*峠のちゃみせ*

軽妙な関西弁で、「自分自身に」「周囲に」「社会に」ツッコミ!

雨の日は・・・

2006-01-31 | none
雨の日は、「ウィンドウ・ショッピング」と気取りたいが、
私のは、そんな品のいいものではない。

買うつもりのないものを、見るのが好きだ。
購入が目的でお店にいく場合は、
それ以外のものは目に入ってこないし、
自分の基準から外れるものは、興味を引かない。

しかし、購入という目的がないときは
商品を丹念に見て回って、必ず驚きがある。

商品は何でもいい。
雑貨だろうが、電化製品だろうが、衣類だろうが
但し、対面販売を心掛けている親切な店はダメダ。
だいいちこちらには買うつもりはないのだから。
ただ、見た感想や驚きを誰に言うでもなく
口にしたいだけだから。
本当は、一人でもいいのだけど一人で
やっているとただの変なオッサンになってしまう。
だから相方がいる。

スーパーの生鮮食料品売り場なんて最高だ。
「エェ!同じ蜜柑やのにこんなに値段が違う!」
「これはS、ん?こんなんあるんや!」
「いろんな大きさが混ざってる」
「同じサイズだと、個数で決めてんのかな~?重さかな~?」

「ウワッ!このセロリしなっとしてる?」
「○○産、そやから値段が安いんや!」

「え?これなんでこんなに安いの?」
ぜんぜん知らないオバサンが
「昨日、売れ残った商品です。鮮度は落ちてるけどまだ食べれるから」
「はぁ。ありがとう」

「なに?納豆テこんなに種類あるの?」
「これは三つで百円、こっちは一つで二百円!」

ホンと飽きないし、時間が経つのが早い。
但し、相方はチョット恥ずかしいかな?

再び「東横イン」社長発言について

2006-01-30 | ちゃうやろ?
件の社長が設計図には1階に障害者用駐車場・部屋を
描いていたにも関わらず、実際はそうしなかった釈明会見の
席上で
「身障者用客室を造っても、年に1、2人しか来なくて、
一般の人には使い勝手が悪い。
うちのほかのホテルでもロッカーやリネン庫になっているのが現実だ」
という発言について
「弱者の立場で」を標榜し総選挙を戦った政党が、
あの障害者自立支援法で、世間と自民に訴えた政党が、
今回のあの社長発言に公式コメントを出さないのは
何故だろう。
(もし出していたのならゴメンナサイ)
私は自身のHPの中で、ほとんどの政党・立候補者が
企業・権力者・強者=自民党に対する
生活者・弱者=反自民の旗印として「障害者自立支援法」
が取り上げられただけで、あんな政党や立候補者に私の
将来を託せない事を書いたが、やはりそうだった。

もしそうでないなら、あの発言にどうして抗議し
問題にしないのか?

それとともにマスコミの反応も
件の発言を取り上げてはいるが
ツッコミが弱いのは、何故だろう。

と思いながらも
所詮世間はこんなものと嘯いている。

倫理観と現実のギャップ

2006-01-29 | ちゃうやろ?
公の発表では景気は少し持ち直しているようだ。

しかし、いつ何時景気は急転しないとも
限らない。

それに備えて、施策を打つのも
経営者の役目だ。

企業にとって、景気が右肩上がりの
成長を遂げている時は
経営者にとって良い社員像は、
有能な「それ」ではなく、指示に従い
忠実な「それ」が望まれたのではないか?

しかし、現在のように不確定要素の
多い時代には、その都度トップの判断を
仰いでいては、一瞬の間が勝敗を決しかねない。

そんな時には、要所要所に自分の判断で
方向を決め、動ける有能な人材が必要である。

そしてやはりその下には、そこそこ機転は利くが
忠実な人材が必要だ。

前者の人材は容易に取り替えられないが
後者はいくらでも交換可能で
人件費は安いにこした事はないし、
正社員である必要もないから
会社のクッションにも使える。

私の早期希望退職=リストラもその一例だった。
会社の利益から適正な社員数を割り出し、
その数に達するまで希望退職を募る。

ターゲットは人件費の高い高齢者、
人物の評価に関しては、立場や思惑によって
多数の意見の一致を見る事は難しいが、
身体のハンデは誰の目にも明らかである。

勿論、それ以上の「何か」が私になかった
ことも事実である。

私に募集に応じる事を勧める役割をおった人物と
自宅近くの喫茶店でお茶を飲んだときに
一向に「それを」いいだせず話題を転々とし
私から「それを」切り出した時に
相手が見せた安堵の表情と
「何を於いても、又寄せてもらう」という
言葉は忘れない。

