こんにちは。 心配してくれた方々・・・ 「 ただいま 」
メールや電話、 ありがとうね。 いつもの日常に戻って来ました。
その間に ワタシの周りに起きた事・・・ 書き残しておこうかな と 思います。
10月6日。 兄ちゃんが ワタシ達の手の届かない所へ 旅立ちました。
本人が主治医から病を宣告されてから3年。 兄がワタシ達に打ち明けたのは それから1年後。
どうしてちゃんと治療をしなかったのか と 泣きながら兄ちゃんを責めました。
2年前の その時期は 大忙しの 「 蔵の展示会 」 の最中。
しかも 結婚前のお嫁ちゃんのお腹に にゃーにゃんを授かり、 あちらのご両親とお話し合い中と言う 平常心が保ちにくい日々での事でした。
何がなんだか・・・ 日々 色んな想いに押しつぶされそうになりながら過ごしてました。
8月30日。 養女に入ったキテレツ次女の結婚式も 体調が不安でしたが、 本人の強い意思と周りの協力で 無事に出席出来ました。
その後 9月10日 遂に入院。 主治医から両親には 「 いつどうなっても おかしくない 」 と 言われたそうです。
年老いた両親は どんな気持ちだったろうか・・・ 今まで経験した事が無い程の 心の痛みを感じました。
9月16日。 入院してても 何も治療も無く、 病院に居る方が 悪くなって行く気がする 退院したい と 主治医に交渉・・
主治医が両親の受け入れを確認後、 ほぼ無理やり退院しました。
家に着いた兄は すぐに自分の部屋の片付けを始めたそうです。
思うように食べられず、痩せて体力の無い状態で動いてる姿を 両親は見守るだけ・・・・。
退院して来た兄に会いに行くと 部屋でイスに身を預け、 一人静かに外を眺めていました。
「 兄ちゃんは ここに居てくれるだけでいい。 このまま ずっと ここに居よう・・ 」 と言うワタシに
「 ・・ もう だいぶ 悪いんだ・・・・。 」 と 寂しそうに呟いた兄。
退院から僅か3日。 19日には 本人の意思で また病院に戻って行きました。
たった 3日間でしたが 両親と3人、 他の人には分からない 特別な時間を過ごしたのではないでしょうか。
9月24日。 夕方 両親の元に主治医から電話。
点滴へ強い痛み止めの投与を始める事、 もう今 どうなってもおかしくない事・・ 言われたと 泣きながらワタシに電話が来ました。
家に二人っきりで居る両親の事を考えて、家族で会議・・・・。
幸い お嫁ちゃんが 「 産休でワタシが家に居るから大丈夫! 」 と言ってくれたので
大急ぎで荷物をまとめ、 息子に送ってもらい その日から ワタシの実家生活が始まりました。
毎日 病院へ通って交代で 兄の傍に付き添いました。
28日からは 夜も病院に泊まり込む両親。 この時期、母の姉妹3人が次々に駆け付けて 一緒に実家で手伝ってくれました。
朝から夕方まで、ワタシと叔母一人が付き添い。 夕方から 交代して 朝まで両親が付き添い。
24時間体制で 家族の誰かが 兄の傍に居る事が出来ました。
10月4日。 ワタシ達が 離れるの嫌だ と 感じる程の状態になった兄。 この日から両親とワタシ達夫婦、 4人で病院に泊まり込み。
10月6日。 両親 と ワタシ達夫婦が 手を握り、声を掛け続ける中で 兄は旅立ちました。
「 優月 」 と言う字が 戒名に入った兄。
住職さんから 「 どんな方でしたか? 」 と 聞かれた時、頭の中に 「 お月様のような人 」 と浮かびましたが 言いませんでした。
伝えなかったハズでしたが 次の日出来た戒名には 「 優月 」 と言う字が入ってました。 嬉しかった。
通夜の晩、 わざわざ駆け付けてくれた カフェママ夫婦から 「 道に迷った 」 と 電話。
焼香のお客様が少なくなった頃、 外に出てみました。 カフェママ夫婦の到着を待とうと・・・。
見上げた空には・・・・ モヤモヤしたオレンジ色のお月様。 お姉たんが 「 今日 皆既月食だ! 」
モヤモヤのオレンジ色のお月様は 苦しんでいた兄の顔と重なって見えました。
その後、無事 到着したカフェママ夫婦と 葬祭センター内で しばし お話。
帰宅時 見送った時に見上げた空には 真っ白に輝く 生まれ変わったような キレイなお月様。
「 もう苦しくないよ。 楽になったからな。 」 兄がそう言ってる気がしました。
カフェママ夫婦が 道に迷わなかったら・・ きっと 外には出なかったでしょう。
兄が 想いを伝えたくて?? と 見えない力を感じました。
通夜の日、 駆け付けてくれた 兄の会社の方々が 「 ○○さん ( 兄 )が 挨拶に来たんです 」 と言います。
不思議に思い話を聞くと 夢枕に立ったと言うんです。 しかも 3人も。 ほぼ 同じ日だそうです。
一人には お墓の傍に立つ兄が 「 ここに入る事になったから。 お世話になりました。 」 と 言ってたと。
一人には スーツ姿で来て、 「 もう会えなくなるから。 世話になったな。 」 と握手したと。
最後の一人には 「 仕事 頑張って下さい。 」 って 言って行ったと・・・・。
日にちを聞くと 一時退院後、 再入院した頃のようです。
昔から 霊感が有った兄。 最後にその力を 使ったのかな? ワタシの所にも来てくれないかな? 待ってるね。
お嫁ちゃんが産休だった事。 旦那さんの仕事仲間の 車が故障した事で 旦那さんが休んでも良くなった事。
叔母さん3人も駆け付けて 手伝っててくれた事・・・・
そして 最高 頑張っても あと一週間 と 宣告されてから 10日も頑張ってくれた事・・・・。
すべてに 兄の想い や 兄の力 を感じます。
初七日も終え、 さて 今度は ベビたんの誕生です。
「 オレが居なくなって悲しくても、 今度は赤ちゃんが産まれて 笑顔になれるよ 」 全部 順番を決めて逝ったんじゃないの?
