エッセー

新聞記事を切り抜いて、感想を書いてみたい

原稿用紙

2008-06-30 14:11:11 | Weblog
明日休みだから、
久しぶりに、
原稿用紙に詩を書いてみようと思う。
三日坊主の年代物の日記帳があるはずだ。
800文字をうめることのできるマス目は、空想で作ればいい。
大昔に使った原稿用紙を思い出せばいい。
空想だったら、まだ若い者には負けない。
キーボード鉛筆を引き出しにしまって、
パソコン画面原稿用紙はたたもう。
今はシャープペンシルだから、鉛筆を削るナイフはいらない。
消しゴムはもともと使ったことがない。
走り高跳びの選手が、両の手を大きくあげて、手を叩く。
観客が応える。
だんだん、だんだん身体が大きな動きになる。
足が神経質になっていく。
打つ手の拍子。リズミカルに、激しさを増していく。
意を決して助走を走り出す。スタジアムの観客の期待も一つになる。
そんな、
アスリートたちのように気持ちと思いを高められたらいいな。
一字一字書く。
2本線を引く。
また書き連ねる。
また1本。2本にょろにょろ線を書く。
この思いを伝える文字を捜す。
探し疲れても見たい。
明日火曜日、私は休日。
原稿用紙と鉛筆を持って、震え上がるほど怖い想像の川の流れに行ってみよう。
詩の題材も探さなければならないな。
小説にまで高めてみたい「もんたの独白」3日ほど休もう。
楽しいストーリーを探してみよう。
明日は充電の日。

もんたの独白 8

2008-06-29 23:59:08 | Weblog
ハネ爺が何を考えているのか、思っているのか、ではなくって、空想しているのか。よくわかる。
つれれば似そる。
は、
夫婦付随の事。
いつしかに似てくる。ほほえましきことなり。
主今夜宿直。
おれ、一生懸命逆算をした。わし。おれもんた。ハネ爺のペット。俺のDNA今ひとつは、一直線の瞬間的キチガイ道草引っぱり身体能力。
そんな俺とけんかしながらの散歩だから、ハネ爺のおもっていることは何故か解る。ハネ爺は、飼い主の立場上”んだ”!んだ”とは素直には慣れないだろうが。
もう深夜。
ハネ爺の思っていることのスライドショウーをクリックしてみよう。
たった、15分そこそこの散歩もしてくれない俺の斜めに構えた反抗だ。晒してあげよう。
ハネ爺は告発が好きだ。
同じ手法で。
小さい人は、小さい人が苦手。
大きい人は、大きい人が苦手。
それを超える術は、儂には解らん。解っていても、伝える術を儂は持っていない。
人間は不思議。
犬の、存在も不思議。
わしだって思うぞよ。
雑種と言うから作られた存在。
創られた存在同士が、放り投げられの自由にされて、自然の生業をしての存在だったか。
遺伝子組み換え。
「70歳 男性 痴漢行為で逮捕」。
二十歳前の女のこのスカート上から触った。と、いう。
還暦のハネ爺は、
”人ごとでない!”と、
夢想 している。
おれ もんたは、繋がれてのじんせいのようだから、よう解らん。
人間様は童貞を、男よりも女たちが、くすくす言う。”かわいそう”。
童貞だ。
深夜がまた深くなった、ハネ爺。
飼い主は、
底から湧いてくるしずやかな泉に、
正直の気恥ずかしさを、でも、
楽しんでいるらしい。


もんたの独白 7

2008-06-28 21:36:15 | Weblog
6月29日。
今日は暑かった。
朝食は食べれなかった。暑くって。
つぶつぶの半生のドックフード。
好物なんだけれども。
人間様は夏負けといっている症状だ。
日陰の土砂利で夏負けをしずませていると、何とはなく、兄弟たちのことを思う。
俺が一番小さかったらしい。
おとなしいかったらしい。
5人兄弟だったか。
兄弟たちは、ワンワン、きゃんきゃん、キャンわんわんと元気だった。
懐かしい。というわけではない。会いたい訳ではない。あったとしても”おお!兄弟”と抱き合うことはないだろう。
同じDNAが埋め込まれているとしても、同じ血統を共感し合う人間様の優しいこころのDNAはもらってこなかったようだ。
だが、
今ここに生きていることの不可思議さには狂わんばかりに興味が湧く。
特に、今日のように夏負けで体調が元気さをなくしてしまうと。
コンクリートで、涼をしずんでなどいると、、、、、。
これも、
飼い主の思いがいつしかに、映ってしまったと言うことなのだろうか。

