田辺随筆クラブ会員による季刊随筆誌

第205号 目次

2013-05-02 16:09:57 | 「土」205号
      第205号  目  次


 「オシッコが固い」と「かたっこ」 ………………… 砂 野   哲 …… 1
 回転コマの行方 ………………………………… 津 守 晃 生 …… 3
 三月 さくら つらつらと ………………………… 飯 森 矩 子 …… 5
 尺 八 …………………………………………… 水 本 忠 男 …… 7
 わが愛車物語(4) ……………………………… 松 嶋 吉 則 …… 9
 美香の避妊手術 ………………………………… 嶋   清 治 …… 11
 ニューヨークを知らないアメリカ人 ………… 薮   一 昭 …… 13
 「死」に関する一考察 ………………………… 三ツ木   望 …… 15
 天の邪鬼的つれづれなるままに(十六) …… 玉 置 光 代 …… 17
 やっぱり ………………………………………… 鈴 木 輝 重 …… 19
 無常雑感 ………………………………………… 竹 中   正 …… 21
 信者になって …………………………………… 畔 地 久 子 …… 23
 早春の雨 ………………………………………… 楠 本 清 志 …… 25
 不思議な縁 ……………………………………… 国 本 多寿枝 …… 27
 「伊波禮毘古」の東征(4)……………………… 三 瀬 シゲキ …… 29
 二泊三日の旅(三月三日~五日) ……………… 前 川 三千夫 …… 31
 二 題 …………………………………………… 大 原 久美子 …… 33
 空天井(からてんじょう) …………………… 小 倉 喜久男 …… 35
 春休み …………………………………………… 中 本 八千子 …… 37
 お熊野さんの桜 ………………………………… 田 上   実 …… 39
 私の四国八十八ヶ寺の旅 ……………………… 吹 揚 克 之 …… 41
 健康に感謝 ……………………………………… 栗 山 晃 一 …… 45
 青春のひとこま ………………………………… 高 嶋 一 夫 …… 46
 箸の話 …………………………………………… 上 原 俊 宏 …… 48
 少年時代 15
   第七章 精霊舟を狙う ………………… いわもとまさなお …… 55
 春 ………………………………………………… 久 本 洋 文 …… 59
 市川團十郎にみる伝統継承者への愛 ………… 田 中 芳 子 …… 61
 北信濃の霊場・戸隠山
  ―古代神話の神々を祀る聖域― …………… 笠 松 孝 司 …… 64
 特別寄稿を募集します
  『土』創刊五〇年記念誌発刊によせて ………………………………… 66
 賛助会員・会員名簿 ………………………………………………………… 67
 新会員の自己紹介 …………………………………………………………… 68
 あとがき ……………………………………………………………………… 68
 広 告 ………………………………………………………………………… 69



