こんな不思議な読後感の小説は初めてかもしれない。
大島孝雄「ガジュマルの家」(朝日新聞社)。
石垣島を舞台に500年間キジムナーとして生き、人に生まれ変わって18年生きている「ぼく」と、
「ぼく」がつかず離れず暮らしている安里屋のクヤマさんの一家が主人公。
完全にフィクションなのだが、琉球王国時代の「日本化」だの、米軍の上陸、マラリアの蔓延・・・
とホントの歴史上の事件が織り込まれている。
「石垣島」も「宮古島」も「波照間島」も、日本によって無理やりつけられた当て字で、
本当は「イシャナギ島」であり「メーク島」であり「パテローマ島」だったのだそうだ。
とにかく、すごくスピード感のある物語で、
それはそれはたくさんの人があっけなく亡くなる。
そして、亡くなった人がたくさん出てくる。
それがちっとも悲しくないのだ。
もちろん島の歴史に悲しい事件はたくさんあるが、
そうしたものはドライに描かれているし、全体通じて何となくオカシイ。
死者だってゾンビみたいな感じではなくて、墓の入り口が空いてたので何となく家に帰ってきてしまい、
家人と普通に会話して、帰れといわれて墓に帰ってく、みたいな。
沖縄をよく知らない人にとっては荒唐無稽な話なのだが、
石垣島という舞台では「それもあるかも。」と思えてしまう。
石垣島の歴史とか、ちょっと沖縄民謡をかじっている人とか、
安里屋のクヤマとか、野底マーペーの伝説とかを知っているとなお楽しめるかも。
(どんな伝説かってわたしに聞くのはやめた方が賢明です。
わたしのその手の知識は、その多くが思い込みと勘違いであることが最近判明しつつあるので(恥)。)
前半はちょっと時間の跳躍がわかりにくくて読みづらいが、
後半はどっぷりはまれる。
出張先の仙台でおひとりさまの牛タン後、
あまりにも面白くてホテルでいっきに読み通した。
【追記】
すでに1週間近くたってしまいましたが、12月13日(土)の読売新聞関西版朝刊に
「日本癌治療学会」の市民公開講座の採録記事を書きました。
大阪方面にお住まいの方、ご高覧いただければ幸いです。
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大島孝雄「ガジュマルの家」(朝日新聞社)。
石垣島を舞台に500年間キジムナーとして生き、人に生まれ変わって18年生きている「ぼく」と、
「ぼく」がつかず離れず暮らしている安里屋のクヤマさんの一家が主人公。
完全にフィクションなのだが、琉球王国時代の「日本化」だの、米軍の上陸、マラリアの蔓延・・・
とホントの歴史上の事件が織り込まれている。
「石垣島」も「宮古島」も「波照間島」も、日本によって無理やりつけられた当て字で、
本当は「イシャナギ島」であり「メーク島」であり「パテローマ島」だったのだそうだ。
とにかく、すごくスピード感のある物語で、
それはそれはたくさんの人があっけなく亡くなる。
そして、亡くなった人がたくさん出てくる。
それがちっとも悲しくないのだ。
もちろん島の歴史に悲しい事件はたくさんあるが、
そうしたものはドライに描かれているし、全体通じて何となくオカシイ。
死者だってゾンビみたいな感じではなくて、墓の入り口が空いてたので何となく家に帰ってきてしまい、
家人と普通に会話して、帰れといわれて墓に帰ってく、みたいな。
沖縄をよく知らない人にとっては荒唐無稽な話なのだが、
石垣島という舞台では「それもあるかも。」と思えてしまう。
石垣島の歴史とか、ちょっと沖縄民謡をかじっている人とか、
安里屋のクヤマとか、野底マーペーの伝説とかを知っているとなお楽しめるかも。
(どんな伝説かってわたしに聞くのはやめた方が賢明です。
わたしのその手の知識は、その多くが思い込みと勘違いであることが最近判明しつつあるので(恥)。)
前半はちょっと時間の跳躍がわかりにくくて読みづらいが、
後半はどっぷりはまれる。
出張先の仙台でおひとりさまの牛タン後、
あまりにも面白くてホテルでいっきに読み通した。
【追記】
すでに1週間近くたってしまいましたが、12月13日(土)の読売新聞関西版朝刊に
「日本癌治療学会」の市民公開講座の採録記事を書きました。
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「うつ病」の症状
主要な生物学的変化は、睡眠、食欲、性欲においてみられる。思考内容には、自己、世界、将来に対する否定的で悲観的な思考、死や自殺についての思考、罪責感や無価値感が含まれます。注意力および(または)集中力の低下がみられるようで。
また、なぜ人間は「うつ病」などの精神病にかかるのでしょうか?
