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ヨウ素剤で刑事7人に踏み込まれる

ヨウ化カリウム、ヨウ素剤、安定ヨウ素剤、放射線防護剤、KI、Potassium Iodide

ヨウ素剤 = 危機管理の原点

2012-10-08 19:29:58 | 主  張

ヨウ素剤 = 危機管理の原点

  


ヨウ素剤 = 危機管理の原点

 ヨウ化カリウムは、

“ヨウ素剤”

 “安定ヨウ素剤”      または

 “放射線防護剤”      とも呼ばれます。

  

“放射線防護剤”といっても、すべての放射線に対して防護するのではなく、放射性ヨウ素に対してだけです。すべての放射線(プルトニウム、ウラン、セシウム、コバルト等々)に対して有効なわけではありません。

  

それでもこう呼ばれるのは、核(原子力)災害時に最も急速に広範囲に拡散する放射線である放射性ヨウ素の被害(甲状腺ガン等)を最小限にとどめることができるためです。

  

現に世界保健機構(WHO)は、1999年公表のガイドラインで核災害時におけるヨウ化カリウムの服用を推奨しています。ちなみに”核災害 / nuclear disaster” と呼ぶのが正しく、 ”原子力災害”という表現は海外ではほとんど使われません(これについては別ページを参照)。

 

英語では、Potassium Iodide (ポタッシウム・アイオダイド)、ドイツ語で Kalium Iodide です。

 カリウムは英語ではポタッシウムと言いますが、元素記号はドイツ語の Kalium の K です。

 放射線防護剤としてのヨウ化カリウムは、英語では一般に単に KI(ケー・アイ) と呼ばれます。

  

ヨウ化カリウムは化学的固有名ですが、これを放射性ヨウ素防護剤として扱う場合は、単に“ヨウ素剤”と呼んでいいと思います。ここではおもにこの簡単な“ヨウ素剤”という用語を使います。これは英語での“KI”にほぼ相当します。

  

さて、このヨウ素剤は、海外では主にサプリメント錠剤として、ビタミンCやカルシウムと同じように街のドラッグストアで購入できます。医薬品指定のものもありますが、処方箋なしで買えるのがふつうです。

  

しかし日本では、医薬品扱い、しかも”劇薬指定”にされていて、医師の処方箋がないと手に入れられません。ふつう薬局の商品棚に置いてあることはありません。客の目にふれる商品棚に出すことじたいが違法になりかねないものです。

  

実は上記のWHOのガイドラインは、核発電所(いわゆる原発)を持つ各国政府に対して、国民がヨウ化カリウムを自由に購入できるようにしておくようにも勧告しているのです。

  

ところが日本政府は、この勧告に従うどころか、逆にヨウ素剤を国民の手に渡りにくくしています。なぜでしょうか?

  

日本の”原発”は絶対に事故を起こさないという“安全神話”にとって具合が悪いからです。具合が悪いどころか、安全神話の“矛盾”をするどく突く存在であるためです。

 

ヨウ素剤は放射線防護剤として、その存在じたいが原発事故の発生の可能性を前提にしているものです。当たり前です。

 

おもにチェルノブイリ事故以来、核発電所(原発)を抱えている国々において、反応炉の建屋が眺められるような市町村の家庭ではヨウ素剤を常備することが常識になっていました。自治体が事前配布するか住民の自主購入です。

  

しかし、日本政府は、逆にヨウ素剤を巧妙にしまい込みました。安全神話を国民に吹き込んで日本の”原発列島化”を推進するうえで非常に邪魔になるからです。

 

厚生省が副作用があって危険であるという理由で“劇薬指定”にしました。しかし、およそどんな薬でもサプリメントでも副作用のないものは存在しません。塩や砂糖でも副作用はあります。

 

ちなみに、チェルノブイリ事故直後に、ポーランド政府は、1,050万人の子供たちにヨウ素剤を投与しましたが、副作用の報告はほとんどなかったという事実が厳然としてあります。この数字のケタはミスではありません

  

さて、核災害は核発電所の事故に限ったものではありません。歴史上最大の核災害は広島・長崎の原子爆弾投下ではないでしょうか?原爆は実際に人間に対して使用された最初の核兵器ではなかったでしょうか?

 

それも、非戦闘員の一般市民に対してでした。それも1度ではなく2度でした。

  

「2度あることは3度ある」とはよく言ったものです。わたしたち日本人はもしかしたら、国内に核発電所などなくてもヨウ素剤を家庭に常備していなくてはならなかったのではないでしょうか? 

  

極端な話だと思われるかもしれませんが、冷戦当時ソ連からの核攻撃に備えてアメリカやNATO諸国ではヨウ素剤を常備している家庭がいくらでもありました。

 

冷戦が終わり、テロの時代に入ってから核攻撃の危険はむしろ高まったという説があります。アメリカでは9.11事件以降、テロリストによる核攻撃の危険に備えてヨウ素剤を備える家庭が増えました。そして、3.11福島原発事故の発生によって販売数が跳ね上がりました。危機管理とはそういうものではないでしょうか?

