トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

朝日新聞文化面のいれずみ公務員擁護論を読んで

2012-06-30 17:36:20 | 事件・犯罪・裁判・司法
 4日の朝日新聞朝刊文化面に、いれずみについての記事が載っていた。

刺青 長く深く浸透

魔よけの習俗 愛の誓い 欧州王族にブーム

 「TATTOO〈刺青〉あり」の公務員はありえない? 大阪市の橋下徹市長は、いれずみやファッションタトゥーを入れているか、回答義務つきで市職員に調査、配置転換も検討している。倶利伽羅紋々で人を脅す公務員など論外なのは言うまでもない。しかしいれずみ文化史は、意外に長くて広くて深かった。


 以下の記事を要約するとこんな感じ。

・熊本保健科学大学の小野友道学長は(皮膚科学)は1970年、返還前の沖縄で、何人ものお年寄りの女性の手の甲に美しいいれずみがあるのを発見した。魔よけや願掛けなどの針突き(はづき)という広く行われた習俗だったという。
・小野は熊本県でも、手首に小さな点をいれずみしている高齢の女性を診察することがある。イグサ刈りで手を痛め、ツボに針を入れる治療のための印、あるいは治療済みである確認のためだという。
・小野は古今の記録を調べて一昨年『いれずみの文化誌』を出版。日本最古のいれずみの記録は『魏志倭人伝』にある。
・橋下は「公務員のいれずみ=許されない」という得意の〈単純化〉で、「いれずみ職員は民間へ」と促す。だが、人はなぜ体に墨を入れるのか。小野氏によれば①他者を脅すという以外に②江戸時代の遊郭で始まった男女の愛の誓い③犯罪者への刑罰④絵柄自体の美しさに魅了(谷崎潤一郎『刺青』)⑤治療や癒しなど理由は多岐にわたる。「そのほかに自傷行為の場合もある。リストカットと同じ。いれずみは自分を助けてほしいという心の泣き声」と小野は言う。
・政治家のいれずみも珍しくない。チャーチルやF・D・ルーズベルト、スターリンにも見られた。小泉純一郎の祖父で逓信相だった又二郎にもあったとされる。
・ケンブリッジ大図書館日本部長の小山騰(のぼる)は、英王室を中心にヨーロッパ貴族社会で起きたいれずみブームを研究、『日本の刺青と英国王室』を一昨年出版した。明治初期、日本政府は野蛮な習俗としていれずみを禁止したが、逆に文明国の貴族には憧れの対象。わざわざ日本で彫るいれずみは大変な熱狂状態と報じられた。のちのジョージ5世とアルバート王子も1881年の来日時に彫っている。「いれずみを入れる、入れないは全く個人のこと。公務員がいれずみを入れているかどうかで大騒ぎするのは大人げない」と小山は言う。

 記事には、デンマーク国王フレデリック9世の上半身裸の写真が載っている。様々なデザインのいれずみがいくつも彫られている。1951年に米誌『ライフ』に掲載されたものだという。

 終わりの方の原文を引用する。

米国でも軍人や警察官などのいれずみは珍しくない。橋下氏のもう一つの得意技〈グローバル化〉の中で考えると、いれずみ調査自体が相当異質だろう。

弱さの象徴、糾弾意味ある?

 前出の小野さんは、いれずみを消す手術も数多くした。「体に異物を入れるいれずみは健康上よくない場合もあるので、医師としては決して勧めない」としたうえで、「いれずみは文化だ」とも断言。「単純化には意味がない。若いときに悩んで入れ、苦労してようやく正業に就けたのが市職員、というケースもあろう。今、糾弾する意味があるのだろうか。いれずみは人間の弱さの象徴。私は、入れてしまった人の側に立ちたい」と話した。 (近藤康太郎)


 なかなかよくできたいれずみ公務員擁護論だ。

 確かに、魏志倭人伝にいれずみの記述があった記憶はある。おそらくは、人類の歴史と共にいれずみはあったのだろう。「いれずみは文化だ」というのもそのとおりだろう。
 だが、それが何だと言うのか。
 問題なのは、現代の公務員、それも大阪市のような巨大都市の公務員に、いれずみが許されるかどうかという話ではないのか。
 そして、橋下が問題視しているいれずみは、小野が紹介しているような習俗としてのいれずみとは別種のものではないか。
 一般に、いれずみを施している者が社会的にどのような部類の人間として扱われているかは、わざわざ説明するまでもなく明らかであり、橋下が言っているのもまさにその点ではないか。