当然の如く、その人物は未だに来ない。

これは私が居た会社が冷たいのではなく、
これが現実である。




東横イン西田社長釈明会見に思う

2006-01-28 | ちゃうやろ?
「東横イン」偽装改造工事についての西田社長釈明会見での
「正面が駐車場だとホテルとしての見てくれが悪い。
報告を受けて僕も、まあいいだろう、とっちゃえと考えた。
やったことは仕方がない」

「身障者用客室を造っても、年に1、2人しか来なくて、
一般の人には使い勝手が悪い。
うちのほかのホテルでもロッカーやリネン庫になっているのが現実だ」

皆、思っていても口に出さないだけの事を
やっただけ。
と嘯くあのふてぶてしいまでの態度は、

耐震マンション偽装事件で、
謝罪どころか居直ったヒューザーの小嶋社長
と全く一緒だ。

「悪いんだったら謝りますが、
そんな事を斟酌してたら
生き残れない。」
「皆、そう思っていても
口に出さないだけ
他の経営者も政治家も官僚も皆そう」

きっと彼は心の中でそう叫んでいるに違いない。

障害者問題も福祉も政治も
その現実を見据えてスタートしなくてはいけない。

どこかの政党のように
美辞麗句を並べるだけでは何も変らない。

根は深く暗いことは確かだ。

喉元過ぎれば、熱さ忘れる

2006-01-27 | 諺に敬服
年の所為か、古人の言葉に感心することしきりだ。

「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」

どんなに苦しい事も、悲しい事も
渦中にあるときは、固く胸に誓い
戒めにし、発奮の元にしようと
思ったのに、
窮地を脱すると、忘れてしまう。

又、窮地に陥らないと人はやらないものらしいし、
陥ってもやらない人が大半である。

稀に追い詰められてやっても
件の諺の如く、忘れてしまう事がほとんどのようだ。

従って、どんなに単純で、平易に見える事も
毎日積み重ねる事は大変な事である。

しかし、そんなことを言わずもがなで
教える場所はどこかにあるのだろうか?

それとて、知識ではなく
実体験を通してしか、言葉の真意は伝わらない。

ところでこの諺には、いま一つの
教訓があることを知りました。

「窮地に陥った時に受けた恩も、
窮地を脱すると忘れてしまう」

窮地に陥ったとき人は離れてしまうのに
そんな時に言葉をかけ、付き添ってくれた恩まで
忘れてしまう。

固く、胸に刻み込んでおこうと思っている。




そんな人の心を端的に言い当てる
この諺に感心しきりだ。


モデル

2006-01-26 | 大阪のオッサンとオバハンの会話
(明らかに着膨れしてダウンがパンパンのオバハン)
「この格好を見た、主人にいわれましてん
熊みたいヤテ!」
「そんなことないでぇ、イヌイットでっせ。」
「はぁ?」
「昔はエスキモーいうてましたけど、
カナダやアラスカの北に住んでる原住民族のことですわ」
「どういうこと?」
「そういうたほうがおもろいでしょ。」
「そうですね」
(納得すな!)
「子供にも痩せろていわれますねん、恥ずかしいッテ」
「ご主人は?」
「健康のために少し痩せたら?ていうてます」
「うまいこといいますねぇ、ご主人に座布団!
そやけど、いうたったらいいんですよ。
こんな身体に誰がした?あれから20ねんて!」
「そんな経ってまへん!」
(オッサンとオバハンの会話は止まることなく続く)
(オッサン)
「TVに出てるタレントさんが、いうてましたで」
「みられると変るテ」
「ようおりますがな、芋みたいな田舎でのアイドルが
蝶みたいに変っていくのが」
(オバハン)
「あれ整形ちゃいます?」
「怪しげなモデル事務所に登録したらエエンですわ、
事務所の登録タレント一覧に載せるんですよ」
(オバハン)
「載せてくれるやろか?」
「ほやから怪しげな事務所に金払て載せてもらうんですわ、
10万かそれぐらい払たら載せてくれるやろ」
「仕事くるかな~?」
(ほんな訳ないやろ!)
(オッサン)
「さぁ、知らんな~、チッチキチー。」



