ヨウ素剤で刑事7人に踏み込まれる

ヨウ化カリウム、ヨウ素剤、安定ヨウ素剤、放射線防護剤、KI、Potassium Iodide

ヨウ素剤の ”備蓄” にどれだけ意味があるか?

2012-09-30 12:25:35 | 主  張

ヨウ素剤の ”備蓄” にどれだけ意味があるか?

 

“備蓄” というと、非常災害時のために自治体や学校や企業などが乾パン、水、毛布などを倉庫に蓄えておくイメージがあります。非常災害といっても、やはり地震などの自然災害を想定している場合が多いのではないでしょうか。たしかに食糧、飲料水、防寒用具は最低限必要ななものです。そして、地震だけでなく2011年の3.11福島原発事故のときのように、原子力災害の可能性も考えると、上記の備蓄にヨウ素剤を追加しようと考えるのが合理的であるように思えます。ところが、これがまったく違うのです。

ヨウ素剤(ヨウ化カリウム)が想定している核災害は原発事故であれ、核ミサイル攻撃であれ、非常に緊急性があります。たしかに食糧や水も緊急性がありますが、核災害によって広がる被爆の危険は災害発生から刻々と広がります。そして放射線は目に見えません。ですから、その核災害が発生した地域の人々はすぐにヨウ素剤を服用しなくてはならないのです。放射性ヨウ素が目に見えないまま町を覆ってきている場合、出来るだけ早く服用しないと無意味になります。

人間は食べ物、飲み水が無くても24時間くらいは平気です。しかし、ヨウ化カリウムは24時間も待てないのです。核災害が発生、もしくは発生した可能性がある状況であれば、直ちに服用を始めなければ手遅れになります。ですから、通常の備蓄用品と同列に考えてはならないのです。

そもそも備蓄してあるものが、配布されるのにどのくらいの時間がかかるでしょうか?ここでは自治体による備蓄を問題にしています。県庁や市役所などの自治体の施設に備蓄してあるものが地域住民に配布されることを想像してください。ここで問題としているのはヨウ素剤であり、放射線被爆の危険が迫っている状況であれば、先を争ってパニックが起きることも想像できます。「子どもがいるんです!早くくださーい!」という母親が続出してもおかしくありません。

また、言葉で「配布」と言っても、メールの一斉メールとはわけが違います。住民がその市役所の倉庫まで取りに行くのか、それとも自治体の職員が各家庭に配って回るのか。そもそも核災害時に自治体の職員が全員揃っているという前提で考えることじたい楽観的すぎるかもしれません。どちらにしても相当の時間がかかることは明らかです。非常災害時でなかったとしても、1日かかっても終わらないのではないでしょうか。また3.11のときのように地震や津波などが重なっている場合は、交通が渋滞もしくは寸断されていることもありうるわけで、ヨウ素剤を運ぶトラックが立ち往生するようなことはいくらでも考えられます。

必ずや混乱して、足りなくなる事態が発生します。そして必要としている人々の多くが配布を受けずに終わることになります。けっきょく、ヨウ素剤を1日以内、いや2日以内に地域住民の全員に手渡すことですら不可能に近いのではないでしょうか。そうなると、核災害の発生から1時間以内に地域住民全員が服用できるように配布することは不可能というより、もう馬鹿げた冗談でしかありません。しかし、”自治体によるヨウ素剤の備蓄”はこの馬鹿げたことを前提にしているのです。

(ただし、家庭への配布のための備蓄と違って、学校や会社、事業所での備蓄はこれとはまったく事情が違って意味があり、むしろ必要だと思います)

上記に想定した備蓄の配布のシナリオは、実際に配布を決定した場合のケースです。しかし、3.11のときは、備蓄がありながらも配布されなかったケースがほとんどでした。配布が必要であり、一刻の猶予もない状況下でありながらも、配布を見送ろうという判断が実際は下されていたのです。そして、その判断を下した当人たちは飲んでいたに違いありません。一般の市民にはとても理解できないような論理、発想が為政者や官僚や自治体の首長の行動や判断を左右することが非常時、有事の際には起きるものです。このことを忘れてはいけないと思います。


世界中で売られているヨウ素剤、ヨウ化カリウム、KI

2012-09-26 11:42:57 | 資  料

以下のヨウ化カリウム商品は世界でふつうに手に入るものの一部です。少なくともこれだけのものが流通していて、そのほとんどはサプリメントか一般医薬品扱いで、海外では薬局、ドラッグストアで処方箋もなしに買えるものです。