 公僕であり、税金で食べている市職員には、その地位にふさわしい身だしなみや対応が求められるのは当然だろう。
 窓口に何かの相談で訪れた市民に、対応した職員の袖口や首周りから刺青が見えたとしたら、恐ろしくて相談事などまともにできないのが普通の感覚ではないか。
 バスの運転手然り、ごみ収集車然り。
 そして、なぜこんな奴らを税金で食わせてやらねばならないのかと思うのが、普通の納税者の感覚ではないか。

「若いときに悩んで入れ、苦労してようやく正業に就けたのが市職員、というケースもあろう」

 そりゃああるかもしれない。
 しかし、だからといって市民がそれを容認し、いれずみを見た時の恐怖感あるいは不快感を忍従しなければならないのか。
 そもそもそうした人間は市が雇うべきなのか。
 「若いときに悩んで入れ」たのなら、その決断を一生を終えるまで背負い続け、然るべき世界で生き続ければよいのではないか。

 欧米ではどうだった、文化的にはどうだったと昔のことを持ち出すのもおかしな話で、肝心なのは現代のことではないのか。
 チャーチルやルーズベルトよりもキャメロンやオバマはどうなのかを、小泉又二郎よりも純一郎や進次郎がどうなのかを論ずるべきではないのか。

 いれずみは文化だというなら、麻薬はどうか。
 アヘンやコカインはかつては嗜好品として広く普及していた。シャーロック・ホームズはコカインを常用し、アヘン窟にも出向いていた。作者のコナン・ドイルもまたコカイン常用者だったという。
 麻薬もまた、人類の歴史と共にあった文化であることは言うまでもない。だったら、公務員がオフで麻薬を常用していても、仕事に支障がなければそれは非難されるに当たらないと朝日は言うのか。

 麻薬は有害の度が過ぎるというなら、タバコはどうか。
 わが国の公共空間で禁煙が常識となったのは、健康増進法が施行されてからのほんのここ十数年のことにすぎない。それまではタバコがあることがむしろ常態だった。
 タバコもまた文化を築いてきた。だから一概に否定せず、喫煙の自由を大いに尊重すべきと朝日が説いたことがあるか。

 おまけに、
「自傷行為」
「自分を助けてほしいという心の泣き声」
「弱さの象徴」
ときた。
 いれずみをした者を、神聖不可侵な弱者サマの座に置いて批判を封じようという、いかにも朝日的な手法だ。

 では、朝日は、記者にいれずみを推奨してはどうか。
 あるいは、いれずみで苦労している者を記者に採用して、取材に当たらせてはどうか。
 心ならずも取材に応じさせられた 記者の意に沿うような発言を強要されたといった苦情がきっと出てくるだろう。
 あるいは、新聞販売店の拡張員にそうした者を雇えば、どういうことになるか。

 まあ、古くは羽織ゴロという言葉もあるように、元々新聞などというものは堅気の商売ではないのだもの、そうした擁護論に立つのもうなずける。

 小野や朝日が、いれずみを「入れてしまった人の側に立ちたい」のは彼らの自由だ。
 しかし、、いれずみを「入れてしまった人」によって脅かされる人々もいる。
 威圧感、あるいは恐怖感を覚え、心ならずも理不尽な要求に屈せざるを得ないこともあるだろう。
 そこまで至らずとも、不快感、嫌悪感を覚えることは多々あるだろう。
 私は、そうした大多数の普通の感覚の人々の側に立ちたい。

 いれずみに限らない。
 社会生活を送っていれば、さまざまな自称または他称「弱者」による理不尽な行動にさらされることがままあるはずだ。
 まっとうに生きているはずの私が、何故こんな目に遭わなければならないのだろう。いったいどちらが真の「弱者」なのだろうか。
 そうした思いにとらわれることもあるのではないか。

 いれずみが「自分を助けてほしいという心の泣き声」なら、親の子に対する虐待はどうか。
 DVはどうか。ストーカーはどうか。酔った上での暴行や痴漢はどうか。
 先の亀岡での暴走や難波での通り魔はどうか。
 あれらもまた「自分を助けてほしいという心の泣き声」のあらわれではないのか。
 だが、ならばそれらの被害者や遺族の「心の泣き声」はどうなる。

