ときに,板書が上手な先生がいます。
授業が流れていくとともに,スラスラと板書し,それがきれいに仕上がっていきます。
そして,授業が終わったときには,思わず写真を撮りたくなるような,みごとな「作品」とも言えるものが出来上がっています。
一方で,板書が下手な先生もいますよね。
授業が始まって30分ほどしてその授業を見に行っても,板書を見て「はて?何の授業なんだ?」と,まったく分かりません。
黒板には,ポツ,ポツとまばらに単語が並んでいるだけ。
※ちなみに,以前に研修会で参観した高校の先生の授業で,世界史の授業を見たのですが,まぁ板書がすごかったです!
「すごい」っていうのは,はっきり言って「めちゃくちゃ」でした。(笑)
でも,その先生の「世界史~」っていうオーラが出ていて,なぜかしっくりくるのでびっくりです。
自分の頃を思い出しても,高校の先生って特徴的な人が多かったような…
さて,
私も少し経験を重ねてきてから,考えるようになりました。
「何をもって,「板書が上手」なのだろうか?」
若いころは,ただ見た目のきれいさのみで判断していたような気がしますが,それだけはないように感じます。
板書とは,教育技術の一つとして,授業づくりの大きなポイントとなることは間違いないでしょう。
だから,そこには教師の意図的な工夫が必要です。
腕を磨かないと!
意図的に4パターンの板書を使い分ける!
ということを意識しています。
いつも同じような,「なんとなく」の成り行きまかせの板書ではいけません。
なぜなら,授業の流れや内容はどれも同じでないし,成り行きまかせではないからです。
私の経験上,板書は授業の流れに応じて以下の4パターンに使い分けられるのではないかと。
1 時系列の板書
→シンプルに授業の流れ,内容に沿って順番に板書していく形
2 子どもの声を拾う板書
→子どもの発言や思考を,どんどん板書して作り上げていく形
3 芸術的に構成する板書
→授業全体を構造的に板書に表していく形
4 子どもがつくる板書
→子どもがどんどん板書していく形
この4パターンを意図的に使い分けることで,板書も有効に授業の中で働きだすように感じます。
例えば,算数で習熟のための練習問題の授業なら「時系列の板書」
総合学習の導入場面で,学習テーマを決める授業なら「子どもの声を拾う板書」
社会で小単元をまとめる授業なら「芸術的に構成する板書」
国語で4画で書ける漢字を見つける授業なら「子どもがつくる板書」
今まで板書の形をあまり意識したことのない人であれば,この4パターンを使いだすと,非常に板書がしやすくなるし,さらには授業がスムーズに進められるようになるんじゃないかと。
もちろん私自身も,まだまだ訓練中です。
※ちなみに,研究授業などでは「3 芸術的に構成する板書」をやりたがるし,参観する人の目も,そればかりを期待しているようです。だけど,板書とは,実はそれだけではないということですね。