日本ではヨウ化カリウムは薬事法によって”劇薬”指定の医薬品にされてしまって、簡単に一般の人々の手に入らないようにされています。処方箋もなしに手に入れたり、ひとに譲ったり、貯蔵しているだけで薬事法違反になります。つまり、犯罪者にされかねません。3.11原発事故後はさすがに政府が一部の製薬会社にヨウ化カリウムの緊急増産を指示したようですが、ほとんどは自治体による備蓄目的のものです。製薬会社には大口の”特需”だったはずです。しかし備蓄は配布ではありません。3.11福島原発事故の際も、極秘に保管してあった備蓄も大半は手つかずのままで終わっています。そして、ヨウ化カリウムは相変わらず薬事法によって”劇薬”指定の医薬品のままで、ドラッグストアや薬局でも店頭には置かれず、一般の目に触れないようにされています。なぜヨウ化カリウムが日本では”日蔭者”にされているのか。これは日本の原子力政策の根幹に関わる問題です。

 

 


Japan Officials Failed to Hand Out Radiation Pills in Quake's Aftermath

2012-09-17 11:26:57 | English

ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、福島第一原発直後の住民被ばくに対して、政府は行うべき住民のための防護策を怠っていた実態を、政府関係文書と政府機関や自治体関係者のインタビューによって明らかにしました。

Thursday, September 29, 2011 As of 12:00 AM  :The Wall Street Journal Asia

ASIA NEWS SEPTEMBER 29, 2011

 Japan Officials Failed to Hand Out Radiation Pills in Quake's Aftermath

「日本の行政機関は震災余波の中、ついに放射能防護剤を住民に手渡さなかった」


 “核”発電所 と言わないワケ

2012-09-12 19:39:07 | 主  張

 なぜ “核”発電所 と言わないか?

日本ではなぜか一般に "nuclear" power plant を、“原子力” 発電所 という。

ちょっと待ってくれ、“原子”は “atom”  ではなかったか? 

たしかに、英語では “atomic" power plant   とは言わない。

 

nuclear      power plant

 原子力?      発 電 所

              power plant  は電気工場、つまり電気を生産する施設を意味する。

 

問題は、 頭の “nuclear”  である。 というか、 日本語の “原子力” のほうである。

“nuclear” は “核” ではないか? さらに言えば、核物理学的に言っても、原子=核ではない!  “核” つまり “原子核” は、 “原子” よりも小さいはずではないか?

原子爆弾というものがあって、かつて地球上で使用されたことがある。それも、一般市民に対して使われたもので、しかも日本に落とされたものだ。日本の二つの都市に落とされ、壊滅的な被害を与えたものだ。人類史上実際に使用された兵器のうちで最大の破壊力を持つものであった。もちろんこの原子爆弾よりもはるかに上回る破壊力を持つ兵器もその後いろいろ開発されているし、ミサイル型のものもあり、スーツケース型の小型のものもある。

さて、この “原子爆弾”(単に”原爆“ともいう) という名称だが、英語ではたしかに “atomic bomb” である。しかし、この“atomic bomb” という呼び名ははその後使われず、以降 “nuclear bomb”(核爆弾)、さらに広くは “nuclear weapon”(核兵器) という。

 

ここでよく誤解が起きるので、注意してほしい。原料が原子から原子核に変わったというわけではない。当初も今も、莫大なエネルギー源として核分裂を利用するという原理とその応用の事実は変わらない。最初はおおざっぱに”原子””原子力” と呼んでいただけである。しかし、より定義が厳密になって、 “atom”(原子) ではなく、 ”nucleus”(核、原子核)、そしてその形容詞として ”nuclear”(核の)という語が使われるようになったのである。これはちょうど、発見当初は AIDS(エイズ) と呼んでいたものが、その後の研究により厳密な定義として HIV(ヒト免疫不全ウィルス)と呼びならわされるようになったようなものである。科学の歴史ではよくあることだ。

 

なので、英語では軍事利用であれ、平和利用であれ、今日ではすべて ”nuclear”(核) を冠して呼ぶ。大量殺戮という目的であれ、電気を作る目的であれ、エネルギー源はすべて同じ核分裂なのである。

          nuclear energy =   エネルギー

        nuclear facilities  =   施設

        nuclear weapon  =  兵器

         nuclear missile   =  ミサイル

      nuclear warhead   =   弾頭

nuclear disarmament   =   軍縮

 

     nuclear submarine  =  潜水艦

  nuclear-powered carrier =  空母

    nuclear power plant  =  発電所

 