 私は、自分の弱さから平気で他者を傷つけ、迷惑をかけ、不快にさせる者の側よりは、そうした行為を否定し、そうした者を糾弾する側に立ちたい。



付記
 いれずみで検索していたら、興味深い記事を見つけた。英誌エコノミストからの翻訳。
「日本の入れ墨事情:大阪の将軍」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35344

映画「ファイナル・ジャッジメント」にまつわる日下公人の妄言

2012-06-03 22:55:53 | 珍妙な人々
 5月25日(金)の朝日新聞夕刊に、映画「ファイナル・ジャッジメント」の全面広告が載っていた。

日本占領
これは、映画か? 現実か?


 いや、映画の宣伝なんだから、映画だろ。

製作総指揮 大川隆法


日本奪還! 6月2日(土)全国ロードショー


 私はこの映画に全く何の関心もないが、載っている推薦文の一つに少し呆れた。

「フランスで社会主義の大統領が誕生し、
中国では共産党内で権力闘争が始まった今日、
この映画は日本人に全体主義の恐ろしさを如実に教えてくれる。
みんな観てください」(評論家・日本財団特別顧問 日下公人)


 「フランスで社会主義の大統領が」とは、先月の大統領選挙で社会党のオランドが現職のサルコジを破って当選したことを指すのだろうが、それが「全体主義の恐ろしさ」と何の関係があると言うのだろうか。フランス社会党が全体主義の政党だとでも言うのか。

 社会党出身のフランスの大統領はこれが初めてではない。フランソワ・ミッテランが1981年から2期14年を務めている。その間フランスでは全体主義化が進んだとでも日下は考えているのか。
 現代の強力な大統領制が成立する前の第四共和政でも、第二次世界大戦前の第三共和政でも社会党首班の内閣は存在した。社会党政権の成立などフランスではありふれたことに過ぎない。

 ドイツのシュレーダー前首相やシュミット、ブラント元首相、イギリスのブラウン前首相やブレア、キャラハン、ウィルソン元首相らも社会主義政党の出身だが、彼らの時代にこれらの国が全体主義化したとでも日下は言うのか。

 また、中国共産党で権力闘争が始まったとは、先の薄熙来の失脚を指すのだろうが、何も中共で今、初めて権力闘争が生じたわけではあるまい。
 中共は結党以来ずっと権力闘争を繰り広げてきたのだ。今さら騒ぎ立てるには及ぶまい。

 日下の名は私でも知っているが、この人がどんな評論活動をしてきたのかはよく知らない。ふだん私が読まないタイプの雑誌や書籍で活躍されておられるのだろう。長谷川慶太郎なんかと並んでやたら景気のいい日本経済論をぶつ御方だったように記憶しているが、自信はない。
 その活動ペースは未だ衰えを見せていないようだが、御年81歳、さすがに思考力は衰えだしているのではないか。

 それとも、スポンサーのため、あるいは国民の危機意識を煽るためなら、フランス社会党を全体主義の一派に加えてもお構いなしの、ただの放言家か。

危険運転致死傷罪について再び思うこと

2012-06-02 23:19:43 | 事件・犯罪・裁判・司法
 危険運転致死傷罪について述べた昔の記事がリンクされていた。

 リンク先を見てみると、「教えてgoo!」に掲載されたこんな質問だった。

無免許で死亡事故起こして何故危険運転罪にならないの

質問者:1151123 投稿日時:2012/05/14 22:53

京都で無免許で居眠り運転のクソガキが死亡事故起こしましたが、免許を一度も取ったこともない無免許運転で死亡事故起こしてるのに何故か危険運転罪が適用されないそうです。

免許無しで死亡事故起こしてるのに何故危険運転罪にはならないのでしょうか。
免許が無いのに運転しても危険運転ではないのですか。

質問番号:7476017


 で、回答の中に、拙ブログへのリンクを張っているこんなのが。

No.4回答者:nekonynan 回答日時:2012/05/14 23:32

政府解釈が国会答弁があるから・・・それが原因ですよ

 http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/5fd1234f6601cf284f6e423d6efa016a

