田辺随筆クラブ会員による季刊随筆誌

第189号  目次

2009-05-08 15:12:12 | 「土」189号
      第189号  目  次


 山桜の季節 ………………………………………… 飯 森 矩 子 …… 1
 川原の鹿 …………………………………………… 前 川 三千夫 …… 3
 散歩 ………………………………………………… 久 本 洋 文 …… 5
 師の存在 …………………………………………… 小 西 茂 代 …… 7
 夢で逢いましょう ………………………………… 加 藤 栄 子 …… 9
 三月のおもい ……………………………………… 中 田 美佐代 …… 11
 メタボ退治(二) ………………………………… 鈴 木 輝 重 …… 13
 選挙の機微 ……………………………………… いわもとまさなお …… 15
 老後の不安 ………………………………………… 嶋   清 治 …… 17
 将軍さまのおかげ ………………………………… 竹 辺 八 枝 …… 19
 天の邪鬼的つれづれなるままに ………………… 玉 置 光 代 …… 21
 短詩二題 至福の時 ……………………………… 楠 本 清 志 …… 23
 友人の死を悼む …………………………………… 国 本 多寿枝 …… 25
 妄想、平成の桃太郎 ……………………………… 中 本 八千子 …… 27
 春一番(四十五)
   ―お見事、二人の若者― …………………… 薮 本   茂 …… 29
 ぎんなん・その4
   ―八軒家浜― ………………………………… 橋 本   弘 …… 31
 多田神社と天詠組 ………………………………… 水 本 忠 男 …… 33
 語り部シリーズ(十六)
  妙な講演依頼と余生 …………………………… 那 須 正 治 …… 35
 初めての海外旅行 ………………………………… 栗 山 晃 一 …… 37
 みんな悩んで大きくなった ……………………… 竹 中   正 …… 39
 旅のあかしは ……………………………………… 吹 揚 克 之 …… 41
 中部ヨーロッパの旅 6 
   ―モーツァルトの古里― …………………… 沖 水   邁 …… 43
 広告 誰も書かなかった田辺市 ………………… 松 本 愛 郎 …… 45
 食について(その2) …………………………… 倉 本 孝 雄 …… 47
 うそつき …………………………………………… 上 原 俊 宏 …… 49
 人生ありのままに(六十七)
   ―岩出警察署次長 新宮警察署次長
    県本部捜査第一課次席 刑事指導官―
                ………………… 田 村 禎 章 …… 53
 人生ありのままに(六十八)
   ―警察本部鑑識課長・
    警察本部外勤課長(地域課長) ―
                …………………    〃    …… 59
 人生ありのままに(六十九)
   ―橋本警察署長(一九七九年)
    県本部教養課長(一九八〇年)
    和歌山県警察学校長(一九八一年) ―
                …………………    〃    …… 63
 お 礼・あとがき ……………………………………………………………… 69
 広 告 ……………………………………………………………………… 70・71




   189号                平成21年5月
                         (2009年)