いろいろと用例をあげたが、最後の3つの日本語は見慣れないので、違和感があったかもしれない。実はこの”違和感”がくせものなのである。

“原子力潜水艦”、“原子力空母”、“原子力発電所” と書いたり、言ったりしてくれないと不自然に感じるほどに日本人は洗脳されているのである。それはこういうことである。

  英語では、核分裂から取り出すエネルギーを”atomic”(原子) とはもはや呼ばず、"nuclear" (核)と呼び替えて、もう半世紀以上経っていて世界の常識である。たとえば、フランス語でも韓国語でも、ロシア語でも、中国語でも、みなそれぞれの言語での“核”を使っている。

実は、この今では廃語の“原子力” (atomic) という用語を後生大事にして未だに利用している日本は世界でも非常に例外的な国であり、これには深い理由がある。

種明かしをすると、日本では平和、安全であることを印象づけたい場合、もしくは軍事的核利用の印象を薄めたい場合に “原子力”が使われているのである。そして、“核”のほうは “戦争、危険” に使われている。この言葉の巧みな使い分けによる組織的洗脳は、東京電力と政府によるもので、過去半世紀にわたって一貫して機能してきている。

なんで東電が張本人だと言えるのか?”核”を使った発電所を日本に導入した1960年代にはもう世界的に “nuclear” power plant という呼称が定着していたのに、それをわざわざ”原子力”発電所 と呼んで国内で広めたのは東電と政府の深謀遠慮である。しかし、最近は用語が増えて、さすがにこの言い換えが追い付かなくなって、ほころびかけている。しかし、それでもいちばん影響力のある“原子力発電所”“原発”という言葉を一般化させて、その建設、稼働に反対する人たちも知らずに使っているのだから、言葉による洗脳は恐ろしい。 

原子力 = 平和 = 安全 = 善い

    = 戦争 = 危険 = 悪い

  この二元論を国民に刷り込むために “原子力” という廃語を”廃物利用”して巧みに使いまわしてきたのである。

それでは、“原子力潜水艦”、“原子力空母” はどうなんだ?これらを平和利用とは言えないだろう?そうである。これは、2つめの「軍事的核利用の印象を薄めたい場合」に当たる。動力源と兵器の両方に核を使うようなアメリカの軍用艦船はしばしば日本に寄港、停泊し、新聞でも報じられる。反戦団体、反核団体がデモなどの運動を行うこともある。そういう状況で、“原子力=安全=善” という呪文が多少功を奏するのである。“核=危険=悪” ではありませんよ、という裏のメッセージを受け入れさせて、いわゆる”核アレルギー” をなだめるためである。

新聞、テレビを通じて一方で 「原子力発電所」、「原発」、「原子力の時代」「原子力平和利用」、そしてもう一方で「核兵器」、「核廃絶」、「非核三原則」、「核実験」という活字、音声が何十万回、何百万回と繰り返され、国民の頭に刷り込まれてきたのである。こうした言葉を疑わず、その言葉を受け入れてその言葉で思考していると、本人が意識していなくても”原子力”と”核”の善悪二元論の枠組みが頭の中にしだいに出来上がってくるのである。頭の中にいつの間にか引き出しが2つ出来てくるのである。当然だろう。

つまり、政府と電力業界とマスコミによって、日本人は “原子力”  “核” とが ”善” 悪” という対立概念であるかのように思わされてきたのである。政府も電力業界も、“原子力開発=安全”はしているけれど“核開発=危険”はしていませんよと国民に思わせて、安心させ、油断させることに成功したのである。日本を、原子力=安全”発電所だらけにできた背景にはこうした陰の努力もあったのである“核=危険”ではここまでスムーズにはいかなかっただろう。日本の新聞もテレビもこの二元論を疑わずに垂れ流すかたちで加担してきた。じっさい、”非核三原則”とは言っても、”非原子力三原則”とは決して言わないのだ。原子力潜水艦原子力空母も、核潜水艦、核空母 ではない" から入って来れるということだ。

実体はすべて同じ “核” である。この禍々しい(まがまがしい)現実を少しでも覆い隠すために、“原子力=安全”というラベルを忙しく貼りまくってきたのである。“原子力”でもすでに十分禍々しいと言うひともいるだろう。そう思えるようになるためには3.11福島原発事故を待たなければならなかったのである。言葉によって、マスコミの利用によって、国民の思考、発想が優に半世紀以上も操作されてきた一つの例である。実に見事な洗脳工作ではないか?してやられたものだ。

これは何となくそうなったというものではない。意図的、計算ずくの結果である。そしてこれは、そのほんの一端であり、まだ見破られていないものもある。脱原発だけでなく脱洗脳も必要ではなかろうか?