なぜ “核”発電所 と言わないか?
日本ではなぜか一般に "nuclear" power plant を、“原子力” 発電所 という。
ちょっと待ってくれ、“原子”は “atom” ではなかったか?
たしかに、英語では “atomic" power plant とは言わない。
nuclear power plant
原子力? 発 電 所
power plant は電気工場、つまり電気を生産する施設を意味する。
問題は、 頭の “nuclear” である。 というか、 日本語の “原子力” のほうである。
“nuclear” は “核” ではないか? さらに言えば、核物理学的に言っても、原子=核ではない! “核” つまり “原子核” は、 “原子” よりも小さいはずではないか?
原子爆弾というものがあって、かつて地球上で使用されたことがある。それも、一般市民に対して使われたもので、しかも日本に落とされたものだ。日本の二つの都市に落とされ、壊滅的な被害を与えたものだ。人類史上実際に使用された兵器のうちで最大の破壊力を持つものであった。もちろんこの原子爆弾よりもはるかに上回る破壊力を持つ兵器もその後いろいろ開発されているし、ミサイル型のものもあり、スーツケース型の小型のものもある。
さて、この “原子爆弾”(単に”原爆“ともいう) という名称だが、英語ではたしかに “atomic bomb” である。しかし、この“atomic bomb” という呼び名ははその後使われず、以降 “nuclear bomb”(核爆弾)、さらに広くは “nuclear weapon”(核兵器) という。
ここでよく誤解が起きるので、注意してほしい。原料が原子から原子核に変わったというわけではない。当初も今も、莫大なエネルギー源として核分裂を利用するという原理とその応用の事実は変わらない。最初はおおざっぱに”原子””原子力” と呼んでいただけである。しかし、より定義が厳密になって、 “atom”(原子) ではなく、 ”nucleus”(核、原子核)、そしてその形容詞として ”nuclear”(核の)という語が使われるようになったのである。これはちょうど、発見当初は AIDS(エイズ) と呼んでいたものが、その後の研究により厳密な定義として HIV(ヒト免疫不全ウィルス)と呼びならわされるようになったようなものである。科学の歴史ではよくあることだ。
なので、英語では軍事利用であれ、平和利用であれ、今日ではすべて ”nuclear”(核) を冠して呼ぶ。大量殺戮という目的であれ、電気を作る目的であれ、エネルギー源はすべて同じ核分裂なのである。
nuclear energy = 核エネルギー
nuclear facilities = 核施設
nuclear weapon = 核兵器
nuclear missile = 核ミサイル
nuclear warhead = 核弾頭
nuclear disarmament = 核軍縮
nuclear submarine = 核潜水艦
nuclear-powered carrier = 核空母
nuclear power plant = 核発電所
いろいろと用例をあげたが、最後の3つの日本語は見慣れないので、違和感があったかもしれない。実はこの”違和感”がくせものなのである。
“原子力潜水艦”、“原子力空母”、“原子力発電所” と書いたり、言ったりしてくれないと不自然に感じるほどに日本人は洗脳されているのである。それはこういうことである。
英語では、核分裂から取り出すエネルギーを”atomic”(原子) とはもはや呼ばず、"nuclear" (核)と呼び替えて、もう半世紀以上経っていて世界の常識である。たとえば、フランス語でも韓国語でも、ロシア語でも、中国語でも、みなそれぞれの言語での“核”を使っている。
実は、この今では廃語の“原子力” (atomic) という用語を後生大事にして未だに利用している日本は世界でも非常に例外的な国であり、これには深い理由がある。
種明かしをすると、日本では平和、安全であることを印象づけたい場合、もしくは軍事的核利用の印象を薄めたい場合に “原子力”が使われているのである。そして、“核”のほうは “戦争、危険” に使われている。この言葉の巧みな使い分けによる組織的洗脳は、東京電力と政府によるもので、過去半世紀にわたって一貫して機能してきている。
なんで東電が張本人だと言えるのか?”核”を使った発電所を日本に導入した1960年代にはもう世界的に “nuclear” power plant という呼称が定着していたのに、それをわざわざ”原子力”発電所 と呼んで国内で広めたのは東電と政府の深謀遠慮である。しかし、最近は用語が増えて、さすがにこの言い換えが追い付かなくなって、ほころびかけている。しかし、それでもいちばん影響力のある“原子力発電所”“原発”という言葉を一般化させて、その建設、稼働に反対する人たちも知らずに使っているのだから、言葉による洗脳は恐ろしい。
原子力 = 平和 = 安全 = 善い
核 = 戦争 = 危険 = 悪い
この二元論を国民に刷り込むために “原子力” という廃語を”廃物利用”して巧みに使いまわしてきたのである。
それでは、“原子力潜水艦”、“原子力空母” はどうなんだ?これらを平和利用とは言えないだろう?そうである。これは、2つめの「軍事的核利用の印象を薄めたい場合」に当たる。動力源と兵器の両方に核を使うようなアメリカの軍用艦船はしばしば日本に寄港、停泊し、新聞でも報じられる。反戦団体、反核団体がデモなどの運動を行うこともある。そういう状況で、“原子力=安全=善” という呪文が多少功を奏するのである。“核=危険=悪” ではありませんよ、という裏のメッセージを受け入れさせて、いわゆる”核アレルギー” をなだめるためである。
新聞、テレビを通じて一方で 「原子力発電所」、「原発」、「原子力の時代」「原子力平和利用」、そしてもう一方で「核兵器」、「核廃絶」、「非核三原則」、「核実験」という活字、音声が何十万回、何百万回と繰り返され、国民の頭に刷り込まれてきたのである。こうした言葉を疑わず、その言葉を受け入れてその言葉で思考していると、本人が意識していなくても”原子力”と”核”の善悪二元論の枠組みが頭の中にしだいに出来上がってくるのである。頭の中にいつの間にか引き出しが2つ出来てくるのである。当然だろう。
つまり、政府と電力業界とマスコミによって、日本人は “原子力” と “核” とが ”善” と”悪” という対立概念であるかのように思わされてきたのである。政府も電力業界も、“原子力開発=安全”はしているけれど、“核開発=危険”はしていませんよと国民に思わせて、安心させ、油断させることに成功したのである。日本を、”原子力=安全”発電所だらけにできた背景にはこうした陰の努力もあったのである。“核=危険”ではここまでスムーズにはいかなかっただろう。日本の新聞もテレビもこの二元論を疑わずに垂れ流すかたちで加担してきた。じっさい、”非核三原則”とは言っても、”非原子力三原則”とは決して言わないのだ。原子力潜水艦も原子力空母も、核潜水艦、核空母 ”ではない" から入って来れるということだ。
実体はすべて同じ “核” である。この禍々しい(まがまがしい)現実を少しでも覆い隠すために、“原子力=安全”というラベルを忙しく貼りまくってきたのである。“原子力”でもすでに十分禍々しいと言うひともいるだろう。そう思えるようになるためには3.11福島原発事故を待たなければならなかったのである。言葉によって、マスコミの利用によって、国民の思考、発想が優に半世紀以上も操作されてきた一つの例である。実に見事な洗脳工作ではないか?してやられたものだ。
これは何となくそうなったというものではない。意図的、計算ずくの結果である。そしてこれは、そのほんの一端であり、まだ見破られていないものもある。脱原発だけでなく脱洗脳も必要ではなかろうか?