お腹のベビーと 相談でもしたかい?
大好きな 大すきな 兄ちゃん! 優しいお月様になって、 皆を静かに見守っていてね。
会いたくなったら 夜空を見上げるから・・・ みててね。
実家生活 17日間。 自分が納得出来るように 動いた時間。 悔いはないよ。
子供達、お嫁ちゃん、叔母さん達、 旦那さんの会社の方々・・・・ 全ての人に 「 ありがとう! 」
そして 仕事を休んでまで 兄ちゃんの傍に一緒に居てくれた 旦那さん、ありがとう! 心強かったよ。 感謝してます。
ワタシも また 頑張るよ。
最高の癒し の 傍に 帰って来たよ。
夏子さん、こんばんは。 心配しててくれたんですね・・。
ありがとうね。
同じ悼みを持った方だったんですね。
辛い事 思い出させて ごめんね・・・。
兄弟を失うって事が これほど辛いとは想像もしてませんでしたよ。
同じ経験をしてる方からの声は 心に沁みて行きます。
ワタシも頑張りますね。
両親が 少しづつでも 元気になれるように・・。
コメ ありがとう! 嬉しかったですよ。 励みになりました。
頑張るぞぉーーっ!!
大好きな 秋の花巻・遠野に行きたい病がウズウズしています・・・。
ちょっと心配になっていましたが
お兄様のこと。。久しぶりのズッコさんのブログ拝見して。。
泣いてしまいました・・
なんと申し上げていいのか・・コメントするのも悩みましたが。。
私にも・・天国へ行ってしまった兄がいます。
ズッコさんのお兄さんもきっとやさしく見守ってくださっていますよ。
ご冥福をお祈りしています。。
ワラビ姉さん、 コメ ありがとう!
一ヶ月前、 久しぶりに会えて嬉しくて、 でも辛い時期で・・・。
ワラビ姉さんの顔を見て 我慢出来ずに涙が出ちゃいました。
こうして久々に ワラビ姉さんがワタシのブログを見てくれたのも、兄ちゃんの力?
ワタシが喜ぶように 力を貸してくれたのかな? そう思っておきますね。
今度 姉さんに会える時は ちゃんと笑顔で会えるように、 頑張るね~!
これから寂しくなるだろう両親を 家族 皆で支えて行けるように頑張ります。
また会える日を楽しみにしてるね!
リボンちゃん、心配かけました。
優しい心遣い ありがとうございました。
実家に行っても 兄が居ない・・ もう会えない・・ その事実が受け入れられないでいます。
小さな頃から わがまま放題の妹を、一度も怒った事がない、そんな優しい兄でした。
奥さん、子供が居ない独身の兄だから、 我が家の子供たちも距離を置かず密に接して来ました。
伯父さんなのに 最後まで呼び方は 「 兄ちゃん 」でした。
最後まで意識の有った兄の耳元で 「 にぃーちゃん! 」 と 呼ぶと、 小さな声で 「 はーい。 」 と返事してくれたよ。
退院して 牛タンや大きなエビを買ってくれる と 約束したんだけどな・・・。
今は ただただ寂しいだけ。
時間というお薬しか 治す薬は無さそうです。
ベビたんも産まれるので、 気持ち切り替えて頑張るね。
またボチボチ頑張るね! 宜しくね!
きぃさん、 心配かけました。
優しい心遣い、 ありがとうございました。
ずーっとテレビや新聞と離れた日を過ごしてたので、 皆既月食だという事を知りませんでした。
何も知らずに見上げたオレンジ色の月に、兄を重ね、胸が痛みましたが、 その後のキレイな月を見て、なんだか肩の力が抜けました。
カフェママ達が すんなり会場に着いたら・・・
絶対 見る事無かったよ。
他の人から見れば 違うんじゃない? と 言われるかもしれませんが、 他にも色々 不思議な力を感じています。
これから益々 寂しさが大きくなって行くのかもしれませんが、 残された家族で何とか頑張って行きますね。
兄に笑われないように。
いつも ありがとうね! また ボチボチやって行きまーす! 宜しくね。
ご冥福をお祈りします
みなさんで集まるときにはお兄さんの存在が大きなものだったでしょうが、これからはまさに優しい月となり、みなさんをいつも見守ってくれますね
ご本人、ご両親、ズッコ夫婦、ほんとに辛い日々だったと思いますが、最後まで付き添うことができて見送ることができて良かった
悔いはないとの言葉にホッとしました
私もあの日、あの月を見てました。
ものすごく大勢の人が、あの日のあの月を見上げてましたよ。
最後の最期まで、段取り組んで逝かれましたね。
あの豪華なBBQ大会のように。
みんなができるだけ悲しまないように。
自分のことより周りを心配される、優しいお月様だったんですね。
お兄様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。