・・・・・選挙人数13
ペンシルベニア州(投票締め切り8時)・・・・・・・選挙人数20
ノース・カロライナ州(投票締め切り7時半)・・・・選挙人数15

 の3州が焦点になります。どの州も僅差ですが、現時点での情勢ではこの順番でヒ
ラリーが当確を打っていくと、ノース・カロライナ州で当確が出たところで「全体の
当確」が出る、つまり224+48で270を越えることになると思います。

 そうなれば、オハイオ(選挙人18)、フロリダ(選挙人29)を落としても勝て
るということになります。一部には民主党優位のミシガン(選挙人16)、ウィスコ
ンシン(10)での番狂わせがあるという「説」もあり、そうなるとこの2州の締め
切りと開票を待たないと全体の当確は打てないということになりますが、その一方で、
フロリダ(29)ではヒラリーが盛り返しているというデータもあり、仮にフロリダ
で当確が出れば、その時点が全体の当確になるかもしれません。

 ところで、実際の投票は既に始まっていて、ヒラリー派の方が組織的動員で既に大
量に事前投票での集票をしているというデータもあります。また、これはあくまで個
人的な感触ですが、BREXITの際に「世論調査では離脱反対が優勢」だったが、
正式な投票では「離脱賛成」が多くなったという現象とは、反対の動きが起きるとい
う予測も可能です。

 つまり、直前の世論調査電話には「トランプ」と答えても、実際の投票行動では
「ヒラリーにしておく」というプラクティカルな行動を取る、アメリカ人のカルチャ
ーにはそうしたセンチメントがあるように思うからです。

 そんなわけで、賭け屋の予想が25%としても、私としては「トランプ・リスク」
の確率はせいぜいが15%、あるいはもう少し低く見て良いというのが現時点での結
論です。
 ただ、そうは言っても、15%のリスクがあるとしたら、そのリスクには備えなく
てはなりません。

 ちなみに、選挙結果について「大差」か「辛勝」かというのは、今回の場合は特に
選挙後の政治情勢に関して大きな問題にはならないように思います。というのは、

「ヒラリーは、仮に地滑り的に勝っても、就任前後は不人気からのスタートとなる」

「トランプは、僅差で敗けても文句を言うだろうが、大敗しても文句を言うだろう」

 ということが予想できるからです。更に言えば、

「ヒラリーは、大勝すれば堂々と自分の政策を実行するだろうが、僅差の勝利でも政
権浮揚を狙って早々に大きな仕掛けをする可能性がある」

「トランプは、たとえ僅差であっても勝てば世界中が大騒ぎになるだろう」

 というような政治的な「流れ」が推測できるからです。ですから、問題はあくまで
「勝負」の結果であって「勝ち方」に関してはそれほど神経質な分析をする必要はな
いのではないか、そのように思います。

 ちなみに、仮に敗北した場合のトランプですが、長女のイヴァンカを後継に据えて
政治活動を続行とか、長男のドン・ジュニアにはNY州知事選もしくは市長選への出
馬、あるいはティーパーティーのような「共和党の党内党」を率いて暴れ続けるとい
ったシナリオも報じられています。ですが、意外にその辺は「枯淡」であって、政治
には嫌気がして、というか飽きてしまってサッサと引っ込むという可能性もありそう
です。

 そんなわけで、個人的には現時点でも「ヒラリーが当選」して就任早々に「求心力
を高めるような大胆な施策」を打ち出す可能性を予測もしくは警戒をするのが、日米
関係や世界情勢を考える上では必要と思うのですが、とりあえず今回は「仮に15%」
であるにしても、決してゼロではない「トランプ・リスク」について考えておこうと
思います。

 一つのストーリーとしては、次のような仮説をもって臨むことが必要ではないかと
思います。

1)現在進行形のシリア、とりわけアレッポの情勢においては、ロシアとアサド政権
が改めて空爆を強化する中で、アメリカとしては反体制派への間接的な支援を終える
こととなろう。その場合に、反体制派が諦めて投降するか、あるいはダークサイドに
傾斜してアルカイダのザワヒリとの関係を取り戻したり、ISへの合流を視野に入れ
たりしても、トランプは「全てオバマのせい」だとして静観する可能性がある。

2)イラクのモスル奪還戦については、既に米兵の犠牲も出ている中で、米軍の関与
を減らす、あるいは軍事顧問的な派遣を完全に引っ込める可能性もある。

3)まず、1)と2)の動きが重要であり、そこで「トランプ次期政権の孤立主義は
ホンモノだ」となった場合には、ロシアは次の「テスト」として、NATO加盟国で
あるバルト三国の脆弱な部分に軍事的刺激をして、NATOの結束が崩れていること
の確認、トランプのアメリカが「本当にNATOへの関与に消極的になっているか」
の確認を行う可能性がある。

4)仮に3)の兆候が出てきて、しかもトランプの「超孤立主義」的な傾向が濃厚に
出てくるようだと、EUとりわけ独仏と米国の関係が動揺する、つまり米国に強く関
与を求めるモメンタムと、反対に対ロシアでより宥和的になるモメンタムの間で揺れ
るということがあり得る。

5)そのように中東の動揺が激しくなり、同時に欧州も動揺するとなると、世界的な
不透明感が濃厚となり世界同時株安ということも起きる可能性がある。そもそもトラ
ンプ当選の場合には、そこで一段大きく下げるという見通しがあり、さらに地政学的
リスクに不透明感が濃くなることでもう一段の下げという可能性である。