  205号             平成25(2013)年5月
                         

本文紹介 ~市川團十郎にみる伝統継承者への愛~

2013-05-02 16:09:35 | 「土」205号
市川團十郎にみる伝統継承者への愛   田 中 芳 子


 平成十二年、歌舞伎座で瀬戸内寂聴の現代語訳をもとに、『源氏物語』が市川新之助の光源氏で上演された。寂聴はその時の稽古の様子について、「浴衣姿の役者達が、ござを敷いた上で稽古をする。演出家はいるが実際は十二代目團十郎が、一人一人のせりふにもだめだしをし、自分で声を出して教え、所作までつけてやる。主役の新之助の場合も同様で、一番きびしい。子は父の教えを、実に素直に謙虚に受ける。全面的に師弟という雰囲気である。みんな真剣で、玉三郎(二十四年に人間国宝となる)でさえ、きちんと両膝を揃えて正座し、『これでよろしゅうございますか』と團十郎の指示を仰ぐ。古風な躾がまだ続いている世界」と書く。
 私は翌十三年に、寂聴の台本による「須磨、明石、京篇」を、京都南座で観る機会を得た。二十三才の新之助が演じる光源氏の美しさに、ただため息をつくばかりだった。寂聴の言葉を借りると、「輝くばかりの絶世の貴公子、白塗りの王朝風の姿、水もしたたる美しさ」となる。祖父十一代目、父十二代目團十郎に続き、三代の光源氏となる。父は明石の入道役で同じ舞台に立つ。
 新之助は、父の指導力や演出の才を誇りに思っていたということだが、團十郎は源氏物語についての親子対談で、「父十一代目は、口で説明するより先に手が飛んだ。自分は子が小さい時は細かく手(しぐさ)を教え、ある程度大きくなると、理論を踏まえた考え方で話した」と述べ、「市川家の伝統芸を伝授する事は難しい。先人から教わったことを踏まえた上で、最終的には当代が型をつくればいいと思っている」と、十三代目を継ぐ運命である息子に語りかけていた。
 その後も親子は、家の芸である『勧進帳』や『助六』他の演目で数多くの舞台にたつ。恵まれた資質の上に、昼夜分かたぬ稽古を続けて、新之助の演技はますます磨かれていくのだが、この間に身体を酷使続けたのだろうか、團十郎は平成十六年五月、新之助の海老蔵襲名披露興行で、『勧進帳』の弁慶を父が、富樫を子が演じる舞台の途中で病に倒れる。「悔しいやら無念やら、あらゆる語いを集めても足りない」と悔しがったというが、病魔と真正面から向き合い、治療に専念する。そして同年九月に退院をして、一度目の復帰を果たした。
   病ひ癒へし 團十郎が花道に
   姿見すれば 拍手のやまず
 十六年十一月末、京都南座での「吉例顔見世興行」の初日。客席の両側には舞妓さん、芸者衆、役者の奥様方の顔ぶれが並んでいる。初日特有の華やかさには、お祝いの気持と、これから一ヵ月に及ぶ興行が、盛会裡に終えることが出来ます様にとの、出演者、関係者そして観客の一丸となった祈りが籠もっているのであろう。
 團十郎親子は、『お祭り』で共演をする。これは山王祭の祭礼を題材にしたもので、江戸前の曲と賑やかで派手な振り付けの、人気演目である。祭りの舞台に、鳶頭の團十郎が腹掛け首抜きの着付けに、たっつけ袴の粋な姿で花道に登場する。その動きが一瞬止まったところで、「待ってました」の声がかかり、「待っていたとはありがてえ」と科白をかえし、踊りが再開するのだが、このやりとりのまえに、盛大な拍手がおこり、止むことなく鳴り続けたのだった。「南座へお帰りなさい」「苦しい闘病をよく頑張られましたね」などの、一同の思いの籠もった拍手ではなかったろうか。
