田辺随筆クラブ会員による季刊随筆誌

第194号  目次

2010-07-31 16:10:28 | 「土」194号
      第194号  目  次


 新婚さんいらっしゃい~ ………………………… 鈴 木 輝 重 …… 1
 進駐軍 ……………………………………………… 嶋   清 治 …… 3
 春先の珍事 ………………………………………… 前 川 三千夫 …… 5
 多田神社と天誅組 ………………………………… 水 本 忠 男 …… 7
 中部ヨーロッパの旅 11 
  ―アムステルダム市内観光― ………………… 沖 水   邁 …… 9
 釣りに夢中(二) 
  ―アオリイカ― ………………………………… 三ツ木   望 …… 11
 あの空の彼方に …………………………………… 津 守 晃 生 …… 13
 終戦のころ ………………………………………… 中 田 美佐代 …… 15
 天の邪鬼的つれづれなるままに(六)
    (女の老後) ……………………………… 玉 置 光 代 …… 17
 軽食店探題(一) ………………………………… 三 瀬 シゲキ …… 19
 無傷の人生 ………………………………………… 飯 森 矩 子 …… 21
 渡辺党と松浦党 その1 ………………………… 橋 本   弘 …… 23
 石垣島紀行 ………………………………………… 国 本 多寿枝 …… 25
 リューマチをかっ飛ばせ ………………………… 竹 中   正 …… 27
 私の花物語 3 …………………………………… 小 西 茂 代 …… 29
 二つの景観と秀歌 ………………………………… 吹 揚 克 之 …… 31
 ようこそ私の庭へ ………………………………… 加 藤 栄 子 …… 33
 食について(その6) …………………………… 倉 本 孝 雄 …… 35
 桜と口蹄疫 ………………………………………… 上 原 俊 宏 …… 37
 巨鮎伝説 …………………………………………… 楠 本 清 志 …… 41
 美田 ………………………………………………… 旗 嶋 一 夫 …… 44
 梅雨 ………………………………………………… 久 本 洋 文 …… 45
 おじいちゃん先生の血液検査 …………………… 松 本 愛 郎 …… 47
 惜別の詩 …………………………………………… 竹 辺 八 枝 …… 49
 少年時代
   第一章 村を出る 4 …………………… いわもとまさなお …… 51
 夢の野菜づくり ………………………………………………………………… 53
 熊野古道へ珍客 ………………………………………………………………… 54
 感想・あとがき ………………………………………………………………… 54
 寄付のお礼 ……………………………………………………………………… 55
 懇親会のご案内、会員・賛助会員の募集 …………………………………… 56
 広 告 ……………………………………………………………………… 56・57





   194号                平成22年8月
                         (2010年)