倫理感と現実のギャップ

2006-01-24 | ちゃうやろ?
18年も前、私が検査入院した時のこと。

会社を休むと理由を提出しなければいけないというのは
どこの会社にも共通のルール。

会社に提出する診断書を医師に依頼したときの事。

その時点で自分の病名が現代医学では
原因も治療法も確立されていない特定疾患の一つで
ある事を聞いて、少なからず
ショックを受けていました。

しかし、その時点ではショックは私一人の事でした。
診断書を依頼したその時から
世の中は、倫理的道徳感とは違う
現実があることを知りました。

「この病名を書きますか?」医師が何を言っているのか
解りませんでした。
私にすれば、その病名だからそれを書くのは当然と思ったのですが
その病名を会社に提出すると、
そのことで不利益を被る現実を知っておられ
それを私に婉曲的に告げようとされたようです。

そんな世界と無縁な生活をしてきた私は
「高を括って」いました。

しかし、出社してから私と会社の関係が変ってきました。

出張から帰ってきた私に対して上司から出た言葉は
「労い」のそれではなく
「そんな人間を出張させて、
もし何かがあれば会社の責任になる」
という本社の話を引き合いに出しながら
厄介者を抱えてしまった愚痴を聞いたとき
医師の言葉を少しだけ理解しました。

それ以降
会社が私を見る目は
「難病の障害者」が前提で
評価もそれがスタートになりました。

それから更に10数年が経過して
障害者手帳の存在を知って
申請用の診断書を医師に依頼したとき
「不利益を被る事が多いので、申請されない方も
多いですが、よろしいですか?」
と念を押されました。

私はその言葉を聞いたとき
不利益を被る事があるのは、私の会社だけでない事。
手帳を持つ事で利用できる社会制度よりは
遥かにディメリットのほうが多く、
その現実の下、生きている人が多い事を知りました。

障害者の社会参加・就労を語るとき
一般的な倫理観では、あってはならないことが
現実の競争社会では「ある」ということを
抜きにしては語れない。

生存の意味

2006-01-22 | none
多感な青春の一時期
「人は何故生き、死ぬのだろう?」
と考えることがあった。

他の人はどうなのか解らないが、
人の手を借りて生きるようになって
私は又、青臭い若者のように
尋ねるようになった。

こんな状態になってまで
「生きている理由は?」と
「過去生の業を償うため」とか
「生きているそれだけで価値がある云々」
もそれはそれで理屈を辿ると
納得するところがあるのかもしれないが

毒矢に当たり、毒が身体をめぐり
「う~」ともがいている人を前にして
私を納得させるものはそこにない。

最も毒矢に苦しむ当人も
周囲の言葉に目くじらをたてたり、
答えられる訳もないそんな疑問を
ぶつけるほど野暮でもない。

しかし、表に出さないだけで
自問を重ねる。

そのような哲学を
今も昔も人は求めている。

煩雑な日常に忙殺されて
そんなことを考えなくなってしまったのだろうが
ヒトタビその煩雑な日常からズレルと考えるようだ。

人はパンを食べる事で生命活動を維持するが
生きる気力は、パンでは補えない。

気がかり

2006-01-21 | none
やらなければいけない事を
一昨日も、昨日も
今年に入ってからズ~ット先送りしている。

先送りしているその上に、更に気の進まないことが
一つ、そして一つと積み重ねっていく。

いつもそれが心の片隅にあって
燻っている。

気分がイマイチ晴れない。

そんなに難しい事でもないのに
なぜか避けている。

いつかはやらないと
いけない事なのに先送りしている。

これではどこかの政治家と
同じではないかと皮肉っても
解決しない。

腹を括って
取り組もう。

支えられている実感

2006-01-20 | 胸を熱くしたこと
私の肘に手を沿え、
付き添って歩いてくれている看護師さんがふと漏らした
「○○さんが下を向いて歩いていると私も下を向いて、
視線が上がっていると私も上がっている」

