山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

年も押し迫り

2007年12月29日 01時26分53秒 | Weblog
年内のガラクタものを整理しながら、プッチ-ニが自らいう傑作マノン・レスコ-CD4組聴いた。モナコ・テバルディ、カラス・ステファノ、パバ・フレ-ニ、ドミンゴ・フレ-ニ。ドミンゴの盤はシノポ-リ指揮で激ってるし、80年初めの録音はドミンゴの声が若々しく好感。マノンはテバルディが美しい。カラスはこのオペラじゃNO.1でなくこの中では最後だろうか。パパ盤はオペラ最後の吹き込みで、二人は声にトウがたってるが、聴けていけるのは彼らの実力だろう。今絶頂のラモン・ヴァルガスがチョイ役で歌っているのは面白い。マノン・レスコ-の映像を初めて見たのはグラインドボーン音楽祭録画だが、タイトロ-ルがデブで最後の破滅的4幕が白々しい記憶があった。録画は散失したがここで見ることができた。日本での公演は少ない。オペラはは顛末が大胆にカットされてて、元になった小説を読んでいないと解り難い。奔放マノンがミシシッピ住民の慰みものとして流刑され、ルア-ブルから船出にデグリュ-が懇願して乗り込むところから、荒地に迷い死にゆくところまでは、演技と歌の山場は今でもドミンゴが一番だろうか。
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故郷の想い出風景

2007年12月22日 16時09分14秒 | Weblog
兼六園下から小立野へ向かう坂。タクシ-の形から見て昭和30年頃か。右手の塀の中はその頃国立病院(旧陸軍病院)。その昔は前田家の家老、奥村家の上屋敷。奥村家は末森城の戦いで戦勲で二家あった。電車は記憶で昭和30年終りまで走行していた。子供の頃によく乗った。車社会到来で廃止の憂き目に。もう、金沢市内に入る車の量も緩和されたから、市内は車禁止で電車だけにしたら、すごく街並みがよくなるかも。
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下柚木は歴史が刻まれている

2007年12月19日 22時54分05秒 | Weblog
所用で下柚木へ出向いた。1時間半ほど待たされることとなったので永林寺へ見学に出かけた。中を一度も覗いたことがない。その前に、昼飯前だったのでお代は高いが、天然きのこがまだいけるので蕎麦屋、車屋へ行ったが、生憎休みだった。若い頃銀座で働いていたと自慢していた親父の近くのすし屋へ。回転全盛のの時代に1時半過ぎなのに混んでいた。ランチ料金でまずまず。さて、八王子の寺を代表する寺の門は3つもあり、三重の塔や羅漢・大きな仁王さんなどに加え豊川稲荷と写真の素材はあるが、何となくまとまりがない。寺院の奥には柚木氏の館の柚木城址がある。城址に上がると遠くに丘の上にある南大沢の首都圏大学が見える。城址には武相十郡の太守の大石定久公の石像がある。戦国大名の北條氏が関東を収めるまでの武蔵や相模の国などは、京都の歴史を背負う代理戦争やお家騒動の繰り返しで気が遠くなる。定久公は北條氏に家督譲るは戦国大名になれなかったということか。八王子、相模原、町田あたりは武田も上杉も小田原遠征で通過しているなどから、そのあたりを考えて散策するもいいかも。

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明日からNYメトロポリタンが映画館でライブ

2007年12月15日 15時43分30秒 | Weblog
朝、久しぶりにメトロポリタンのサイトを覗いたら、明日からHDでLIVEとあった。最初はロメオとジュリエットからでアラ-ニャとネトブレコのプリモテノ-ルにプリマドンナからだ。ライブは8演目まで決定。Guild Suport Member(USD125)からの会員が必須要件だが、日本ではライブじゃなくて、歌舞伎座で12月31日上映。プリモテノ-ルはロランド・ヴィラゾンになる予定だったみたいだが、アラ-ニャが代役か。指揮はドミンゴ。HDでなくても通常映像で家でごろ寝でライブなんてできればよい。そういえばその昔、衛星放送でドミンゴのリサイタルをライブで見たが、待たされるので臨場感があった。メト06-07年ハイライトを見たが、BSHiで放映もの。これを見てるとどこかのものは、学芸会かと落ち込む。
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軽い散歩のスタ-トでびっくり

2007年12月12日 19時50分19秒 | Weblog
日が暮れるのは早い。出遅れて日が傾く頃、戦車道路に出たら、散歩道とアスファルト道に落ち葉がここぞというばかりに、視界が枯葉だらけに。ここのところ手足のむくみで散歩時間を減らしているが、漢字そのものの意で「脾肉の嘆」になってしまう。ゴルフも、カ-トだから歩いて6~7千歩あればよいほうか、運動になっていない。明日は天候不順で寒そう。画像が続いて茶褐色に。
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最近は川歩きが多いが

2007年12月10日 17時32分36秒 | Weblog
昨日は、結婚式参列で八王子に流れる淺川縁に出向いた。懐かしの同席だった元職場女性を携帯で録画をしたが、録画ファイルを相手の女性にに添付メ-ルできない。携帯電話にはSDカ-ドはないし、赤外線転送と思えど・・・・パソコンから送ってやると約束したが・・・・購入するしかない。約束しなきゃよかったと「けち」な考え。「けち」ついでに2月「イーゴリ公」公演。3連日公演で毎回出演者が違う。どれがいいのか分からなく、悩む。ロシア歌劇は馬鹿にされてるのか、あまりなじまぬか、売れ行きよくなさそう。全部見ればいいのだろうが。9月にアップしたが、、ワレリー・ゲルギエフもマリインスキー劇場も得意なレパ-トリ-で有名なバレ-韃靼時人の踊り付。「けち」にはてんこ盛りに見える。
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もう本物はもう観ることがないだろう

