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上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。
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ここには樹齢数百年の巨木が多い。
高野槇 コウヤマキ
(ウイキペディアより)
コウヤマキ(高野槙・高野槇、Sciadopitys verticillata)は、マツ目コウヤマキ科の種で日本固有種。常緑針葉樹で高木となる。別名ホンマキ。コウヤマキ科は1属1種であり、コウヤマキのみを含む。
庭園に植栽し、材木としても利用される。世界三大造園木の一つで、木曽五木の一つ。古代には、棺材として最上級とされた。現在でも、湯船材や橋梁材として重宝されている。和名は、高野山真言宗の総本山である高野山に多く生えていることに由来する。また、高野山では霊木とされる。
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仁王門裏側の木彫り狛犬
寛永13年
右・獅子;金色、尾と鬣は緑色。鬣は渦巻き。
左・狛犬;銀色、尾と鬣は青色。鬣は流れる。
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(公式HPより)
宮号宣下(ぐうごうせんげ)
家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。
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去る9月23日から一泊で、日光東照宮・戦場ヶ原を歩いてきました。
(公式HPより)
日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
石鳥居(いしどりい)【重文】
ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納されました。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました。
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五重塔(ごじゅうのとう)【重文】
慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。
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