空井戸

小石を投げ込んでみても水音は聞こえない

モトクロス大会関係者の「自己責任」と役所の説明責任

2004-05-17 22:04:44 | Weblog
中州の46台、“脱出路”通って無事移動…天竜川増水

国土交通省浜松河川国道事務所の笹岡三男河川管理課長は「事前に説明すべき点は説明してある。その後の運営などは自己責任の問題」としている。

すっかり「自己責任」という言葉に敏感になってしまった。

大会関係者が県警や消防に電話で救助を要請(午後4時半ごろ)
消防から連絡を受けた(時刻不明)国土交通省浜松河川国道事務所は船明ダムを管理する電源開発に連絡(午後5時20分ごろ)
国土交通省浜松河川国道事務所と電源開発の協議の上「放流をやめるのは(ダムの)機能的に難しい」と回答(時刻不明)

16日には雨で急激にダムの水位が上がったため放流量を増やし、午後5時には毎秒1600トンに達した。放流を知らせるサイレンは放流開始時と、放流量が毎秒2000トンを超えた際に鳴らすことになっているが、放流量がこの基準に達していなかったため、16日は鳴らされなかった。


犠牲者が出なくてほんとによかった。

読売社説の読みかた

2004-05-08 16:17:02 | Weblog
読売新聞2004年5月8日朝刊
社説 [イラク人虐待]「米国は厳正な調査と処罰を急げ」

アメリカによるイラク人虐待の動かしがたい事実が誰の目にも明らかになって以来、地方紙を含む各新聞社が社説で厳しい意見を表明してきた。

2004年5月4日
中日新聞(東京新聞, 北陸中日新聞) - 国際機関で徹底調査を [イラク人虐待]
2004年5月5日
朝日新聞 - イラク人虐待――「解放」の看板が泣く
琉球新報 - 米軍のイラク人虐待・国家的犯罪を許すな
2004年5月6日
中国新聞 - イラク人虐待 「解放軍」のすることか
2004年5月7日
毎日新聞 - イラク人虐待 米英は信頼回復に全力つくせ
愛媛新聞 - 米兵のイラク人虐待 「自由と民主化」には程遠い
高知新聞 - 【イラク人虐待】米の人権感覚を疑う
神戸新聞 - イラク人虐待/例外的な不祥事で済まぬ
北日本新聞 - イラク人虐待/早急に真実を明らかに
信濃毎日新聞 - 社説=イラク人虐待 国際機関の調査必要だ
北海道新聞 - イラク人虐待*米軍のおごり露見した

われらが読売新聞は、ようやく8日になって社説で取り上げた。
ちょっと遅過ぎるんじゃないの、と思いつつ目を通してみると、何だか変だ。

どうやら、報道された写真に写っている行為の直接の主体に、「嫌悪感」を結び付けようとしているらしい導入部に続いて、

 大統領は、問題の写真を、米テレビが放映して初めて知った、という。ラムズフェルド国防長官とマイヤーズ統合参謀本部議長は、最近まで内部調査の秘密報告書を読み終えていなかった。怠慢というほかはあるまい。

初めて知ったとか報告書を読んでいなかったとかの、実に実に眉唾物のいいわけを素直に信じ込んで見せるというポーズも臭いし、しかも「怠慢というほかあるまい」で済まそうとする厚かましさは社会部長さんの文章を髣髴させる。

関与した憲兵らは軍法会議に回されたが、上官が関与しての組織的虐待でなかったのかどうか。

指揮系統や責任の所在があいまいになっていなかったのか。


8日になってもこんなふうに、あたかも組織的犯罪であることに疑問の余地があるかのように書くのも変だ。

どんなに努力しても、小さな不始末で失敗に終わることがある。ブッシュ政権は事件の重大性を十分に認識し、誤りなき対応をすべきである。

読売新聞の主筆、論説委員の面々は明らかにされたアメリカのイラク人への拷問を、日本の善良な1000万読者に対して、どうしても「小さな不始末」と思わせたいらしい。

ラムズフェルド国防長官が辞任する必要

2004-05-08 10:46:09 | Weblog
読売は「米ワシントン・ポスト紙電子版(7日)が報じた同紙とABC放送による共同世論調査結果」として

米国防長官の辞任「不要」7割…米メディア世論調査

という記事を配信した。

CNN.comのQuickVote では、現在(Created: Friday, May 07, 2004, at 07:18:58 EDT)