 

我が国にあるパトリオットミサイルやイージス艦は何のためにあるのでしょうか?極東アジアにおいても日本に対する核攻撃の脅威は決してゼロではありません。核ミサイル攻撃も核発電所の事故も核災害ではないでしょうか?これを世界でいちばんわかっていなければならなかったのは日本人ではないでしょうか?

  

核の使いみちは核発電所だけではありません。その力学的破壊力、生物学的、生態学的破壊力を利用した兵器としての核兵器の使用を過ぎ去った過去のこととして見ようとする観点は日本独自のように思えます。なぜ、今日でも起こりうる現実の可能性として、核発電所事故と同じ視野に入れて考えようとしないのでしょうか?もう自分の番は終わったとでも思っているのでしょうか?

  

世界唯一の原爆被爆国、それもダメ押しに2つも落とされた国民が、もうこれからは落とされることがないだろうと思う根拠は何ですか?何となくそう思っているその根底には、あたかも人類の業苦を背負ったようなマゾヒズムが潜んではいないでしょうか?被害者であることにあぐらをかいていませんか?

  

日本には核発電所のある県にはヨウ素剤の備蓄がありました。しかし、その存在は一般の県民には知らされてはいませんでした。そして、3.11の福島での事故の際も、被災地のヨウ素剤の備蓄のほとんどは手をつけられませんでした。

  

3.11後、政府はヨウ化カリウムの増産を製薬会社に命じ、現在多くの地方自治体がそのヨウ化カリウムを備蓄をしています。特に原発のある県やその隣の県では、それによって県民の核発電所事故に対する不安を少しでも解消しようとしているようです。これについては別に論じています

 

しかし、自治体によるヨウ素剤の備蓄は、本当に必要な時に配布される保証がまったくありません。そうした備蓄に対する配布の指示は非常時の政府中枢からトップダウンでなされることになっています。しかし、日本の場合、隠ぺい、優柔不断、責任逃れ、保身、といった思惑が渦巻くばかりで、かりに指示が出るとしても相当の時間がかかります。おそらく数日はかかるのではないしょうか?

  

しかし、放射性ヨウ素は核災害発生から目に見えないまま、たちまちのうちに市町村を覆いますから、トップダウンの指示を待っていてはすべて手遅れになります。指示があってからやっと配布ですが、配布じたいが時間がかかります。それから投与、服用ですから、もはや間に合う間に合わないの問題ではなくなって、話はすでに責任のなすりつけ合いになっていることでしょう。

  

ヨウ素剤は核災害発生もしくは発生と思われる状況であれば、すぐに服用しなければならないものです。災害が発生したのなら、もう早すぎるということはありません。遅すぎる危険だけがあります。

  

住んでいる町が放射性ヨウ素にすっぽり包まれても、人間の五感ではまったく知覚できません。聞こえず、見えず、匂わず、味もせず、触れることもできません。火事、地震、津波のほうがどちらに逃げたらいいか多少は教えてくれるだけまだましかもしれません。

 

また、本当に発生したのかどうかはっきりわからなくても、核災害が本当に起きた可能性がわずかでもあれば躊躇なく服用します。飲むことによる害がほとんどなく、飲まないことによる潜在的な害は計り知れないからです。

  

それならば、そもそもなぜ核発電所付近の住民に事前にヨウ素剤を配布しておいてくれないのでしょうか?実際フランスをはじめとして、海外ではそれが当たり前になっている国はけっこうあります。事前配布だけでなく、ヨウ素剤の説明会を開いたりするなど、ふだんから住民の危機管理意識を高めている国もあります。

  

しかし日本の政府側の白衣の脅迫者はこう言うのです。医師がその場で投与しないと住民が必要のない時に飲んでしまう、間違って多く飲んでしまう、ひとによっては副作用が出かねない、紛失して必要な時に出てこない、云々。すべてヨウ素剤についての講習と訓練をふだんからしていれば解決する些細な問題です。本当の理由は別にあります。

  

第一の本当の理由は、安全神話をうたって住民にいわゆる”原発建設”を呑ませてきているいじょう、電力会社がヨウ素剤を配布することは電力会社が自分のウソを自分でバラすことになってしまうからです。

 

つまり、住民に「絶対に毒ではありませんから」と言って”原発”を呑みこませておいて、あとから「えーと、これは解毒剤なんですが・・・」と言いながら手渡すようなものだからです。

 

第二の理由は、ヨウ素剤は薬事法上、劇薬指定の医薬品になっており、医師による投与が建前になっているためです。ヨウ素剤の備蓄があっても、核災害特別措置法によっても、政府の決定を受けた医師の指示がないと住民は服用できないのです。

  

核災害の実際の状況を想像してみてください。このトップダウンの危機管理対策では対処できないことは、今回の3.11東日本大震災、福島”原発”事故のような大災害を経験しなくても明らかではないでしょうか?