本文紹介 ~ 川原の鹿 ~

2009-05-08 15:07:37 | 「土」189号
川原の鹿   前 川 三千夫


 「これ犬の足跡か?」「どれ どれ? それ?それ鹿の足跡やら、蹄の跡ついてるよ。」
 グランドゴルフに興じていた女性達が、グランドの隅に植えて育てていた、パンジーの囲いに目をこらしている。鹿は一頭だけではない。大きな蹄と、小さな蹄の跡がくっきりとついている。
 川向いのグランドで、プレーしている人達が、月一回の交流会の時、「あんたら鹿、飼うてるんか、いつも橋の下や、近くに鹿、いてるよ」と言う。
 私たちのグランドの、上・下流域は禁猟区になっているので、鹿に限らず、狐・狸・あらいぐま・イタチ・キジなど、安心して住んでいる。これらに、てんごうしょうものなら、手が後へまわされる事になる。
 私たちのグランドは、河川敷の低い場所につくられているが、囲りには、ネットも張ってあるし、すぐ上の道路は、人通りや、車の通行も多い。しかも道路から、五米位しか離れていない。人の寝静まった間にやってくるにしても、大胆不敵としか言いようがない。
 私達や、隣のゲートボール場でプレーしている、昼日なか、二、三十米ほど先の川原の、石ころの上を連れだって走る、親子連れだろうか、三頭や、時には、五頭も走っているのを見る事が出来る。
 川の両側には葦が生い繁っているし、それに、柳の一種なのか、生命力の強い木が、そこここに枝をはっているなど、鹿や、他の動物の生息には、格好の場所が、それも、一ヶ所だけでなく、何ヶ所もある。土手には笹薮もある。このごろは、川原の木を切り払ったり、野焼きをしたりなど、河川の手入れを怠ったりするものだから、動物の数がふえて来ている。
 鹿も、河川でばかり居てくれれば良いが、道沿いの田や畑に入り込んで、農作物を喰い荒すので、田や畑の持主は、侵入防止に苦労している。
 梅畑をネットで囲ったり、田を、ぐるっとネットで囲ったりしているが、やっぱり?やられた?と言う話を聞いたりする。
 九月末頃から十月に入って、鹿の交尾期になると、毎夜の様に、鳴き声が聞こえていた。もう、そんなに数をふやさんようにしてよ、と願っているのに、先日は、とうとうグランドの隅に、美しい花を咲かせていた、パンジーの花が、すっかり食べられていた。腹の中の子に、しっかり栄養を、と思ったのだろうが、目の保養を、と願っていた私たちは、がっかりした。
 足跡をいっぱい残して…。
 すぐ上の道路沿いには、何軒も家が建ち並んでいるし、犬を飼っている家もある。鹿も、つながれている犬は恐ろしくないし、犬も、鹿が来ているのを知っていても、吠えるだけでは損だし、あほらしく、しんどいだけ、とでも思っているのか、知らん顔している様だ。
 我が家のすぐ前の土手下に、桜の木が四、五本、大きく枝をはって立っているが、「今、戻って来たら、何か目、光っていたわよ。」と息子の嫁が言う。
 なんと、もう宵の口から鹿が、その桜の木の下に来ていたのだ。そのうち、我が家の庭にも、上り込んでくるかも知れない。来てくれたら有難い、命までとろうとは言わないから、ほんの少し、背中の肉ほしいな、そしたら、柚子酢と味塩か、ごま油と味塩で、刺身にしてよばれるのに、と不尊な事を考えたりする。
 二月末ごろ、何年ぶりかで、川原の葦や畑焼きが行なわれ、枯れた葦も、ずい分と焼かれたからか、この頃は鹿の姿を見かけなくなったが、鹿が居なくなったわけではない。先日も、地区の美化作業があって、近くの橋の下へ空き缶など拾いに行ったら、鹿の足跡とたくさんの糞があったし、そのすぐ近くの場所には、狸のためぐそが盛り積んでいた。
 つい先日、喰い残されていたパンジーに、又花が咲いていた、その地に、「これ、又鹿、来たもんや、この足跡みい」と言うので行ってみたら、なんと、大きな足跡と、小さな足跡が、入り乱れて残されていた。
 腹も立たんが、まあ、ほどほどにせんかよ!という気になる。
 合川ダム湖のそばに、今は、殆ど放っておいている梅畑があり、手入れにも行かないので、鹿や、猪、兎、猿などやって来て、やりたいほうだいの事している。
 このあたりも、しばらく禁猟区になっていたので、彼らも、安心して暴れていた。
 でも。彼らは、私の手の届かないのを知って、気の毒にと思ったか、なんとかしたらな、と思うのか、鹿や兎は、草を食べ、お礼肥か、たくさんの糞を撒いてくれていたし、猪は、石垣崩したりされるのは困るが、もう何年も鍬を入れてない土を、せっせと掘り返して、耕してくれたりしていた。
 それらも、禁猟区が解けると、めったにやって来てくれないので心配になる。考えようによっては、鹿、兎、猪は、あんまり憎めない。
 猿は!こりゃ、あかな。
         二〇〇九年三月二十日