He should resign 47% 15419 votes
President Bush should fire him 24% 7883 votes
He should stay put 29% 9491 votes
             Total: 32793 votes

また読売は

すまない、すまない、と米大統領6回…虐待謝罪

という記事も配信してる。「すまない」といってもどうせ軽い`sorry'なんだろうに。

先のラム某関連記事と合わせて読売の意図的な報道姿勢が読み取れそう。

4月30日のイラク人質会見と読売新聞の反応

2004-05-01 22:42:32 | Weblog
30日に行われた郡山さんと今井さんの記者会見について、5月1日朝刊の社会面で読売新聞は、これまでの報道姿勢から考えると意外なほど淡々と事実を伝えていた。

しかしその記事のすぐ隣に、「自己責任と言われ心外」という記事自体の見出しよりも大きな見出しがついた、記事本体よりも長い文章が添えられていた。

それが以下に引用する社会部長楢崎憲二氏の『「自己責任論」は悪者か』だ。

楢崎憲二氏は今回の読売による「人質叩きキャンペーン」の表の顔だった人だ。人質解放の報道にぴたりと合わせて、『軽い行動、重い責任』という極めてけったくその悪い署名入り記事を紙面にねじ込んだのはつい先日、4月16日のことだ。

その人が、注目されていた二人の会見の報道に合わせて、またまたこんな文章を書いている。

2004年5月1日読売新聞朝刊社会面(32面)
『「自己責任論」は悪者か』(社会部長楢崎憲二)署名記事

 「自己責任論」がすっかり悪者になってしまったようだ。イラク人質事件の被害者も三十日の会見で「私たちにはあてはまらない」と反論した。しかし、どうも議論がかみ合っていないように思えてならない。

 「ジャーナリストは危険だからこそ現場に行って伝えるべきことを伝える」「イラク戦争の現実を伝えることこそが責任だと思う」。彼らのそんな発言はそれなりに正しいと思う。

 後方から大局的に分析しつつ戦争を伝えるのもジャーナリズムの一つの重要な方法だが、現場に立つという方法を彼らが選ぶのを阻む権限はだれにもない。

 被害者にNGOの活動家がいたことから「危険だからといって政府を補完する使命を放棄するわけにはいかない」とする声も最近よく聞く。日本の多くのNGOは彼らが拘束された時点ではイラクから退避していたが、だからといってあえて現場入りを選択する自由がないわけではない。

 複数の選択肢がある中で、一つの道を毅然と選ぶ。自己責任が発生するのはそこだ。その道が人の勧めない道ならなおさら、結果についての責任は誰にも求められない。自ら潔く引き受けるほかにないのは当然だろう。

 今回の問題でなぜ自己責任論が出てきたか、思い出してみたい。発生直後、主に家族とその周辺では、政府批判や自衛隊の撤退を求める声が相次ぎ、実に手際のよいデモや署名集めも行われた。一方で、自らの責任についての言及はほとんどなかった。

 他に責任を転嫁する前に、まず自らの責任を明らかにするべきではないのか。つまり、責任転嫁との対比で厳しく問われたのが自己責任だった。それ以上でもそれ以下でもない。

 これを受け、家族の姿勢はその後いくぶん変化した。被害者も救出直後、国民を心配させ、迷惑をかけたとして、謝罪した。自己責任論は、その意味では当事者には一定程度理解されたと考えていいのだろう。

 気になるのは、こうした空気の変化を、日本の言論状況が「未熟」なためだとする議論が、一部で強まっている点だ。いわく「政府に反対する人間の口は封じるのか」「NGO活動を押さえ込もうというのか」。被害者の責任を問う声が政府与党にも根強いことが背景にあり、自己責任論はそれを鵜呑みにしているというのだろう。

