エッセー

新聞記事を切り抜いて、感想を書いてみたい

杉よ

2008-05-31 19:25:46 | Weblog
本当に久しぶりに詩を書いた。
それも鉛筆で。
1本線で、2本の線で訂正、修正、消去。
矢印で最初の行に割り込ませたりしながら。
二十歳の頃だったな、、。
「杉よ」という詩を書いて、さきがけ詩壇に投稿をした。その詩が夕刊に活字となった。
うれしかった。
その杉よを思い出しながら、行ったり来たりをしながら書いた。
夜、
一人だった。
焼酎を氷で割って、飲み進んだ。
寂しくなったのだ。
酔っていったのだ。
だから鉛筆と黄色くなったワープロ用紙を引っ張り出してきた。
 「杉よ、私はあなたに謝らなければならない」から書き出した。
 「その腰に手を回して、、、あなたが植林や育苗の技術をのぞんだのだのではなかった」。
 「だから、山からブナとか楢、くり、雑木たちを追い出したのではなかった」。
 「潔くまっすぐの杉よ、いつしか諸悪の根源にしたわたしを、、、」。
 「あの頃に戻って、、、まっすぐさをだきしめん!」。
と結んだ。
本当に、
何年ぶりだろう鉛筆で、
”詩”を書き刻んだ。

スズラン

2008-05-29 21:12:13 | Weblog
アスファルトの駐車場。
5段だったか、鉄の板と棒を組み合わせた階段。
その階段を下りればアスファルトのでこぼこの少ない道路。雪国では除雪車が仕事のしやすい県道。
その、道路の脇に花いっぱい運動の花壇。
スズランの花が咲き始めました。
みずみずしい緑の葉。
今はかわいい鈴なりの花たち。
君影草は別名。
花言葉は「幸福が訪れる」「純潔」「純粋」。
フランスでは5月1日はスズランの日。
贈り贈られるという。
幸せを。
花や根に毒性とか。
嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などの中毒症状をも。
北海道の花として有名だけは何となく知っていた。
身を守るための毒性なのだろう。
朝お客様をお見送りをするとき、
私は、その花壇の脇に立つ。
”ありがとうございました”とお辞儀をする。
右手を左右に振ります。
そうしなけれならないからするお見送り。
またこのスズランを見に来て下さいと、
大型バスが見えなくなるまで手を振るお見送り。
ちょっと寒い小雨だが、
明日はまた少し背丈を伸ばしているだろう。












きょうの言葉

2008-05-29 00:01:27 | Weblog
秋田さきがけ新聞。
私の晩酌のもう一つの肴。
秋庭さん、断りのない掲載をお許し下さいませ。
どうしても壊したくないからそっくり書写させて下さいませ。
今日の五つの新聞の記事の中で一番”んだ!んだ!”と、感動をさせてもらいましたので。
さきがけ様無断の掲載なんとかお許しを。

【『神よ、頭のよい人たちというのは何と愚かなのでしょう』 「赤い木靴」 ジャンジュベール』
「頭がいいとされる人たちに共通していえることは、かれらの頭の中は、これまでに答えの分かっているものだけしかない」などと言ったら言い過ぎだろうか。
 というのも、秀才と天才との違いは、前者の発想が決められた枠内にとどまっているのに対して、後者は、枠組みそのものを超えて発想するところに考えるからだ。急速に変化していく時代には、これまでの枠組みを超えた発想が必要なのに、秀才は秀才なるがゆえに、考え方を根本から変えるという発想がないのではないか。 法律にしろ、学問にしろ、時代とともに変化していかなくては、生活実感にそぐわなくなっていくのだが、そのことには目を向けようとしない 。 
このことは、どんな時代でも同じであるが、特に現代のように、目まぐるしい変化の時代においては、枠組みそのものが問われなくてはならないのだ。 庶民的な発想は、むしろ天才に近いというのに、、、。ジャン・ジュベールはフランスの作家。 (コラムニスト・秋庭 道博。】。