 国会答弁変更しろ・・糞政権 民主党


 これに対して質問者は、

この回答へのお礼

わかりました。

糞政権の民主党が悪いのですね。
それは否定しません。
同意します。


と応じている。

 危険運転致死傷罪の創設は民主党政権より前のことなのだが……。

 また、別の質問もあり、

危険運転致死罪と京都の車暴走事故

質問者:manoppai 投稿日時:2012/05/23 15:26

以前気になった質問で、京都の車暴走事故の話があったのです。続きが気になったのですが締め切られていました。この質問です。
裁判長は求刑以上の判決を出せる?その逆は?
http://okwave.jp/qa/q7481914.html

あれだけの大惨事でしたから、検察は危険運転致死罪で公訴すべきなのに、最高刑が懲役7年の業務上過失致死で起訴した話です。
どうみても検察の怠慢起訴だって批判は多かったのですが、morizou02さんは一人だけ、「構成要件にあたらないからやむ得ない」と主張していたんですよね。その時何言ってんだと思いました。

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120523000021
亀岡事故1ヵ月 遺族ら法改正求め連携

でも、この記事をみると、法律のほうに欠陥があって、morizou02さんの指摘がどうも正しかったというのはわかってきたのです。
しかし、なぜ無免許運転による危険運転が、危険運転致死罪の構成要件に該当しないのか釈然としないままなんですよね。morizou02さんの指摘だけだと。だれか詳しく教えてください。

質問番号:7491705


 この質問への回答の中でも、同じnekonynanさんが、

No.1 回答者:nekonynan 回答日時:2012/05/23 15:43

 構成要件については、政府解釈が国会答弁があるから・・・それが原因ですよ

 
 http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/5fd1234f6601cf …


 国会答弁で解釈を変更すれば・・それで問題なく適応可能だと考える


 さっさと誰か国会で質問して解釈変更させろ


 民衆党 政権辞めてくれ・・・


 糞民主党&国会議員よ・・・


さらに、

No.3 回答者:nekonynan 回答日時:2012/05/23 16:06

リンクミス
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/m/200801/?st=1

http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/5fd1234f6601cf284f6e423d6efa016a


とある。

 この質問へのNo.2の回答者は、きちんと刑法の条文を挙げて、構成要件に当たらないことを説明しており、回答としてはこちらの方がはるかにまともであるにもかかわらず、質問者はNo.1をベストアンサーに選んでいる。
 不思議な対応だ。

 上の2つの質問への回答の中には、まともなものも少しはあるが、ほとんどが愚にも付かないものであり、なるほど、「バカが意見を言うようになった」(小谷野敦)とはこういうことかと思った。

 最初の質問の質問者は、いくつかの回答に対し、「この回答へのお礼」で

今回の事故をきっかけとして今後今回の事故と今回同様の事故は危険運転罪適用すればいいのですよ。

以前、遺族が騒いだから殺人事件の時効が無くなったし悪質な酒飲み運転は危険運転罪適用されるようになりました。
今回も泣き寝入りしないでもっと騒げば国会で法改正してもらえるかもしれません。
今のままの法律では今後も何も変わらずクソガキが喜ぶだけです。
見せしめの為にでももっと厳しく法改正するべきでしょう。


という文章を繰り返しコピペしているが、既に結論が出ている問題ならわざわざ質問するには及ぶまい。
 また、法改正により「今回同様の事故は危険運転罪適用す」ることはできるかもしれないが、改正前の「今回の事故」に適用できるはずがない。
 不遡及は法の大原則だが、この人はわが国を法治国家でなくしたいらしい。

 私が以前の記事で引用した国会でのやりとりは、単なる解釈の問題ではない。立法趣旨はどうだったのかということを確認したのだ。

 もちろん、世の中は移り変わるものであり、立法当時に想定されていなかった問題が出てくることも有り得る。必ずしも立法趣旨に沿わなくても、拡大解釈して法律を適用するといった運用も可能だろう。
 しかし、法律に書いていないことや、普通に考えて困難な解釈を、無理矢理適用することはできない。それでは、わが国は法治国家ではなく、中国や北朝鮮のような人治国家になってしまう。
 
 刑法の危険運転致死傷罪の規定は、

(危険運転致死傷)
第二百八条の二  アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2  人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。


