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日々の雑記

いい仏教本は少ないという問題点

2021-03-09 20:38:00 | 日記
僕が直接仏教に興味を持ったのは南直哉さんの本を読んでからであり、当時の衝撃はいまだに忘れられない。


小さい文庫本でそんなにページ数もないのに読み終えたのは買ってから2年後くらいだったと思う。
最初数ページ読んで頭を殴られたような衝撃と共に今読んだら生と死が両天秤に乗りそうだという危険を感じて、読むのをやめた。
その数ページを読むまで僕はなんなら無限に生きたいと思っていた。それが可能なら。
ところがこの本を読んで、そうか死にたいと思ったら死ぬこともできるんだよな人間ってと思った。なぜか自分の思考から死を排除していたことに気がついた。死んでたまるかという気持ちから、辛かったら死ぬこともできるのかという考えがジワジワと侵食しているのを感じた。
無論この本は自殺を勧めない。僕も自殺はしないと決めている。どんな苦痛を受けようともしない。そこに理由はない。決めたからそうだというだけで。この本にも確かそう書かれていたはず。本人の決断以外に生きる根拠はないと。

僕の入口がこのような本であったために、僕が仏教を見る目線は南直哉禅師の考えに強く影響を受けている。
だからあらゆる仏教本を読んでみてもダメだこりゃとなることが多い。
玄侑宗久氏の本はその中でもまぁまぁ読める方だと思います。テーラワーダだの上座部系はまぁダメですね笑
草薙龍舜氏もどちらかというと上座部系ではあると思います。結構俗っぽい話もあるのでやはり
なんというか日本人は日本仏教は堕落していてブッダの教えから遠く、原始仏教を持ち上げがちですが、そんなこともないんですよね。
それは一つにはブッダの待機説法にあると思います。あらゆる人に対してその人に合った答えを言えるわけですから、その答え自体矛盾したりするわけで。
この南直哉という方は、そこを上手く見抜いてブッダが本当に言っていた(信じていた)ことは何かということを批判的に抉り出すわけです。
ブッダが言ったことをそのまま鵜呑みにするのではなく。
上座部系はこの辺が全くダメで、ただただ原始仏典を正確に理解しさえすればよい。ブッダの教えは真理であると宣うだけで、これとこれは矛盾してるように見えるけどどうなんですか?ということにはさらなる教理を用いて無理やり説明を施したりする。その典型が輪廻転生と無我です。
ここだけ見ればもう僕の(南さん寄りの)仏教観に合うかどうかハッキリとわかります。
輪廻と無我は無理筋だからです。
は?仏教といえば輪廻転生からの解脱でしょ?って思う人も多いと思いますが、よく考えたら無我なものが輪廻するってどういうこと?と思うでしょう。実際これに対する反論的な思想はあります。
でもね、そんな理屈こねくり回すよりも、当時支配的だった輪廻転生という思想をブッダが方便として説いたと考える方がよほどわかりやすいと思います。
和辻先生も中村元先生もそのような立場だったと思われます。よく考えてみれば当たり前のことです。
何が輪廻するのかなんて考えてる暇があったら坐禅でもした方がマシでしょう。
昨日書いた魚住なんちゃらさんとかも、あーだめだこりゃとなりました笑

そうやって眺めてみるともはや読める本って少ない笑
南さんの本は納得できるけど、優しくないし厳しい。具体的な話は少なく、そうは言っても日常はどうしたらという問題が残りがち。
実は超越と実存という本をまだ読めていない。これが本当に難しい本で。
それと正法眼蔵を読むという本もまだ読めてません。この二冊は難しい。

南さんの仏教理解は南さん流です。主流の考えではないと思います。しかし、僕には一番納得のいく仏教の考え方でした。
もし読むとしたら

この辺りから入るのがいいかもしれません。


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