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無力の大切さ

2022-03-06 23:40:00 | 日記
いかに無力であるかということが難しいかといのを最近よく思う。

無力であるとは自分にはどうにもできないという境地に立つことである。


キリスト教における祈りについてこの本にめちゃくちゃ詳しく書いてあって、これは別にキリスト教に限らず、姿勢としては役に立つ。
あらゆることに無力であってよいし、どんなことも絶対に「自分で」始める前に祈る。
そうすると自分の内面でどういう変化が起きるのかというと、物事全てが望んですることになるのである。
嘘偽りなく望みを告げること、その上で神が私に働くよう祈ること。
そうするとかなり無理ない形でできることが増える。
卑近な例で言うなら例えば掃除にしたって好きな人も嫌いな人もいると思うが(僕は結構嫌い)汚れてきたし掃除しなきゃなとは思いつつもなかなかしない。そこで、とりあえず正直に嘘偽りなく祈る。掃除が面倒でやりたくない、けどしなきゃいけないとも思う。どうか神よ私に掃除をさせて下さいと祈ってみる。(実際にはもうちょい丁寧な言葉でやりますが、詳しくは本読んでください)
そうすると僕の中でやりたくないやらなきゃいけなかったことが、自分のしたいこと(=望んでいること)に変わる。
しかも、それを自分が直接するのではなくて、神が私を通してやると。
こうしてみるとだいぶ自分の努力っていうものが減る。
もちろん掃除するのは自分だし、その労力は祈っても祈らなくても変わらないのに、うまくいく。これはとても不思議なことである。
祈りというと大袈裟に聞こえるかもしれないが、どんな小さなことも嘘偽りなく祈ったほうが良い。


この本にもあるが、イエスは最高のカウンセラーである。
本当に信頼している人でさえいうのが憚られるようなことも、自分だけの秘密も祈りを通して聞いてもらうことができる。
僕がこのキリスト教は役に立つか?という本を読んだのはもう数年前だと思うが、その時はどうしても神というものをリアルには感じられなかったのである。今はいてもらうとありがたいみたいな感じの不遜な信仰だけど、本当に役に立っていると思う。

神と人生を歩むのも悪くないものだと今は思うのである。




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