毒入り危険!~出口のある海へ

ここには毒が含まれています。PTSDに苦しむ方のためになる話もあるけど、症状を悪化させる場合もあるので、気をつけて。

コミュニケーション

2009-03-16 00:26:53 | 日本語

このカテゴリーでは、私が遭遇した(主に治療院とザクロ母)おかしな日本語を取り上げようと思っていたが、
第一回目にして、そういう問題ではないことに気付いてしまった。


 


過去のメールをそれとなく読み返していたら、こんなのを発見。
どうやら、私の読書感想文らしい。


                   


『笑う英会話』という本が亘理図書館にありました。
結局、英会話は度胸とセンスみたいです。
おもしろかったのは、英語をしゃべれる日本人の筆者が、


「俺なんか英検何も持ってない。


何それ、誰が誰に検定してもらうのよ って感じだもん」


というところ。



 


「ことばはあくまでも道具でしょ。
道具だけ取り出して、
それができるできないっておかしいよ。
目的はコミュニケーションなんだから、
コミュニケーションがとれたら成功なんだ。

おれ、コミュニケーションだったら
とれる自信あるの。
外人とでも、赤ん坊とでも、
猫とでも、犬とでも。
それでいいんだよ。」


                 


な、なるほど。
そんなことが書いてあった本もあった・・・ような・・・気がする・・・・・。


そうなんだよね~。


結局、私がイライラしている理由は、コミュニケーションが取れてないってこと。


柳沢教授が「『犬の散歩をしていた人が殺された』とはどういう意味だ?
果たして、人は犬のように散歩をするのであろうか?」
と真面目に思惟する。
それは、日本語がおかしいということだけではなく、
おかしな日本語を使っていることに微塵も疑問を感じない人たちに困惑しているのだ。


で、私は、おかしな日本語を使う人たちにイライラしているような気がしていたけど(日本語が好きなので、アダ疎かに使用している人を見ると腹が立つ)


もう、そういうレベルではなく、


言葉が通じないんじゃなくって(方言とか地方特有の言い回し)、そもそも人間の常識が通じない ってこと。


そのためにコミュニケーションが取れない・・・、なんというか、そういう人たちを相手にしなければいけない自分の状況に絶望してしまう。


 


だってさ、例えばその常識の明らかに違う人たち、いわゆるDQNじゃなくって、ごく普通の人なの。


だけど、常識を無視して私に妙な要求を押し付けようとするんだな。


要するに、明らかに無理な虫のいい要求。


きっと日常生活で横行しているわけじゃないと思うんだよ、私にだけ発揮されていると思われる。
(もし、誰にでもそういう理不尽を押し付けていたら、プライベートは滅茶苦茶、仕事なんて成り立たないだろうし)


軽く考えているんだろうな、私のこと。


 


まあ、いいさ、しょうがない。


今まで、幼稚園児に教えるように噛み砕いて説明してきたんだけど、
(ドクターKも「『一たす一はわかる?』って聞きたくなっちゃう」って言ってた)


彼等は道理がわからないから理不尽な要求を押し付けているわけじゃないんだよな、きっと。


だから、こっちがやさ~しく、やさ~しく説明してあげてもしょうがないんだよ。


向こうがこっちを猿か何かだと思って(コドモではない、人間扱いされていない)ぞんざいに扱っているんだ。


ゆえに、滅茶苦茶な要求を涼しげな顔でのたまわるのだ ということに気付いた。


 


一言で言うと、なめられている、ということ。


 


でも、しょうがないわけだ。


向こうはこっちのこと対等だと思ってないんだから。


なめてるつもりすらないだろう。


 


そうじゃなかったら、あんな厚顔無恥な言動はできっこない。


少なくとも、私はできない。


 


今までかなり小難しい学問を積んできて、何で時計の見方(予約というシステムが理解できない)や日本語の基本的使い方を幼稚園児に教えるように根気よく説明しなきゃならんのだ、と空しく思っていたけど、そういう問題でないことに気付いた。


私が何度言っても患者が予約のシステムが理解できないのではなく
患者が何度「お前のシステムに合わせる気はない、よってそのシステムは無効」と私に言ってたんですね。
私が気付いていなかったんですよ。


むか~し、T寺にチベット人僧侶(結構勉強できた人らしい)が役僧してた時、私が「チベット語習おう!」と言ったら、
モラ僧正が、「キミはわしに『あいうえお』習いたいか?」と皮肉った。


まあ、それは極端な話で、チベット人僧侶にチベット語(というよりチベット仏典)を習おうというのは間違っていないと思うけど、
でも、ある意味で言えば「何でわたしがカ・カッ・ガ・ガッ・ンガ(チベット語のあいうえお)をやらなきゃならんのだ?」と思われたかもしれないよね。
確かにもっと大事なことあるんだし。


私の患者(や母親)に必要なのは、正しい日本語の使い方ではない。


マナーですらない。


・・・・・だって私は幼稚園の先生でも学校の先生でもない。


専門家としての専門知識を持っているが、はっきりいって宝の持ち腐れ。


それを必要としている人なんていないわけだし、
彼等はそもそも人間じゃないのだから。(向こうからすれば、こちらが人間ではない)


申し訳ない、ありがたい、という気持ちを持つことなく、なんで人間面していられるのか、かなり疑問。


 


おれ、コミュニケーションだったら
とれる自信あるの。
外人とでも、赤ん坊とでも、
猫とでも、犬とでも。
それでいいんだよ。


 


無理っす。


だって、外人でも赤ん坊でも猫でも犬でもなく、


アリ?


ゾウリムシ?


まあ、そんなとこだよね。


 


まあ、それは極端だけど、


患者は(ってか「客」)は、治療院が患者に合わせるべきだって思ってんのかねえ?


患者が治療家にあわせたほうが、絶対にモアベターな治療が受けられるのにねえ。


バカだねえ。


(少なくとも、私の場合は、ね。
 得意分野で勝負させてくれよ! 治療の計画立てさせてくれよ!
 そうすりゃ、治癒率は絶対にアップするのに。
 最大限に譲歩しているのになあ・・・・・残念。)