 

つまり、生死を分けるような緊急災害の場面にも、お役所仕事や薬事法にしばられた手続きを持ちこんでいるのです。実際、福島”原発”事故の際には、現場で被ばくの危険にさらされているひとびとの自己判断を許さず、備蓄があっても、お上(カミ)の指示を待たせ、手遅れになっても放置しました。国民を守ることを本気で考えているとはとても思えません。

  

実は、そもそもヨウ素剤を備蓄するのは、地域住民の実際の放射線防護を考えてのことではなさそうです。政府や自治体の組織としての責任逃れのためというのが役人にとっての動機です。つまり、備蓄が無かったとなると、事故があったときに責任追及されますが、それを避けるためです。

 

たとえ配布しなくても、いちおう備蓄はしてありましたということで責任追及を少しでも緩和できれば、彼らにとって備蓄しといてよかったということになるだけです。つまり責任逃れのために多少役に立つからです。住民の防護、安全のためなどではありません。役人の発想にヘタな幻想を持たないことです。

  

砂糖にも塩にもコーヒーにも副作用があります。そしてヨウ素剤にも副作用があります。しかし服用量を守れば、ほとんどの人には出ません。ごくわずかなひとに出る可能性がありますが、核災害時に服用しないで蒙ることになる健康被害のほうが圧倒的に大きいことは明白ではないでしょうか?

  

日本の医学、薬学、つまり医師、薬剤師の世界では、ヨウ素剤は劇薬指定の医薬品であり、そういうものとして扱われていますから、一般人が自己判断で服用することに対しては、“白衣の脅迫”が矢のようにあります。しかし、実際の副作用、毒性は市販の風邪薬よりもずっと小さいのです。しかし、”ヨウ化カリウム”というあまり聞き慣れないコワモテの名前にふつうのひとはちょっと引いてしまうのではないでしょうか?そこに乗じて脅しをかけてくるのです。

  

はっきり言って、ヨウ素剤は日本政府によってその“原子力政策上”、劇薬指定にされているだけです。一般人を怖がらせて遠ざけるのが目的です。権威主義的な医師や無知な薬剤師が自分たちの権益のために加担しているのが実態です。

 

安全神話の矛盾を暴(あば)いてしまう厄介なものを一般の人々から遠ざけ、目に触れないようにするという政府の本当の目的も知らず、薬事法を”金科玉条”にしているのです。

 

イギリスにもアメリカにもフランスにも核発電所はありますが、日本政府のように国民からヨウ素剤を取り上げて平気で見殺しにするような政府はありません。日本政府による計画的、組織的な”ヨウ素剤の入手困難化”は人道的にも大きな問題であると思われます。

  

ヨウ素剤は、何ら怖がることはありません。現にチェルノブイリ事故の際に、ポーランド政府は、1,050万人の子供たちにヨウ素剤を投与しましたが、副作用の報告はほとんどなかったという厳然たる事実があります。この数字は国際的にも公認されているデータです。ケタに間違いはありません

  

ヨウ素剤のボトル1本が意味するものは非常に重いものです。核発電所事故の可能性、核ミサイル攻撃の可能性。そこからさらにエネルギー問題、大地震、津波、日本の未来、世界の未来、極東の平和、軍事バランス、基地問題、北朝鮮問題、拉致問題、米中問題…。

  

しかし、それらによって万一核災害が起きた場合、いつ配布されるかわからない、いや、そもそも配布されるかどうかもわからないヨウ素剤を、あなたはじっと待ちますか?それとも、自宅に常備してあるほとんど副作用のないヨウ素剤を自己責任と自己判断によって自分と家族とで服用しますか?

  

「核兵器廃絶!」、「原発ゼロ!」もけっこうだと思います。しかし、現に大きな核災害を繰り返し経験している国ならば、国民はその潜在的な莫大な被害を最小限に抑える方策を少しは取るべきではないでしょうか?

  

理想を掲げることは大切ですが、愛する家族や子供たちを現実に起こりうる核災害から守ることも少しは考えてもいいのではないでしょうか?さもないと、それらの理想論はオール・オア・ナッシングの玉砕主義になります。それだけでは地に足の着いていない教条主義に終わるのではないでしょうか?

  

「あやまちはくりかえしません」と言うならば、まず、ヨウ素剤を備えてはどうでしょうか?「地球から核兵器をなくそう!」と言うのなら、それらが使用された場合のことも常に考慮に入れるべきでしょう。ヨウ素剤という物質的実体を持ち、それを家庭に備えることによって、空念仏や平和ボケから脱する必要があるのではないでしょうか?

  

こう言うと、「別にそんなもの無くたって、世の中が良くなればいいじゃないですか!」とか「いや、むしろ、そういうものが無い世界を作りましょう!」という声が聞こえてきそうです。それこそが、われわれ日本人の困ったところです。

  

お題目を唱えるのが日本人は大好きです。毎日の現実の生活とは切り離された理想、観念の世界に遊ぶのは心地よいものです。しかし、あなたには大切な家族がいて、あなた自身も家族には大切な存在です。万が一の時に家族やあなた自身の身を守ることもあなたの義務の一つではないでしょうか?いざというときは自分がみんなを守ろうというリアルな危機管理意識を持とうとは思いませんか?

