今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

仙台東照宮(宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目6-1)

2024年04月15日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月17日

仙台東照宮
正式名称は「東照宮」だが、他の東照宮と区別するために仙台東照宮と呼ばれている
承応3年(1654年)仙台藩の2代藩主「伊達忠宗」によって創建された

石鳥居(重要文化財)
明神鳥居形式の美しい白色の鳥居で、宮城県最古の石鳥居である
主な部材である花崗岩は伊達忠宗夫人 振姫の郷里である岡山県犬島から海路で運んだもの



実は、東照宮を訪れようと1週間ほど前に、仙台市内にいたのだが雨天のため参拝を諦めていた
前日に「相馬中村神社」で声を掛けられた男性から「仙台にもいい神社がありますよ」と言われたことも気になっていた
悔いを残すのも嫌なので、道の駅から車を走らせた



狛犬






境内図



石段(仙台市登録文化財)
参道の石段にも工夫があるという
説明によると、緩やかな勾配で、階段と踊り場が交互に配置されている
階段も4段・3段・2段の所がリズミカルに配置されているようだ(気付かなかった)



案内板



石灯籠(重要文化財)
境内には石灯籠が38基あり、そのうち28基が表参道の石段脇に並んでいる



伊達家一族家臣より38基奉納されていたが寛文事件(伊達騒動)後、事件に関係した家臣の石灯籠は取り除かれた
承応3年(1654年)刻銘30基、延宝8年(1680年)刻銘2基、天和2年(1682年)刻銘2基の計34基が重要文化財に指定されている



随身門(重要文化財)
三間一戸の八脚門の楼門形式
欅の素木造、屋根は入母屋造り銅板葺



妙法院宮堯親王筆の「東照宮」の扁額



大きな屋根は1.5km離れた宮町通りの南端からでもはっきりと視認できるという



案内板



境内では写真同好会の方々が各場所でカメラを構えていた
いつもは大きなカメラを持ち周囲から浮いているような存在なのだが、この日は気にせず撮れた



随身像






神輿殿



神楽殿






手水舎(宮城県指定文化財)
宮城県最古の手水舎建築
水を貯める石は石鳥居と同じく岡山県から運んだもの






承応3年(1654年)の造
花崗岩の水盤が設置されている



拝殿
昭和10年(1935年)放火により炎上し、黒焦げになるが原形を残し、昭和39年(1964年)に再建された



多くの社殿が国や県の重要文化財に指定されているなか、拝殿だけその記載がないので不思議に思っていた
90年前の出来事ではあるが、許せない行為には変わりない



拝殿内部
この日も七五三の祈祷が行われていた



唐門(重要文化財)
一間一戸、向唐門で、銅瓦葺。花崗岩の素板の上に建つ
金網で保護されている



案内板






偶然、障害物の無い良い場所を見つけた



扉は現在では4月17日の例祭日のみ開く



鳳凰、麒麟、獅子の円形彫刻により装飾されている



透塀(重要文化財)
本殿の周りを囲む透塀は一周約80メートルで、神職以外立ち入ることのできない塀の中を透かして見ることができる
前にある石灯籠も重要文化財



本殿(重要文化財)
祭神:東照大権現(徳川家康)



非公開
鷹や天女、龍などの彫刻が彫られ、当時最先端の技術である七宝金具を使用した金具で装飾されている
七宝金具は全国に数十ある東照宮の中でも日光東照宮と仙台東照宮にしか使用されていない



仙台藩の社寺建築は大工棟梁梅村氏が担当している
大崎八幡宮本殿(国宝)、瑞巌寺本堂(国宝)、仙台東照宮本殿(重要文化財)等その建築は後世高く評価されている



明治維新以後の廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存する東照宮は約130社
本宮の日光東照宮、御遺体を祀る久能山東照宮に、自社を加えて「日本三大東照宮」と称す東照宮は多い



石段を下り、駐車場に戻る






撮影 令和5年10月17日

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