 海老蔵扮する若い者が、鳶頭にからんで舞うという筋書で、團十郎の白塗りの手が、日本手拭いを頭に巻き、法被姿でしゃがんだ海老蔵の肩にふれるのを見ながら、いつも通り平静に、いなせな鳶頭を演じているが、團十郎の心の中では、「こうしてまた、ここ南座の舞台に立つことが出来た」、「海老蔵は良く努めているがまだまだ」などという諸々の思いがあふれているのではないかしらと思いながら、舞台の上の二人を観ていたのだった。
 「人の一生はあらまし定まっている。道を踏み違えぬ様に、父親は男子を訓育する」とはある作家の小説の一節だが、この年の歌舞伎鑑賞ほど、四百年という伝統の、重責ある特殊な世界とは比べようはないけれど、父と男子のあり方を、私共の二人の息子への夫の思いと共に、考えさせられる舞台はなかったと思っている。
 病は翌十七年八月に再発。新聞によると、「治療の過程で、嵐の中の船底にほうり込まれたような吐き気と痛みの、〝無間地獄〟を味わう」とある。十九年三月に二度目の復帰を果たすも、「白血病のフルコースを体験する壮絶な闘病生活」が続いていくのだった。
 二十四年一月、大阪松竹座での初春大歌舞伎。舞踊劇『積恋雪関扉』で、團十郎は関守関兵衛実は大伴黒主を演じた。それは海老蔵と坂田藤十郎との共演で、この役について彼は、「最初から最後まで休む間もなく、後半では斧を振り回すなど大変な役です」と述べている。十年近くに及ぶ闘病生活で、身心の負担もよほどかと思われるのに、天下を狙う大伴の黒主の役を、いつもの風格ある態度で、実に立派に、堂々と演じていた。海老蔵は市川團十郎と坂田藤十郎という東西の大名跡との顔合わせとあって、重圧もあろうかと思ったが、小野小町姫の藤十郎を相手に、小町姫との馴れ初めを語り出すという、艶やかな恋模様の二枚目役を、のびやかに演じていた。彼はこの公演で、父をいたわるかの様に、昼の部、夜の部の全演目に出演し、頑張っていた。今回の舞台が、私にとっての團十郎の見納めとなってしまったのだった。
 二十四年十二月、風邪をこじらせて顔見世興行を休演する。入院していても、海老蔵の「新春浅草歌舞伎」の稽古の様子をビデオで見て、「まあまあ」などと話していたという。どんなにか自身で指導をしたかったであろうか。最後の最後まで歌舞伎のことを考え、家の芸を伝授することを使命としていたその父から、子はまだまだ多くの事を学ぶ必要があったろうにと思う。
 二十五年二月三日に、團十郎さんは逝かれた。三度目の復帰は果たされなかった。演劇評論家は口を揃えて、偉大なる名優の芸歴や業績を称え、その死を惜しんでいる。そしてこの喪失が、今後の歌舞伎界に与える影響を心配する。海老蔵が巻き込まれた暴力事件については、「父として終始マスコミの矢面に立ち、息子を守り抜いた」と書く新聞もあった。
 父の葬儀で喪主の海老蔵さんは、「父は自分のことはさておいても、家族、歌舞伎、興行のことを考えていて、体がつらくても決して弱音を吐かなかった。-大きな愛のある人でした」と挨拶されていた。
 喜ばしいことに、三月二十四日の朝刊で、長男の誕生を知った。「孫の誕生を楽しみにしていた亡き父の分まで、我が児に愛情を注ぎたい」とコメントされていた。彼は祖父の十一代目に、顔かたちや性格が似ているという。生まれた赤ん坊は、これまた隔世遺伝で、祖父の十二代目のように、「おおらかで誠実な人柄で、役者としてだけでなく、統率力も演出力もある人物」に育っていってくれればいいのにと思う。
 父の海老蔵さんは、近い将来十三代目を継ぐことになる。そしてその子もまたいつの日か、十四代目團十郎として、歌舞伎座やその他の舞台に立つことになろう。私の年ではもうその姿を観ることは出来ないけれど、伝統はこうして継承されていくのだろうと信じている。