  

自動車保険、生命保険、ガン保険、火災保険に月々何万円も払っていても、ヨウ素剤1ビンに出すお金もないのでしょうか?核災害時にこれらの保険はどれ一つとしてあなたを放射線から守ってくれません。たしかに保険は被害にあってはじめて役に立つものです。しかし、被ばく保険があったら月々千円でも払いますか?被ばくした後のことを考えるよりも、まず少しでも自分や家族が被ばくしない現実的な方策をとるべきではないでしょうか?

 

ヨウ素剤を持つことは、一般人にできる核災害に対する危機管理対策のリストのトップに来ます。たしかにこれだけあれば万全というものではありませんが、これが無いようではまったく話になりません。

  

あなたのまわりで反原発、危機管理についていろいろ論じている人のうち、いったいどれだけのひとが実際にヨウ素剤を持っているでしょうか?これを持っている、いないで、その人の語っていることのリアリティがまったく違ってくるのです。持っていない人の話は、けっきょく“ことば”だけで終るのではないでしょうか?

 

日本人には危機管理という観念がどうも希薄です。わたし自身が自分の心をのぞきこんで、つくづくそう思います。仏教的な諦念からくる面もあるようですが、地震や、核事故や津波や核戦争にしても、「そうなったら、そのときは、そのときだ」とか「死ぬときはみんないっしょだ」などと心のどこかで思っているのではないでしょうか?

  

ヨウ素剤を自分で手に入れて、そのボトルを居間の目につく場所に置くのです。それの意味することを常に頭の隅におくことです。そして5年ごとに買い替えてください。安価なものです。少し余分に確保しておくことです。黙ってしまっておいて、万が一のときは近所の人々や知り合いにすぐに分けてあげることです。

  

ヨウ素剤を自分で持つことは、自分の身を自分で守ることの自己確認になります。核災害時にお上(カミ)からの配布を期待しないことを意味します。そうしたうえで、「反原発」「原発ゼロ」を主張すれば、より地に足の着いた主張になるのではないでしょうか?

  

3.11東日本大震災における政府や行政の失策は目を覆うばかりで、それはそれで批判する必要があります。しかし、それと同じくらい大事なことは、これを機会にわたしたち国民が自らを振り返ることではないでしょうか?

  

3.11東日本大震災はわたしたち日本人に大きな試練と教訓を与えました。わたしは、まず自分の危機管理意識の欠如を反省しました。自分がサプリメントを扱う輸入代行の仕事をしながら、3.11直後までヨウ化カリウムの存在に気づかなかったのです。実に情けないことですが、事実です。

  

いわゆる”原発の安全神話”は3.11後の今でこそさんざん叩かれていますが、それ以前は大手を振るってまかり通っていましたし、わたしを含む日本国民の大半はそれを見過ごしていたのです。わたしはそのウソで固めた安全神話を真に受けて”原発建設”を歓迎している人々にただ呆れているだけでした。わたしは、それは当事者の自己責任なのだから第三者が口をはさむことではないと思っていました。しかし、それは大きな間違いでした。放射能は県境を越え、ほぼ日本全国に広がり、そして地球という惑星を包みました。”原発”建設推進の国策を他人事と思い、止めようとはしなかった自分を恥じています。このウェブサイトには、こうした自分の反省も込めています。


ヨウ素剤の ”備蓄” にどれだけ意味があるか?

2012-09-30 12:25:35 | 主  張

ヨウ素剤の ”備蓄” にどれだけ意味があるか?

 

“備蓄” というと、非常災害時のために自治体や学校や企業などが乾パン、水、毛布などを倉庫に蓄えておくイメージがあります。非常災害といっても、やはり地震などの自然災害を想定している場合が多いのではないでしょうか。たしかに食糧、飲料水、防寒用具は最低限必要ななものです。そして、地震だけでなく2011年の3.11福島原発事故のときのように、原子力災害の可能性も考えると、上記の備蓄にヨウ素剤を追加しようと考えるのが合理的であるように思えます。ところが、これがまったく違うのです。

ヨウ素剤(ヨウ化カリウム)が想定している核災害は原発事故であれ、核ミサイル攻撃であれ、非常に緊急性があります。たしかに食糧や水も緊急性がありますが、核災害によって広がる被爆の危険は災害発生から刻々と広がります。そして放射線は目に見えません。ですから、その核災害が発生した地域の人々はすぐにヨウ素剤を服用しなくてはならないのです。放射性ヨウ素が目に見えないまま町を覆ってきている場合、出来るだけ早く服用しないと無意味になります。

人間は食べ物、飲み水が無くても24時間くらいは平気です。しかし、ヨウ化カリウムは24時間も待てないのです。核災害が発生、もしくは発生した可能性がある状況であれば、直ちに服用を始めなければ手遅れになります。ですから、通常の備蓄用品と同列に考えてはならないのです。

そもそも備蓄してあるものが、配布されるのにどのくらいの時間がかかるでしょうか?ここでは自治体による備蓄を問題にしています。県庁や市役所などの自治体の施設に備蓄してあるものが地域住民に配布されることを想像してください。ここで問題としているのはヨウ素剤であり、放射線被爆の危険が迫っている状況であれば、先を争ってパニックが起きることも想像できます。「子どもがいるんです!早くくださーい!」という母親が続出してもおかしくありません。