もんたの独白 6

2008-06-27 19:04:16 | Weblog
”山また山 うんざりするほど続く山脈”
これは、ハネ爺が若いとき、孤独感と壮絶な戦いを繰り広げているときに書いた、
「除草機幻想」の一節だ。
耳を澄まして彼の実家の押し入れを、くんくんしていたら、黄色になった新聞の切り抜きに書かれてあった。
地元の新聞らしい。自由詩の投稿欄。
俺にも飼い主の癖が映ったらしい。
知らず知らずに遠くの山を見つめている。
いろんな山のでこぼこを数える。空との境目を目の神経でなぞっていく。
山のなかには入れない。心が溺れてしまう。
ハネ爺は田沢湖の海で溺れかけたことがある。それから山のなかにはいることができなくなった。
海はもっと怖い。
ゆったりと、
朝から、アスファルトの居間に寝ころんで山を数えている。
曇っている。駒ヶ岳はガス。
夕日が見えない。それでも少しの明るさが夕日の位置を教えてくれてはいる。
えっ!
もんたは驚いた。
どうして、東ではなくて西野方角ばかり見ていたのだったか。
偶然だ。
居間の位置の関係だろう。
ハネ爺は湖の方角を凝視している。
雲をかぶった駒ヶ岳を背にして。
儂ですらそんな彼の後ろ姿の時は何をか想って、羽ばたいているのか解らなくなる。
おい!
今日は雨が降っていないから散歩に連れて行ったおくれよ。
あと、
3時間半。

文学

2008-06-26 20:37:46 | Weblog
「もんたの独白」をシリーズものにしていきたいと思っています。
物語とか、小説にしたかったが、それは無理のようです。
この独白が文学らしくなればいいなと思います。
「もんたの独白 5」まで書きました。

どなたかに、
目をとめてもらえればうれしいです。

社会とか政治とか世界の動きなどにもつぶやきをしてみたいと思います。

自分の背中をもんたに、語ってもらいたいと思います。

毎日書きたいけれども三日坊主の私にはできそうにありません。
でも、
独白をさせてあげたいと思います。


人間と犬の存在を表現できたらいいなと思います。


今日のタイトルの、
「文学」は、あまりにも大きなタイトル過ぎたようです。

もんたの独白 5

2008-06-26 00:37:36 | Weblog
これは物語とは言えない。
だから、小説とも言えない。
12時を大きく回った。
タイムカードの打刻音がいつもより、すごーく遅い。
たしか今日はお客さんが少ないはず。
良子母さんも休んでいる。
宿直なんだ!。
母さんの昼の散歩だから変だとは感じていた。
だから、ハネ爺のつぶやきを盗み聞きできなかった。
だから、解らなかった。
俺が今日散歩したかどうかも解らないだろう。
ペットの犬だって、
望まれての誕生でないとしても、いつしか牙を剥くDNAは成長したらしい。
母さんに電話していないのだから。おれも教えてはあげない。
何をか?聞こえる。
電子レンジの音。
何を、レンジしているのかは解らない。が、この電磁の音はよく聞こえる。
けーたいのおとも。
儂の耳は電磁波盗聴器か。
解っておくれでないか、心の底から好きなんだけれども、
生きているものみんな。石、岩石。
噴火しなければならなくてする火山の山、揺らさなければならなかった岩手・宮城内陸地震。
耳を澄ませば、ハネ爺は存在と存在しないものを幻想しながら震えている。
儂は、電磁波の針の音にピリパリしている。
散歩したい。
夜の静寂のアスファルトと草藁を。
俺のDNAは草藁はなくてならない散歩ロードであるらしい。





孤独

2008-06-25 23:55:04 | Weblog
今夜孤独をしている。
ZEROという大好きなテレビ番組を見ているのだから、本当は孤独ではないのかもしれない。
{ 孤独(こどく、英語:Solitude) は、他の人々との接触・関係・連絡がない状態を一般に指す。}wikipedia-ネット字引。
でも一方通行だから接触はない。
ケータイもしていないから孤独。
孤独感になれば全く異質の局面になるのだろう。
宿直。
仕事。
に、孤独感などという感性を持ち込むのはいけないことだ。
孤独を楽しんでおりますなどと言うのは不謹慎な事です。
なぜなら、お金を頂くのですから。
でも少しの時間でいいですから、
楽しませて下さい。
一人を。
ZERO。
好きな番組だから、
消せないでいる。
思い切って消したらいよいよ孤独になれる。
「隔離」「疎外」「孤立」「孤高」
孤独の種類という。
いっぱいあるもんだなと思う。
私、
タイトルの付け方間違ったのかもしれない。
「誰にもじゃまをされない宿直の楽しみ」でなければならなかった。
一大決心をしてテレビを消した。
テレビ爺。
味噌汁をおたまで掬って、3杯飲んだ。
テレビの音は消せても冷蔵庫と断続的にスイッチのはいる湯沸器の音は消せない。
音をすべて消すことなどできないものだなと思う。
孤独という言葉を知ってから、
私は、
どんなに多くの自分の感性たちの自己主張を聞いたことだろう。
蟻地獄。
自分が作ったその蟻地獄で、
持って生まれた感受性たちは登っては落ちる。
落ちては登ろうとする。
今夜は宿直の孤独をしばし楽しんでいます。
良子よ!
もうねむったかい!
眠れるかい!。