晩酌のつまみなどつまみながら読み返しております。

ピーマン

2008-05-27 21:27:33 | Weblog
ピーマンが苦手だ。
食べれないわけではない。でも、油炒めのキャベツを食べて緑色の彼を皿の隅にそっと押しやってしまう。もしくは夕餉の空気を読んで、先に急いで食べてしまう。味わうことをしないで。
この頃、従業員食堂の賄いにカラフルな肉厚のパプリカなるものの入った肉キャベツ油炒めが出てくる。
黄色。
赤。
ピーマンの仲間だという。
唐辛子の家系とか。
人参は、ニンジンは誰と友達だろう。
あまりにも綺麗な赤の色なので食べるのを躊躇してしまうんだろうか。
カラフルピーマンはおいしい。
赤も。黄色も。
今日も食べた。
食べながら果物を食べている錯覚を覚えてしまった。
果物の油炒め。
”そりゃあ ないだろう”。
カラーピーマンも昔からあったのだ。
子供の頃の食卓になかっただけだ。
よその国では薬用扱いだったとも。
食べなくても、
ピーマンは緑色で肉の薄いのが安堵をする。
こどもの嫌う野菜だ。





2008-05-26 21:55:52 | Weblog
売店の洋服コーナーにスマートな鏡がある。
私の身長。156センチくらいの。少し離れれば頭から足まで写してくれる。
真実は、必ずしも心地よき物でもない。
朝開店をするとき、
夜、閉店をするとき。
そのキャスターを引いて歩く。
引いて歩きながら映っている自分を横目で、見る。
薄い前髪の額の広がり。
短いズボン。
若かりし、パンタロンとか言うズボンを買ったことを思い出す。
すそを詰めてもらった。引きずるほどにしてもらった。
喜び勇んで足を通した。
”違うんじゃない!”、もうパンタロンではなくなっていた。
そんな事をもちらつかせながら、
スマートなキャスター付きの鏡は私の前をコロコロ転がっていく。
こんなにいっぱいの熱い思い。
こんなに反抗的な冷たい思惟。
目にも、
頬にも現れてはいない。
ころころ ころころ
今朝も、
今晩も本当のことを写しながら歩いていく。

探し物

2008-05-25 21:15:09 | Weblog
ふらりと、
外に出る。何をしに外に出たのか。
玄関や、街灯の灯りの届かない山の方は真っ暗。
霧。
ガス。
なにをか探しに出てきた。煮え切らない自分に腹を立てながら。
そんな自分の感性たちに、
赤とか、白。透明でもいい。誰が見ても解ってもらえるものを探している。
ふらりと売店の洋服コーナーにたどり着く。
今日はお客様が少ないので、
まだ夜9時前なのに誰もいない。
半袖がある。
甚平。
長いスカートも。
あ、ここは女性物コーナーだった。
どういう感情なのか解らない感性を解ってもらう洋服は、どこで売っているのだろう。
自分で自分が解らない、怖さ。
霧が雨に見えてくる。
雨が限りなく極小の霧吹きに巻き込まれていく。
汗か。
胸をさする。
いや霧のガス。
今年はまだ寒いので暖房をいれている。
それで胸に汗をじっとりかいたのだろう。
なにをかブログしたくて、
ネタを探しにガスって暗い玄関に行ってきた。
売店にファッションを探しに行ってきた。

おみやげ話

2008-05-24 23:22:55 | Weblog
4時30分、炊飯器のスイッチの入れる音か炊きあがった音か、目が覚めた。
家内はもう起きている。”ねむれない”といっていたからもしかしたら、、。
コーヒーを調合して顔を洗い、飲みながら長袖のシャツとトレパンとか言う伸び縮みのいいズボンをはく。
このズボンはお年寄りにはとっても親切。いや便利。
ザック。
その中にいれるお茶、パン、がっこ。
握られた2種類ののりで巻かれたおにぎり。たらこ、味噌漬けの二人分。
ビニールの袋に入れる。
朝露をしのぐための薄いスーツを上下着る。
確かめる。
5:30。
出発。
車で玉川方面へ30分弱。
腰にかごを巻いて、
背中におみやげ話を詰め込むザックをを背負う。
途中の木の枝にビニールの袋を巻き付ける。去年のビニールもあった。
10分ほどで登り上がる。
大袈裟な準備万端。林の木の間から国道341号線が解る。車の往来が音より先に見つけられる。
爺と婆にはちょうどいいわらび取りの山。
かわいい頭をお辞儀して、太い。
ためらいなどしながらも手折る。
何日か前だな折ったあとがある。
今年はずーっと寒かったのでまだ早いのだろうか。
1時間、2時間。ザックは空のまんま。腰のかごは軽いまんま。
”帰ろう、蕗でも少し刈って”。
おにぎりとがっこはザックの中。
”いいてんきになったなあー”、、。
帰宅をして、10時30分。
私の手で握った束がやっと10束。
これが今日の成果。
背は低いが太くてお辞儀をするわらびを選んで、すぐにゆがいてアクを出そう。
これは粘って、うまいだろう。
これが昨日のわらび取りの、
背中には軽いおみやげ話。
婆とは重い残念話。
それでもうまい今夜の宿直の夜食のおかず。