本文紹介 ~ 広告 誰も書かなかった田辺市 ~

2009-05-08 15:01:45 | 「土」189号
広告 誰も書かなかった田辺市   松 本 愛 郎


  仕事の都合で田辺市を訪れるようになってから、十年以上になる。初めて訪れた頃は、まだ平成の大合併は行なわれていなかった。
 以前から一度は、田辺市の事を書きたいと思っていた。この町について書かなければいけない事は、あまりにも多い。闘鶏神社などの名所旧跡がある。奇絶峡や天神崎などの美しい自然がある。それらにまつわる歴史や伝説がある。賢人や偉人を輩出していて、それらを称える記念館もある。田辺市を広告するというからには、これらの事に触れなければならないとは思う。ただ、郷土の事は、地元で長い間、熱心に研究を続けてこられた方々が大勢おられる。また、この「土」誌上でも何度も語られてきた。浅学な私などの出る幕はない。そこで、私なりに、この町で感じた事など書きつらねてみたい。
 初めて、田辺市に足を踏み入れた時、思ったことがある。なんて坂の多い町だろう。少し歩けば海だ。似ている町がある。神戸市である。同じく私の大好きな町の一つだ。他にも共通点がある。中華料理店が多い。しかも、どの店に入っても美味しい。町の規模もあって、店の数では、当然ながら、神戸市の方が多いと思う。けれど、レベルの高さは決してひけをとらない。田辺市内に、なぜ、これほど中華料理店が集まっているのか、地元の方で、ご存知の方は教えて欲しい。高台から見た港の景色の美しさも共通している。美しさの質は少し違う。神戸市のそれは、エキゾチックで洗練された美しさだ。田辺市のそれはどうだろう。のどかで、癒されるような美しさといえる。
 そして、一番の共通点は温泉である。神戸市は、背後に有馬温泉を擁している。我が田辺市は湯峰温泉、川湯温泉、渡瀬温泉という本宮温泉郷があり、隣接する白浜町には、名湯白浜温泉がある。いずれも、日本を代表する名湯だと思う。けれど、私は、田辺市本宮町の三つの温泉や白浜温泉の泉質の方が好きだ。飲食店を営んでいる大阪の実家では、湯峰温泉の湯で、ご飯を炊く。フワッとしてモチモチ感があって、安物の米でもすごく美味しいご飯になる。
 それでも有馬温泉は、情報誌「じゃらん」や「関西ウォーカー」の好きな温泉ランキングでは、常に上位である。同じ県の城崎温泉とトップ争いを続けている。悔しいけれど、田辺市の三つの温泉や白浜温泉がそれらよりも上位になったことはない。実際、有馬温泉の街を歩くと、活気であふれ返っている。平日であるにもかかわらず、本宮町の温泉や白浜温泉の週末よりも賑わっている。
 仕事の一環で、温泉のレポートを書くため、有馬温泉と白浜、湯峰両温泉に伺って、お話を聞きに歩いたことがある。有馬温泉では、どの旅館、ホテルもフロントはもちろん、エントランスにもスタッフの方がいて、「いらっしゃいませ」と頭を下げる。快く話を聞かせてくれる。
 白浜・湯峰の両温泉でも、快く迎えてくれた上、親切に応対してくださった旅館、ホテルはもちろんある。ところが、何軒かの旅館、ホテルはフロントに行って大声で呼ばないとスタッフの方が出て来てくれない。しかも、客でないと分かると露骨に嫌な顔をする。それどころか湯峰温泉のある旅館では、「そんな事を調べに来るのはどうせ、後から金にしようと思っているのだろう」と言われて、嫌な思いをしたことがある。しかも、入浴券も買って、客として来ているにもかかわらずである。もっとも、こんなことを書くのは、それだけ田辺市のことが好きだからである。ご理解頂きたい。
 田辺市には、神戸市だけではなく、他の町にはない物がある。この町の花の美しさはどうだろう。駅前に、街角に、道路沿いに季節ごとに美しい花々が咲き乱れている。聞く所によると、市民の方々のボランティアのたまものだそうだ。頭の下がる思いだ。そんな人々なので、人情も細やかで暖かい。
 例えば、私が車で信号のない交差点を細い道路から、広い道路へ侵入しようとしたとする。田辺のドライバーは、十まで数えるまでに、誰かが車を止めて入れてくれる。同じことを神戸や大阪でやろうとすると、たちまちクラクションのシンフォニーを聞くことになる。
 私は、自分を育ててくれた田辺市の発展を心から願ってやまない(選挙演説ではない)。それには京阪神をはじめとする、県外の観光客を呼び込む事が大切だと思う。と言っても、中心街を、まるで、取って付けたような白壁や瓦屋根に作りかえて、エセ小京都にするのは愚の骨頂だ。むしろ、その逆で、エキゾチックでおしゃれな街に変える方がいい。その上で、熊野古道で学びながら歩き、本宮温泉郷で、くつろいで、市内中心部でショッピングをする。町ごとの分業制で、観光客を素通りさせない、日帰りさせないよう仕掛けてはどうか?例えば、朝市の広場を中心部に作れば、観光客は宿泊せざるを得なくなり、素通りもできなくなる。旧紀南病院の跡地は何に使うのだろう。市内の中華料理屋さんにそれぞれ支店を出店してもらって中華街を作り、東南アジアの市場風の朝市広場を併設する。名づけてアジア村。どうかな?