また、言葉で「配布」と言っても、メールの一斉メールとはわけが違います。住民がその市役所の倉庫まで取りに行くのか、それとも自治体の職員が各家庭に配って回るのか。そもそも核災害時に自治体の職員が全員揃っているという前提で考えることじたい楽観的すぎるかもしれません。どちらにしても相当の時間がかかることは明らかです。非常災害時でなかったとしても、1日かかっても終わらないのではないでしょうか。また3.11のときのように地震や津波などが重なっている場合は、交通が渋滞もしくは寸断されていることもありうるわけで、ヨウ素剤を運ぶトラックが立ち往生するようなことはいくらでも考えられます。

必ずや混乱して、足りなくなる事態が発生します。そして必要としている人々の多くが配布を受けずに終わることになります。けっきょく、ヨウ素剤を1日以内、いや2日以内に地域住民の全員に手渡すことですら不可能に近いのではないでしょうか。そうなると、核災害の発生から1時間以内に地域住民全員が服用できるように配布することは不可能というより、もう馬鹿げた冗談でしかありません。しかし、”自治体によるヨウ素剤の備蓄”はこの馬鹿げたことを前提にしているのです。

(ただし、家庭への配布のための備蓄と違って、学校や会社、事業所での備蓄はこれとはまったく事情が違って意味があり、むしろ必要だと思います)

上記に想定した備蓄の配布のシナリオは、実際に配布を決定した場合のケースです。しかし、3.11のときは、備蓄がありながらも配布されなかったケースがほとんどでした。配布が必要であり、一刻の猶予もない状況下でありながらも、配布を見送ろうという判断が実際は下されていたのです。そして、その判断を下した当人たちは飲んでいたに違いありません。一般の市民にはとても理解できないような論理、発想が為政者や官僚や自治体の首長の行動や判断を左右することが非常時、有事の際には起きるものです。このことを忘れてはいけないと思います。


 “核”発電所 と言わないワケ

2012-09-12 19:39:07 | 主  張

 なぜ “核”発電所 と言わないか?

日本ではなぜか一般に "nuclear" power plant を、“原子力” 発電所 という。

ちょっと待ってくれ、“原子”は “atom”  ではなかったか? 

たしかに、英語では “atomic" power plant   とは言わない。

 

nuclear      power plant

 原子力?      発 電 所

              power plant  は電気工場、つまり電気を生産する施設を意味する。

 

問題は、 頭の “nuclear”  である。 というか、 日本語の “原子力” のほうである。

“nuclear” は “核” ではないか? さらに言えば、核物理学的に言っても、原子=核ではない!  “核” つまり “原子核” は、 “原子” よりも小さいはずではないか?

原子爆弾というものがあって、かつて地球上で使用されたことがある。それも、一般市民に対して使われたもので、しかも日本に落とされたものだ。日本の二つの都市に落とされ、壊滅的な被害を与えたものだ。人類史上実際に使用された兵器のうちで最大の破壊力を持つものであった。もちろんこの原子爆弾よりもはるかに上回る破壊力を持つ兵器もその後いろいろ開発されているし、ミサイル型のものもあり、スーツケース型の小型のものもある。

さて、この “原子爆弾”(単に”原爆“ともいう) という名称だが、英語ではたしかに “atomic bomb” である。しかし、この“atomic bomb” という呼び名ははその後使われず、以降 “nuclear bomb”(核爆弾)、さらに広くは “nuclear weapon”(核兵器) という。

 

ここでよく誤解が起きるので、注意してほしい。原料が原子から原子核に変わったというわけではない。当初も今も、莫大なエネルギー源として核分裂を利用するという原理とその応用の事実は変わらない。最初はおおざっぱに”原子””原子力” と呼んでいただけである。しかし、より定義が厳密になって、 “atom”(原子) ではなく、 ”nucleus”(核、原子核)、そしてその形容詞として ”nuclear”(核の)という語が使われるようになったのである。これはちょうど、発見当初は AIDS(エイズ) と呼んでいたものが、その後の研究により厳密な定義として HIV(ヒト免疫不全ウィルス)と呼びならわされるようになったようなものである。科学の歴史ではよくあることだ。

 

なので、英語では軍事利用であれ、平和利用であれ、今日ではすべて ”nuclear”(核) を冠して呼ぶ。大量殺戮という目的であれ、電気を作る目的であれ、エネルギー源はすべて同じ核分裂なのである。

          nuclear energy =   エネルギー

        nuclear facilities  =   施設

        nuclear weapon  =  兵器

         nuclear missile   =  ミサイル

      nuclear warhead   =   弾頭

nuclear disarmament   =   軍縮

 

     nuclear submarine  =  潜水艦

  nuclear-powered carrier =  空母

    nuclear power plant  =  発電所

 

いろいろと用例をあげたが、最後の3つの日本語は見慣れないので、違和感があったかもしれない。実はこの”違和感”がくせものなのである。

“原子力潜水艦”、“原子力空母”、“原子力発電所” と書いたり、言ったりしてくれないと不自然に感じるほどに日本人は洗脳されているのである。それはこういうことである。