6)株安がある水準を越えて危険水域に入っていくと、世界的な需要衰退の兆候が出
て、中国経済が更に一段と危険な状況になるということが考えられる。経済が揺れれ
ば揺れるだけ、社会の安定のためには権力の集中が企図されて、潜在的な動揺度は蓄
積される中で、東アジア全体に不透明感が広がる可能性もある。

7)そのような中で、一つの危険性は中国が南シナ海や東シナ海で冒険的な行動を取
るよりも、「彼等の言う中国の内側」である香港や台湾への風圧を強めるという可能
性だ。そして、香港における民主主義の停止、台湾へのかつてなかったような圧力
(例えば大陸に近い離島への軍事的刺激)などが行われることで、トランプ次期政権
が「試される」という可能性はあるだろう。

8)そのような地球上での様々な「テスト」において、本当にトランプが静観する、
つまり「アメリカの関与や介入をしない」姿勢を取り続けると、国際社会においては、
一段と不透明感が強くなるであろうし、それは更に激しい株安や世界的な消費の衰退
という形となるだろう。

 ここまで書いてみて、さすがにそれでは「ディストピア的なSFファンタジー」で
はないかという気もするのですが、冷戦期の、あるいは90年代のアメリカが「世界
の警察官」であった時代以来、「地球上のあらゆる国際紛争については、アメリカの
軍事プレゼンスが暗黙の抑止力として機能」ということは冷厳な事実としてあったわ
けで、仮にそのファクターを全部消去してしまうと、そこには巨大な動揺しか残らな
いということはあるわけです。

 だからこそ、アメリカの五軍の将官クラスや退役将官の多くが「米軍はトランプの
指揮下に入るべきではない」ということを言っているわけですが、それでも仮に合衆
国大統領になってしまうのであれば、自動的に五軍の最高司令官になって指揮を執る
ことになるわけです。その場合に、本当に今まで言ってきたような「スーパー孤立主
義」を取るのであれば、本当に世界は動揺してしまいます。

 一つの可能性として言えるのは、実際に大統領に就任した場合には、「共和党系の
まともなブレーン」が採用されて、実際は現実的な軍事外交路線が選択されるという
ことです。ですが、問題は「そんな兆候はない」ということですし、それ以上に、こ
の1年半にわたってトランプが「全くブレずに吠えまくって」きた「アメリカ・ファ
ースト」という名前の恐ろしいまでの孤立主義に関しては「あれは全部おとぎ話でし
た」として否定はできないわけです。

 そんな「悪夢のシナリオ」の中で、日本としてはどう行動していったらいいのでし
ょうか? 異常なことをする必要はないと思います。むしろ「日本としてブレない」
ことが肝要になるのではないかと思います。具体的には、

ア)TPPを先に批准するというのは、全く悪いことではないしムダでもないと思い
ます。仮にトランプのアメリカが極端に保護貿易的になるにしても、その他の環太平
洋圏との経済関係は続くわけで、そんな中で日本は自由貿易の旗をしっかり掲げるこ
とは様々な効果があるからです。

イ)ですが、同時に「パリ協定」も批准を急ぐべきと思います。原発ゼロと矛盾する
からという「誰も口にしない理由」での消極性もあるのかもしれませんが、後述する
ようにG7のアメリカ以外の諸国との関係をより重視して行かねばならない中で、排
出ガスの削減において遅れを取ることは許されません。

ウ)ロシアとの良好な関係での外交を進めるのは問題はないと思います。むしろ、仮
にトランプが就任して「ロシアが積極的に行動する」とか、ヒラリーが就任して「シ
リアでロシアと対決する」というような環境変化が起きる前に、日本とロシアの懸案
事項には結論を出しておければ、それに越したことはありません。

エ)日韓関係は何としても改善しておかねばなりません。アメリカが超孤立に引っ込
んでしまう場合には、北朝鮮に対する抑止力として日韓の結束というのは非常に重要
なファクターになるからです。

オ)台湾と香港に「民主主義の否定」という暗い影が差していくのは何としても止め
なくてはなりません。仮にそうした意味合いでのアメリカのプレゼンスが限りなく消
えていくのであれば、日本はG6として、つまりカナダと欧州と連携して、中国にそ
のような野心を断念させるだけの外交的なバランス維持策に心を砕くべきと思います。

カ)だからと言って、日本は中国に対して「これまで以上に対決姿勢」になる必要は
ないと思います。日中関係は、現状維持、すなわち緩やかな改善の方向性で良いと思
います。その代わり、アメリカが口出しをしなくなる分だけ、中国に対して「構造改
革の要求」などは日本が率先して言っていくべきと思います。

 そう考えると日本は「仮にトランプ政権ができた」場合にも、大きく失うものはそ
れほどないことが分かります。例えば軍事費の負担要求が来るかもしれませんが、そ
れは現状でも過半を負担している以上は対処できる負担増です。また、現在進めてい
るロシア外交、対中対韓の関係改善といったものに影響があるわけでもありません。

 むしろ、「トランプの登場」によって、G7・G20における米国のプレゼンスが
減るわけで、その代わりに日本はG6の結束を背景に、G19における影響力を高め
る事もできるかもしれません。その意味で、世界の地政学、あるいは世界経済におけ
る「巨大なトランプ・リスク」に比べれば、日本の「トランプ・リスク」は計算も対
処も可能な範囲という言い方も可能ではないでしょうか。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)

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