 しかし、こうした議論は、政府は悪、民間は善とする、もう一つの思い込みから出ていないだろうか。当事者さえ一部認めている自己責任を素通りし、だれも考えていない「脅威」を持ち出して危機感をあおる。これは、あまりフェアな態度とはいえない。

 テロにつけ込まれない、国際社会で尊敬される国をどう実現していくか。それこそ成熟した議論が求められている。


右翼の街宣車以上に声高に「自己責任!」「自己責任!」と叫んでいた読売の紙面を作っていた責任者にしては、ずいぶんとおとなしい物言いだと思う。その声の異常なほどの大きさで、どれほど多くの人の心を現実的に傷つけたかという楢崎氏をはじめとする読売経営陣の「責任」についてはまったく気がついていないふりをきめこんでいるようだ。

ところで上の記事で楢崎氏は「自己責任論」が出てきたのは人質の「家族とその周辺」の言動のせいだ、「それ以上でもそれ以下でもない。」と書いているが、4月16日朝刊に彼が書いた『軽い行動、重い責任』を読み合わせてみよう。

軽い行動、重い責任

 「抱きしめてやりたいけど、殴ってやろうかとも思う」。人質の肉親の1人が解放が予告された際に語った言葉が耳に残っている。その複雑な思いが、私たちの思いと重なるからだろうか。

 3人の安全を祈らなかった人はいない。全員の無事解放は本当に良かった。そのことを幾重にも強調したうえで、相半ばする喜怒の「怒」についても、この際明らかにしておかなければならない。

 一つは、危険を承知の上だったにもかかわらず、3人にそれへの備えが決定的に欠けていたことだ。

 外務省はイラク全土の邦人に昨年2月から「退避勧告」を出している。この間、具体的な危険を伝える渡航情報は27回も出された。しかも、3人がそんなイラクに入ったのはシーア派過激派が各地で暴動を起こし、全土が騒乱状態に陥った直後のことだった。

 彼らのうちの1人は出発直前のメールで「情勢が悪化してきた」との認識を示しつつ「あとは運次第」と書き残していた。無謀さの証拠と言える。途中で引き返すのは勇気のいることかも知れないが、何の安全策も施さずに突入したのでは、自殺行為と言われても反論はできない。

 発生直後の記者会見で、安否情報がないことなどを巡って家族が政府を批判するのを見て、首をかしげた人は少なくなかった。14日の外国特派員との会見では家族から謝罪の言葉も聞かれたが、救出された3人も猛省が必要だ。

 もう一つは、結果の重大性だ。3人が自ら招いた危機が、自衛隊の撤退という一国の姿勢と秤(はかり)にかけられた。人命か国策かという重い命題が、あまりにも軽い行動からもたらされたことに、だれもが戸惑った。

 自衛隊の派遣に反対した人たちの中には、卑劣な犯行を自説の補強に使うような動きもあった。解決が長引けば、国際常識を向こうに回してそんな議論が勢いを得ていた可能性もある。3人の罪というほかない。

 幸いにもこの8日間、自衛隊の進退について、政府、与党に姿勢のぶれはまったくなかった。人質と引き換えに巨額の身代金付きで過激派を野に放った過去が、今回の犯行の引き金になったとする指摘がある。苦い教訓を今後も生かす強い決意が求められる。

 「日本の街の声に我々は耳を傾けた」「友人たる日本の人々に、イラクにいる自衛隊を撤退させるよう日本政府に圧力をかけることを求める」

 人質解放を予告した声明文で、武装グループは、何か所か、日本の政府と国民の分断を狙ってこんな言い方をしている。

 1人の振る舞いが、回り回って1億人の命運を左右することさえ起こしかねない。今回の事件で、そのことを改めて実感する。(社会部長 楢崎 憲二)