  英語では、核分裂から取り出すエネルギーを”atomic”(原子) とはもはや呼ばず、"nuclear" (核)と呼び替えて、もう半世紀以上経っていて世界の常識である。たとえば、フランス語でも韓国語でも、ロシア語でも、中国語でも、みなそれぞれの言語での“核”を使っている。

実は、この今では廃語の“原子力” (atomic) という用語を後生大事にして未だに利用している日本は世界でも非常に例外的な国であり、これには深い理由がある。

種明かしをすると、日本では平和、安全であることを印象づけたい場合、もしくは軍事的核利用の印象を薄めたい場合に “原子力”が使われているのである。そして、“核”のほうは “戦争、危険” に使われている。この言葉の巧みな使い分けによる組織的洗脳は、東京電力と政府によるもので、過去半世紀にわたって一貫して機能してきている。

なんで東電が張本人だと言えるのか?”核”を使った発電所を日本に導入した1960年代にはもう世界的に “nuclear” power plant という呼称が定着していたのに、それをわざわざ”原子力”発電所 と呼んで国内で広めたのは東電と政府の深謀遠慮である。しかし、最近は用語が増えて、さすがにこの言い換えが追い付かなくなって、ほころびかけている。しかし、それでもいちばん影響力のある“原子力発電所”“原発”という言葉を一般化させて、その建設、稼働に反対する人たちも知らずに使っているのだから、言葉による洗脳は恐ろしい。 

原子力 = 平和 = 安全 = 善い

    = 戦争 = 危険 = 悪い

  この二元論を国民に刷り込むために “原子力” という廃語を”廃物利用”して巧みに使いまわしてきたのである。

それでは、“原子力潜水艦”、“原子力空母” はどうなんだ?これらを平和利用とは言えないだろう?そうである。これは、2つめの「軍事的核利用の印象を薄めたい場合」に当たる。動力源と兵器の両方に核を使うようなアメリカの軍用艦船はしばしば日本に寄港、停泊し、新聞でも報じられる。反戦団体、反核団体がデモなどの運動を行うこともある。そういう状況で、“原子力=安全=善” という呪文が多少功を奏するのである。“核=危険=悪” ではありませんよ、という裏のメッセージを受け入れさせて、いわゆる”核アレルギー” をなだめるためである。

新聞、テレビを通じて一方で 「原子力発電所」、「原発」、「原子力の時代」「原子力平和利用」、そしてもう一方で「核兵器」、「核廃絶」、「非核三原則」、「核実験」という活字、音声が何十万回、何百万回と繰り返され、国民の頭に刷り込まれてきたのである。こうした言葉を疑わず、その言葉を受け入れてその言葉で思考していると、本人が意識していなくても”原子力”と”核”の善悪二元論の枠組みが頭の中にしだいに出来上がってくるのである。頭の中にいつの間にか引き出しが2つ出来てくるのである。当然だろう。

つまり、政府と電力業界とマスコミによって、日本人は “原子力”  “核” とが ”善” 悪” という対立概念であるかのように思わされてきたのである。政府も電力業界も、“原子力開発=安全”はしているけれど“核開発=危険”はしていませんよと国民に思わせて、安心させ、油断させることに成功したのである。日本を、原子力=安全”発電所だらけにできた背景にはこうした陰の努力もあったのである“核=危険”ではここまでスムーズにはいかなかっただろう。日本の新聞もテレビもこの二元論を疑わずに垂れ流すかたちで加担してきた。じっさい、”非核三原則”とは言っても、”非原子力三原則”とは決して言わないのだ。原子力潜水艦原子力空母も、核潜水艦、核空母 ではない" から入って来れるということだ。

実体はすべて同じ “核” である。この禍々しい(まがまがしい)現実を少しでも覆い隠すために、“原子力=安全”というラベルを忙しく貼りまくってきたのである。“原子力”でもすでに十分禍々しいと言うひともいるだろう。そう思えるようになるためには3.11福島原発事故を待たなければならなかったのである。言葉によって、マスコミの利用によって、国民の思考、発想が優に半世紀以上も操作されてきた一つの例である。実に見事な洗脳工作ではないか?してやられたものだ。

これは何となくそうなったというものではない。意図的、計算ずくの結果である。そしてこれは、そのほんの一端であり、まだ見破られていないものもある。脱原発だけでなく脱洗脳も必要ではなかろうか?