というものだ。
 この「進行を制御する技能を有しないで」に無免許運転が含まれるかどうかが問題となったわけだが、結局、技能を有していると判断されたのだろう。
 そりゃあ、無免許だからといって、技能を有していないとは言えまい。
 結果的に事故を起こしているのだから技能を有しているとは言えないのではないかという見方もあるだろうが、それではあらゆる交通事故に危険運転罪を適用すべきだということになってしまう。

 この質問者は、別の「この回答へのお礼」で、

免許は無くてもそれなりの技能があれば免罪ですか。

普通は、無免許=無技能、ってみなしませんか。


と述べているが、みなさないのが普通だろう。

 ちなみに、危険運転致死傷罪の創設が審議された平成13年11月22日の参議院法務委員会では、次のようなやりとりがあった。

○佐々木知子君〔引用者注 自民党議員、元検事〕 「進行を制御する技能を有しない」ということは書かれてありますけれども、これはどういうことを想定しておられますか。いわゆる無免許運転でこういう事故を起こしたという場合には恐らくそういう認定がしやすいかと思いますけれども、進行する技能を有しないというのはあくまでも技能に注目したもので、一々技能を持っているかどうかということを認定するということでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)〔引用者注 法務省刑事局長〕 これも先ほど申し上げましたとおり、自動車の走行のコントロール自体がおよそ困難だというふうな場面を前提としているわけでございまして、したがいまして、「進行を制御する技能を有しない」というのは、単に無免許ということではなくて、ハンドル、ブレーキ等の運転装置を操作する、どうやって操作するか、あるいはそれを操作した場合にどうなるかというようなことについての基本的な技能、そういうふうなものも持っていない、大変、言ってみれば運転、自動車の走らせ方というのをほとんど知らないというふうな、そういう未熟な状態のことをいうわけでございます。
 したがいまして、実際に判断する場合には、運転免許を有していないことは当然のことでございますが、それまでの車両を扱った経験あるいは実際の、特に重要なのは、運転状況などということなどを総合的に考慮して判断するということになると考えられます。


 別にこれは法務省の解釈がおかしいのではなくて、普通に考えればそうなるだろう。

 先の質問者は、続けて

それなりの技能ってのもあやふやだし、おかしいと思うのですが。
どれぐらいならそれなりの技能なのでしょうね。
小学生だって教え込めばそれなりに運転出来るんじゃないのかな。

免許無いなりにそれ以前から公道を運転していてそれなりの技術が有ったって、本来は公道を走ってはいけないんじゃないの。
無免許で繰り返し公道走ってうまくなったから免罪にするって本末転倒なんじゃないの。
馬鹿げてるとしか思えませんね。


と述べているが、もちろん無免許運転はいけないことだし、当然今回の犯人は無免許運転でも処罰されるのだから「免罪」などにはならず、馬鹿げているとは思わない。

 危険運転致死傷罪で検索したら、こんなことを述べている方もおられたが、

 京都府亀岡で起こった無免許運転者による3名死亡事故で危険運転に当たらない、と検察が認定したのはまさしく噴飯ものの判断だ。

 無免許運転でも繰り返し行って習熟していれば「危険運転」ではない、というのなら無免許運転の奨励になりはしないだろうか。この国の検察判断によると無免許で未熟な技術によって人身事故を起こせば「危険運転」だが、繰り返し無免許運転という法令違反を繰り返して運転に習熟していれば最高刑20年の懲役ではなく、最高刑7年の「過失事故」に相当するのだそうだ。

 無免許運転は明らかに「未必の故意」を形成するのではないだろうか。そうではない、と判断するのなら全国の自動車学校は要らなくなる。勝手に無免許者は路上で訓練して技能を習熟した上で免許試験場へ行けば良いだろう。

 技能に習熟した無免許運転者に「事故を起こしてやろう」との故意がないから危険運転は問えない、というのならこの国の法律を順守して免許証をキチンと取得して運転している人たちの規範意識と相容れないのではないだろうか。


 へー無免許ってだけじゃ危険運転罪に当たらないのか、じゃあ俺も免許取らずに運転しよーっと。やってりゃそのうちうまくなるだろ。
 どうせ事故っても懲役7年だし。

 ――などという考えで無免許運転の常習に及ぶ者がどれほどいるというのだろうか。

 この方はさらに、

 泥棒の最高刑は懲役10年だが、交通事故の「業務上過失致死」は最高で懲役7年だ。人の命を奪っても、何人奪っても、それが過失なら最高刑懲役7年で済む。こんなバカな話があるだろうか。

