ヨウ素剤で刑事7人に踏み込まれる

ヨウ化カリウム、ヨウ素剤、安定ヨウ素剤、放射線防護剤、KI、Potassium Iodide

“助けない”日本人

2012-10-24 11:47:03 | 事実経過

“助けない”日本人

とにかくわたしはあの7人の刑事たちを最終的には打ち負かすことができたと思っている。それも自分一人の力で。彼らはあれだけの人数でわたしに襲いかかったが、けっきょく起訴には持ち込めなかったのである。時間はかかったものの何とかわたしは権力の魔手を撥ね返せたと自負している。黙って言いなりになっていたら、間違いなく “社会不安に乗じて荒稼ぎをしようとした悪徳業者” として起訴されていたはずである。

勝ち目が無い、あまり金にならないケースと思ってか、弁護士は背を向けた。必死だったわたしが再度メールしてもナシのつぶてだった。わたしを見捨てた弁護士にはわたしが自力で勝ち取ったこの 「不起訴処分」 という結末は知らせていない。起訴されたものと思っていることだろう。

 

友人の説教

親しい友人も背を向けた。 「自分勝手なことをして法律を破って、大事な家族に迷惑をかけたわけでしょ」 と、このわたしに説教をするだけであった。わたしがヨウ素剤の意味、東日本大震災の核災害時におけるヨウ化カリウムの重要性について説明しても、まったく耳をかさなかった。

核災害直後に実際にこのわたしがネット販売したヨウ素剤を求めて購入した福島県をはじめとする東北の人々がいたのは事実である。そのことを言っても、「要するに、法律違反でしょ」 と言うだけであった。市会議員をしている別の友人にもメールで事情を話して相談に乗ってもらおうとしたが、ぬらりくらりと逃げられてしまった。

どうやら、お上(かみ)に盾突く人間に与(くみ)するのは得策ではない、とふつうの日本人は本能的に思うようである。自分が友人として応援や関与をしないことを正当化するためにこそ、その当事者の非を責めるのではなかろうか。自分が悪いんだろ、ということのようだ。

そもそも法律的には “違法” であることはわたしも認めているのである。広島・長崎の原爆投下以来の最大規模の核災害の直後という緊急時に、政府が備蓄の配布を渋っていたヨウ素剤を、わたしが “勝手に ”自由に購入できるようにネット販売したことを単に “法律違反” で片づけるかどうかという問題であるはずだ。

偽善に聞こえることを恐れずに言えば、わたしは “人助け” のために “法律違反” をしたと思っている。実際わたしは自分の販売するヨウ素剤が誰かの助けになってくれればいいと思っていた。それが “犯行” の動機である。

わたしはその友人に次のようなたとえを挙げて話をした。「道を歩いていたら、ある建物から火が出て燃えだしているのを目にしたとしよう。周りには誰もいないとしよう。そのとき、フェンスを乗り越えて敷地に入って火を消したとしよう。この人間の行動は法律違反である。住居不法侵入である。この人間を起訴することは可能であるけれど、あなたはどう思うか?」 このたとえに対してその友人はぴしゃりとこう言った。「火事の場合は人が死ぬかもしれないが、あなたの場合はそうではない。」 と。

わたしはそこまで言う友人の無理解に絶望的な気持ちになった。広島、長崎に次ぐ3度目の核災害の発生数日後の段階であった。被害の実態もつかめない状況で、ひとが死ぬ可能性が無かったと言えるであろうか?たとえ死ななくても、放射線障害に苦しむひとが出てくる可能性は十分にあったと言えないであろうか。しかし、わたしはあえて反論もしなかった。友人と思っていた人間が目の前にいても、すでに背を向けている悲しい事実に打ちのめされていた。

彼の言いたいことはつまり、「あなたのしたことは人助けでもなんでもなくて、ただの法律違反ですよ。それもしなくてもいいことをわざわざして家族にも迷惑をかけた馬鹿な行為ですよ。」 ということであろう。わたしのした行為を “偽善” とすら思っていたかもしれない。

道義的に正しいかどうかというむずかしい問題を、単に法律的問題に限定して 「要するに、法律違反でしょ」 と言い、わたしの行為は “自業自得” ということにされたのである。

 

家族の白い目

恥ずかしながら、家族ですらわたしに背を向けた。妻は7人の刑事の襲撃直後から体調を崩し、めっきり老けこんでしまった。そればかりか、このわたしとあまり口をきかなくなってしまった。わたしのせいで警察が来たという理解である。それでわたしに対して恨みを持っているのであった。しかし、その妻は、あの3.11の核災害時にこのわたしがヨウ素剤を必要としているひとのために輸入しようと持ちかけた時には賛成していたのである。

娘は母親に吹き込まれてわたしを警察の厄介になった犯罪者というふうに見るようになった。自分勝手なことをして家族に迷惑をかけている無責任な父親というふうにわたしを見て、以来わたしと距離を持とうとしている。しかし、わたしが不起訴になって少し態度が軟化した。

近所の家々にも「あそこの家には警察が来ていた」 という話が伝わった。警察の襲撃の数日後にも娘は近所のひとに路上であいさつがてらに 「何かあったの?」 と訊かれたりした。娘はなにも言えずに帰って来た。

たとえ最終的に警察の襲撃を撥ね返したとは言え、警察は相当の被害、ダメージをこちらに与えている。実質的にはほとんど “罰” を下したようなものである。世の中のふつうの人間の警察観は幼稚園のこどもと変わらない。「警察はいつでも正義の味方で、悪い人をつかまえる」 という幼児レベルの理解にとどまっている人はけっこう多い。

面白いことに、警察を “信じている” ひとは、医者も “信じている” 傾向がある。お医者さんは病気を治す、という素朴な、ほとんど牧歌的な観念を抱いている人は世の中に多い。わたしは、多くの医者は、病気を治すフリをしながら背後の製薬会社と結託して金を儲けている種族であると思っている。 警察は、正義のために働いているフリをしながら、実際は背後の巨悪の手先になって動いていることがよくあると思っている。