”核災害対策”を考えてみる

2012-09-03 16:43:02 | 主  張

 

 

核災害とは、核による大規模な被害をいうが、その”核”にはいろいろ考えられる。以下の図表をご覧いただきたい。(8つのカテゴリーの頭の数字は単なる符号であって、何らの順位もウェイトも表していない)

この図表をしばらくながめていただければ、核災害の全貌の輪郭がつかめていただけると思う。まず、”核”というものが今日の人間社会において、おもに4通りのかたちで存在しており、それらがそれぞれ2通りのかたちで核災害の原因となりうる。

”核”の存在形態

1. 核兵器(核爆弾、核ミサイル)

2.推進装置(核反応炉を動力源とした大型移動機関であるが、今日では軍事目的のものしか存在しない。核潜水艦 "nuclear submarines"、核航空母艦 "nuclear-powered carriers"。

3.上記1.2.の製造、保守に関わる施設

4.非軍事的核施設としては、発電を目的とした施設、およびそれに関連する施設がもっとも一般的である。

 

”核”が災害をもたらす場合

そして、上記の4つ形態で存在する”核”が、災害をもたらす目的で意図的に用いられる場合と、非意図的に災害の原因となる場合とが考えられる。実際に起こる公算の大小はさておき、可能性としては以下の8通りの対象カテゴリーが考えられる。

ちなみにカテゴリー番号の1の”核兵器の使用”は通常他国からの攻撃を想定するが、自国のテロリスト、反乱勢力が自国内で何らかの方法で使用する可能性も排除できないため、あえて”他国からの”と限定していない。

ほとんどの先進工業国は多かれ少なかれ核災害対策を講じている。核兵器"nuclear weapon" も核発電所 "nuclear power plant"(いわゆる原発)も持たない国にも核災害のリスクは存在する。自国内に核が無いのであるから、残るのは他国からの核攻撃であろう。そうすると核災害の対象カテゴリーは最低限、以下のようになるだろう。

 ちなみに、世界には核を持つ国と持たない国とがある。核保有国には3通りある。核兵器と核発電所(原発)の両方を保有する国と、核発電所のみを保有する国と、核兵器のみを保有する国である。

世界の国々: 196ヶ国

保有国: 163ヶ国

  核保有国:  33ヶ国

   核としては核発電所のみを保有する国: 24ヶ国

   核発電所と核兵器の両方を保有する国:  ヶ国

   核としては核兵器のみを保有する国:    ヶ国

 

  

 

 さて、自国がたとえ 核の無い国 "nuclear-free country" であっても、他国からの核攻撃の可能性は排除できないということをみてきたが、実はたとえ自国に核発電所がなくても、隣国に核発電所があって、それが大事故を起こせばその影響をこうむることになる。現に福島原発事故の影響は世界の多くの国々にまで及んでいる。となると、自国が たとえ "nuclear-free" であっても、核災害の対象カテゴリーは以下のようになる。厳密にいえば、5,6,7の可能性も皆無ではない。 

 

アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、中国のような核発電所も核兵器も、そしていわゆる原子力潜水艦まで保有している国の場合の核災害の対象カテゴリーは以下のようにからまでのすべてになる。インド、パキスタンの場合は、が対象外になるだろう。

 

それでは、日本はどうなるか。日本は核兵器は持たないが、その狭い国土に核発電所を異常に抱え込んだ国であって、その分布密度が世界一の国である。1999年には「原子力災害対策特別措置法」というものを作っているが、その中身は以下のようになる。

 


原子力災害対策特別措置法には、上の表でいう1のカテゴリーは当然のことながら、4のカテゴリーも設けてある。つまり、核発電所がテロ攻撃にあった場合を想定している。それはそれで必要な対策ではある。しかし、なぜのカテゴリーが対象となっていないのか。核発電所も核兵器も持たない国の場合をすでに見てきた。そういった国でも最低限、対象カテゴリーのを考慮するはずである。

日本はすでにのカテゴリーの核災害を経験していないだろうか?繰り返し同じ目にあうことはないと誰が決めたのか?まるで自分の番はもう終わったとでもいうような呑気さではないか?日本の場合の核災害対策としては以下のようになるように思われる。


 上でも触れたが、世界には核兵器は持っても核発電所を持たない国がある。イスラエルと北朝鮮である。作りたいのだが、作らない。作れるのだが、あえて作らない。軍事的な理由である。核発電所自体が敵国からの格好の標的になるからである。核兵器を持たない国であっても通常兵器を使って相手の国の核発電所を破壊できれば、それは核兵器での攻撃に匹敵する効果を得ることができる。小さな国では1つの核発電所が破壊されて放射能が拡散するだけで壊滅的な被害をこうむる。だから作らない。”核”に反対しているからではない。それどころか”核”兵器は、しっかり作って配備していて、いつ攻撃されても即座に手痛いしっぺ返しができるようにしている。 


タブーとしての”放射線防護剤”

2012-08-29 23:42:05 | 主  張

タブーとしての”放射線防護剤”

原発建設予定地の住民への説明会で、かりに電力会社の職員がウッカリこう説明したとしましょう。

「ま、とにかく日本の原発の技術は世界最高水準ですから、チェルノブイリのような事故は起こりようがありません。もう万全の安全管理で運転しますので、ほんのちょっとした不具合があれば、すぐにコンピュータが報せます。ですから、事故に至る前にすべて問題を解決します。ま、それでももし、かりに万が一事故が起きたとしても、非常災害時のしっかりした避難体制ができていますし、放射線防護剤の備蓄についても万全ですから、まったくご心配はいりません。」

 

住民A:「その放射線防護剤っていうのは何ですか?どういうものなんですか?」

電力会社:「えーと、それは・・・ 安定ヨウ素剤ですね。」

住民A:「何ですか、その安定ヨウソザイっていうのは?」

電力会社:「ま、その、ヨウ化カリウムとも言いますが・・・、原発事故の際に真っ先に広がる放射性ヨウ素に対する防護剤でして・・・、ま、それをすぐに飲んでおけば甲状腺障害とか甲状腺ガンになりにくいというものでして・・・」