 道路交通法が出来た当初、車を運転する人は特権階級の人たちだった。一般的な国民は自家用車を持っていなかった。だから、特権階級に配慮した法律が出来たと考えると被害者の命が軽く扱われる理由が理解できるだろう。

 法律は成立した時代の空気を反映している。国民の誰もが車を持ち、誰もがハンドルを握るこの時代に、運転者を特権者扱いする法律が果たして正しいのか再考すべきではないだろうか。

 それでなくても車は車に乗らない人たちにとっては迷惑千万な代物だ。生活道路でもお構いなく疾走するし、臭い排気ガスを撒き散らす。おまけにバカな運転者はラッパのようなマフラーをつけて爆音まで撒き散らす。

 人身事故による最高刑が泥棒よりも軽いとは驚きだ。危険運転事故でも20年とは、この国の運転者は何処まで守られなければならないかと怒りを覚える。


と述べているが、私も一部ドライバーのマナーの悪さには閉口することが多々あるが、むしろ「誰もがハンドルを握るこの時代」だからこそ、故意犯はともかく過失犯を安易に厳罰に処すべきではないのではないだろうか。
 でなければ、ただでさえ過剰収容が問題となっている刑務所がそれこそいっぱいになってしまうし、刑務所経験者がそこらじゅうにいることになってしまう。

 また、自動車による過失致死は最高7年だが、単なる重大な過失による致死は最高5年、重大ではない過失であれば何と最高でも50万円の罰金にすぎない。

(過失致死)
第二百十条  過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。

(業務上過失致死傷等)
第二百十一条  業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2  自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。


 人命が失われているのに何故こうも軽いのか?
 そもそも犯罪とは故意に行われることが原則である。一部の結果重大な行為につき、過失による場合でも例外的に罰則が設けられているにすぎない。

(故意)
第三十八条  罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。


 そうしたことも考慮する必要があるだろう。

 今日、この亀岡の事件について、遺族らが危険運転致死傷罪で起訴するよう求める署名活動を行ったとの報道があった。

遺族が署名活動=無免許暴走、危険運転罪求め-京都

 京都府亀岡市で登校中の小学生の列に車が突っ込み10人が死傷した事故で、遺族らが2日、無免許運転で事故を起こした無職少年(18)をより重い危険運転致死傷罪で起訴するよう求め、京都市などで署名活動を行った。
 遺族らは、亡くなった家族の写真をプリントしたTシャツを着て署名を呼び掛けた。死亡した松村幸姫さん(26)の父中江美則さん(48)は「死んでいった子どもたちの悔しい気持ちを伝えていきたい」と訴えた。
 亡くなった小学2年小谷真緒さん(7)の母絵里さん(30)は「無免許運転の人はもっといると思うが、また真緒みたいな被害者が出るのはつらい」と話した。(2012/06/02-12:15)


 遺族らの無念は察するに余りあるが、しかしこれは無理というものだろう。
 あるいは、この事件をきっかけに、無免許運転致死傷罪とでも言うべきものが新設されることになるかもしれない。そのための力には成り得るかもしれないが。


(関連記事
危険運転致死傷罪について思うこと(1)
危険運転致死傷罪について思うこと(2)
危険運転致死傷罪について思うこと(3)

「自民党 日の丸損壊罪の法案提出」との報道を読んで

2012-06-01 01:28:50 | 現代日本政治
 少し前、BLOGOSの「議論」ページで、次のような議題が挙がっているのを見た。

自民党 日の丸損壊罪の法案提出 あなたはどう思いますか?