神経科学的・神経内分泌的なもの(例えば、特徴的睡眠変化と前頭葉の血流低下がみられることもある)と外的要因としての最近の不幸なLife eventsと、現在の不幸な社会的環境、幼少期の親との離死別および(また)重大なストレスと虐待であり、その他重症の身体疾患は「うつ病」との関係が深い。また、女性の出産後数週間に「うつ病」Episodeを経験することが多いようです。
治療は投薬が中心ですが、初診でドクターが把握しにくかった症状を訴える再診患者は少なくない。それだけ初診時はかなり神経を使うし、どう信頼関係を築くか重要なタイミングなのです。また、結果的に処方される多くの抗うつ薬、向精神薬は効果が出るまでに概ね2週間ぐらいかかり、どちらかというと効果より先行する不快な副作用(吐き気、嘔吐、消化器痛等)があり(新薬に少ないものもでているが、途中で患者が自ら止めてしまうことも多く、また、個々の患者ごとに適合性があるようで患者に適合する薬剤を探し出すまでにかなりの時間を要することもあり、特に患者の判断で中止すると再発の危険性やさらに悪化させる危険性もあり、逆効果となることもある。
何事も あわてず、あせらず、あきらめずの気持ちを忘れずに!
なぜ人は考えるのでしょうか?
どこに心があるのでしょうか?
なぜ人は弱いのでしょうか?
なぜ人は喜怒哀楽があるのでしょうか?
ここで、ある雑誌にあったのですが、 嬉しかった経験や悲しかった経験程、
よく覚えているらしいそうですが、なぜでしょうか? 最近の研究では感情を伴うイヴェント(インパクトのある出来事)がよく脳に記憶される回路があるらしく。また、感情に関する研究は最近までなかなか進まず、やっと感情の変化が脳の機能に非常に影響を与えるという考えが進んできたそうです。
このところ、中高年の躁・うつ病、衝動的暴力等が増加傾向にあるようです。
さて、科学的には感情とは何でしょう?少なくとも脳から生み出されるものであることは間違いなさそうですが。また、感情は人間だけにあるものでしょうか。食欲や性欲などから関連して出てくる行動等は動物的(情動)と言えるかもしれません。さらに愛情に関連した感情は動物には無さそうな感じがします。どうも人間の感情には動物的な感情(生きていくために直接関係があるもの)といわゆる人間的感情がありそうです。哲学的になるかもしれませんが、理性がどうもその動物的な部分と人間的な部分との間に入って何らかの役割を果たしているような気がします。もし、「躁・うつ病」が人間だけのものであれば、この人間的感情行動に大きく関連がありそうですね。どうでしょうか?
さて、残念ながらまだ明確に原因も分かってない病気のことを書き連ねてもしょうがないかもしれません。慢性化する人も存在するそうです。治る病気だと言われているが実際は何年も治らない人もいるということです。ということは何といっても、まず兆候を早めに察知することこそ最大の防御であると思います。
これは実例を基に編集しましたが、
ある職場は創立間もなく、従業員もやっと寄せ集めしたが、商品は意外と名の知れた商品であるため売上はそれなりに伸びている。しかし、創立間のないときはとにかく管理部門においては多くの事務処理、殊の外、決算、税務申告、さらに内外監査対応等山積みで、今までの過去データもなく、その処理のためにはかなり気を遣うことになる。当然その企業では慣れない人間がやることで、責任遂行のため残業、徹夜、休日出勤等もしなければ期限には間に合わない。結果的にはまじめで能力のある責任感の強い上昇志向の強い人に仕事が集中し、残念ながらその人は一時的には良い思いをするが長い目で見ると少しずつ蓄積したいわゆるストレスが体と精神を蝕んでいくのである。さて、その結果近い将来何が起こるのでしょうか?
もしかしてあなたも躁鬱(そううつ)?
