虚構の世界~昭和42年生まれの男の思い~

昭和42年生まれの男から見た人生の様々な交差点を綴っていきます

チャーシューメンとライス

2017-10-25 15:18:03 | 小説
*このお話はフィクションです。

 子供の頃、私は母親と二人だけの生活だった。母親は離婚した後、私を女手一つで育ててくれた。

 小学生の低学年頃、今なお脳裏に焼き付いている光景・・・。

 母とラーメン屋に入った。私は「チャーシューメン」を食べたかったが、母の雰囲気を察して、「ラーメン」にした。母も同じくラーメンだった。

 チャーシューは最後まで取っておいて、スープも飲みほした後の最後の最後に食べることが何よりも楽しみだった。隣のテーブルで、チャーシューメンをおいしそうに食べる同じくらいの子供を見て嫉妬をしたものだった。



 それから大人になって、チャーシューメンをよく食べるようになった。

 子供の頃あまり食べることのできなかったチャーシューメンを噛みしめながら食べるようになった。





 今でもストレスがたまったり、仕事で悩んだときには、一人「チャーシューメン」を食べている。
そしてあの頃必死に子育てをしていた母の姿を思い出しながら、明日もがんばろうと自分を励ましている。


 そんな話を20歳の娘に何気に話したら、

「深夜食堂の見過ぎじゃない」と軽く言われてしまった。


 



 その切り返しが何だかおもろしろかった。

 そして、そんなことを言い合える家族に恵まれていることに幸せを感じた。


 今日は夜接待の疲れる雰囲気の飲み会がある。

 終わったら、一人「チャーシューメン」を食べることを楽しみにして乗り越えよう・・・。



 

幸せを願って~パチンコ放浪の旅~

2017-10-25 11:13:56 | 小説

*このお話はフィクションです。

 1992年10月、私は失意のどん底にいた。そしてそれらに目を伏せるように私はパチンコ仲間と放浪の旅に出た。四人が代わる代わる運転し、攻略できる台のある店を見つけては通った。そしてまた次の店へと・・・。

 

 泊まるところは、健康ランドを転々とした。

移動中、意味のない会話で人生の不安を紛らわせていた。自分の人生が限りなくダメになっていっていることを確認して生きていた。


 周囲の友達も「アイツの人生終わったよなあ」と口々に言っていた。

 自分もそう思っていた。もう自分は、就職、結婚、マイホーム等、子供の頃当たり前のように手に入ると思っていたことが偶像になっていることに気付いていた。

 けど、どこかで人生をやり直したいとも思っていた。そんな時にこの歳若すぎる死を遂げたミュージシャンの曲がラジオから流れてきた。



過ぎ行く日々の中で 寂しくなる君は
うつろう心の理由に 一人唇 噛み締めている
誰かと恋に落ちて 名前は覚えるのに
ふっと笑顔の影に 滲む涙が零れ落ちるから
明日を星で占うテーブルの上で 愛を探す夜に
ぼんやり時を見つめているだけ 何も悲しまないと
暮らしを彩れば きっといつか 答えは育むものだと気付く
大切にしてるけど 壊れてしまうから 夢は夢のままだと
諦めてみて 戸惑うばかりで 意味のない物ばかり 集め積み重ねて
形の無い物が またきっと崩れてしまうから
思い出が静かに 心を包むから 夜に身を委ねて
心偽らず安らかに 何も悲しまないと 暮らしを彩れば
きっといつか 答えは育むものだと気付く 憧れが何故か
心を傷めるから 瞳を閉じてみる 全てはきっと優しいはずだと
何も悲しまないと 暮らしを彩れば
きっといつか 答えは育むものだと気付く 育むものだと気付く…




 ある街の夕日を見ながら聞いていた・・・・・・・
この曲を聞いていたら、自然と涙が溢れてきた。苦労して大学まで行かせてくれた母親の顔が浮かんできた。今なお老体に鞭を打ってパートで働く母の姿が浮かんできて、心に突き刺さった。


 あれから25年・・・。

 何とか立ち直ることができた。






 あの頃一緒に放浪した仲間のその後は何も知らない・・・





 ただあの時間は自分にとっては無駄でなかったと思っている。


 どんなに辛いことが仕事であっても、あのどん底の底辺生活を思い出せば耐えられる。

 そうやってここまで仕事をしてきた。



 辛い経験があったからこそ幸せの有難みがわかる。


 あの頃の仲間もきっとそうやって生きているに違いない