調子が悪く、転倒の恐怖に
いつもは賑やかな私が黙りこくって歩いていて
色んなテナントが入ったモールの片隅に置かれたベンチ
を目の端に捕らえて、下を見て
一心不乱に歩を進めていると
「休憩します?」といわれて
ドギマギしながら「どうして?」と聞いたら
「”そう思っている”と感じたから。」

はたまた別の人と歩いている時、
珍しく弱音を漏らした私に
「もう駄目と思ったら言って、オブって帰るから」
私はその一言で歩ききった。

私が入院中にお世話になった医師を訪ねて
病院を訪れると退職されて手掛かりが掴めない。
ふと漏らしたそんな言葉を覚えていて
手掛かりを探求してくれたヘルパーさん

本当はルール違反なのに、
家に入る前にスーパーに立ち寄って
新鮮で安い食材をチェックして
定刻に入室するヘルパーさん

一人でやっているストレッチの手助けにと
新聞紙を束ねてテープで巻いて
身体の軸をとりやすいように工夫を
凝らしたり、あれ・これと労を惜しまず
親身に接してくださる
理学療法士さん

私の歩行に付き合うときには
事業者には内緒で制服から私服に着替えて
「普通」を黙って演出してくれた男性ヘルパーさん

いつも立ち寄る公園で「しっかりしてきましたね!」
と突然声をかけてくれた警備員さん

ここに上げたのはホンノ一例にしかすぎない。

たくさんの人の温かい眼差しと思いやり、
見守り、励ましに支えられ
私は今を生きている。




私の前から姿を消した人たち

2006-01-19 | ちゃうやろ?
人は変れる。
カメレオンとまではいかなくても
変れる。
生物は変化する事で生き延びる。

しかし、右を向いていた人が
左を向くと真逆に豹変する事もある。
それも生き延びるための
一つの変化かもしれない。

人は上り調子の時には
甘いものに群がる蟻のように寄ってくるが
不遇に陥った時には蜘蛛の子を散らすように
離れるもののようだ。

しかし、人とはそのようなものだ。
そしてそういう人と親交を持ち
群れてきたのは私だ。

それを思うと種を蒔き
水をやってきたのは
他ならぬ私だ。

今の私を支え、指示してくれる人に
真摯に向き合うこと
ここから始めなければいけないと
戒めている。

チッチキチー

2006-01-18 | ちゃうやろ?
・ヒューザー小嶋社長貴兄の類まれなパフォーマンスに
 チッチキチー!
 万引きの現行犯で掴まっても、
 「悪いのはこの右手や!
 俺は諫めたんや。この手を切ってくれ。」
 いうんやろな。

・民主党西村議員の議員続投発言
 「北朝鮮の拉致問題を議員の立場から取り組む・・・」
 ほんまかー。
 お前にもチッチキチーや。

・ライブドアの堀江社長
 君の一連の言動にチッチキチー。

・マスコミ各社
 ホリエモンをコキオロシタリ、持ち上げたり
 挙句の果てに東京地検の強制捜査が入ると
 一斉バッシング。
 節度の無さにチッチキチー。

・身の回りで起こるいろんな事、
 それをめぐる反応にチッチキチー。

・そんな事で心を乱されてしまう
 自分にもチッチキチー。

細木和子に一言

2006-01-15 | none
先日、細木和子の特番で
小学生の親子と細木があるテーマに沿って
話を進めるものがあった。

その中に登場する小学生の意見の数々に
愕然とした。
それについては次回に譲るとして
小学生が事件に巻き込まれる情況に
漠然とした不安を抱く女の子が
発言の中で
「見知らぬヒトに挨拶したら、笑顔で
応じてきたので、笑顔を返した」
という発言に細木和子が激怒して
「知らないヒトに挨拶するな!
笑顔を見せるな!
入り込む隙を作るな!」
という発言に呆れ果てた。

ヒトの心の弱い部分に揺さぶりをかける
あの部分は好きになれないが
大筋で社会認識にズレはないと
思っていただけに
彼女のあの発言は何だったのだろう?
と考えてしまう。
あの発言でチャンネルを変えてしまったので
発言の真意が番組後半で明かされたかどうか知らない。

彼女が小学生に
「危うきに近寄らず」
「ヒトを見たら泥棒と思え」
「男は怖いと思え」
という事をいいたいのであれば

彼女が日頃からいっている、知識の前に人としての
基本的心構え「今ここに居る自分は両親をはじめとする
たくさんの人たちのお陰でいる」
コトに対する畏敬と感謝の念を忘れずに
という理念と反しないのだろうか?