2007年12月05日 19時05分12秒 | Weblog
昨日は何の特徴もないToreadorの歌を格安席で聴いた。ドン・ホセとカルメンは声はよかったから払った料金以上の内容でおつりが出た感じだ。帰りの電車でフトその昔見た、マドリッドの闘牛を想い出した。闘牛士は真剣勝負だが、こちらには「なぶり殺し」に見えた。初めは嫌がるご婦人達は、少しだけの時間と言いながら、血を見たら、帰る気配がなくなった。ツア-から殆ど闘牛観光が消えてしまった。休日と開催シ-ズンが決まってるからかいつでも見られるものでもないからか、それとも半日観光でお茶を濁したいからか。70年代初めは、スペインはフランコ総統の独裁下、夜間の治安体制が厳しく、一番楽しい深夜のフラメンコも帰りは気をもんだ。Toreadorはヘミングウェ-の小説の映画「日はまた昇る - The Sun also Rises」が印象的だった。この映画の風景、ホセ・アントニオ通りなどマドリッドの街の景色が70年代は残っていた。スペインは80年代初めにアンダルシアからリスボンの荒涼・殺風景な長距離をトラックに乗って駆けたのが最後か。
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冬へ向かう戦車道路

2007年12月03日 18時37分03秒 | Weblog
木の葉が路上に吹きどまる。もみじもそろそろ終りになるか。今月半ばに相模湖だが、錦色期待しているが、冬は早そうだから無理か。昨晩は星野JAPANが土俵間際の馬鹿力。釘付けになるか、今日は。出足次第だろう。地元、八百長賭博台湾は馬鹿にしたもんじゃない。NY・YANKEESには台湾出身の王建民ありだし。
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ゴルフで想い出した北京からの体験

2007年12月01日 14時04分24秒 | Weblog
遡れば9年前12月の30時間の耐久鉄道の旅、北京/香港鉄道の旅。今は10時北京出発となってるが、当時は朝7時北京発で香港は翌日午後1時半頃着の特急寝台車に乗った。京九鉄道といわれる。北京の"京"、九龍の"九"からがいわれだろう。コンパ-トメントで4人部屋。朝から親父4人でトランクを膝の上にのっけて、トランプの賭けを延々とやった。食堂車は、お世話になったが、中味は飯ぶっかけ中華よりやや上。食事はこれしかない。座席は1等だが国鉄時代の1.5等寝台。30年近く前にモスクワ-サンクトペテルブルグ間の"赤いXXX号"の上から落ちそうだった寝台よりマシか。脱線気味。列車から見る風景は寒々とした赤茶けた畑の連続。駅は下車なしで、僅かな数の弁当売りしかいない。長江渡る迄は本当に長くてシンドイ。トイレには一番閉口した。床が鉄板で、真ん中に穴が開いてるシンプル系、用を足したら鉄板の上に散水すれば終わりだが、体動かさず食べるだけだからトイレにお世話になりたいが・・・・・・・便秘気味になった。暗闇でも吐く息が白い北京から、半袖で快適な香港到着は、気の緩みか風邪引きになっていたが。飲茶の昼飯はビ-ルがドンドンいけた。当時の写真お蔵入りで、面倒だから中国のサイトからパクリ。しかし、中国は交通関係の情報は公開しない-----軍事国家だ。
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先週の日曜ゴルフ観戦

2007年12月01日 10時41分42秒 | Weblog
先週は目移りゴルフ観戦。同じ時間帯に3つ。日本男子・女子にWorld Cup。日本男子会場の高知の黒潮カントリ-は2年前に二日酔いでプレ-したことも。しかし、ここは広東の香港隣接の深圳で行われた世界戦=World Cupが面白かった。10年近く前に深圳でゴルフをしたことがあるが、貸し道具はブランド名が消された、どこかの委託製造品流用ものだった。各ホ-ルが世界各地の有名ゴルフ場の名物ホ-ルの模倣になっており、距離も表示より概ね長いが、結構面白かった記憶がある。世界戦は深圳のMission Hillsオラザバルコ-スだった。スコットランドの赤鬼組が優勝。夕闇迫る中、力と技の応酬はプレ-オフを3回で決着。久しぶりでプロゴルフが堪能できた。ファンであったフレッド・カプルスとデ-ビス・ラブⅢの最強組4連勝は懐かしい。日本は28組中25位は無様だ このト-ナメントは起源は『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。 1953年から毎年行われている国別対抗の団体戦で、国を代表する2人の選手がチームを組み、世界24ヶ国が出場する。最初は「カナダ・カップ」の名称。2000年から本大会は世界ゴルフ選手権シリーズに編入され、2005年から「アルガーブ・ワールドカップ」という名称に。金額は賞金ランキングに加算されない。2001年日本ゴルフ100年祭の最高潮をなすイベントとして「太平洋クラブ御殿場コース」に誘致された。この時はアメリカ代表として、世界ランキング1位のタイガー・ウッズと同3位のデビッド・デュバルが来日。アメリカ・チームは大会3連覇を逃したが、最終日の18番ホール(パー5, 517ヤード)でウッズが放った“ミラクル・チップイン・イーグル”は強烈な印象を残した。この時は4チームのプレーオフになり、アーニー・エルスとレティーフ・グーセンのコンビによる南アフリカチームが優勝した。日本チームは1957年に小野光一と中村寅吉のコンビで初優勝を飾り、日本の人々にゴルフを紹介する大きなきっかけをつくった。その後、2002年に丸山茂樹と伊沢利光のコンビがメキシコ開催の大会で日本チームに45年ぶり2度目の優勝をもたらした‐
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