もんたの独白 4

2008-06-24 20:03:03 | Weblog
【 小説(しょうせつ)とは、文学の一形式である。
小説とは、散文で作成された虚構の物語として定義される。 内容では、随想や批評、伝記、史書と対立するものであり、形式としては詩と対立するものである。 なお、英語でのnovelはスペイン語でのnovelaや、フランス語の nouvelleと同語源であり、もともとラテン語で「新しい話」を意味する 】。
飼い主であるハネ爺は小説を書きたいらしい。
雨が止みそうもないのでネットの字引で調べてあげた。
詩と対立するもであるなら、このもんたの独白は散文ではあるが小説とは言えないだろう。物語といえるだろうか。
独白も「話」の仲間に入れてもらえれば小説的と呼んでいいかもしれない。
人間様。特に日本の人間様は色分けをするのが大好きのようだ。何々派。何々族。何々音楽。色分けされた人が迷惑顔をしてもお構いなしの色分けをする。
儂は、柴犬の雑種だとか。記憶障害のDNAを持たされたんだろうか、お母さんの思い出がない。お乳を飲んだ記憶がない。この家に来ても飲んではいない。
味噌汁は飲んだ。飲まされた。好きでないのに、飼い主は元気が出るんだから、犬用ペットフードは贅沢病にかかってしまう。と、しつこくご飯に味噌汁をかける。
でも俺はペットフードの缶詰が大好き。
こうして、
一人で心と膝を抱えていると淋しいだろうと飼い主さんは心配をしてくれる。
”可愛いそう!”と両手を握って頭を撫でてくれる。
ワンワンとしっぽを振って応えれる。が、人間様のような気の狂いそうな寂しさでなどない。
解ってもらえないな。
とにかく、
儂には一人。孤独。淋しいという図式はない。
思うに、人間様が勝手に作った寂しい情感の世界に押しつぶされそうになってしまうんではないのだろうか。
ちょっと待て!
柴犬のDNAで整理してみなければならないな。
じーっと、テレビの電波を見つめている。
当たり前の一人で。
DNAも時代とともに歩んでいるように見えてきてしまう。



もんたの独白 3

2008-06-23 21:27:25 | Weblog
日本の人間様たちは今日を平成の6月の23日と共有をしているらしい。
夕方から、
雨。
また散歩は中止だな。
良子母さんも夕方から仕事。
静かだ。雨の音のほかの音は聞こえない。
雨のせいだろうか。いや、朝は晴れていたから雨の音のせいではないな。
ここ3日ほど、新聞を切り抜くハサミの音が聞こえてこない。
義憤するような、
喜び分かち合いたくなる、
また、総論賛成各論反対の地団駄踏まざるを得ない、
新聞記事にお目にかかることができないのだな。
一人で丸くなって、
心と膝を抱えていると目と、耳が異常に冴える。
月明かりに遠吠えをするという、
儂の先祖の牙。
その歯ぎしりの音が聞こえるようだ。
その音の思いを、熱い思いを、
ハネ爺に聞かせてあげたい。
犬。
人間。
ペットと飼い主。
そんな月明かりの冷たさと、
歯ぎしり音を奏でる熱き思いを、牙のかち合う音を、
雨の向こうの遠くを見つめながら膝と心を抱いている。
メガネをかけ直して、
また、パソコンのペットになっていく、
人間様の、ハネ爺の本当の心は計り知れない。
ま、
ペットにはペットの飼い主には飼い主のキャラクターが在るのだとも言えるかもしれない。
ご飯を食べるよりも、
少しでもいいから草藁におしっことうんこをしたいな。
雨に濡れてもいい。

還暦

2008-06-22 20:44:10 | Weblog
田沢寺。
参道の脇に第17期生の新しい供養塔。
鐘をならし、
木魚を叩く。
読経。
焼香。
盛り土にろうそく2本。
風のために、消えてしまう。
消えるとわかる。それでも、マッチを100円ライターを擦る。
お坊さんが読経します。
焼香します。

大きな杉林の中の、
神明社。
第17期生還暦祝いを玉串にのせて、
お祓い。

恩師3名を囲んで記念写真。
1分間黙祷。
学校の思い出を交えてのお言葉。
乾杯。
”若いねー”。
”千葉にいるのね、今年退職したの”。
”年金を手続きをした。たんぼやってるよ”。
いつしかに、カラオケたけなわ。
夜もふけて、いつしか4,5人の2次会場。
いつしか、
孫の住みよい町を願う論難に熱く、熱くなっている。