返信

2008-05-22 21:51:06 | Weblog
返信したいのに返信できない残念さ。バーチャル。それも良し。
プラトニック、よし。
私のパソコンが悪いのではない。私にパソコンをコントロールをする能力がなかったのだ。
忘れないでね。
カッコいい言葉です。
返信できなくなってからずいぶん心配をしました。バーチャルの心配。バーチャルのプラトニック。
虚の上に、浮かべたる虚の人間味あふれた言葉、いや人間味を否定しようとした言葉。否定をすれば否定をするほどあふれてくる言葉。理不尽を叫んでしまう、感性たち。
だから、何もなかったこと。
おもしろい社会だと思う。おもしろい文明と思う。
「月面を歩いた人類」は、実はNASAのでっち上げ。というブラックユーモアも真実味を帯びて見えるときがある。
”また 戻ってきます”。
返信の術がなくなっても、
信じることとか夢を見ることはできる。
また、バーチャルでいい。
見えないものを見たい思いを語り合える日を夢見る。
明日は休み。
村を呑みこんで、
満々と水をたたえるダム湖の山に行ってこよう。
コメントを頂いた人におみやげ話を背負ってこよう。

わらび取り

2008-05-21 21:48:56 | Weblog
23日休みだから、
毎年2回は行っている山に行く。
わらび取りに行く。
今年の5月はずーっと寒いから、どうだろう。
楽しみだ。
杉林だが太くていいわらびだ。ゆがいて鰹節をかければ粘ってうまいわらびだ。
筋子のおにぎり。
おーいお茶。
運転は家内がするから、缶ビール。
重いが、
それも楽しみ。
その山の下はダム湖。
太くて、
お辞儀するような今土をかき分けて出てきたわらび。
手をふるわせて、手折る。
今日の晩酌の肴だ。
起床の時間を決めねば。
炊飯器にスイッチを入れる時間も。
かごとザック。
着ていくものも調べておかなくては。
明後日は、20年度のわらび取り。
台風も過ぎたから、
いい天気になっておくれ。
今夜からお天気祭りもしなければならないな。

ミャンマー、サイクロン

2008-05-20 23:59:01 | Weblog
日本の言葉で表せば台風という。
5月の二日。
今日5月20日。
四川大地震、発生1週間で大変。それでも、新聞は「国際支援受け入れ拡大」と報道を続けている。
ミャンマー。
中国との国境。
ビルマと呼ばれていた。
映画を思い出す。
「ビルマの竪琴」。中井貴一さん。
テレビで見た記憶がある。
仏教。
戦争。
竪琴のメロディーが私を酔わせてくれたのか。
軍政。
今日のテレビの映像。
反政府テレビ局のカメラと政府カメラの落差。
へそ曲がり爺は”政とは(まつりごととはそういうもんじゃ!)”煙草ふかしながら悦に。
軍は、軍の一生懸命さを。
反政府は人々の窮状を。
日本のテレビは動く映像で、食べ物をまいて”まるで消雪材振りまくよう”走り去る車。それを追いかける子供。そを追いかけるお母さん。たどたどしいおばあさん。
惨。
テレビとか新聞でしか知ることのできない私。
ただ、
ふたつの国の自然の猛威の災害に合掌をする。
ミャンマーのそれからの記事と、動く絵にはどこか安心した。
被災者にはただただご冥福。