本文紹介 ~ 新婚さんいらっしゃい~ ~

2010-07-31 16:10:18 | 「土」194号
新婚さんいらっしゃい~   鈴 木 輝 重


 我が家のマンションの共同駐車場にツバメの夫婦がやって来た。今年の五月の中ごろである。
夕方、車で家に帰ると、駐車場の配管に二羽のツバメが止まっている。車から降りると、バタバタと飛び立ち、しばらくするとまた元の配管に止まる。
 はじめは、たまたまの雨宿りかなと思っていた。そのうち、入り口の梁に横一列状に泥のようなものを点々とくっ付け始めた。測ったようにスラブから10cmほど下がったところである。
 「あいつ等、ここに巣をつくるのかな~」と女房に言うと、「新婚さんかもね」と応えた。
 海の近くに在るため、いろいろな野鳥がベランダにやって来る。
 浜ヒヨはさえずりが可愛らしく「そうか、そうか」と応えたくなるほどである。今は鉢植えのブルーベリーを女房が収穫する前に熟した順に食べてしまう。そして、食した後にはちゃんと紫色の糞をあちこちに置いて行ってくれる。
 「ほんまに・・・」といつも女房を怒らせている。
 スズメはもちろん、春先にはメジロが花カイドウにやって来てディズニーのアニメのように花を啄ばんでいる。
 大きいのになるとベランダの手すりにトンビがにゅっと止まりにくる。それが珍しいので女房が手すりにウインナーやりんごの端を置いて待っていた。あるとき、それを取りにやって来て、歩く格好が精悍な顔に似ずニワトリのようで女房と二人で腹を抱えて大笑いした。
 その後、カラスがそのえさを取りに来ると聞いたので置くのをやめた。カラスは嫌いである。
 ここに住んで五年になるがツバメが来たのは初めてだ。
 上手く巣作りが出来るのか心配していたが五月末ごろに梁の中央に場所を決めたらしく、その部分の泥の塊が徐々に大きくなってきた。
 ここに住んでいる人たちも気にはなっていたらしく、日常会話にこのツバメの話が出た。
 「どうしょうか」
 「そうやな~」が会話の中心である。
 このままにしておくと雛が孵り、駐車場の入り口に糞がポトリポトリと落ちて、汚くなると知っている。
 「自然のままに・・・」が暗黙の了解になり、住人の総意では無いがそのままにしておくことになった。
 見る間に、泥の塊が半分に割ったお椀のような巣らしく成って来た。
 「糞の掃除は出来るだけ私がやるわ」とそれを見て女房がいっていた。
 週に何回か掃除に来る管理のおばさんに迷惑を掛けられないとの思いである。
 お互いに農家の出身でツバメを大事にした環境で育った。ツバメは米農家にとっては田んぼの害虫を取ってくれる大切な益鳥である。
 「ツバメも来ん家はあかん」と明治十一年生まれのおばあちゃんが言っていた。
 私の育った家の玄関は腰から上は紙障子でツバメの居る間はその上の一部を切り取ってツバメの通路になるようにしていた。外出時は障子戸の外側に木戸があるが切り取った一部を塞がないように少し空けていた。防犯なんか考えもしなかったのだろう。
 ある時、おばあちゃんの指示でツバメの糞受けのために木梁の巣の下に釘を打つように言われ、梯子を掛けてそのように釘を打ったとたん、その振動で巣が落ちてしまった。
 「えらいことしてしもたよ~」と壊れた巣を手に持って悲しそうな顔をしたおばあちゃんを思い出した。その後、また同じ場所に巣をつくりツバメが戻ってきた。
 だれに教えてもらうのか、ちょっと小ぶりではあるが可愛い新居が六月半ばに完成した。
 良く見ると藁の寝床もあるらしい。雌であろうか、いそいそとくちばしで巣繕いをしている。傍の配管に雄らしいツバメが静かに雌の動きを見ている。
 まあ、私の経験から言うとチョカチョカせずに黙って見ているしか仕方が無いのだろう。
 三十数年前のわれわれの新婚時分を振り返っても、女房には女房なりの希望があったのだろうが、男の私には具体的にどんな希望を持っていたのか全く思い出せない。
 明日の仕事の段取りと、二人で過ごすささやかな時間のみが毎日の希望であったのかもしれない。
 最近になって、雄のほうが頻繁に飛び立っては戻ってくる。雌の方はじっと巣に着くもっている時間が多くなった。
 「卵を産んだんやろか」と女房が言った。
 夕方、車で帰宅して巣のほうを伺うと、じっとしている雌を傍の配管に止まった雄が心配そうに見守っている。
 雌はじっとしているのが仕事のように卵を抱いているのだろう。何個在るのか楽しみである。
 あれからもう二週間になるがまだ生まれないらしい。
 何時になったらピーピー泣き声が聞こえるのかこちらもじっと待っていよう。       (六月末日)