 自民党は29日、日の丸を傷つけたり汚したりする行為を罰する国旗損壊罪を創設するための刑法改正案を衆院に提出しました。

関連資料
日本国憲法改正草案 - 自由民主党

これは、現行法が外国国旗の損壊罪を定める一方で、日の丸の損壊を処罰対象としていないことを問題視したものです。

法案では、日本を侮辱する目的で、日の丸を損壊・除去・汚損した場合は、2年以下の懲役または20万円以下の罰金を科すとしています。
〔後略〕


 党で議論されているとは聞いていたが、とうとう出したのか。
 本気でやるつもりなのか。
 それとも、どうせ成立しないと見込んでの、選挙対策としてのポーズなのか。

 法案の本文が知りたくて、自民党のホームページを覗いたが、見当たらない。

 「衆院に提出しました」とあるから、衆議院のホームページを見てみると、「第180回国会 議案の一覧」から探すことができた。

   刑法の一部を改正する法律案
 刑法(明治四十年法律第四十五号)の一部を次のように改正する。
                              「第四章 国交に関する罪(第九十条―
 目次中「第四章 国交に関する罪(第九十条―第九十四条)」を 
                               第四章の二 国旗損壊の罪(第九十四
第九十四条)
       に改める。
条の二)  」
 第二編第四章の次に次の一章を加える。
   第四章の二 国旗損壊の罪
第九十四条の二 日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
   附 則
 この法律は、公布の日から起算して二十日を経過した日から施行する。


     理 由
 日本国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為についての処罰規定を整備する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
 

 この法定刑は、現在の刑法で規定されている外国国章損壊罪と全く同じになっている。

(外国国章損壊等)
第九十二条  外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
2  前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。


 議案提出者は「高市 早苗君外三名」とある。
 ほか3名とは誰だろうと思って高市の公式サイトを見てみると、

ともに提出者になって下さったのは、元法務大臣の長勢甚遠衆議院議員、前自民党法務部会長の平沢勝栄衆議院議員、現自民党法務部会長の柴山昌彦衆議院議員です。


とあった。

 高市は、産経新聞によると、この法案について以前、

「日本人が外国の国旗を焼いたり切ったりしたら、刑法92条で2年以下の懲役または20万円以下の罰金となるのに、日の丸を日本人や外国人が傷つけても(条文がなく)対象にならない。主要国の(法令の)例を見てもアンバランス」


と言っていたそうだから、そのアンバランスの解消を意図しているのだろう。

 しかし、1年ほど前の拙記事「外国国章損壊罪についての大いなる誤解」でも述べたが、わが国において在日外国公館などで掲げられた外国国旗と、官公庁や式典などで掲げられる日の丸とでは、その意味合いは大きく異なる。
 例えば各国の駐日大使は、わが国において彼らの母国を代表する存在である。その大使館において掲げられる国旗は、まさに各国の権威を表すものだろう。そしてそれを損壊する行為は、各国そのものを侮辱したに等しい。
 対するに、官公庁や式典などで掲げられる日の丸は、単にわが国の国旗であるというにすぎない。もちろん、国旗は国旗として尊重すべきだが、わが国の公共機関、わが国における式典であるから掲揚しているにすぎず、対外的にわが国を象徴しているものではない。
 そういう意味で、わが国における日の丸と外国国旗は、もともとアンバランスなものなのである。
 だからこそ、わが国においては明治時代から外国国章損壊罪が設けられ、かつ自国の国章損壊を処罰する規定は設けられなかったのだろう。

 そして、これも以前の拙記事に書いたが、外国国章損壊罪で取り締まることのできるのは、在日外国公館などで公的に使用されている国旗などの国章に限られるというのが通説であり、判例もそれに沿っているという。
 したがって、デモンストレーションとして、もともと損壊する目的で作った手製の外国国旗を損壊する行為などは処罰の対象にはならない。
 昨年2月7日の「北方領土の日」に東京のロシア大使館近くでわが国の右翼活動家がロシア国旗を侮辱したとして、ロシア外務省が日本政府に犯人の処罰を求めたが、政府は「侮辱されたのはロシア国旗を模した手製の物体。大使館に掲揚されている国旗を侮辱したのなら罪に問われるが、そうではない」と、外国国章損壊罪に当たらないとして処罰を拒否した。

 ならば、この日の丸損壊罪を創設する刑法改正が仮に成立したとしても、デモなどで手製の日の丸様の物体を損壊する行為は、やはり処罰できないことになる。

 一方、高市は、上記の産経の記事には「日の丸を日本人や外国人が傷つけても(条文がなく)対象にならない」と言っていたとあるが、そりゃあ自国の国旗損壊罪の条文はないだろうが、官公庁や式典などで掲げられている日の丸はもちろん、私人が掲揚あるいは所持している日の丸であっても、勝手に損壊して罪に問われないなどということはあるはずがない。刑法261条の器物損壊罪に問われる。
 しかも、この器物損壊罪の法定刑は外国国章損壊罪より重いのだ。