そんな面倒くさい事を持ち出すまでもなく
彼女の言い分では寒々とした利己主義、
社会性を獲得していく時期に
排他的で人の痛みを同苦できない人間を
送り出す事になるのではないか?

社会的影響力を持った彼女の発言だけに
懸念以上の危惧を感じた。



着物は?

2006-01-14 | 大阪のオッサンとオバハンの会話
障害者の国際交流の促進等を目的とした
施設の正面玄関を入った、エントランスの奥にある
ソファーに再び現われた大阪のオッサンとオバハン。

エントランス中央で歓談中のオバハン5~6人の中に
一人和服を着たオバハンを見やり。

オッサン「あの和服の人、ここの会議にでてはったんかな?」
オバハン「さっき、会議室の前に地域福祉ナンチャラ
て出てたけど、それかな~?」
オッサン「エェー、あの小唄の師匠が?」
(その根拠はなんやねん!)
オッサン「会議にあの格好で出はるちゅうことは
普段から着物を着てはるんやろなー」
オッサン「サムナインかな?」
オバハン「ウチの母親ヌクイいうてましたで」
オッサン「エェ!下からも袖からも風入るやろ?」
(件の小唄の師匠のところにも声は届いているらしく視線を送っている。
二人は気にせず会話に夢中)

オバハン「イッパイ着てはるから・・・」
オッサン「そやけど下着着てなかったら寒いやろ」
(勝手に決めるな!)
オバハン「今度親に聞いときますわ」

廊下を移動しながら、突然大きな声で
オバハン「パネル変ってる!」
オッサン「ほんまや、誰もみいへんのに」
オバハン「私らがいつも見てるから
たまには変えなアカン思いはったんかな?」
オッサン「ほな、ちゃいまっせー、
間が持たんから眺めてただけや、て言うてこなあかんは」

ダレガ、大阪のオッサンやねん。
チッチキチー。

東京

2006-01-13 | none
私が勤務した会社は東京に本社があって、
東京本社採用の私は東京に少しの間住んでいた。

採用が決まって本社を訪ね、
会社が探してくれた住宅の家賃を見て
それがいくらくらいだったのか全く覚えていません。
多分、私の基準が学生の時住んでいた
6畳一間、トイレ・流し共同だったこと
しかも、地方都市の学生街の相場で考えていたようです。
物件も見ずに、断って自分で探すことにしました。

どの辺りが安いのか会社の人に聞いて
適当なところで下りて、駅前の不動産屋を訪ねました。

そこが後々有名になった公園前派出所の亀有でした。
駅から徒歩約25分ほどの所に、私の目論見よりは
かなり高い金額でアパートを見つけました。
当時いくら払っていたのか全く覚えていません。

アパートは下が3部屋上が3部屋の2階建てで
間取りは2畳ほどのキッチンと汲み取り式トイレ
(投下から着弾の間延びが、少し愉快でした)
に6畳と押入れだったと思います。

部屋は寝るだけの場所と
思っていましたから
それでもトイレとキッチン付というのは
私には進歩でした。

会社まではドアtoドアで1時間くらいだったと
思います。

駅まで25分というのは難点でしたが
バスの定期代がキャッシュで支払われるので
定期は買わずに朝だけバスに乗って、
帰りは徒歩でした。
(ほとんどバスが運行している時間に帰ることはなかったのですが)

銭湯はアパートから6~7分のところにありましたが
帰りが遅く、間に合わずキッチンでシャンプーしていました。

暖房はホーム炬燵だけ、クーラーも扇風機もなく
私を含め上の階の人は、夏は窓を開けて、ドアも全開で
寝ていました。
結局、電話も引きませんでした。
連絡先の電話番号はアパート傍の雑貨屋のを登録していました。

休みの日に近くの食堂に行くと
日本人よりは東南アジアの人のほうが多く
聞きなれない言葉が耳に入ってきました。

「TOKYO CITY」を気取っては見たものの
実態は「東京」でした。