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老人会の活動状況や老人についての考察を記したいと思っています。
2014.09.20

妻が死にました(殺されたと思っている)

2020-07-14 14:37:26 | 日記
 2019年7月、妻(77歳)は左の乳房にしこりがあるのに気がつきました。すぐに市原市の中堅のY病院を受診しました。担当医は市の大病院であるT大学医療センターから来ていたX医師となりました。検査の結果は100人中に5人くらい居る悪い状態だと告げられました。
 7月17日:治療は女性ホルモンを抑える「レトロゾール」、分子標的薬「イブランス」、骨が弱くならないようにする「ランマーク」と言う3つの薬で治療を行うと告げられました。妻は余命宣言を覚悟で行ったのだが、それは無かったとホッとしていました。
 その後1週間に1度は通院し検査等を行いました。妻は左乳房の裏側の肩甲骨あたりに痛みを訴えていました。骨への転移をY病院の整形外科で判断して貰いましたが、転移はあるとの診断がくだされました。以前から妻は市販の痛み止めの湿布薬を背中に貼っていましたが、がんの転移が既に始まっていたのだと考えられます。
 がんの治療薬を飲むと骨や歯が駄目になるとのことで歯をきちんと治療しておかなくてはならなく、歯科医で歯の治療を続けていました。そして8月28日がんの治療薬が処方されました。まだ歯の治療が終わっていないので妻は薬は飲みません。その翌日、妻は脈拍が100を超えているのに気づきY病院の内科を受診しましたが、心臓の波形がきれいだから問題ないと言われたと言っていたが心拍数が100を超えるのは問題があったのではないかと思います。妻は過去に掛かった病院で出された薬で胃が悪くなったりする薬のリスト(23種の薬)を作っていて、それを医師に見せていたのですが、医師はがんを治すのだという思いしかなかったと思われます。妻はたぶん、この薬は飲めないと思ったのだろうが、何とか癌から助かりたいという思いで飲む決心をしたのだろう。
 9月3日:歯の治療が終わったので妻は「レトロゾール」を始めて飲む、後日、日記を見ると「のぼせる・眠い・足冷える・疲労感・肩こり×」と書いていた。その後、妻の体調は日に日に悪くなり食欲がなくなり果物のジュースを飲みたいと言うので、ネットで調べたところ、最近はスロージューサーという機械がはやっているとのことで、これを取り寄せた。早速ジュースを作って飲ますとおいしいと言って飲んでいた。このことを妻はX医師へ伝えていたようだった。
 10月16日:妻が体調が悪くなったことを訴えたのか飲み薬が注射に替わった、妻は注射があるのなら最初から注射にしてくれたら良かったのにと言っていたが、後日薬局の薬剤師の言うことには薬は胃を通らなくても血管に入れば胃を悪くすると言われた。
 11月6日:通院したが衰弱が酷く治療は行われなかった。私はX医師に点滴か何か栄養を補給出来ませんかと言ったのですが、医師は「点滴よりジュースの方が栄養がとれる」と取り合ってくれなかった。そして次回からはY病院からT大学医療センターへ移り、放射線治療を行うと紹介状と治療データを渡された。
 11月11日:本日はT大学医療センターへ行く日だったが、午前4時頃妻は吐血が始まっていた、私は寝ていて知らなかったが、妻は気丈にも自分で救急車を手配していた。救急車にはY病院で治療を受けていて本日からT大学医療センターへ行くことになっていたことを伝えた。救急車の行く先はそのどちらかと思っていたら、告げられた行き先は千葉大学医学部だった。千葉大学医学部のICUで胃潰瘍の手当てを受け、その日の内に一般病棟へ移された。ここでは輸血等の手厚い看護を受け久々に妻の元気そうな姿を見ました。しかし千葉大でも腫瘍マーカーが悪いことに気づき早く主治医のもとに帰って治療をした方が良いと言われた。
 11月15日:介護タクシーで千葉大からT大学医療センターへ転院した。千葉大では固形食は出なかったのに転院先の昼食はうどんの固形食なのでびっくりしたが妻はおいしいと言って食べていた。
 11月16日:朝、妻から電話があり下着を届けた。夕方17時35分に妻を見舞った次男から電話があり、話が出来ない程だったと言われたが、まさか妻が死にかけているなどとは夢にも思わなかった。22時05分「心臓が止まりかけている」と病院から電話があり、25分後位に病室に入ると妻の心臓を機械でガンガンとマッサージしていた、ひどいものだ、すぐに機械を止めてもらった。妻は死んでいた。
 その後、病院から渡された書類を見ると、その日「胆嚢ドレナージ」と言う手術が行われていた。手術承諾書にはX医師の名前と印鑑が押されていた。おそらくX医師にしたら「胆嚢ドレナ-ジ」なんて言う手術は大した手術でないと思ったのか、あるいは緊急を要するために行ったのか判らないが、おそわく妻の内臓は薬でほとんど弱っていて、手術の傷跡から菌が流れ出し、全身に回って行ったのではないかと想像している。文句の1つも言ってやりたいが医療の知識の無い私にはどうしようも無い。9月3日から薬を飲み11月16日に死んだ。2ヶ月半で死ぬなんて・・・・・

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