(器物損壊等)
第二百六十一条  前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。


 したがって、仮にこの法案が通って、日の丸損壊罪が成立してしまうと、日の丸損壊という行為に対する量刑の上限は、これまでより下がることになってしまう。

 高市は、公式サイト

 ちなみに諸外国の法制度では、むしろ自国国旗損壊に対する刑罰の方が他国国旗損壊に対する刑罰よりも重くなっています。


として、独伊韓中の例を挙げた上で、 

 先ずは、日本の刑法におけるアンバランスを是正することを期し、本法律案を起草しました。


と、自国の国旗損壊罪を創設することを優先すべきだから、法定刑が外国国章損壊罪と同等であってもやむを得ないかのように述べているが、現状で「自国国旗損壊に対する刑罰の方が他国国旗損壊に対する刑罰よりも重くなってい」ることを理解しているのかどうか。

 いったい、何のためにこんな罪を創設する必要があるのだろうか。
 高市は、

 また、去る4月27日に自民党が公表しました「日本国憲法改正草案」第3条にも「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」との文言が明記されましたことから、今国会に提出することと致しました。


とも言う。
 憲法にそんな条文が必要なのかどうか疑問だが、それに対応して日の丸損壊罪もまた必要であるという理屈はわかる。
 そして、実際には器物損壊罪の適用で足りるにしろ、刑法に外国国章損壊罪がありながら自国のそれを欠くというアンバランス、そして諸外国とのアンバランスの解消という面もあるのだろう。
 だったら、罪名を新設するにしろ、法定刑は現行の器物損壊罪と同等でよかったのではないか。

 それとも、「国旗」の定義など刑法のどこにも書かれていないから、デモで手製の日の丸様の物を損壊するような場合であっても、処罰対象とすべきだと考えているのだろうか。
 ネット上では、そういったケースも処罰せよという見解をしばしば見る。
 私は、基本的には国旗や国歌は尊重すべきだと考えているし、政治的意図に基づいてそうした物を損壊する行為は率直に言っておぞましいと思っているので、別にそれでもかまわない。
 しかし、だとすれば、外国国旗にしても同じことになる。
 上記のロシアの事例でも、ロシアの要求に応じて、活動家を処罰せざるを得ないということになるだろう。
 デモの日の丸損壊を取り締まれと説く人は、そうした事態にも賛成するのだろうか。
 それでは、結局のところ、外国政府に対する批判自体を萎縮させてしまうことになりかねない。
 やはり、従来からの解釈が無難だろう。
 とすれば、日の丸についても同様に考えるべきだということになる。
 ならば、創設される日の丸損壊罪の対象となるのは、公的機関や式典などで掲揚される日の丸に限られることになる。
 では、私人が家庭で掲揚する日の丸を損壊した場合、創設された国旗損壊罪は適用されず、より法定刑の高い従来からの器物損壊罪が適用されることになる??
 仮に法案が審議されるとすれば、そうした問題点も明らかになるのだろうか。

 この法案は、以前の拙記事の時点では、自民党のシャドーキャビネットで異論が出て全会一致が得られず、政調会長(当時は石破茂)預かりとなったはずである。
 今回の法案提出を伝える高市の公式サイトには、

 自民党内の法律案審査(部会⇒政策会議⇒シャドウ・キャビネット⇒総務会)では、4回の会議の中で1名でも反対される議員が居られると、国会提出は了承されません。

 今度こそは…との思いで、5月に入ってからは連日のように同僚議員の事務所を訪ね歩いて、内容の説明と賛同のお願いを続けてきました。
 持病の関節リウマチで激痛が走る足を引き摺りながらの訪問活動は苦しいものでしたが、多くの同僚議員が笑顔で励まして下さり、茂木政調会長や塩谷総務会長も力を貸して下さり、先週金曜日の総務会で全会一致の了解を得ることが出来ました。


とある。

 「平和ボケ」という言葉があるが、自民党は「野党ボケ」してきているのではないか。
 それとも、所詮ポーズだからこの程度でいいとでも考えているのか。
 伝統ある国民政党が、こんなことにうつつを抜かしている場合ではないように思うが。