人間、たとえどんなに好きで楽しい仕事とはいえ度を越してやり過ぎると誰でも苦痛や負担になってしまう可能性が高いでしょう。近い将来、自他ともに知らず知らずのうちに心身に少しずつ、若しくは突然にその影響が出始めることが多いようです。例えば不定愁訴(原因が特定できないめまいや頭痛、肩凝り、腰痛、動悸、息切れ、不整脈、不眠、疲労感)等の症状が出るようになり、気分が沈み込んだり、集中力がなくなったり、仕事・勉学の能率が落ちたり、不安を解消するため数々の専門医の門をたたくことになるが、いろいろと検査を受けてみても結果はほとんど異常なしと診断されてしまう。時には突然浪費癖が頻繁になったり、大きな借金を作ったり、どういう訳か駄洒落が増えたり、ちょっとしたことでも怒りっぽくなり、クレーマーになったり、気も大きくなり、運転が荒くなったり、多かれ少なかれ他人に迷惑を及ぼすような症状もでることもあるようです。この段階では、本人はまさかこれが躁病・鬱病などの精神病域の病の前兆と気づく人はまれで家族すら気付かない。本人は医師に諸症状の改善を懇願するあまり、経験の少ない医師等はやむを得ず、過労、自律神失調症などと診断を下し、対処療法的薬剤の処方をし、少し様子を見ましょうとその場をきりぬける。特に躁病に関しては一般内科医で患者に遭遇することはかなり稀なことだそうです。しかし、むしろ躁病のほうが鬱病より深刻な影響を及ぼすことがあり、入院患者の多くは躁病にかかわっているそうです。
さて、医師の指示により、様子を見続けた結果、仮に症状は治まり、元の健康な状態に戻れればよいが、ここまで来るとなかなかそううまく治癒するものではない。本人ばかりではなく家族等に少しずつ変調に気づかれる段階ともいえる。ある意味、すでにこの段階ではかなり病状が進行している患者も少なくはない。つまり、社会的機能(職業、勉学、友人づきあい、趣味や余暇、夫婦関係、親子関係など日々の生活とって重要な領域における機能)障害が表に出現したり、パニック障害が出現したり、また、体重の急激な変化も伴うこともある。自他共に今までに経験したことのない、いつもと違った何かガ起こっていると気付き始める。
さて、あなたも心当たりはありませんか?
すでに、あなたが気付く前に誰かが気付いてくれていないでしょうか? たとえ、その役割を務めてくれる家族や恋人がいてもいなくても、「気分日記」をつけることをお勧めします。理想的には気分だけでなく、体重と睡眠時間の記録も併記すると尚よいと思います。
日記は記録した内容は勿論大切ですが、作品を作るつもりで、必ず手書きしてください。実は字の乱れ等が発症の手掛かりとなることもあります。
さらに、月に1度、自分の顔写真を残してください。思った以上に変化しています。
そして近くにいる人はもう一度、
テレビを視たくなくなってきている。
異性に興味がなくなる。性欲がなくなってきている。
字が上手に書けなくなってきている。
顔つきや目力が弱くなったような感じがする。
等の変化を感じたら、
専門医に診ていただきましょう。
さて、重要な受診(特に初診)に臨むにあたって
事前に身長・体重測定、血液・尿検査をしておくとよい。
自分の既往症(緑内障・糖尿病・肝臓病・腎臓病等)、
もし治療中の疾病があればその病名メモの持参。
他施設で投薬を受けていれば、そのリストも持参。
ドクターへの質問事項を本人だけでなくできれば同伴者と共同で作成して持参。
「気分日記」も必ず持参。
ドクターと治療方針の確認をする。
ドクターに処方を受けた薬剤の主作用のみならず、副作用、注意事項等よく確認しておく。
(インフォームド・コンセントについて予習をしておくと良いかも)
その病院やクリニック、ドクターとの相性が悪いと感じたら、次の受診先を探して早めに転院することをお勧めします。
さて、実際に治療が始まっても、元々日本という国に特有の道徳教育や社会における生産性至上主義などの環境は依然と継続するのでなかなかゆっくりと休養を取りながら治療に専念するのは難しい。環境に恵まれなかったら治癒の遅れや再発も視野に入れなければならない。薬だけで治療しても決して良い結果を期待できない。認知療法やいろいろな環境を整えるなどいわゆるコラボレーションが必須であろう。
とにかく、パッチアダムスの著書にもあるとおり、健康になるためには、まず幸せになることです。
つづく
ご自分のブログを持たれることをお勧めします。
「つづく」と書いていらっしゃいますが、続けないでください。
>(どんな伝説かってわたしに聞くのはやめた方が賢明です。わたしのその手の知識は、その多くが思い込みと勘違いであることが最近判明しつつあるので(恥)。)
ぜひ聞いてみたいです(笑)
お貸ししたいところですが、図書館で借りたので、ご容赦。