住民B:「なんだ、それじゃ、やっぱり事故は起きるんじゃないか!」

電力会社:「いえ、そういうことはないんですが、かりに万一の場合はそういうものも用意してありますから、もう完璧に万全だという意味でして・・・」

住民C:「事故が絶対に起きないって言うんだったら、そんなものは要らないじゃないか!そうだろ?」

住民多数:「そうだ!そうだ!」

電力会社:「・・・ ええ、たしかに本当はまったく必要ないんですが、ま、その“決まり”といいますか、一応そういうものを用意しておくことになっていますので・・・」

住民D:「ぜったい火事が起きないんだったら、消火器はいらないだろうが!」

住民多数:「そうだ!そうだ!」

住民E:「あのー、ちょっといいですか?」

電力会社:「あ、はい、どうぞ、どうぞ!」

住民E:「さきほどの安定ヨウ素剤でしたっけ? それは放射性ヨウ素を防護するものっておっしゃいましたよね?」

電力会社:「あ、はい、そうです!」

住民E:「放射能って、いろいろありますよね、プルトニウムとか、セシウムとか、ウランとか・・・」

電力会社:「あ、はい、・・・」

住民E:「そのさっきの安定ヨウ素剤とかいうのはそっちのプルトニウムとかセシウムとかには効かないんですか?」

電力会社:「あ、それはないですね。放射性ヨウ素に対してだけですね、安定ヨウ素剤は・・・」

住民F:「放射能はいろいろ飛んでくるんじゃないのか?その放射性ヨウ素とかだけじゃないんだろ?」

電力会社:「あ、あの放射能と放射線は違いまして、放射能は飛んできませんから・・・」

住民C:「原発で事故が起きれば、プルトニウムとかセシウムとかが漏れるんじゃないのか!?」

電力会社:「ええ、まあ、事故となればそういうことになるかもしれませんが・・・」

住民C:「見ろ!やっぱり起きるんじゃないか、事故は!!」

住民多数:「そうだ!そうだ!」

住民D:「そんな安定ヨウ素剤も、原発も、どっちも要らないよ!!どっちがあっても心配で寝れやしないよ!」

住民多数:「そうだ!!そうだ!!」

 

 

実際は原発の予定地の地元住民への説明会でヨウ素剤の備蓄の話が出ることはありません。出せば、以上のようなことになるのは目に見えています。電力会社は口が裂けてもヨウ素剤や放射線防護剤といった万一の事故を前提にした話をすることはなかったのです。少なくとも今まではなかったのです。”原発の安全神話”をちょっとでも疑わせるようなことを口にすることは電力会社の社員にはタブーだったのです。

ですから、ヨウ化カリウム、安定ヨウ素剤のようなものが薬局やドラッグストアの商品棚に並んでいては非常にまずいのです。そういうものが存在するということじたいが事故の可能性を指し示しているからです。

それではそういった安定ヨウ素剤のようなものが、一般の目に触れないようにするためにはどうしたらいいでしょうか。ヨウ化カリウムは欧米ではほとんどサプリメントの扱いでビタミンCやカルシウムと同じように処方箋もなしに買えるものです。しかし、日本でそういった扱いにしてしまうと一般の人々の目に触れやすく、手に入れやすくなってしまいます。

それではどうしたらこのヨウ化カリウムをたやすく大衆の手に届かないようにできるでしょうか。実に簡単です。サプリメントではなく医薬品の扱いにしてしまうのです。こうすればだいたい処方箋なしでは買えません。さらに”劇薬指定” にしてしまいます。こうすれば、ドラッグストアでも薬局でも店内の商品棚に並ぶことはなくなります。調剤薬局に行かないと買えなくなります。調剤薬局でも注文しないと手に入らないようにできます。しかも医者の処方箋がないと買えないものになります。

しかし、電力会社にそんなことができるのでしょうか。もちろん薬事法をいじくるのは電力会社ではありません。もっと上の、政府の原子力政策をつかさどる組織であれば大抵のことはできるでしょう。原発を日本の津々浦々に作ろうとしているひとたち、団体、組織、勢力にとって、事故は起きませんという”安全神話”を少しでも脅かすものは排除することが、その出発点から必要なことだったと想像されます。

 

「このヨウ化カリウムは、なんとかならんかね。こんなもんが出回っていたら、まずいねえ」

「そうですね、でも、いちおう副作用もありますから、そこでどうとでも扱いを厳しくできるんじゃないでしょうか」

「おい、ちょっと厚生省の△△に電話しろ!」

こんなやりとりが今から半世紀くらい前に、ある官庁の一室であったと想像してみるのも面白いでしょう。原発を擁しているほどの先進工業社会の中で、ふつうの町の薬局でヨウ化カリウムを目にすることができない国はおそらく日本くらいでしょう。国民を騙すための安全神話を支えるためにそういった細かいところまで手を回していたのです。