本文紹介 ~ 釣りに夢中(二)―アオリイカ― ~

2010-07-31 16:08:10 | 「土」194号
釣りに夢中(二)―アオリイカ―   三ツ木   望


 十月もなかばになれば、鮎釣りはおわる。初めての年、わたしは十一月初旬にも富田川に入ったのだが、もちろん鮎は釣れなかった。十二月にはいったころだっただろうか、わたしの師匠はイカ釣りに誘ってくれた。
 イカはアオリイカである。たいへんおいしいイカと聞いたが、当時わたしは見たこともなかった。師匠に導かれて釣具店で「エギ」を買い、ありあわせの釣竿で夕方、天神崎にむかった。二時間は歩き回っただろうか、わたしはひとつもイカを釣ることができなかった。師匠は何匹か釣られていた。
 その後、釣竿もエギング専用のものを購入した。「エギング」とは、エギという擬似餌でイカを釣る方法で、エギをキャスト(投げ入れること)し、ひたすらしゃくればよい。しかし、これがなかなか難しい。まず、思った方向にエギを投入することがそう簡単ではない。あらぬ方向にいって根がかりすれば、エギを失うことになる。当初わたしは、いったい何個のエギを失ったのだろう。安いエギもあるが(安物はすぐ壊れる)、通常は千円前後する。そんな高価なエギを、一晩で数個も失えば経済的打撃は大きい。回数を重ねれば、海底の地形などもわかりだし、エギを失うことも少なくなってくる。師匠とはその後も、夕暮れとともに天神崎へむかったが、イカが釣れる気配はなかった。
 ところが、その年の大晦日にことは突然やってきた。いつものように、夕暮れをまって師匠と天神崎へむかった。しばらくあちらこちらでエギをキャストして、きょうもイカは釣れないかもと、なかばあきらめながら「スリバチ」と呼ばれる磯(岩場)にはいった。すでに日は暮れて頭にはライトを装着していた。街の明かりがまぶしい白浜の方向にむかって、真っ暗な海にエギをキャストした。エギの着底を確認することはむずかしいが、ころあいをみてしゃくる。
 確か二度目のしゃくりだったと思うが、根がかりのような衝撃をうけた。竿がしなったまま動かない。またしてもエギを喪失したかと一瞬落胆したが、その竿をわずかに引くものがいた。「なんだ、これは?」と思いながら、リールを巻くとさらに竿がしなった。「これはまちがいない」―何かがかかっている。手にはずしりと重みがかかる。慎重にリールをまきながらヘッドライトを点けると、十数メートル前方の海面になにやら物体が光をあびて姿を現した。その物体はさかんに墨を噴射しながら後ずさりをしようともがいていた。
 磯の際までその物体をひくと、波にあわせて岩場にひきずりあげた。それはまさに、あこがれのアオリイカだった。震える手でそれをつかみあげた。計量はしなかったが、おそらく一キロはあったと思う。その様子をみていた師匠がちかづいてきて、「とうとうやったのう」とおっしゃった。それにしても長かった。一匹釣るのにおよそ一ヶ月はかかったのだ。
 その後、師匠と並んでキャストをくりかえすと、すぐに二匹目がわたしの竿に乗った。先のと同じくらいの大きさだった。師匠もたてつづけに五、六匹は釣られた。午後七時ごろ、白浜空港を飛びたつ飛行機の音を合図に釣りをおえたわたしの足取りは、いうまでもなく軽かった。寒さもなんら苦にならなかった。
 あれからわたしは、単独でも(最近はもっぱら早朝に)イカ釣りにいくようになり、多い年は百匹くらい釣ることができたし、平成十七年五月末には、二・五kgのアオリイカを釣りもした。しかしここ一、二年、原因はいろいろあろうが、急にイカが釣れなくなった。
 いまは数釣りを目的としていない。もちろん多くは釣りたいけれども、釣れなくてもいいと思えるようにもなった。というのは、天神崎そのものが、わたしにはかけがえのない場所になっているからである。
 天神崎は、いうまでもなく日本ナショナルトラスト運動発祥の地である。かつて大阪の高校教員(社会科)だったわたしは、「現代社会」の授業でとりあげたりもしたが、実際に現地をみたのはこちらに住んでからのことだった。わたしがみた天神崎は、その平坦で広々とした岩場がすばらしく、いりくんだ海岸線や背後の山(丸山も含めて)も魅力に富んでいて、それらの自然の風景はたちまち、わたしを虜にしてしまった。
 天神崎は、だから「自然観察」の場ともなっていて、妻と何回かその教室に参加したりした。岩場の割れ目の水溜りには無数の生き物(小魚・エビ・貝・カニなど)がいて、さながら自然の水族館の様相を呈している。そこでは玉井先生と知り合うこともできた。先生からはその後、アケボノツツジ観賞を目的とした、法師山や大塔山登山(両方ともかなりきつかった)などにも誘っていただいた。
 天神崎を愛するわたしが、いま一番憂えているのはゴミだ。心ない釣り人が捨てたポリ袋やナイロン・空き缶などのゴミが多数岩場に散乱している。みかねたわたしは、「ひとりボランティア」と称してせっせとゴミ拾いをしているが、もっと有効な対策はないのだろうか。どなたか、いい知恵はありませんか。