本文紹介 ~回転コマの行方~

2013-05-02 16:08:58 | 「土」205号
回転コマの行方   津 守 晃 生


 不安な時代である。すべてにおいて何となく押し止めているにすぎない、こんな気がしてならない。
 生活はコマの回転に似ている。高速で回転しているコマはブレもなく静かである。速度が落ち、蛇行が始まると、あっという間に停止してしまう。今の日本はブレ出したコマかもしれない。
 こうした危機意識は、いつの時代にも皆が感じてきたことであって今に始まったことではない。危機を作り出してきたのも人であり、修正するのも人でしかない。人が何をするかによって次の時代が決まってくる。
 不安といえば、国の財政赤字だ。一千百兆円に達した赤字国債の累積を、どのように解消していくのか。不透明のまま時間が経過している。全国民が関心を持ち、危機を認識しながら、一向に改善されない。
 赤ん坊から高齢者まで国民一人当たりに換算すると約八百五十万円の借金になる。借金の利払いだけでも膨大な額であり、少々の返済では負債額は減らない。
 国の収入は税金である。税金を払う人が国の借金の返済をしていかなければならない。所得税や消費税を払う人が返済義務を負うわけである。この返済義務人口は総人口の中でも限られた人数である。分母が少なくなってくるから、一人当たりの借金額は一千数百万円になっていることになる。
 加えて人口の減少が拍車をかける。今年の二月現在、総務省統計局発表の人口推計は一億二千七百万人。毎年約二十五万人の人口減少があるというから、二千二十年頃には日本の総人口は一億二千四百万人に減少すると推定されている。
 もし、東京オリンピックが七年後に開催されると仮定した場合、赤字国債の累計は約一千五百兆円に達する金額になっているかもしれない。人口が減少し、借金が増えていく。これは最悪の破綻コースではないか。
 こんな状況なのに問題解決のメスは入らない。反対に、名目を考えては赤字国債を増発させていく。東南海の巨大地震がくれば、二百二十兆円もの被害が出るとの発表があったが、それでは災害に備えて、国が防災積立金を準備する必要があるという発想にはならない。
 更に不思議なのは財政赤字で将来の見通しがつかない日本の通貨を世界の諸団体が為替市場で投機的に買いに回っていることである。新興国の一部の中央銀行が円の備蓄を始めたという。何故なのだろうか。
 日本が危ない。しかし、もっと危ない国が沢山あるから相対的に考えると、日本は比較的に安全なのだという見方である。アラブやヨーロッパ、米国の金融のプロ達が世界の資金を動かして稼いでいる。プロのディーラーの頭では、日本にはまだ信用力が潜在していると判断しているのだろうか。
 こんな曖昧なことを書いている私自身は、正直言って、五里霧中の中にいる。ドルを売って世界のファンド資金が円にシフトしてくる。円には禿鷹ファンドをも安心させる因子があるのか。いくら考えても納得できない。
 理解不能という不安である。この問題について百点満点の模範解答があれば、是非とも教えてもらいたい。そんなに心配することはない。日本の国民の持っている金融資産があるではないか。企業には膨大な資金の内部留保があるというが、この論法には飛躍がある。
 国の借金は国のものであって個人や企業が持っている余剰金と一緒にしてもらっては困る。これは当然の話ではないか。あくまで国のことは国の次元で解決していかなくてはならない。しかし、議員の削減も決まらない。公務員の削減もできない。軍事費、補助金や助成金の削減もできない。医療費や年金、教育予算など一体、どこをどのように縮小すればいいのだろうか。
物価が安くなるデフレの方が、庶民生活は楽である。ところが、これでは経済が成長しない。『二パーセントのインフレ目標を掲げる』という政策が鳴り物入りで打ち出された。物価が上がれば、財政収入は増える。
 インフレを促進するのなら、賃金や預金利息も上げて欲しい。当然、年金だって支給額を増額して欲しい。
 これから先、日本はどのようになっていくのだろう。
 円安がどこまで進むか。TPP交渉がどのような結果をもたらすのか。まだまだ、未知数である。現行の関税障壁が段階的に撤廃されていけば、商品市場の競争は相当にシビアなものになってくる。 
 市場のことは市場に聞けといわれる。市場こそ王者を決める乱闘リングである。それはローマ時代のコロセウムと同じ『資本の闘技場』なのだ。市場から見放された企業は膨大な借金と生産設備を抱えて死を宣告される。伝統も名誉も家柄も看板も役立たない。
 日銀総裁は白から黒に入れ替わった。囲碁の中押しにならないように願いたい。通貨量のバルブを開くのは簡単だ。締める際は国民の首を絞める。円安の中のTPP交渉、迫りくる赤字国債の返済地獄。この絵図の中で国民生活の行方はどうなるのか。慎重であって欲しい。詩経に『戦々兢々、如臨深淵、如履薄氷』とある。国の金融政策が誤れば、国民を奈落へ突き落すことになる。