「自衛隊の派遣に反対した人たちの中には、卑劣な犯行を自説の補強に使うような動きもあった。解決が長引けば、国際常識を向こうに回してそんな議論が勢いを得ていた可能性もある。3人の罪というほかない。」

楢崎氏自身が書いているように、いわゆる「人質バッシング」の背景には小泉政権への批判が高まることを恐れた一部の人々の過剰なまでの自己保身欲求があったはずだ。こうした「反日的分子は吊るせ」的な声も「自己責任論」には最初から含まれていた。それなのに「自己責任論」に対する批判や疑問が語られるようになるや、すべての原因を「家族とその周辺」へ「責任転嫁」するのは実に卑怯な態度だ。

楢崎憲二というひとは、同志社大で人権と報道についての調査・研究を行っている浅野健一教授の「読売新聞は進歩的な新聞だった - 社論の大転換に説明責任」にも名前が出てくる。

読売新聞の記者として働いていた山口正紀氏が「週刊金曜日」に寄せた朝鮮問題をめぐる記事が原因で、2003年2月1日付けで記者職を剥奪された事実をめぐって山口氏が書いた、

山口正紀《外部の圧力で「記者職」剥奪》
「週刊金曜日」444号(2003年1月24日)

に対して、

楢崎憲二《読者の混乱を招いた「記者」の肩書き》
「週刊金曜日」452号(2003年3月21日)

という寄稿記事で反論している。(このとき楢崎憲二氏は読売新聞東京本社広報部長。)

そのうちこの人の名前をもっと頻繁に目にするようになる日がくるのかな。そうならないことを、おじさんは強く希望します。


「島」か「岩」か

2004-05-01 00:18:59 | Weblog
[沖ノ鳥島]「唐突に『岩だ』と主張し始めた中国」[4月30日付・読売社説(2)]

「沖ノ鳥島」とは

沖ノ鳥島は東京から約千七百キロの太平洋上に浮かぶ無人島で、北小島と東小島からなる。高さは一―三メートル、広さは合わせても四畳半ほどだが、行政上は東京都小笠原村に属する。

常識的な感覚からいえば、ふたつあわせて4畳半くらいの広さしかない「島」なんておかしい、と思う。この常識的感覚を敢えて歪めるようなことを読売という日本の「大新聞」が社説で書くからにはそれなりのりっぱな理由があるんだろう。


「沖ノ鳥島は島である」の根拠

読売はこの社説で、沖ノ鳥島は『れっきとした「島」である』と書いているが、その根拠としてあげているのは以下の3点。

海洋法条約一二一条一項で、「自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にある」とする「島」の定義に合致している。

政府は、一九八八年から護岸工事などの保全措置を講じている。気象観測装置を設置し、ヘリポートを作るなど、島として利用している実態もある。

日本が九六年に海洋法条約を批准し、沖ノ鳥島の周囲に排他的経済水域を設定することを国連に届け出て以降、異議申し立てをした国は中国も含めて皆無だった。国際社会は「島」と認めてきた。


「沖ノ鳥島は岩である」の根拠

その根拠として、中国は、海洋法条約一二一条三項の「人間の居住または独自の経済的生活を維持できない岩は、排他的経済水域または大陸棚を有しない」を挙げた。


「こんな主張は容認できない。」といわれても、社説を読むだけではなんだかすっきりしない。なぜなら、海洋法条約一二一条三項を根拠にする中国側の主張のほうが、4畳半の広さしかない島で人が生きていけるわけないだろ、という常識的感覚に近いからだろう。

でも日本の「国益」を考えると島であっては困る。だから「岩」じゃない「島だ」と強弁しなきゃならない。

という考えは理解できる。「岩だ」と主張する中国政府だって、何も私の幸福を願ってくれているわけではないだろうし。

それでも、というか、それだからこそ、というべきか、もっと尊敬できるような論陣を張ってほしいな。読売さん。

日本人ひとりひとりにとっての、沖ノ鳥島が島であることの「利益」と、岩であることの「不利益」を、私ははっきりと想像できるかなあ。